モテる男の側に居て

 ヴァルターが、オレの手中のメダルを指し示した。


「このメダルがあれば、本人だとは確かめられるのではないか?」


 ヴァルターに言葉をかけられ、嬢ちゃんの頬がますます赤味を増す。しばらくぽーっと目を泳がせた後、上気した声で嬢ちゃんは言った。


「そういうわけにも……いかないのです。身体の特徴を照合したり、経歴を記載したり……いろいろ手続きが必要ですので」

「鉱山街シュタールへ向かうにあたって、どうしても必要なのだ。なんとかならないか」


 ヴァルターの言葉に、嬢ちゃんは瞳を潤ませる。


「なんとか……ギルド長に相談してみますね。あの、失礼ですが、お名前は」

「ヴァルター・ユングだ」

「すてきなお名前ですね……ヴァルターさん、明日のお昼より後に来ていただけますか。私がなんとかしますので!」


 ヴァルターが再び口を開く前に、嬢ちゃんは奥へと走って行ってしまった。

 とりあえず出直すしかなさそうだ。……そしてどうやら今は、助けを求められる状態でもなさそうだ。明日になれば少しは落ち着くかもしれねえ、それまでに手紙を用意することにしよう。


 ギルドを出ると、西の空が少しばかり橙色に染まっている。まだ春分にもなってねえ時分だ、日が落ちるのも早い。煉瓦の赤は変わりねえが、隙間埋めの白モルタルや地面の石畳がほんのり赤い。

 やわらかな朱に染まる街並を、ヴァルターが静かに眺めている。銀色に輝く髪と、透き通るように白い肌も、陽に照り映えてかすかに赤味を含んでいる。男の目から見ても惚れ惚れする美しさだ。ギルドの嬢ちゃんが魂飛ばしちまうのも、わかる気がする。

 いくら見ていても飽きそうにない。だが、いくら見ていても、ヴァルターが動く気配がねえ。


「おい」


 声をかけてみる。


「なんだ」

「何やってんだおまえ」


 ヴァルターは陽光の中、名工の彫像のように堂々とたたずみながら、何かの威厳さえ漂わせつつ、言った。


「何もしていない」

「……待て」


 まとう空気と言ってる内容が、絶望的に合ってねえ。


「身分証が手に入らない以上、できることは当面なにもないだろう。時間を浪費してしまうのは口惜しいが」

「いや、やるこたぁ沢山あんだろうが! 宿を確保するとか、晩飯を食える場所を探すとか――」


 まくし立ててやると、ヴァルターが目を丸くする。

 おいこら。まさかとは思うが、おまえ本当に宿のことを考えてなかったのか?

 そういえばフォルスト村へ寄ろうとした時も、こいつ最初は野宿しようとしてた覚えがあるが。

 職人街から中央通りへ向かいつつ、オレはヴァルターに訊いてみた。


「おまえ、オレんとこに来るまでの間、どんな風に旅してたんだ?」

「特に変わったことはしていない」

「じゃ、どこでどんな風に寝泊まりしてたんだよ」

「木の下や茂みの陰や……そういった、風雨をしのげる場所で普通に寝ていた」


 十分普通じゃねえよ。


「街道沿いの旅なら、よほどのことがなきゃ宿に泊まるだろうが……晩飯とかどうしてたんだよ」

「前の町で食べられるだけ食べてから、次へ向かっていた。特にそれで困ったことはない」


 どんだけ胃袋でかいんだよ。それとも川底から舞い戻ってきた時点で、内臓まで妙なことになったのか。

 どっちにしろ、確かなことはひとつだ。

 旅路をこいつに任せてたら、オレの体力、どれだけあっても足りやしねえ!


「ヴァルターさんよ……とりあえず旅の計画、オレに任せてもらっていいか」


 言えば白皙の美青年は、あからさまに嫌そうに顔をしかめる。


「逃げやしねえから。オレの身体は、おまえほど頑丈じゃねえんだよ」


 ほんとにこいつ、ここまでどんな人生を送ってたんだ。身を投げた時には二十も半ばを過ぎてたはずなのに、まともな旅の仕方も身についてねえのかよ。

 生きてた頃に、天才剣士とちやほやされてたのは知っている。若き美形剣士の周りには常に誰かがいて、身の回りの世話や稽古の相手をしていた。黄金章を受けたことのない剣士としては異例の、恵まれた暮らしぶりだった。

 そういえばあの頃、ヴァルターに浮いた話はひとつもなかったな。王女様が目をかけてるとか、どこそこの貴族令嬢が惚れこんでるとかの話は山ほど聞いたし、根も葉もない噂もたくさん飛び交ってたが、当の本人は剣の稽古以外にまったく興味がなかった……らしい。少なくとも上位剣闘士の界隈では、そう言われていた。

 もしかしてこいつ、本当に、剣術以外は何も知らねえんだろうか?


 考えるうちに中央通りに出た。この街の旅籠や小料理屋の類は、ほとんどが中央通り沿いにある。だからひとまずは、ここに沿って探してみればいい。

 石畳の道を、奥へ向けて歩き出そうとすると……ヴァルターがついてこない。相変わらず、街並をぼんやり眺めてやがる。やっぱりこいつ、剣の腕と顔を取ったら何も残らないんじゃねえのか。

 しかたなくオレは、ヴァルターの手を取った。透き通るように白い肌は、見た目通りずいぶんひんやりしている。死霊……と言われてしまえば、信じてしまうかもしれねえくらいに。


「おまえの手は、温かいのだな」


 ヴァルターが、ぼそりと言った。


「そっちが冷たいだけだ。……行くぞ」


 手を繋いだまま、ふたりで中央通りを歩く。

 職人通りに満ちていた、槌やのこぎりの音はもうしない。代わりに、道行く人間や客引きの喧噪で満ちている。

 ……人の多い場所ってのはどうも苦手だ。人が多ければ、揉め事やら犯罪やらに遭う機会も増える。路銀の巾着を気にしながら、良さそうな店を探すのはそれなりに疲れる。

 王都エーベネにいた頃は、もっと大勢の人間も平気だったんだがな……七年も経つ間に、独りに慣れちまったんだろうか。

 通りに並ぶ看板は、さまざまに趣向が凝らしてある。動物や植物が描いてあるもの、食べ物が描いてあるもの……字が読めねえ連中にもわかるように、どれも必ず絵がついている。色鮮やかな看板を見上げながら、人混みの間を縫うように歩いていると、不意に声をかけられた。


「そこのかわいいお兄さん、今夜の宿をお探しですか~?」


 振り向くと、そばかすのあるエプロン姿の嬢ちゃんが、オレたちに向けて手を振っている。

 お嬢さんの後ろには、ベッドと瓶の絵がついた看板がかかっている。居酒屋兼旅籠だな。一階が居酒屋、二階が旅籠になっている、ここらじゃよくある様式の宿屋だ。

 ヴァルターじゃなくオレに声がかかったのが、ちょっとだけ嬉しい……と思ったが、見ればヴァルターは、いつのまにか外套のフードを目深に被っていた。ほんの少しの敗北感を覚えつつ、オレは極力ほがらかに笑ってみせた。


「こいつと二人なんだが、まとめてだと安くなったりしねえか」

「お二人様ですね~、ご一緒のお部屋でしたらお安くなりますよ~」

「問題ねえ、じゃあそれで」


 オレが笑ってみせると、そばかすの嬢ちゃんは大きく何度も何度も頷いた。


「はいっ! かわいいお兄さんとお連れ様、ご案内で~す!!」


 嬢ちゃんと一緒に、店の中へ入る。と、その時、ヴァルターのフードが看板に引っかかった。

 顔を隠していた覆いが外れ、輝くばかりの白い顔が露になる。その瞬間、そばかすの嬢ちゃんの動きが止まった。

 さっきまでオレのことを「かわいいお兄さん」と呼んでくれてた嬢ちゃんは、いまや息をするのも忘れて、ヴァルターをうっとりと見上げている。

 なんというか悔しい。オレも背は低いとはいえ、目は大きいし顔は結構整ってるし、なかなか悪くねえと思うんだが。

 ……モテてえなあ。

 普段はそんなこと全然思わねえんだが、こいつの隣にいるとどうしても感じちまう。

 負けてんな、と、嫌でも意識しちまう。


 ふと、ひとつの考えが浮かぶ。

 ひょっとしたら、ヴァルターの奴もそうだったのかもしれねえな。七年もの間、勝てねえ相手と比べられ続けて。

 悔しかったのかね。強くなりたかったのかね。

 訊けば、傷を抉ることにしかならねえんだろうけども。




 ◆  ◇  ◆




 荷物を部屋に置いて一服した後、オレとヴァルターは一階の居酒屋で少し早い夕食にありついた。場所柄ちょいと値段はお高めだったが、酒も料理も品揃えは豊富だった。カウンター席で二人並びつつ、メニューの黒板を確かめれば、各種の酒も、肉も魚も芋も、このあたりで食べられてる物は一通り揃えられている。まずは品の良し悪しを確かめようと、オレはとりあえず赤ワインと鶏の串焼きを頼んだ。

 外套を脱いでいるヴァルターは、案の定ここでも周りの視線を惹きまくっている。だが本人は相変わらずだ。注文を取りに来たお嬢さんが、じりじりと返事を待っているのにもかかわらず、白皙の色男はぼんやりと黒板の品書きを眺めている。


「ヴァルター、どうした」


 声をかけてみても、やっぱり無言だ。ひょっとしてこいつ、何を注文していいかわからねえのか……?

 王都を出たことがなきゃ、まともな旅の仕方を知らねえのはまだわかる。だが、居酒屋でものを頼む仕方も知らねえのか?

 ……ひょっとするとオレは、想像以上にとんでもねえ奴に捕まっちまったんじゃねえのか。

 ヤベえな、何が何でも早めに逃げろオレ。でなきゃあ、こいつの一挙手一投足の面倒を、いちいちオレがみなきゃあならなくなる!

 内心冷汗を流しながら、オレは少しばかりおどけた口調で言った。


「わかんなきゃ、とりあえず『おすすめ』を頼んどけ」


 ようやく、ヴァルターが店のお嬢さんの方を見た。


「『おすすめ』の料理をくれ」

「お酒はよろしいですか?」

「……『おすすめ』の酒を頼む」


 ヴァルターが声を発した瞬間、お嬢さんの顔が輝きだす。ああ、やっぱり少しばかり悔しい。モテてえなあ。

 溜息をつきつつ目を逸らし、ワインを飲む。鶏と交互に口に入れると、スパイスの効いた鶏肉と渋いワインがよく合う。スパイスの刺激、旨味の詰まった脂、心地良い渋味、それぞれが互いの良さを引き立てあっている。どれも、物は良さそうだ。

 美味い酒を一息に口に入れてしまうのが惜しく、ちびりちびりとワインを啜る。おかわりが欲しいのは山々だが、ここであまり路銀を使い込んでしまうと先が思いやられる。鶏をじっくり噛みしめながら、一口一口を大事に味わうのもいいもんだしな。

 横をちらりと見れば、ヴァルターは「おすすめ」の白ワインと焼き魚を黙々と食べている。表情から反応が窺えねえが、まずそうには食ってねえからたぶん大丈夫だろう。

 と、不意に、お嬢さんがオレの目の前に胴長のマグを置いた。中の色合いは赤ワインぽいが、漂う香りは爽やかな柑橘系だ。


「赤ワインのオレンジ果汁割りです」


 ん、そんなの頼んだ覚えはねえぞ。果物もまあ好きではあるが、オレは酒は酒で飲む。子供に見えるかもしれねえが、こちとら、舌と頭と鍛冶の腕は年相応なんだよ。

 首を傾げるオレの前で、お嬢さんはカウンター席の奥を示した。


「あちらのお客様からです」


 見ればカウンター席の端近くで、大柄な男がオレへ向けて手を振っていた。

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