さらば、健康ランド

 途中で安曇野が合流。

 俺はハッと気づいて、連絡し忘れていたと気付く。けど、察した歩花が微笑む。


「大丈夫だよ、お兄ちゃん」

「え?」

「安曇野さんは、朝温泉へ行っていたの。だから、後で合流するって話だったから」

「そういうことか」


 それを聞いて安心した。

 そういえば、誰か忘れているなって思ったんだよな。



「おはよう、回くん。それに歩花ちゃんと紺ちゃんも」



 今日の安曇野は、ノースリーブにフレアスカートというとても大人びた格好をしていた。なんだろう……頼れるお姉さんって感じだ。


 というか、昨日と違い過ぎる。

 こう言ってはなんだが、昨日はサバゲー女子みたいな服装だった。だが、今は全く違う。


 俺も驚いたけど、歩花も「わぁ、安曇野さん大胆ですね」と驚嘆。一方の紺も同じような反応で「モデルさんみたいですよ、安曇野さん」と口を魚のようにパクパクさせていた。


 分かる。今の安曇野は異次元の存在だ。

 まるで雲の上の人のようだ。

 俺なんか同じ空間にいるのも恐れ多いと思うほどだ。



「ちょっと、みんな褒めすぎだって。嬉しいけどね」



 安曇野は照れながらも、ご飯を取りにいった。もう少し、ゆっくりしよう。



 * * *



 朝食を終え、レストランを出る。

 部屋に戻ろうとした時、安曇野が俺を呼んだ。


「ちょっといい、回くん」

「ああ、いいけど」


 歩花と紺と離れ、二人きりに。


「今日、この後どうするの?」

「ホテルをチェックアウトして、その後は予定通り安曇野の案内を受けようかなって」

「そっかそっか。良かった」


 柔らかく微笑む安曇野の表情に、俺は異常までにドキドキした。……やっば、今日マジで雰囲気違いすぎる。

 ついつい鼻の下が伸びそうになって困るぞ、これ。


 少し視線を逸らすと、歩花が不安気にこちらを見ていた。

 ちょっとまずいな。


 ポーカーフェイスを維持しろ、俺。


「安曇野は車か?」

「うん、私って一発試験で直ぐ取っちゃったからさ」

「え? すげぇなそれ」

「まあ、田舎育ちの特権だろうね。私有地の畑仕事を手伝っているからさ、軽トラとか運転するんだよね」


「なるほど、納得」


 ちなみに、交通のない・・・・・私有地・・・での運転は合法らしい。無免許でも罪に問われない。だから、畑とかなら問題ないわけだな。

 毎日練習しているようなものだから、一発試験で簡単に取れたんだろう。



「私の車は後で教えるね」

「分かった。また時間になった連絡するから」


 話しを終え、背を向ける俺だったが安曇野はすそを掴んできた。なにか小声で言っているような。



「? どうした、安曇野」

「……回くん、あのね。その……約束守るからね」


「ん? 約束? なんかしたっけ」

「ううん、近い内に必ずね」



 よく分からないけど安曇野は顔を真っ赤にして去って行く。

 なんだったんだ?



 立ち尽くしていると、歩花と紺が不満気に抗議してきた。



「お兄ちゃん!」

「回お兄さん!」


「うわッ、二人とも目がわっているぞ……怖いって」



「安曇野さんと何を話していたの!」

「そうだよ、コソコソと怪しいよ」



 こりゃきちんと弁明しないと死ぬな。

 嘘偽りなく俺は話した。



「三十分後に安曇野が長野を案内してくれるってさ」

「でも、コソコソする必要ないよね!!」

「あ、歩花。怖いって……そのブスブスお腹を刺すようなジェスチャーはヤメテ。怖いから!」


「お兄ちゃん、歩花を裏切ったら……どうなるか分かってるよね?」



 だ、だから……その幻の仮想包丁で俺を何度も刺さないでくれ!?



 焦っていると、紺もなぜか一緒に病んでいた。



「回お兄さん、安曇野さんみたいな大人な女性がいいんだ。許さない許さない許さない」


 おいおい、二人とも“病む病む”かよっ。

 この場を何とかして収めないと、命がいくつあっても足らない。


 こうなったら、二人の気持ちを静めるしか。だが、その方法は?


 う~ん……。

 悩んでいると廊下の奥から見知った顔が現れ、紺に話しかけていた。



「お嬢さま、こんなところでどうなされたのです」

「ア、アルフレッド! 来ちゃだめじゃない!」

「これは失礼を。ですが、なんだか緊急事態のような声が聞こえたもので馳せ参じた次第です」



 え、ええッ!?

 こんなところになぜ、アルフレッドさんが?


 白髪白髭で執事服の眼帯老人・アルフレッド。彼は、紺の執事。なぜこの健康ランドにいるんだ? てっきり、地元で帰りを待っているのかと。


「うぅ。回お兄さん、ごめんなさい。アルフレッドを叱ってくいるので、ちょっと待っていて下さいね! あ、先に部屋に戻っていてもいいですよ。では」



 紺は、ぷんぷん怒ってアルフレッドを連行していった。


 ……なんだったんだ?



「紺ちゃん、アルフレッドさん連れてきてたんだ」

「らしいな、歩花。いったい、なぜだろうな?」


 だが、おかげで歩花と二人きりになれた。今こそ、歩花の機嫌を取り戻す絶好のチャンス。これを逃す手はない。


 俺は廊下に誰もいないことを確認し、歩花を壁に追いやった。



「お、お兄ちゃん!? こ、これって……壁ドンってやつ? こんな場所で恥ずかしいよ」


「さっきは悪かったな、歩花」

「だ、だめ! お兄ちゃん、ここでなんて……部屋でしよ」


「そうじゃなくて。さっきはコソコソしてすまなかった」

「……うん。信じているからね、お兄ちゃん」

「ああ」


 ぎゅっと歩花の小さな身体を抱きしめる。

 なんとか落ち着いてくれて良かった。

 一瞬、前に見た“悪夢”を思い出して、また刺されるのではないかと思ったけど――今日は直ぐに大人しくなってくれた。


 もしかしたら、歩花は抱きしめられると機嫌がよくなりやすいのかもしれない。



 * * *



 部屋へ戻り、荷物をまとめた。

 紺も途中で戻って来て息を切らしていたが。


「ご、ごめんなさい、回お兄さんに歩花ちゃん。事情はあとで説明するので!」

「分かったよ、紺。それより、健康ランドを出よう」

「はい、あたしはもう荷物を整理してあるのでいつでも出られますよ」

「おぉ、そうか。それじゃ、出発だ」


 ちょっと名残惜しいけど、またいつか来ればいいさ。

 荷物を持ち、和室を出た。



 一階へ降り、受付で合計料金を支払う。

 宿泊費や焼き肉、ゲーセンでメダルを買ったり、今日はバイキングも行ったから……まあまあいきそうだな。



 合計54,650円となった。

 異様に高いけど一部は安曇野の分も奢っているので、こんなもんだ。



 料金を支払い、精算完了。

 ついに信州健康ランドを後にした。

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