峠の道は危険の香り

飛んで火に入り正面突破

 マルクトの街を出てから、数時間くらい経っただろうか。

 オレたちは今、予想通りの事態に巻き込まれていた。


「金目の物を置いていきな」


 下卑た濁声だみごえが、辺りに響く。

 山道の半ばで、オレたちは前後を塞がれていた。林の間を縫って進む山道は、手を広げた大人二人分ほどの幅しかない。その前方と後方に、汚れた革鎧姿の男たちが三人ずつ並んで行く手を阻んでいる。

 手斧、短剣、短槍……手に持つ得物はばらばらだ。まだまだ肌寒い季節、頭巾やマフラーを付けてる連中もいるが、例外なく擦り切れてくたびれている。なんとも薄汚い連中だった。


「金目の物などない」


 ヴァルターが言えば、男たちが一斉に笑った。


「いい服着てんじゃねえかよぉ」

「腰の剣もなかなかだぜ?」


 舐め回すような六対の視線が、じっとりと絡みついてくる。昨夜のジークハルトとはまた違った意味で、気持ち悪りぃ。


「よく見りゃこいつ、すげえ別嬪さんじゃねえかよ……こりゃあ男でも高く売れるぜ」

「横の小せえのも、なかなか悪くねえぞ。売り飛ばす前に、たっぷり可愛がってやろうぜぇ」


 好き勝手言ってやがる。

 前に進むためには、この場をなんとか切り抜けなきゃならねえ。ヴァルター、策はあるんだろうな?

 横をちらりと見れば、腰の長剣は既に抜かれていた。青い目が、前方の三人をぎろりとにらむ。

 腰が、落ちる。


「おぉ? やる気――」


 賊の声が、途切れた。

 ヴァルターの剣が、袈裟懸けに前方の一人を斬り飛ばしていた。

 鮮血が右腕から散る。短槍が地面に落ち、大きな身体がゆらりと傾ぐ。

 残る二人の目が、泳いだ。

 遅れてあがる、絶叫。賊どもの目に光が戻る。


「てめえ――やっちまえ!」


 うぉぉおぉ、と声をあげつつ、賊が飛びかかってくる。前から二人、後ろから三人。

 おい、どうすんだヴァルター! お前だけならともかく、オレもいるんだぞ!!

 うろたえるオレの前で、ヴァルターの足は華麗なステップを踏む。

 舞踊じみた素早い足さばきが、前へ後ろへ駆け抜ける。踏み出した先で短剣を弾き、手斧を逸らす。

 オレの周りを守りながら、ヴァルターはすべての攻撃を受け流した。間断なく繰り出される五つの得物を、ヴァルターは完璧に見切っているようだった。がら空きの背中を狙ったはずの一撃は、次の瞬間、吸い寄せられるように長剣に受け止められ、弾き返されていく。

 やがて賊の体勢が乱れ始めると、現われた隙へ、ヴァルターの剣が容赦なく叩き込まれる。

 賊どもの腕を、肩を、斬撃が襲う。得物が、次々地に転がる。

 命に関わる首や頭を一切狙ってねえのは、ヴァルターの美学なのか情けなのか……どっちにしろ、当てる先を気にする余裕がある時点で、とんでもねえ。


 あっというまに、六人が無力化された。どいつも利き腕をやられ、得物を持つことはできなくなっていた。

 ……七年前から、剣技に鈍りはないようだ。動きのキレはむしろ増して、人間離れした領域に達している。

 さすが、王国第二の剣士は伊達じゃねえな。すさまじいぜ……。


「何をしている。新手が来る前に行くぞ」


 ヴァルターに促され、オレは先を急いだ。




 ◆  ◇  ◆




 新手は、思いの外すぐにやってきた。


「逃がさねえぜ」


 林が少し開けた広場で、今度は前方に五人、後方に四人いた……と思う。

 確証はない。ヴァルターが、敵の態勢が整う前に斬り込んでいったからだ。

 今度もヴァルターは、賊の利き腕を狙った。おそるべき速さで踏み込み、斬り、倒す。

 正面の連中は、初撃を試みる暇すら与えられなかった。凄まじい速さに恐れをなしたか、逃げる奴が一人か二人いた。だから、正確な人数がわからねえ。

 我に返った後ろの連中が、統制もないまま打ちかかってくる。当然、まったく相手にならねえ。ヴァルターの長剣は、吸い込むように賊の得物を受け、受け流し、弾き返し――隙ができれば腕を斬った。賊は倒れて、それで終わりだ。

 倒すほどに、賊には新手が現れる。だが体勢を整える前に、ヴァルターの剣が打ち下ろされる。

 わけのわからねえ速さだった。最初の連中が倒れた後、山賊たちはなすすべなく潰されていった。浮かんでくる泡が、水面に触れると次々弾けていくように。

 泡が弾けるたび、長い銀髪の軌跡が残像を描く。迅雷のごとき動きを、オレはただ見ているしかできねえ。下手に動けば、華麗なる舞踏の邪魔になりそうだ。

 まあオレは一介の鍛冶屋だ、戦いは役目じゃねえしな。自分でできねえ仕事は、できる奴に任せるにかぎる。

 ……などと思っていると、不意に後ろに殺気を感じた。首にざらついた刃物――恐らく錆びてんだろう――を突きつけられ、手を捩り上げられる。


「動くなよ、坊主」


 はっ、馬鹿か。戦いはオレの仕事じゃねえが、てめえ程度の雑魚相手なら身は守れるんだよ!

 掴まれた右手に、意識を集中する。たちまち皮膚が黒鱗に包まれ、高熱を発し始める。


「あつ、ッ!」


 賊が手を離した。すかさず、背後めがけて肘打ちを喰らわす。

 相手が、よろけた。

 すかさず振り返り、真正面から「炎の拳」を叩き込む。

 腹のど真ん中めがけて、全力で。


「ぐ、ハァァァ……!!」


 手応えは、あった。

 汚ねえ革鎧に、大きな焦げ跡がつく。そのまま、賊は気絶して倒れた。

 見れば、ヴァルターの方も片付け終わったようだ。倒れた賊の頭巾を剥ぎ、長剣に付いた血糊を拭っている。


「終わったか」


 訊けば、無言でヴァルターは頷く。二十人近くは相手にしてたはずだが、それでも息一つ上がってねえ。人間離れした剣技と体力だ。体力は川底から戻ってきたときに増したのかもしれねえが、剣技はもとからだろう。

 本当に、ゲオルクさえいなけりゃ、御前闘技会の覇者は七年連続こいつだったはずだ。そう確信させる、圧倒的な強さだった。


「それじゃあ行くか、先を――」


 急ぐぞ、と言いかけた瞬間だった。

 ひょう、と音がして、傍らの木が揺れた。見れば幹のど真ん中に、太い矢がざっくりと突き立っている。


「まだいる!」


 オレたちは辺りを見回した。だが取り巻く林の中、どこに伏兵がいるのかは全く見えねえ。わかるのは、矢が飛んできた大体の方角くらいだ。

 剣を構えたヴァルターが、走り回りながら辺りを窺う。オレも的にされねえように、ヴァルターと反対側に動く。

 再び弦音。今度は二本立て続けに、矢が空を切った。

 やべえな、とはオレにもわかる。相手からオレたちは丸見えだ。オレたちから相手は見えてねえ。

 このままじゃあ、一方的に――


「グアァァアァ……!」


 不意に、ものすごい叫び声が上がった。

 矢が飛んできた方角からだ。

 足は止めずに様子を窺うと、二度三度と断末魔があがる。

 茂みを揺らし、林の中から数人の山賊が走り出てきた。手には弓矢を持ちながら。

 その背を追って、大小の人影ふたつが飛び出してくる。大きな方が、長剣を袈裟懸けに振るった。


「グギャ、ア、ァァァ……!!」


 潰れた蛙みてえな声をあげて、山賊が地に倒れる。

 すかさず、もうひとりの短剣がひらめく。背中から鋭い刃を突き立てられ、山賊は見る間に動かなくなった。

 その間にも大きな方が、他の連中を薙ぎ払っていく。剣筋は大振りに見えて、確実に人の身の急所を狙っているように、オレの目には見えた。

 鋭い斬撃の前に、賊どもは次々と地へ転がる。そいつらを、後続の短剣が手際よく……始末していった。

 やがて辺りはすっかり静かになった。鳥の声しか聞こえない中で、人影ふたつが、ゆっくりとこちらを向く。


「油断したな。怪我はないか」

「……あんたは」


 まとった外套の間から、青と緑の幾何学模様が見える。

 黒い髪を後ろに撫でつけた精悍な男と、蜂蜜色の髪を短く切り揃えた男――ジークハルトとベルンハルトだった。


「なんであんたら、こんなところにいるんだ……」

「説明は後だ。ぐずぐずしていると、また新手が来るかもしれん」


 ベルンハルトが、山道の先を見る。


「この林道を抜けたところに、小さな村がある。そこまで走り抜けるぞ」

「わかった」


 ベルンハルトが先導し、ジークハルトが後ろを固める。

 二人に挟まれ守られながら、オレたちは林道をひたすらに駆けていった。

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