卓上の紙

鈴ノ木 鈴ノ子

たくじょうのかみ

あれは真夜中のことだったと思う。

真夏の残滓が残した茹だるような暑さで目が覚めたのだった。

身体中が汗で濡れていて酷く喉が乾いていた。寝ていた布団はまるで水をこぼしたように濡れており、それが張り付いて気持ちが悪い。


「なんなんだ、まったく」


エアコンを確認するが正常に作動しているようだ、近くにある温度計も適温で湿度もほどよい数値を表示している。

酷く喉が乾いており咳き込んでしまう。

これは水を飲みに行かなければと布団から怠さの残る体を起こして私は立ち上がった。

電気をつけるのが億劫だったので、目を凝らしながら歩き慣れた暗い廊下を進んでゆくと、キッチンへと辿り着いた。食器棚からガラスコップを取り出して蛇口から水を汲む。

妙にきつい匂いの水が出た気もしたが、気のせいだろうと、私は続け様に汲みながら何杯かの水を飲み干して満足すると、食卓へと腰を下ろした。


「こんなものあったか?」


卓上にA3サイズほどの原稿用紙が置かれていた。その脇には鉛筆が一本。


「なんだ?」


私が訝しんでいると、原稿用紙の枡に文字が浮かび上がった。


『お名前をお書きください』


「?」


頭で理解はできていないと言うのに、体がまるで何者かに乗っ取られてしまったかのように鉛筆を利き手で持つと、そのまま原稿用紙に名前を書いた。

再び、文字が浮かび上がる。


『ご記入ありがとうございます。さて、この先の質問事項には、決して間違いを書くことなく、偽りを書くことなく、忌憚のない思いをお書きください』


第一問「今幸せですか?(不幸とお書きになられた方は終了となります)」


・・・・・・・・・・・・。


第二問「この先も幸せでいたいですか?」


・・・・・・・・・・・・。


第三問「あなたが最も不幸と思うことをお書きください」


・・・・・・・・・・・・。


第四問「あなたが最も毛嫌いする行為をお書きください」


・・・・・・・・・・・・。


第五問「あなたが大事にしているものをお書きください」


・・・・・・・・・・・・。


第六問「あなたが恐れているものをお書きください」


・・・・・・・・・・・・。


第七問「あなたが・・にうあるはいうbrぎうぼいうあbふぃうあびうb」


・・・・・・・・・・・・。


文章は途中から意味をなさないのにも関わらず、意識で理解できていないのにも関わらず、私の腕はひたすらに質問事項に回答をしてゆく。体がまるで別の何かに乗っ取られているような感じであり、そして一文一文を回答していくごとに、酷く疲労感が溜まり、意識が眠気のようなものに襲われてゆく。


第百問「すべてが叶うとすれば今日で宜しいですね」


はい。 いいえ。


途切れ途切れの眠気に囚われている意識の中で、私の心が警鐘を鳴らしていた・・・。この質問には絶対に答えてはならない。腕はゆっくりと動いてゆき、はいと書かれた部分に丸をつけようとしている。

この質問だけはまずい、これは、まずい・・・。そう考えているのに、そう思っているのに、私の意識はどんどんと薄れていく。


「あなた!なにしてるの!」


不意に妻の声が聞こえ、私はそのまま意識を失った。


次に目覚めた時には病院のベットの上であった。隣には疲労の色が漂う妻と私の両親がいた。

1週間の入院を経て、自宅で妻から聞いた話と目の前に見せられた紙に私は絶句した。

紙は血文字でびっしりと何かわからない文字をひたすら書き連ねている。あの設問の文はなく、そこにはひたすらに解読することのできない文字が延々と並んでいた。


そして、飲んだ水であるが、水などではなかった。


それは私が自ら両手首を切って滴る血をコップに溜めてそして自ら飲み干していたのであった。口の周りは血まみれであり、そして傷口そのままに私はコップに溜まった血で、箸の一本を鉛筆としてひたすら文字を書き連ねていた。


あのままゆけば失血死だったそうだ。


妻には感謝しても仕切れない。


みなさんも気をつけてほしい。


もし、同じような場面に出くわしたのなら、決して布団からでないことだ。


私はあれ以降、妻と共に寝ることにしている。1人で寝るのはもう懲り懲りだ。情けないが私は1人では寝ることができなくなってしまった。



そして、未だ私の中で解決できない謎が残っている。



私は両手首を切ったのだ。


それで文字を書いたとして、


手首から滴り落ちるはずの血は


どこにいったのか。ということだ。




そして、最後に一つ、理解できないことがある。




私は妻がいた記憶がない。


両親は幼い頃に死別している。


だが、今、それらと一緒に住んでいる。

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