鍛冶場泥棒
結局その夜、オレはろくに眠れなかった。
寝ようとして目を閉じると、ヴァルターの凄まじい視線が、見てる方が震え上がるような笑顔が、瞼に焼き付いて離れねえ。振り払おうと寝返りを打っても、あの顔の主が隣で寝ていると思うと、すうっと身体の中が冷えていくようだった。
あの後、罰らしい罰を受けなかったのは幸いだった……が、本当に、こいつから逃げるにはどうすればいいのか。
ヴァルターは、ゲオルクに恐ろしく執着しているみてえだ。まあ、あいつが一度死んだ経緯を考えれば、わからなくもねえ。しかし今、ゲオルクは何やってんだか。
七年前の一件の後、あいつは剣闘士を辞め、十年連続黄金章の栄誉と共に王国軍に仕官した。その後、将官にまで昇りつめたとは風の噂に聞いている。だがオレの方も、例の事件の後に「精霊鍛冶師」は辞めたから、それ以降は一度も会ってねえ。
王国軍付きの鍛冶師にならないかとは誘われたが、オレの剣で人が死ぬのはごめんだった。そういえば精霊鍛冶師を辞めたのも、オレの剣で「人が死んだ」からだったと思い出す。入水したのは本人だとはいえ、そこまで追いつめたのはオレの作った品だ。
もうゴタゴタはやってらんねえと、この辺境に引きこもったが……その死んだ本人に引っ張り出されてんのは、皮肉という他はねえ。
眠れないでいる間、オレはヴァルターからどうやって逃げるかを、ただひたすら考えていた。
おそらく言動への監視は強まるだろう。危機をほのめかす言葉を口にする機会さえ、ひょっとしたらなくなるかもしれねえ。
どうにかして、あいつに気付かれねえように動く必要がある。
そこまで考えて、オレはひとつの案に思い至った。あそこになら、こっそりと助けを求めることもできそうだ。
そんな風にぐだぐだと考え続けるうち、夜は明けていた。
窓から見える東の空が、明るい薄青になっている。オレは、隣で眠りこけるヴァルターを揺り起こした。……まったく、他人をあれだけ脅しておいて、自分はのんびり寝てやがるのが頭にくる。
「ん……なんだ」
「なんだじゃねえ、朝だ。ところで、発つ前にひとつ相談がある」
「なんだ」
「なんだしか言えねえのかよ。……シュタールへ向かう前に、寄ってほしい所がある」
ヴァルターの目が、不機嫌そうに細められた。
「……別に逃げようとか思ってねえよ。ただ、今のままじゃあシュタールに向かっても無駄足になる」
「どういうことだ?」
ようやく「なんだ」以外が返ってきたな、と思いつつ、オレは説明した。
「ここから徒歩で一日くらいのところに、マルクトって大きな街がある。そこに、ここら辺一帯の鍛冶ギルドの総本部があって、オレも登録してるんだが……余所の街で鍛冶場を使おうとしたら、ギルドの身分証が必要になるぞ」
「本当か?」
ヴァルターの奴、あからさまに怪しんでやがる。まあ、ゆうべの今朝だからしょうがねえ。
とはいえオレも、出まかせを言ってるわけじゃねえ。
「本当だ。もともと鍛冶屋は余所者を嫌う。鍛冶仕事には炉やら金床やらの設備が必要だ……そいつを勝手に使われちゃあ、持ち主が商売あがったりだからな。身元の確かでない人間に設備を貸す鍛冶屋はいねえよ」
うーん、と、首を傾げながらヴァルターが唸る。
疑り深いな。少なくとも今の内容に嘘はねえよ。……身分証を受け取る時、ついでにちょっとした手紙を渡すつもりだ、ってのを言ってないだけでな!
鍛冶ギルドの結束は固い。構成員がヤバいことになってる、と分かれば、何らかの手は打ってくれるはずだ。
「マルクトは交通の要衝でもあるからな。シュタールへ向かう街道も出てる。寄って損はないはずだぜ」
「なるほどな……」
寝間着から麻の旅装に着替えつつ、ヴァルターは物思いに沈んでいるようだった。オレも着慣れたベストに袖を通しつつ、反応を窺う。
結局その場で答えはなく、オレとヴァルターは門番の兄ちゃんに見送られながら村を出た。早く戻ってきてくださいね、と笑う兄ちゃんに手を振りつつ、オレとヴァルターは歩き始めた。
やがて三叉路に出た。右と左の道に、街の名がいくつも刻まれた石碑が立っている。ヴァルターは右の「マルクト」、左の「シュタール」を指でなぞって確かめると、オレの方を振り向いた。
「行くぞ」
長い脚が踏み出した先は、右の道だった。オレは、内心で快哉を叫んだ。
◆ ◇ ◆
マルクトの街へ着いた頃、日はいくぶん西へ傾いてきていた。門番に挨拶をして、街へ入る。門番の革鎧が、昨夜泊まった村よりもだいぶしっかりしているのを見ると、都会へ来たなあと感じる。もっとも、王都エーベネの番兵は細やかな飾りのついた鋼の胸当てを着けているから、比べたらここはまだまだ田舎だ。
マルクトの街は、十字に交差する中央通りと東西通りで四つに分かれている。南の正門に近い二区画がそれぞれ商店街と職人街、奥側の二区画が居住区だ。それぞれの区画には、煉瓦造りの建物がぎゅうぎゅう詰めで建ち並び、遠目には具材を詰めたパウンドケーキの類に見えなくもねえ。
鍛冶ギルドの本部は、職人街の一番奥だ。中央通りから離れ、細い石畳の道を歩けば、木工所から流れてくる木くずの香り、鍛冶場から漂う炭の焦げくささ、そういったものどもがオレたちを包んでくる。
槌と金床の紋章が刻まれた大扉は、むせかえる工房の臭いの先、薄暗い路地の行き止まりにあった。
「失礼すっぞ」
扉を開けつつ、声をあげてみる。が、様子がどうもおかしい。
薄暗い受付に人の気配がない。その割に、どうも奥の方が騒がしい。
「おーい、誰かいねえのか?」
声を張りあげてみると、ようやく奥から返事があった。はーい、という声と共に、小柄な嬢ちゃんがサンダルの音をぱたぱた響かせながら走ってくる。……まあオレも男にしちゃ小柄なんだが、オレよりちょっと低いぐらいの娘だった。
嬢ちゃんはヴァルターを見ると、目を輝かせて寄ってきた。頬がほんのり赤く染まっている。
「あっ、あの! なにか、御用です、か」
「……俺ではない。連れが、ギルドの身分証を取りに来た」
ヴァルターがオレの背を押す。嬢ちゃんはオレを見て首を傾げた。
「この子がですか? 見習いじゃなくて?」
「フォルスト村のロルフ・バウアーだ。六年前に
「……マイスター? こんなちっちゃいのに?」
オレは荷物の中から、
「えっと……申し訳ないんですけど、身分証、いまお出しできないんです」
「って、なんでだよ!?」
「どういうことだ」
オレとヴァルターの声が重なった。嬢ちゃんは申し訳なさそうに、建物の奥を見遣った。
「実は昨夜、ギルドに空き巣が入りまして。ずいぶん荒らされてしまって、いま被害を確かめている最中なんですが――」
嬢ちゃんが、疲れた表情で首を振る。
「――どうも、登録台帳が盗まれたみたいなんです。身分証をお出しするには、台帳の記録を照会する必要がありますので……残念ながら」
「……はぁ!?」
「なんだと?」
お互いに情けない声を出した後、オレとヴァルターは顔を見合わせた。
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