ランチのこぐまさん
藤沢なお
ランチを楽しむこぐまさん
先方からの電話に、
「担当のこぐまに代わります」
と伝えた僕は、子機を渡した先で、
「お待たせ致しました、担当の大隈です」
と名乗るのを聞いた。そこでやっと『こぐまさん』は苗字ではなく愛称であることに気付いたのだ。今年で
「大隈さん、あの
とクスクス笑い、電話を終えた当の大隈さんも、
「ほら俺って名前負けしてるからさ、いいよ君も。
俺のこと『こぐま』って呼んでよ」
と僕の勘違いを気さくに許してくれた。
先輩が言うあの風貌とは、丸顔に太い眉、外回りで日焼けした色の濃い肌、ワイシャツの袖からのぞくもっさりとした腕毛などを指すらしい。
確かに見た感じ熊っぽい。それもやや小さめの。
こぐまさんの席は僕の右斜め前なので、自然と視界に入ってくる。年齢こそ五十代のいいおじさんだが、中途採用らしく役職には付いていない。実家暮らしの独身で、好きな映画はスターウォーズ。
「ちゃららちゃーん♪」
機嫌がいいときにはオープニングテーマを、気分が堕ちているときには、
「でーん、でーん、でーん……」
ダース・ベイダーの曲を口ずさむ。
何かにつけ「あーしまったぁ」とか「うんうん、そうだよなぁ」など、とにかく黙っていられないようで心の声が
そんなこぐまさんには様々な逸話がある。中でもほっこりするのは昼食前の光景だ。営業という仕事柄、昼の休憩時間は各自任せで特に決められていない。その日、先輩と外で昼食をとってから会社に戻ると、こぐまさんを含め同年代の男性……おじさん三人がちょうど話をしているところだった。
「どの店に行く?」
「今日は月曜だから、
きらり
「あーでも俺、パスタがいいなあ」
三人はランチに何を食べようかと相談していた。
「パスタがいいって、こぐまさんはどうせいつもの
スタミナ納豆パスタでしょ」
「そんなことないよ。
たまに
あーでも、やっぱり和食もいいかなあ」
「じゃあ、きらり庵にしようよ。
それじゃまた三十分後に」
話がまとまったようでおじさん二人は自席に戻っていった。一人は同じ一課の飯田さん。もう一人は
三十分後、こぐまさんの席に再び集まると、おじさんたちは連れ立って社外に出ていく。彼らの後ろ姿を目で追う僕に、
「仲がいいんだよ、あの三人」
先輩が詳しく教えてくれた。昼食前のその光景は、ほぼ毎日繰り広げられており、たまに時間があうと一課の鈴木課長も加わることがあるそうだ。こぐまさんを中心にきゃっきゃと嬉しそうにランチの算段を講じるおじさんたち。そのはしゃぎようはランチを楽しむ女子高生のようだった。見ているこちらもほっこりする。なのでその光景に『JKランチ』と僕は密かに名前を付けた。こぐまさんの下の名前が「じょうじ」というので、イニシャルっぽくもあり気に入っている。先輩にそう話すと、
「本当は
と苦笑いされた。
そのJKランチを日々見守るなか、こぐまさんのことが次第にわかってきた。こぐまさんはどうやら食べ物の好き嫌いが多いようだ。
・野菜は好きだが肉と魚に少々難あり。
・挽肉は食べられるけど固まりは苦手。
・つまりハンバーグや肉団子は無理。
・焼き魚はOKでも刺身といった生はNG。
・鶏肉も出来れば避けたい……などなど。
熊の割には草食を好むようだ。こぐまさんが外回りで不在の時は、
「今日はこぐまさんがいないから、
普段こぐまさんが一緒だと気を遣って食べられないものを、飯田さんと二宮さんの二人で食べに行くこともあるらしい。しかも本人には内緒にしておいてと口止めまでされる(それならわざわざ言わなきゃいいのに)。
そんな微笑ましいJKランチに、なんと今日は僕と先輩がお呼ばれした。飯田さんと二宮さんの二人が揃って出張でいなかったので、多分話し相手が欲しかったのだと思う。
「君たちまだならどう?
たまには一緒に昼メシ食おうよ」
こぐまさんが誘ってくれたのだ。
「どこか行きたいトコある?」
尋ねられた先輩が、
「先月オープンしたプラントベースフードの
お店が気になっているのですが」
と言うと、好奇心旺盛なこぐまさんが、
「へえ~何それ? どんな店なの?」
興味津々といった様子で返してきた。
「なんでも『植物由来』という意味で、
肉や魚の代わりに野菜がメインの料理を
出す店らしいですよ」
先輩がそう答えると、野菜好きなこぐまさんは二つ返事でOKした。
「行こう行こう。そりゃあぜひ試さなきゃ」
かくして僕たち男三人は、JKランチを味わうために社外へと
青空を背景にオフィスビルが立ち並ぶ。大勢の人や車で行き交う喧騒の中を、僕は先輩とこぐまさんの後についていった。途中、昼食を済ませてきた社内の人ともすれ違い、会釈をしつつ店を目指して歩いていく。信号待ちをしている間こぐまさんは、午後の陽射しを仰ぎ見るとゆっくり目を細めた。右肩に上着をひっかけ再びのっそりと歩き始めた姿は、やっぱり熊に似ているなぁと思う。
国道を越え通り沿いに進むと、ファストフード店の向かいに店はあった。以前は老夫婦が営むカフェだったという。
「ああ、思い出した。
ここのコーヒーうまかったんだよね……って
でもあれ? 新しい店なんだよね?
外観は変わってないよ」
店の前に出ている黒板メニューには、イタリア語だろうか白いチョークで『Buono! pianta』と書かれていた。そのすぐ下にはおいしそうなハンバーガーのイラストと『ランチやってます♪』という文字が続いている。
「まあ、とにかく入ってみよう」
店に入るとカランコロンとカウベルの形をしたドアベルが鳴り、
「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」
女性の声に出迎えられた。ほとんどの店でランチが終わる二時を過ぎているせいか僕たち以外に客はいない。テーブル席が奥に三つ、入口近くに一つ、あとはカウンター席があるくらいで、こぢんまりと落ち着いた雰囲気だ。一番奥のテーブル席にこぐまさんと向かい合わせで僕と先輩が腰掛けると、こぐまさんは店内を見回した。
「あれぇ? なんか内装も変わってないよ。
多分前の時と同じじゃないかなあ」
壁にはベージュとオレンジの明るいレンガがはめ込まれ、天井からはレトロなペンダントライトがぶらさがっている。
「先代が守ってきたお店の空気感を
変えたくなかったんですよ」
女性はそう言うと、水の入ったグラスをテーブルに並べた。
「ボーノ・ピアンタへようこそ。
こちらがメニューになります」
茶色い革張りのメニューブックを三冊、僕たちにそれぞれ手渡した。
「ねえねえ、このお店ってなんか野菜がメインって
聞いたんだけど、お勧めみたいなのはあるの?」
早速こぐまさんが尋ねる。
「はい、ございます。
こちらのランチメニューはいかがでしょうか」
失礼致しますと言うと、こぐまさんが手にしているメニューブックの一番最初のページを開いた。
「和洋中のお料理を少しずつお楽しみ頂ける、
お得なセットになります」
すぐにイメージ写真が目に飛び込んできた。卵とレタスが
「えっ、これってぜんぶ野菜なの?
このハンバーガーも?」
こぐまさんが目を見開く。
「はい。当店の料理は、
すべて植物由来の食材でお作りしております」
きっと何度も同じ質問をされるのであろう、女性は流暢に答えた。
「おいしそうですね」
先輩の言葉に僕も頷いた。
「じゃあこれを三つで」
こぐまさんが注文する。
「かしこまりました。それでは、
『ボーノ・ピアンタ特製ランチセット』を
三つで承ります」
メニューブックを一冊残し、女性が厨房に入ると、オーダー頂きました~と明るい声が響いた。
こぐまさんはメニューをぱらぱらめくり、
「うわっ見てよ、こんなのもある」
指を差したのは、唐揚げと餃子。
「マジかぁ……これ全部野菜だってさ」
それから、窓からのぞく向かいのファストフード店を見ると、こうぼやいた。
「俺さぁ、肉とか魚が苦手なんだよね。
だからああいう店に行っても食べられるのって
ポテトぐらいしかないんだよ」
確かに。ハンバーガーもチキンナゲットも駄目ならポテトやサラダぐらいしかないだろう。
「お待たせ致しました」
ほどなく三人分のランチセットが運ばれてきた。
お盆の上には綺麗に盛り付けられた料理と、箸の横に名刺サイズのカードが添えられている。
「そちらに食材の説明が書かれておりますので、
宜しければお読み下さい。ごゆっくりどうぞ」
女性が立ち去ると、僕たちは料理を眺めた。右の皿にはハンバーガー。バンズの間に卵とレタス、トマトにチーズ、そしてハンバーグが
「君たちさぁ、食品サンプルじゃないんだから。
眺めてないでほら、食べようよ」
先陣を切ったのはこぐまさん。ハンバーガーを手にして大きな口でかぶりつく。すると、
「うん、うん!」
すぐに顔を上げ、もぐもぐ
「うまいよ、これ。肉じゃないみたい」
いや、実際にそれ肉じゃないです……とは、さすがに言えない。僕たちもバンズを
ガブリ。
……ほんとだ、おいしい。紛れもなくハンバーガーの味がする。黄色い卵もどきはスクランブルエッグにしか見えないし、このハンバーグもジューシーで肉としか思えない。
「じゃ、お次はスープを……」
こぐまさんは食べかけのバーガーをいったん皿の上に戻すと、白湯スープの器を手に取った。レンゲで
「あー、いいねぇ。
続けて具を口に含み、
「ん!? この肉超うまいじゃん!」
いや、だからそれ肉じゃないです……と脳内で突っ込みをいれる僕に反して、
「その肉のようなものは『大豆ミート』と
いうらしいです」
食材の説明が書かれたカードを手に、先輩が丁寧に読み上げた。
「さきほどのハンバーグも同じ『大豆ミート』で
作ったようですね」
「えっ『大豆ミート』って何?
ミートって肉じゃん」
「えっと……大豆を肉に似せて作った加工品で、
低カロリーなうえにタンパク質が多い……と
書かれています」
先輩の話を聞いて、
「ふーん、まぁ、肉じゃないわけね」
こぐまさんはひとまず理解したようだった。それからスープの器をお盆に戻すと、
「じゃあ次、これいってみよう」
寿司下駄の上からマグロの握りのようなものを箸でひょいと掴み、口の中へ運ぶ。
「何これ……マグロじゃないみたい」
はい、ですから植物由来の何かでしょうね……と声には出さず心の中でつぶやいてから、僕も試した。
……うまい。口に入れた瞬間、柔らかくてとろけるようだ。食感はまさにマグロそのものだった。
「で、これもその、なんとかミートなの?」
こぐまさんがそう疑問を投げると、
「いや、これはこんにゃくのようです」
と先輩が答え、間髪入れずに、
「えっ、じゃこれって刺身こんにゃくじゃん!」
こぐまさんが声をあげる。それでも落ち着いた声で
「いえ、そうではなく、こんにゃく芋を使用した、
加工品だそうです」
と先輩は穏やかに返した。
「へー、こんにゃく芋かぁ……
上手く作ったもんだねぇ」
こぐまさんは感心したように言うと、グラスの水を一気に半分ほど飲み、さらに質問を続けた。
じゃあ、この横にあるイカとかサーモンみたいのもそうなの? えーっ、じゃハンバーガーの卵は? ねえ、このパンは何で出来てるの?
……自分では一向に手元のカードを読む気がないらしい。その都度、先輩がカードの内容を説明する。
初めて食べた『植物由来』はおいしかった。野菜がメインというので精進料理のようなものを思い浮かべていたけれど、見た目にも満足できる新しい味わいだった。先輩がこぐまさんの相手をしてくれたおかげで、僕はこうしてゆっくり食事を堪能できたわけだが、先輩はさぞ
食後、ランチサービスのホットコーヒーを飲みながら、まったりとくつろぐなかで、
「いやぁ、うまかったね、あの肉」
こぐまさんは満面の笑みを浮かべ嬉しそうに言う。入店してからこの三十分ほどで、何度自分が突っ込みを(脳内で)入れたかは覚えていない。だけどよく解ったのは、こぐまさんは食べているときも黙っていられないということだった。そして心のままつぶやくその言葉に、思わずこちらも突っ込まずにはいられなくなるという、本当に不思議な人だ。
「いい店を教えてくれて良かったよ。
飯田さんと二宮さんにも教えてあげなきゃ」
ある意味、いつもこぐまさんと一緒にランチを過ごすおじさん二人を尊敬してしまう。
……うーん、楽しい人ではあるのだが……。
肘の上までシャツの袖を
ランチのこぐまさん 藤沢なお @nao-fujisawa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます