甘い声

 六億円。

 現実味の無い金額に、俺は感覚が麻痺まひしていた。……六億円、六億円。本当にそんな額が貰えるのか?


 今までどんなに多くても三十万円を手にしたくらいだ。汗水垂らして半年働いて手に入れたお金だった。それは、免許取得の為に現金一括払いした時。


 あんなに辛かったのに、それがこんなにアッサリ。ただの宝くじ券かみきれが『六億円』になってしまった。あぁ、どうしよう……狙われたりとか――いや、取り乱すな俺。まずは、この宝くじ券を失くしたり、らしたりしないようにクリアファイルに入れておこう。万が一があったら、一生後悔する。



 アツアツのお茶をれ、冷静になろうとした。――途端とたん、手が震えてお茶を零してしまう。



「うあ、あっぶね!」



 危うく六億円がパーになるところだった……。ふぅ、ギリギリセーフ! 汗を拭っていると、歩花が胸を弾ませて帰ってきた。


「お兄ちゃん、ただいま~」

「早かったな」

「ん? もう十五分くらい経ったけど」


 ――いつの間にかそんなに時間が経過していたのか。悩み過ぎて時間を気にしている余裕がなかったな。



「それで、孤塚ちゃんは?」

「うん、帰ったよ。今度、お兄ちゃんにバイクを見て欲しいって」

「あー、そうだったな。また次回、見せてもらおう」



 孤塚こづか こん、か。

 落ち着きのある可愛い子だったなぁ。清楚せいそというか、可憐というか。歩花とはまた違った華やかさがあった。品があったし多分、イイとこのお嬢様なんだろうな。


「ところでさ、お兄ちゃん」

「ん? どうした」

「宝くじって、どうやって換金するの?」


 肝心かんじんな事を忘れていた。

 スマホでサクッと調べると、どうやら宝くじ売り場に行く必要があるらしい。一度、機械に通し、当選金額が五万を超える場合は、明細書を貰って銀行へ行くように指示されるようだ。そういう手続きがあるんだな。


 まだ時間もあるし、紛失しない内に売り場へ行こう。


「――というわけらしい。歩花、今から行くぞ」

「善は急げってヤツだね。分かった、準備してくるね」

「了解。俺はリビングで待っているよ」



 歩花は、自室へ戻った。

 俺は手提てさげバッグを取りに行った。宝くじを厳重に保管する為だ。きちんとしておかないと危険すぎるな。念の為に印鑑も入れておく。



 十分後、玄関前で待っていると可愛いワンピースに身を包む歩花が登場した。ちょっとゴスロリっぽい雰囲気。


「どお、お兄ちゃん。可愛いでしょ」


 黒いドレスようなワンピースが風に舞う。歩花は、あざとく微笑み手を広げた。なんと天真てんしん爛漫らんまん。こんな可愛い女の子が俺の妹とか、夢でも見ているような気分だ。


「うん、歩花。今の俺、すっごくドキドキしている」

「お兄ちゃんの心に刺さったようで良かった! じゃあ、行こっか」


 家を出て、宝くじ売り場を目指す。

 ……目指すのだが、何だこの感覚。周囲の人間が全員、敵に見える。……やばい、謎の不安が襲ってきやがった。


 なんでこんなに汗をいているんだ、俺。……ああっ、まさか! 手提げバッグに入っている宝くじ券のせいか……。そうだ、これを狙われないかと疑心暗鬼におちいってしまっているんだ。


「ううっ……」

「ど、どうしたの?」

「歩花、小声で話すから耳を貸してくれ」

「う、うん」


 俺は歩花の耳元に顔を近づけた。

 歩花は“ぴくっ”と肩をすくませ、何故か恥ずかしそうにうつむく。あれ、なんか息遣いが荒いような? ま、まあいいや。


「あのな、歩花。今、宝くじ券を持っているだろ。これが狙われないかと心配でな」

「そ、そうだね。六億円だもんね、怖い……」


 他人に気づかれた時のリスクがデカすぎるな。下手すりゃ強盗に遭うかもしれない。歩花だけは絶対に守らないと。


「とはいえ、宝くじ売り場へ行かないと換金はできない。向かうしかないな」

「そうだ! 歩花がお兄ちゃんを落ち着かせてあげる――きゃっ!」


 歩花は手を繋ごうとしたのだろうか。けれど、足を滑らせた。俺は、咄嗟とっさに歩花の手を引っ張り手繰たぐり寄せようとしたのだが、バランスを崩す。


「うわっ!」

「あ、あぅ……」


 俺の顔面が柔らかい物の中に落ちる。……えっ、これって。この弾力あるのものは何だ――?


「……うん? ううん?」

「んんっ……お、おにいちゃん、だめぇ」


 歩花はなぜか甘い声を漏らしていた。

 まずいと思って、俺は離れた。


「すまん。何かにぶつかった気がするんだが……視界が暗転して全く分からなかった。俺はいったい、歩花のどこに顔を埋めていたんだ……?」

「き、気にしなくていいよ! それより、わたしの方こそごめんね。手を繋ごうと思ったの」


 震えながら歩花は、俺の手を取る。

 な、なんか凄く緊張するな。

 やがて、細くて小さい手がからむ。


「あ……歩花。お前、手が小さいなぁ」

「お兄ちゃんは、大きくてたくましいね」


 そんなこんなで売り場へ向かう。

 手を繋ぎながら歩くと、意外や落ち着けた。歩花がいて良かった。もし、一人だったらしばらくは外なんて歩けそうになかった。


 売り場に到着し、人のいないタイミングを見計らって窓口へ。宝くじ券を取り出し、店員のおばちゃんに頼んだ。


「はーい、くじ券、一枚お預かりね。ちょっと待って下さいね~」

「は、はい」


 少しすると、券が機械に通っていく。すると、ディスプレイに【高額当選】の文字が表示された。おばちゃんは、びっくりしていた。



「おめでとうございます! 高額当選ですね~。わぁ、一等じゃないですか! ろ、六億円……凄いですね、お兄さん!」

「あ、ありがとうございます。これから、どうすればいいんです?」

「ええ。お客様は百万円を超える当選金額ですので、印鑑と本人確認書類、そしてこの宝くじ券と明細書を持参して戴き『穂住ほずみ銀行』へ行って下さい。事務所に通されますので、そこで手続きを行います」


 へ、へぇ~…分かってはいたけど、なんか凄い事になったな。宝くじ券と明細書を貰い、手提げバッグへ閉まった。次は銀行か。



「よ、よし。穂住銀行へ向かうぞ。けど、隣町なんだよなぁ」

「印鑑はあるの?」

「ああ、バッグに入れておいた。本人確認書類は、免許証があるし大丈夫だろう」

「準備万端だね。それじゃあ、電車で?」


「いや、せっかくだ。カーシェアリングで行こう」

「やったー! お兄ちゃんの運転大好きっ」


 歩花が抱きついてきた。まさか、こんな喜んでくれるとは。俺の運転が好きとか、嬉しい事を言ってくれる。


 なら、ドライブがてら向かうか。

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