僕と彼女の異世界転移

於田縫紀

僕と彼女の異世界転移

 ビターン!

 痛っ!


 右頬の痛覚で目が覚める。

 目の前には知らない女の子の顔。

 何だこの状態は。


「良かった。やっと起きた」


 何だいまのびんたは。起こすつもりだったのか。それにしては知らない男の顔を……えっ。

 文句を言う前に僕は気づいた。

 周囲を覆う違和感に。


 電車は停まっている。

 学校から家に帰る途中、つい寝過ごしたようだ。

 しかしそれにしては様子がおかしい。  


 僕と彼女以外、人の気配が無い。

 電車は停まったまま動く気配が無い。


 駅にはついているようで扉が開いている。

 しかし外にも人の気配が無さそうだ。

 電車の照明も消えている。

 ホームにだけ、常夜灯らしきささやかな灯がところどころについているだけだ。


「何だ、ここは」


「わからない。私もさっき目が覚めたところ。乗っているのは他にいなかった。でもなかなか目が覚めないから」


 状況はわかった。

 しかし文句もある。


「もう少し痛くない起こし方は無かったのか」


「それどころじゃないでしょ、これ」


 わかっている。

 わかっているけれど少し落ち着いて欲しい。

 とりあえず窓の外、見える範囲を確認する。


 やっぱりおかしい。

 乗り過ごしただけではこんな駅に着くはずが無い。


 僕が乗っていたのは大田急おおだきゅう線。

 乗り過ごしても佐神小野さがみおの盆熱木ぼんあつぎ真松多しんまつだ尾田腹おだはらといったあたり。

 折り返してしまった場合は伸縮しんしゅく

 こんな駅名もないわけがわからない駅に着くなんて事はない。


「何なの、これ」


「わからない。しかしとりあえずは動かない方がいい」


「何でそう思うの」


 理由は簡単だ。


「この電車は大田急おおだきゅう線のよくある車両だ。しかし外は全く知らない場所。なら少しでも知っている場所の方が安心できる」


 この大田急おおだきゅう3000形は線内どこでも見かける一般的な車両だ。

 しかし外はどう見ても普通の場所ではない。


 さっと見て駅名標がみあたらないだけではない。

 周囲に家等の気配も無いのだ。

 こんな場所、大田急おおだきゅう線にないだろう。


「ならどうするのよ。このままで何とかなるの?」


「わからない。ただこの電車が元の世界に引き返してくれる可能性の方が、このまま外へ出てあてもなくうろつくより高い気がする」


「それって何か確証在る?」


 そんな物ある筈無い。


「第六感」


「だよね」


 彼女はそう言って、ふっとため息をついた。


「ごめん、起こすために叩いたりして」


 どうやら落ち着いたようだ。


「仕方ない。これだけ異常な事態じゃ」


「ありがとう」


 よく見ると可愛い子だなと思う。

 制服っぽい服を着ているところから見て、僕と同じ高校生だろう。

 ただその制服が何処の学校のかは僕にはわからない。


「それにしても驚かないのね、こんな事態なのに。状況は理解しているよね」


「理解の範囲外だ。どう考えても大田急おおだきゅう沿線じゃないだろ、これは」


「そうそう。スマホも圏外。そう言えばそっちのスマホ、使える?」


 残念。


「持っていない」


「えっ」


 そう言われても困る。


「あ、でもそっか。持っていたら普通真っ先に調べるし」


 持っていないのでそういう発想が無かった。

 何せうちの家はうるさい。

 高校生になって未だにスマホ無しというのは僕くらいではなかろうか。

 他にも門限だの小遣い月額500円だの何だの……


 家の事は幾らでも文句を言える。

 しかし今はそういう場ではない事を思い出す。


 さて、それでは現状把握の活動をはじめるか。

 さしあたっては乗務員が乗っているかどうか調べてみよう。

 多分いないような気がするけれども念の為だ。


「とりあえず先頭車両に行ってみよう。運がよければ運転手がいるだろう」


「いなかったら?」


「一番後ろに車掌がいるか。いなければ、その時また考える」


 僕がいつも乗っている車両は前から3両目。

 だから前から見に行った方が早い。


 ◇◇◇


 嫌な勘は当たったようだ。

 数分後、僕らは一番後ろの車両でぐったり一休み。

 

「いなかったね。前も後ろも」


「ああ」


 乗務員扉からのぞき込んだが運転手も車掌もいなかった。

 乗務員通報ボタンも押してみた。

 反応無し、やはり無駄だった。


 お手上げだ。

 こうなると打つ手は限られる。

 電車の外を探るか、それとも此処で朝まで待つか。


 朝まで待っても事態が好転するという保証はない。

 それにこの電車にずっといられない理由もある。

 生理現象という奴だ。

 通勤電車にトイレなんてものはついていない。

 ついでに言うと喉も渇くし腹も減る。


 論理的に言って乗務員がいないのに電車が発車するという事はありえない。

 更に電車の非常用コックを開けておけば扉が閉まる事も、ブレーキを解除する事も出来ないはずだ。

 いや、この電車のドアは電気式だったかな。

 マニアではないので自信はない。


 ただ、そろそろ彼女が限界な気がする。

 だから僕から声をかけるとしよう。


「喉が渇いた。あとそろそろトイレに行きたい。一緒に行くか?」


「行く」


 やはり限界だったようだ。

 なら一応念の為、非常用ドアコックを動かしておく。


「それ、どういう意味があるの」


「本来ならこれを開けておけば扉は閉まらないしブレーキも解除できない筈だ」


「なら初めからそれを開けておけばよかったじゃない」


 あえて反論はしないでおく。

 というか、僕は言葉に出してしまうのを恐れたのだ。

『そんな常識が通用しない世界かもしれない』

 そんな台詞を口にしたら、その通りになってしまうかもしれないから。


 2人でホームに出る。

 単線の線路の片側にホームがあり、ホーム中央に改札口があるタイプの駅だ。

 大田急おおだきゅう線に単線区間なんてあっただろうか。

 あとやはりホームに駅名を示すものがない。

 そして外が静かすぎる。


 トイレはすぐ見つかった。

 勿論男女別だ。


「終わったらここで待っていてよね」


「勿論」


 1人で取り残されると思うとぞっとする。

 だからさっさとトイレに向かい用を済ます。

 手を洗い、トイレを出て、そして思わず僕の口から言葉が飛び出た。


「やられた」


 もちろん彼女に、ではない。

 強いて言えば運命とか悪意とかに、だろう。


 さっき降りた筈の電車が影も形も無くなっている。

 走り去るどころか扉を閉める音すらしなかった。

 そもそも見えなくなる程遠くへ走り去るような時間すらなかった筈だ。


「何かあった?」


「ああ。でも急いでどうにかなることじゃない」


 トイレくらいはゆっくり済ませた方がいいだろう。

 それに今更慌てたところでどうにかなる訳でも無い


 それにしても思った程絶望感がわかないな。

 そんな事をふと思う。

 パニックになってもおかしくない状態だ。

 いきなりわけのわからない所に取り残されたのだから。


 何故だろう、そう思ってすぐ気づく。

 そうだ。僕は元々絶望していた。自分の周りが嫌いだった。親が嫌いだった。学校が嫌いだった。

 此処では無い何処かへ行きたかった。Anywhere, but thereという奴だ。


 ただ、こういったこの先、生存方法も不明な状況までは望んでいない。

 

 それにしても電車が消えたタイミングが悪すぎる。僕らが電車を離れてすぐいなくなるなんて。


 そう思った瞬間ふと思いついた。

 タイミングが悪い訳ではない。必然なのだと。


 たまたま僕らが離れた時に電車が消えたのではない。僕らがすぐに電車に戻れない場所まで移動したから、電車は消えたのだと。


 根拠がある訳では無い。いわゆる第六感だ。

 なら……僕は思う。進むしか無いのだろう、きっと。


「お待たせ……えっ!」


 彼女が女子トイレから出た状態で立ちすくんでいる。電車が無い事にきづいたらしい。


「見た通りだ。電車は消えてしまった。音も無かったし走り去るような気配もなかった」


「そんな……あの装置で大丈夫だって言ったよね」


「そんな理屈が通じる状態では無かった。そういう事だ」


 そうだ、確かめておく事がある。もし僕が此処にいる理由が予想した通りだったとしたら。彼女も同じような理由なのかどうかを。


「ところで今までこんな事を思っていなかったか。この場所は私に合わない。此処にいたくない。ここではない何処かに行きたいと」


 彼女の動きが止まる。そのまま2~3秒固まってから、そして小さく首を振った。


「でも、それでこんな事になるって」


「確かに普通はありえない。でもそれくらいしか考えられない」


「なら脱出ではなく転移なの?」


 僕の理解出来ない言葉が出てきた。


「何だそれは」


「脱出ゲーム、Webでよくあるじゃない。アイテムを探してその場所から脱出するって奴。あれじゃなくて異世界転移なの?」


 生憎遊べるような端末も娯楽で楽しめるような本や漫画も買って貰えるような環境ではなかった。だから彼女が言っている物に接した事はほぼ、無い。

 それでも言っている意味はわかる。


「かもな」


 ただこれはゲームでは無い。現実だ。そう言おうとしてふと思う。これは本当に現実なのだろうかと。


「どっちにしろ何かヒントなり神託なりある筈よ、それなら。とすると、やっぱり駅舎の方かな」


 何か彼女は急に元気になった。何故だろう。

 よくわからないが、彼女の行く方へ一緒に歩いて行く。


 駅舎そのものは小さかった。改札口と小さな待合室だけ。窓口も1つあるが、中には誰もいない。

 そして……


「やっぱり転移だった。ならステータス!」

 

 よくわからない事を言った彼女の視線の先を僕は見る。

 出口の横に貼られた小さな張り紙にはこう書かれていた。


『この先、異世界』

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