あまじょっぱ倶楽部オンステージ

尾八原ジュージ

あまじょっぱ倶楽部オンステージ

 普段から声のでかい父がとびきりでかい声で、「今度の日曜、家族会議をするからお昼にリビング集合な」と言った。

 家族旅行の予定を勝手に立て、ギリギリまで内緒にして当日サプラーイズ! とやって母にしばかれるような親父である。まぁ後々面倒だから付き合ってやるかと日曜の正午に集まったら、父は知らないおじさんを連れて現れた。

 俺と母と妹の「誰?」の表情と言ったら、今思えばなかなかの傑作だった。父は俺たちの顔を一通り眺めると、「仕事辞めた。この人とコンビ組んでお笑い芸人になる」と宣言した。

 まず母がその場に崩れ落ち、四月から県外の難関大学への進学を決めていた妹が「はああぁ!!?」と叫んで、俺はどうしていいかわからずオロオロしていた。知らないおじさんは「佐藤と申します」と自己紹介したが、正直(知らんわ)としか思わなかった。

「うちは塩田だから砂糖と塩でちょうどバランスがいいな! わっはっは!」

 でかい声で父が笑い、いや全然面白くないわと妹が呟いた。俺もこれは売れないなと確信した。

 果たしてそのとおりになった。父と佐藤さんは「あまじょっぱ倶楽部」と名乗り、お揃いのシャツに蝶ネクタイで近所の小劇場のステージに立つようになった。が、まったく売れなかった。それもそのはず、全然面白くないのだ。

 ある程度の年齢になってから自分の夢を追いかけ始める人はいるだろうし、必ずしもそれを否定するわけではない。でもだからと言って家族をないがしろにしていいわけじゃないし、突然仕事を辞めていいわけでもないと思う。年取った分ある程度分別もあるだろうから、まずは自分の才能を見極めるべきだったんじゃないですかねとも思う。ともかく、あまじょっぱ倶楽部はものすごくつまらなかった。

 一度だけ好奇心に駆られて、一人でこっそりライブを見に行ったことがある。髪の薄くなったおじさん二人による学芸会じみたコントはあまりに寒く、見ていて実際に寒気を覚えるほどだった。もう出ようと思って立ち上がったとき、ステージの上の父とうっかり目が合った。あ、やばいなと思った瞬間、父が叫んだ。

「会場の皆さん! なんと今日! 息子が僕たちの舞台を見に来てくれました!」

 マイクがキィーンとハウリングの音をたてた。こちらに何人かの視線が向くのがわかった。お情けの拍手がパチパチと聞こえた。

 俺は会場から逃げ出した。死ぬかと思った。

 数ヶ月後、妹が小劇場の裏手でえらいものを見たという。「最悪。口に出したくない」と差し出されたスマホの画面には、抱き合ってキスを交わす父と佐藤さんの姿が写っていた。

 あんたらそういう仲だったんかい、というツッコミが俺の口から漏れた。「兄ちゃん、何笑ってんの?」と妹が俺を責めるように言った。

 俺は知らず知らずのうちに笑っていたのだ。いやしかしもう、これは笑うしかない。コメディだ。地獄めいたコメディ。すでに父は滅多に家に帰らなくなっていたが、ここに来て母がようやく「離婚するわ」と言った。俺も妹も異存はなかった。

 あまじょっぱ倶楽部はその後コントの一部として舞台上でのキスシーンを解禁し、ほんの一時期ちょっぴり話題になったが、やっぱり面白くはなかったらしい。すぐに廃れて、まったく名前を見かけなくなった。


 あまじょっぱ倶楽部結成から四年が経った。母と俺はなるべくその動向を耳に入れないようにしながら日々働き、妹は一人暮らしをしながら大学で勉学に励んで、順調に卒業が確定した。四月からは社会人だ。

 妹が帰省してきた日、俺は普段行かないお値段高めのスーパーに、お値段高めの肉を買いに行った。その帰り道に通りかかった公園で、聞き覚えのあるでかい声を聞いた。

「はいどーも、あまじょっぱ倶楽部です! はーいありがとうございます! ……ネッ! うふふ。えーとね、僕らこうして二人でお笑いをやってるわけなんですけども。えー」

 人気の少ない公園に、父と佐藤さんの姿があった。佐藤さんは車椅子に座り、呆けた顔で虚空を見つめていた。父はその横で、よれよれのシャツに蝶ネクタイを結び、色褪せたスラックスと爪先の割れたスニーカーを履いて、ひとりで唾を飛ばしながら喋りまくっていた。

 俺はまた逃げ出した。一体何なんだ。何が父をそうまでさせるんだ。わからないが、とにかく見たくないものを見たと思った。家に向かう道中、昔、海で父にバナナボートを引っ張ってもらったことだとか、肩車をしてもらうと世界が急に広くなったことだとか、母と笑いあっていた楽しそうな顔だとか、そんなことばかり思い出した。

 家に着くと俺はトイレに駆け込んだ。便座に両手をつきながら、なぜか笑いがこみ上げてきた。俺は笑いながら嘔吐した。

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