見えている火種、見えない火種
ちょっとばかり、頭がくらくらする。まぶたに刺さる朝日が痛え。
「いつまで寝ている。起きろ」
ヴァルターの声に、はっきりと苛立ちが混じっている。
布団越しに身体を揺すられる。だがどうにも首から上が重い。昨夜はちょっと飲みすぎたらしい。
踏ん切りをつけて起き上がってみれば、服は昨夜の居酒屋で着ていたそのままだった。後悔よりも恥ずかしさが先に立つ。この歳になって、本物の十五歳みてえに潰れちまうとは。
「立てるか」
「なんとかな」
幸いにも、天地がさかさまになるような感覚はねえし、吐き気も大丈夫そうだ。この程度の酔い方なら、歩いてるうちに抜けてくれるだろう。
後は、飲みすぎの原因になった嫌なことさえ忘れちまえばいい。そうだ、たまたまあいつらがおかしかっただけだ。普通の人間は、困っている相手がいたら助けようと思うはずだし、人をモノ扱いしたりもしねえ、はずだ。
ヴァルターが服を整え終わるのを待ち、オレは自分の荷袋を背負った。
「じゃあ、行くかヴァルター。昼過ぎにギルドで身分証を受け取ったら、街道に出てシュタールに向かう……問題ないな?」
ヴァルターは無言で頷く。
「おし、それじゃあまずはギルドへ行ってみるか。ひょっとしたら早く出来上がってるかもしれねえしな。前倒しに進められるなら、それに越したことはねえ」
ヴァルターが外套を羽織ったのを確かめ、オレたちは宿を後にした。
◆ ◇ ◆
宿から出たところで、オレは、今一番会いたくない連中に出会ってしまった。
「やあ、ロルフくん」
青と緑の幾何学模様のベストを着込んだ、二人組――ジークハルトとベルンハルトだ。
今はどっちも涼しい顔してやがるが、こいつらは昨夜オレを「所有物」扱いしてきやがった。忘れてねえぞ。なんなら、ちょっと根にも持ってるぞ。
「……なんでお前らがここにいるんだよ」
「昨夜、非礼がありましたからね。正式な謝罪の品を持ってきました」
言ってベルンハルトは、両手の拳を合わせたほどの大きさの小箱を、オレとヴァルターそれぞれに渡してくれた。開けてみると中には、小麦の香りを漂わせたビスケットが何枚か入っていた。
「旅には非常食が必要でしょうから。この品には干しブドウなども入っていて滋養があります」
「そうそう、いいものを食べて体力をつけないとね。昼はもちろん……夜も、体力勝負だからねえ」
ニヤニヤ笑いを浮かべながら、ジークハルトが言う。だからそれはやめろっつうの。
ぎろりとにらんでやると、ベルンハルトの方が大きく溜息をついて、横の大男を肘で小突いた。
「……ジーク」
「はいはい、すいませんベルちゃん。ところでロルフくんとお連れさんは、これからどうするんだい?」
どこまで話したものか思案していると、ヴァルターが代わりに答えてくれた。
「まずは、鍛冶ギルドの本部に身分証を取りに行く。その後は鉱山街シュタールへ向かうつもりだ」
ジークハルトが、いささか大げさ気味に驚きを見せた。
「へえ、あなた鍛冶屋さんだったんだね……とてもそうは見えないけど」
「俺ではなくロルフの方だ。こう見えて、鍛冶
「えっ、もっとそう見えないよ! たしか十五歳だったよね!?」
めんどくせえな。年齢を詐称してるとこういうところでボロが出る。
「……二十一歳だ。信用されねえから、いつも本当のことは言わねえようにしてる」
とりあえず、鍛冶ギルドの登録年齢を答えておく。六年前に十五歳で登録したから、今はこれであってるはずだ。
「すごいねえ、全然そう見えないよ……こんなにお肌もつやつやしてるのに、二十歳過ぎてるんだね」
ジークハルトの舐め回すような視線が気持ち悪りぃ。ベルンハルトに助けを求めようとすると、そっちはヴァルターと話をしたがってるようだった。
「そういえば、あなたのお名前をまだ伺っていませんでしたが。よければ教えていただきたく」
「ヴァルター・ユング。今は、鉱山街シュタールを目指して旅をしている」
「ほう……既にご存知かもしれませんが、私はベルンハルト、あちらの相方はジークハルト。王都エーベネを拠点に行商人をやっております。今は、新規の取引先開拓のために国中を周っておりますが……ときに、シュタールへはどう行かれるおつもりで?」
「この街からは街道が出ていると聞いたが」
そこまで聞いて、ベルンハルトは少しばかり首を傾げた。
「街道……ということは、乗合馬車をご利用ですかな」
「いや、徒歩のつもりだが。何か不都合でもあるのか」
「徒歩でしたら、バザルト峠を越えた方が直線距離では近いと思いま――」
「だめだよ!」
急に、ジークハルトが叫んだ。
「あそこの峠道だけはだめだ。何があっても僕は知らないよ」
「確かに危険には違いないが。もし彼らが急いでいるなら――」
「どういうことだ」
言い争いかけた二人の間に、ヴァルターが割って入る。
「俺たちは急いでいる。時間が短縮できるなら、その道を使いたいのだが」
「……山賊が出るんだよ」
ジークハルトは険しい顔で言った。
「以前はシュタールへ向かう最短経路として賑わっていたけど、山賊が砦を築いて以来はすっかり寂れている。山賊とうまく交渉できれば、一日くらいは早く着けるかもしれない。けど、おそらく一日分の時間に見合う値段じゃあない……色々な意味でね」
その話は俺も聞いたことがあった。
鉱山街シュタールと、今いるマルクトの街の間には高い山がそびえている。そこの峠道を突っ切っていければ、一番早くシュタールに着ける。が、勾配がきつく体力を使う上に、山賊が出てからは危険で使えなくなった……と。
だから今回も、その道を使う気は毛頭なかったのだけれども。
「わかった。そちらでいく」
「待て正気かヴァルター!」
オレの叫びに、ヴァルターは耳を貸さない。
「早く着けるならそちらがいい。山賊を退治すれば近隣住民のためにもなるだろう」
「一人で山賊全員相手にする気かよ!?」
「問題ない」
ヴァルターは、腰に提げた剣をわずかに鞘から抜いてみせた。
「山賊ごときに後れを取るようで、ゲオルクに勝てはしないからな」
「強い一人を相手にすんのと、弱い大軍を相手にすんのじゃ全然勝手が――」
言いかけたオレを、ヴァルターは鋭くにらんだ。
視線の先が、オレの胸元に向かっている。
……あーあー、わかったよ。オレはどうせおまえの「所有物」だよ。
所有物はおとなしく、主人についていくしかねえんだよな。溜息しか出ねえぜ。
ベルンハルトとジークハルトは、もう何も言ってこねえ。どこか生温い目で、オレたち二人の言い合いを見守っているようだった。
◆ ◇ ◆
ギルドに行くと、昨日の受付の嬢ちゃんがいた。嬢ちゃんはヴァルターを見ると、昨日にも増してキラキラした目をしながら、できあがった身分証を差し出してくれた。
「今朝になって、登録台帳が戻ってきたんです。いつのまにか、玄関前に綺麗に積んでありました。……ただ」
嬢ちゃんは言いづらそうにしながら、それでも、不可思議な事件について伝えてくれた。
「登録台帳からページが切り取られていたんです。それがなぜか……ロルフさんのページで」
「オレの?」
どういうことだ。オレのギルド登録情報を欲しがってる奴が、どっかにいるってことか?
微妙にきなくせえものを感じる……だが、どうせオレはすぐここから去る。この街の誰かに狙われてるとしても、その頃オレはもういねえ。
気にしないことにして、身分証を受け取る。「槌と金床」の焼印が押された木の薄板二枚の間に、パピルス紙に写し取られた登録情報が挟んである。ページがなくなっていたのにどうやったのかと訊けば、登録時の提出書類が残っていたから、そこから写してきたらしい。六年前だからギリギリ探せた、とは嬢ちゃんの談だ。
「お二方は、鉱山街シュタールへ行かれるのでしたね?」
「ああ。強い武具を作るのに、ここじゃ材料が足りなくてな」
「そうですか。では、旅のご無事をお祈りしております……帰ってこられる際は、よろしければ当ギルドにもお立ち寄りくださいね?」
オレに身分証を渡しつつ、嬢ちゃんの視線はすっかりヴァルターに釘付けだった。
苺の果肉みてえに頬を染めた、恋する乙女の顔だった。
ギルドを出るとき、オレはこっそりと、一通の封筒を大扉の後ろ側に落とした。昨日、居酒屋で飲む前に書いてあった救助要請の手紙だ。誰かが見つけて拾ってくれることを願いつつ、オレはヴァルターと共に、マルクトの街を後にした。
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