松本駅前で濃厚キス

 再び車を走らせ、松本を目指す。

 広大な山々に囲まれた高速道路を真っ直ぐ走って、ふと思い出す。


 そうだ、椎名先輩によれば『台風』が接近中だった。直撃するかもしれないし、紺に知らせておかないと。



「歩花、紺に台風のことを連絡してやってくれ。俺は運転中で電話できないから」

「そうだね。ちょっと電話してみる」


 助手席に座る歩花は、スマホを取り出して紺の名前をタップ。ライン電話を繋げた。しばらくすると繋がったみたいだ。



『もしも~し、歩花ちゃん! どうしたのー?』

「紺ちゃん、ちょっと話しておきたいことがあるの」

『うん、なに?』

「台風が来ているんだってさ。バイク、危ないし気を付けてね。もし直撃したらホテルとかに避難してよー」


『た、台風? うそー、昨日の天気予報ではそんな情報なかったのに……今日発生したのかな』

「多分ね。だから、無理はしないでね」

『分かった。回お兄さんは?』

「お兄ちゃんは運転してるよ。スピーカーにする?」

『うん、少しだけお願い』


 紺の要望を聞く歩花は、スマホをスピーカーモードに変更。これで俺も会話に参加可能となった。


「やあ、紺。状況はどうだい?」

『はい、実はもう松本城の前ですよ。立派なお城が見えます!』

「マジかよ!」


 もう松本にいるのか。

 高速道路に乗れない、125ccハンタークロスカブであんなところまでよく行けたな。片道で五時間以上掛かるのに。


 先行しているとはいえ、凄い精神力と体力だ。しかも、猛暑の中を。なによりも、無事故で200km以上を走行したわけか。尊敬するなあ。


『ラインに写真送っておきますね』

「おう、俺たちもすぐに向かう。今は『塩尻しおじり』を通過したところだ」

『塩尻! もう直ぐじゃないですかー!』

「ああ、渋滞もないし、あと三十分で到着できるはず」

『おぉ! ではお待ちしておりますね』

「じゃあ、また」

『はいっ』


 ぷつっと電話は切れた。

 いよいよ長野で紺と合流できるかあ。それに元同級生でキャンプ部の『安曇野あづみの もも』とも会えるはず。


 いよいよ楽しくなってきそうだと、高揚感に包まれていると――歩花の様子が少しおかしかったように見えた。……気のせい、かな。



 * * *



 紺と電話して三十分後、ついに『松本市』へ入り、松本駅前にいた。ナビ情報によれば、あと少し。

 けれど、歩花の強い要望で松本駅の駐車場で車を停めた。ここは、なんと三十分までは無料だ。少し休憩するには最適だな。



「ごめんね、お兄ちゃん。記念写真を撮っておきたかったから」

「いいよ、それくらいなら。俺も駅は見ておきたかった」

「うん、ありがとね。……あ、そうだ、一緒に撮らない?」

「そうだな、記念だからな」

「うんうんっ」


 お? さっきはちょっと落ち込んでいる風だったけど、機嫌を取り戻してくれたようだ。


 車から降りると、外は意外にも涼しくて驚く。心地よい風が肌を撫でた。おぉ、清々しいなあ。


「そうか。標高が高いから、少し気温が低いんだ」

「湿度も低いんだって」



 ウィキ先生によると、松本市の八月の平均気温は25℃前後らしい。心地よい風も吹いているし、そりゃ過ごしやすいわけだ。


 歩いて直ぐの場所で撮影開始。自撮りスタイルでカメラを向け、駅を背後にしてパシャパシャ連写していく。よし、歩花も可愛く撮れているし、ばっちりだな。


 歩花があまりに写真映りが良いものだから、俺は夢中になって撮っていた。


「もっと寄ってくれるか、歩花」

「い、いいよ……こう?」


 吐息が掛かるくらいの距離だった。顔ちかっ……。


「と、撮るぞ」


 パシャッと撮り終わると、歩花が抱きついてきた。


「お兄ちゃん……」

「ひ、人前でっ。他の観光客がジロジロ見ているぞ。ただでさえ、歩花は目立つんだから」

「気にしない気にしない。はい、お兄ちゃん歩花のスマホでも撮って」



 歩花は、胸の上にスマホを置いていた。これを取れと!? 公衆の面前で!? さすがに現行犯逮捕されてしまう。


 すると周囲から見ていたバイク乗りの二人組が絡んできた。



「ちょっと、そこの兄ちゃん。可愛い子ちゃんにセクハラ~?」

「うへぇ、可愛いね。もしかして困ってる? お兄さんたちが助けてあげようか」



 当然、歩花は困惑する。

 まさかのナンパかよ。

 長野に来てまでこんな事があろうとはな。



「だ、大丈夫です。こ……この人は彼氏・・ですから」



 と、フォローを入れて歩花はキスをしてきた。濃厚なキスだった。こ、こんな人の往来のある場所で……ああ、もう。

 でも、二人組は諦めて舌打ちして帰っていったし、助かったな。



 ――って、あれ……いつまでキスをしていればいいんだろう。歩花は、一向に口を離さないし……わずかながら目尻に涙を溜め、震えていた。


 怖かった――のかな。


 そうだろうな。

 歩花はその常人離れしたトップアイドルに匹敵する容姿ゆえに、男から絡まれやすいのだ。俺が守らないと。



 * * *



 あれから、十分後。

 キャンピングカーへ戻り、歩花を落ち着かせた。


「あと少しで無料時間が終わるから、出発するぞ。紺も待たせているし」

「……うん。さっきは知らない男の人に話しかけられて……怖かったの。だから、頭がヘンになっちゃって……お兄ちゃんにキスを……ごめんね」


「そうだと思ったよ。いや、謝らなくていいさ。俺と歩花は、確かに兄妹だけど義理・・だし……そういう関係になれるのも理解している。

 でも、その、なんだ。こういうのは難しいな……ほら、兄妹のような仲だし、今更恋人っていうのも変かなって」


 だめだ、さっきの歩花のキスで俺もまで頭がヘンになってる。でも……でも、すっごく嬉しかった。ドキドキしているし、時間が許されるなら、もっとしたかった。


 けれど、時間は待ってくれない。

 時間が差し迫っている。

 待っている人たちがいる。

 停滞は許されない。

 先へ進まねばならない。

 立ち止まってはいられない。


 分かってはいるけど、それでも。

 俺は――それでも。

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