村にも街にも助けの手はなく

助けを呼ぶ

 日持ちのする食料。替えの上着と下着、椀や櫛など身の回りの品。手になじんだ最低限の鍛冶道具。

 そういったものどもをオレは、ヴァルターに見張られながら背負い袋に詰めた。時折ちらちら後ろを見ると、色白の顔の真ん中で、青い瞳が鋭くオレをにらみつけている。

 そういやあいつ、目の色は黒かった覚えがあるんだが……オレの思い違いか?


「おまえ、もともと青目だったか?」


 詰め終わった袋を背負いながら、訊いてみる。


「なんのことだ」

「王都にいた頃は黒目だった覚えがあるんだが」

「まるで、今が黒くないような言い草だな」


 手持ちの道具に、ちょうど小さな手鏡があった。背負い袋から出して突きつけてやると、ヴァルターは目を何度もしばたたかせながら首を傾げた。


「……いつのまに」

「おまえ、自分の顔を鏡で見てねえのか?」


 訊けば、ヴァルターはさらに首をひねった。


「なぜ、そのようなことをする必要がある」

「身だしなみは整えなきゃなんねえだろ。その長い髪とか、鏡も見ずに手入れしてんのかよ」

「髪の絡まりを解くのに鏡が必要なのか?」

「……他にも顔を洗った時とか」

「水で流して拭くだけのことだろう?」


 まさかとは思ったが、本当にこいつ、自分の顔を鏡で見ねえのか……まあそれはどうでもいい。

 この話、うまく探ればいろいろわかるかもしれねえ。ブラウ川の底から、こいつが舞い戻ってきた理由とかな。

 鏡をしまい、荷袋を背負い直しながら、オレはそれとなく訊いてみた。


「目の色が変わった理由、なんか心当たりあんのか?」

「なくはない……が」

「精霊術の修行でもしてたのか? 精霊の力が入ると、身体のあちこちに影響が出たりするらしいぜ」


 極力さりげなく、話を誘導する。

 今のこいつはおそらく、生きてた頃のヴァルターと同じじゃねえ。生身の人間が、仮にも鉄でできた武具を粉々にぶち割るとか、できることじゃねえからな。

 だとすれば何者なのか。確証はねえが、なんらかの術が使われたんじゃねえかとオレはみている。たとえば、死霊術師に邪気を吹き込まれたとかな……だとすると術さえ解けば、こいつは黄泉に戻ってくれる可能性がある。


「いや、修行は特にはしていない」

「じゃあ、誰かの力が入ったとかか? 例えば蘇生術とか」

「そうだな……俺が目覚めた時、左肩のあたりから何かの力を流し込まれた覚えがある。ひょっとするとそれかもしれん」

「なるほどな」


 オレは内心で快哉を叫んだ。やはりこいつ、術で蘇生させられてたか。

 おそらく左肩の何かが、蘇生術の鍵、魔力の源のはずだ。

 隷属の首輪を付けられた者が、術者に危害を加えることはできねえ。他人に助けを求めるのも、後に待つ「罰」を考えれば危険が伴う。

 だが死霊祓いなら、こいつを完全に土に還せる可能性がある。

 うまくすれば、全部、なかったことにできるかもしれねえ。


「それじゃあ行くか。ヴァルター、とりあえずの目的地はどこだ」

「……どこでなら、おまえは最高の武具を作れる」


 考えてなかったのかよ。内心で毒づきつつ、オレはいくつかの候補を挙げた。


「物流が集まるのは、なんといっても王都エーベネだな。だが物価が高いうえに、オレもおまえも面が割れてる。距離もだいぶあるしな……だから、まずは鉱山街に行くのがいいだろう。あちこちにあるが、ここからだと一番近いのはシュタールだ」

「わかった」


 えらく素直に、ヴァルターは頷く。この調子なら、オレの口車次第でどこへでも連れていけそうだな。

 まあ、どうでもいい。蘇生術さえ解いて土に還しちまえば、こいつについていく必要もなくなるんだから。




 ◆  ◇  ◆




 ヴァルターと共に、オレは六年の間住み慣れた工房を後にした。人ふたりがゆったり並んで歩ける道を、一緒に下っていく。

 道の伸びる先、山のふもとには、フォルストという小さな村がある。オレの仕事は、そこの村鍛冶屋ということになっていた。オレは、村で使う農具や蹄鉄、鉄鍋や包丁といったものの注文を受けたり、修理をしたりして生計を立てていた。

 あそこは小さい村とはいえ、一応は旅籠もあるし、光神ルークス神殿には神官様もいる。つまり、オレの計画を実行に移すための設備は、十分に揃っている。


 それにしても、だ。

 早春の森には黄色がかった若葉が芽吹いていて、鳥たちも遠くでぴぃーよ、ぴぃよと鳴いている。梢の間を抜けてくる日の光もさわやかで、目に映るなにもかもが暖かな春を喜んでいるように見えた。

 ああ、汚ねえ呪いに囚われてんのはオレだけかよ……と、どんよりしてくる。道端の小花も色鮮やかな蝶も、今はオレの惨めさを際立たせてくるばかりだ。

 まあいい。ことが思い通りにさえ進めば、オレの心も日の光みてえに綺麗に晴れるはずだからな。


 フォルスト村に着いた頃には、日は既に西の空にかかっていた。だのにヴァルターは、木の柵で囲われた門を通り過ぎ、なお足を進めようとする。外套の背中を引くと、恐ろしい目でにらまれた。


「言っただろう。立ち寄る時間などはない」


 視線がオレの胸元、「首輪」があるあたりを見ている。……言いたいことはわかる、が。


「日が暮れかけじゃねーか。いまから進む気かよ」

「最強の武具は一刻も早く必要だ。次の集落までは進むぞ」

「次の町まで結構ある。着く頃には夜中だぞ? 門は確実に閉まってるぞ? 野宿する気か?」


 ヴァルターの足が止まった。


「シュタールまではまだまだ遠い。今から固い地面に寝てたら、おまえはともかくオレの身体が持たねえ」


 あからさまに不機嫌そうに、ヴァルターは形の良い眉を吊り上げた。

 だが、ここで引くわけにはいかねえ。なんとしても、今夜は村に泊まってもらうぜ。


「鍛冶仕事は体力勝負だ。最高の武具が欲しいんなら、作り手は大事にしろ」


 全力でにらみ返してやると、渋い顔をしながらも、ヴァルターは踵を返した。

 よし、成功だ。村にさえ引っ張り込めば、あとはなんとかなるはずだ。




 ◆  ◇  ◆




 閉門のギリギリ間際、門番に挨拶して村に入る。この村にはお得意さんも多い、だいたいの人間とは顔馴染みだ。

 門番の兄ちゃんは、オレの隣にいる長身の旅人を明らかにいぶかっていた。


「ロルフさん、失礼ですがその方は?」

「……ロルフ・バウアーの旧友だ。このたび、共に旅に出ることになった」


 オレが口を開く前に、ヴァルターが答えた。門番が目を丸くした。


「え、ロルフさん旅に出られるんで? じゃあこれから、畑道具や蹄鉄はどうすれば」

「あー、すまねえな……申し訳ないが隣町まで買いに行ってくれ。どうしようもねえ事情ができた」

「早く戻ってきてくださいね? ロルフさんの刃物、手に入らなくなったらみんな残念がりますよ」


 門番はまだ何か言いたそうにしている。だがヴァルターが、オレの肩を軽く叩いてきた。指先に、苛立ちがはっきりと混じっている。


「……すまねえな。外が明るいうちに、宿に入っちまいたいんでな」

「ロルフさんが泊まって行かれるの、珍しいですね。お気をつけて」


 門番の兄ちゃんは、笑いながら手を振ってくれた。……オレの異変には、全然気付いてねえ風だった。

 村に一軒だけの旅籠には、幸い空きがあった。まあ、ここに客が入ってるのを見たことはあんまりねえが。埃の臭いが少しばかり漂う布団に、ヴァルターは腰を下ろした。

 色男が大きく息を吐くと、張り詰めていた背中が丸まった。こいつ、外じゃあだいぶ気を張ってたんだろうか。……油断してくれたなら、都合がいい。


「ちょっとばかり、席外すぜ」

「どこへ行くつもりだ。建物の外へは出るなよ」

「……手洗いだよ」


 それきり、ヴァルターは黙った。

 きしる木の扉に手をかけると、ヴァルターはオレをぎろりとにらんで、言った。


「繰り返す、この旅籠から出るな。すぐに帰ってこい。長引けば……わかるな」


 自分の胸のあたりに手を遣りながら、ヴァルターは言った。

 ああ、わかってる。「隷属の首輪」の罰は、相手が遠くにいても与えられるってことはな。

 問題ねえよ。オレは建物から出ず、すぐに帰ってくる。

 部屋を出たオレは、旅籠の主人おやっさんを探した。幸いにも入口近くの部屋で、おやっさんはいつものように眠そうにしていた。

 肩を軽く叩いて起こし、耳元でそっと囁きかける。


「すまねえ、急いで光神ルークスの神官様に連絡を取ってくれ。……部屋に死霊がいる」


 おやっさんが目を見開く。


「どういうこった」

「オレと一緒に来た、背の高い男な……あいつは一度死んだ人間だ。オレはそいつに捕まってる。寝てるうちに祓ってくれ……オレを助けてくれ」


 できるかぎりの哀れっぽい声で、上目遣いに言う。見た目十五くらいの小柄な身体は、こういう時には都合がいい。


「そ、そりゃあ……本当なのか」

「ああ、間違いねえ。だが、コトはできるだけ内密に頼む。バレたら、オレが殺されかねねえ」


 おやっさんの眠気は、すっかり吹き飛んだみてえだった。

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