第27話

「これで、俺を刺してくれ」



そう言って、ナイフの先端を自分の腹部に押し当てたのだ。



あたしは唖然として裕也を見つめる。



その顔は青ざめているが、恐怖でゆがんではいなかった。



「大丈夫。俺ことなら心配ない」



裕也が両手の力を込めて、グッとあたしの手を握り締めた。



あたしがナイフを離そうとしても、裕也は許してくれなかった。



「やめて裕也!」



ブンブンと左右に首を振って抗議する。



しかし、裕也は聞く耳を持ってくれない。



全身から汗が噴出して喉がカラカラに渇いている。



刃先が裕也の服にめり込んでいく。



これ以上進むと、本当に……!



「あぁ……愛してるよなっちゃん」



男の恍惚とした声に一瞬にして毛が逆立った。



いつの間にか男はあたしたちのすぐ横に胡坐をかいて座っていたのだ。



「あんたのせいよ……」



怒りで声が震えた。



平和な日常は、こいつのせいで破られた。



あたしたちはなにもしていないのに!



「なにを言ってるんだよ。先にアピールしてきたのはなっちゃんじゃないか」



アピール?



あたしは自分の耳を疑った。



「そんなのしてない!」



「した! 純くん大好きって言ったじゃないか!」



その言葉にあたしは奥歯をかみ締めた。



やっぱり、あれがキカッケになってしまっていたようだ。



「違う! あれは――」



「そだけじゃない! 俺が甘いものがほしいと思っていたときになっちゃんはケーキを作った。俺の唯一の思い出がある遊園地にも行った! カレーだってそうだ! ひとりでご飯を食べるとアピールもした!!」



唾を飛ばして怒鳴る男に、あたしは唖然としてしまった。



あたしが投稿したすべてのことが、自分に当てたメッセージだと思い込んでいるのだ。



「俺のことが好きなら、その男を刺せ!!」



怒鳴られて、一瞬頭の中が真っ白になっていた。



どうしてこんなことになったのか。



どうすればこの男は理解するのか。



「うるさい! お前なんか大嫌いだ!!」



あたしは全力で叫び、裕也の手を振りほどいてナイフを男へ向けていた。



これまで感じたことのない怒りが湧き上がる。



「夏美!!」



裕也の声が聞こえても、とめることができなかった。



あたしは男へ向けてナイフを振り下ろす。



次の瞬間確かな手ごたえを感じ、そしてそのまま意識を失ってしまったのだった。


☆☆☆


気がついたとき、あたしは家のリビングに寝かされていた。



最初に見えたのは裕也の顔だった。



「夏美、大丈夫か?」



聞かれてうなづき、そしてなにがあったのかおぼろげながら思い出して上半身を起こした。



家の中には見知らぬ警察官と、心と彩の姿もあった。



「夏美!」



心が泣きながら駆け寄ってくる。



「心……」



「もう、無茶なことしないでよ」



「彩……。2人ともケガは?」



「あたしたちはたいしたことないよ。裕也も大丈夫だから」



彩の言葉にホッと胸を撫で下ろした。



みんな無事だったみたいだ。



そして、男の顔を思い出した。



こけた頬。



無精ひげ。



ボサボサの頭。



その容姿が頭に浮かんできただけで強い吐き気を感じた。



「大丈夫だから」



裕也があたしの手を強く握り締めてくれる。



「あの男は?」



聞くと、裕也は左右に首を振った。



あたしが振り下ろしたナイフは男の肩を掠めただけだったらしく、男はそのまま逃げていってしまったらしいのだ。



その後、裕也がすぐに警察を呼んでくれて、あたしたちは一旦家に運ばれてきた。



「逃げたって……」



ということは、あの男はまだ捕まっていないということだ。



その事実に全身から血の気が引いていく。



「心配しなくていい。心と彩を監禁までしてるんだ。警察はすぐに捜査してくれるって言ってる」



「そうなんだ……」



すでに実害が出ているということで、警察もほっとくわけにはいかないみたいだ。



「泉夏美さん。お話を聞かせてもらえますか?」



警察官にそういわれ、あたしは「はい」と、うなづいたのだった。

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