第9話

 今もポッド型タイムマシンの中にいると思っていた藤川静香が横たわっていたのは公園の木製のベンチの上だった。目を開け、起き上がり、周囲を見渡して、声をかけてくれたであろう男性に会釈する。


「壮大なドッキリを仕掛けられたのだとしたら、笑っちゃうわね」と、藤川静香は独り言を言った。立ち上がり、少しおっかなびっくりといった体で歩いてみる。公園内のゴミ箱に無造作に放り込まれたスポーツ新聞を取り出して日付を確認してみると、藤川静香にとって忘れられるはずがない、藤川心太と出会ったあの日の前日だった。すなわち、今日の夜、藤川静香は若き日の自分と出会わなくてはならない。

「のんびりとはしていられないわね」そう言って藤川静香はしっかりとした足取りで歩きだした。


 タイムマシン施設の職員から受けた説明の通りで助かったと、藤川静香は説明してくれた職員の事を思い出しながら目的地を目指す。

「目的地は神戸市垂水区なのに、スタート地点は岐阜城なんですか?」という藤川静香の問いに職員はこう答えていた。「現在この施設はここ、岐阜城地下にしかありません。そして、時間軸を捻じ曲げて人を一人送り込むことはなんとかなる……んですが、空間軸の操作はまた別の話ですので……」

「せめて、大阪か、京都に作られてたらよかったのに」

「座標的特異点である事と、神岡町に近すぎず遠すぎずである事が重要でしたので、致し方ありません」

「ただのおばあさんの軽口よ。真面目なのね」


 金華山ロープウェイの受付に着くと、タイムマシン施設の職員から受けた説明通りのセリフを藤川静香は言った。

「藤川静香と申します。岐阜公園の支配人でいらっしゃいます早川様に取り次いで頂きたいのですが。あと、このコードをお伝えいただければ話は早いはずです。ゲイト、エス、ティー、よん、はち……」

「ちょ、ちょっと、お待ちください。こちらにお名前と、その、コードをご記入頂いてよろしいでしょうか?」

 受付の女性から渡されたメモ用紙に藤川静香は最重要と覚え込んだコードと名前を書き入れてそれを返すと、女性は電話をかけた。短く電話を切った後、女性は小走りで受付を出て行って、程なくして帰ってきた。

「早川よりこちらを渡すようにと指示を受けました。どうぞお受け取りください。また、早川より、『お時間が許すようであれば是非お会いしたい』との要望がございます。お待ちいただけますでしょうか?」

 受付の女性から封筒を受け取りながら、「ごめんなさいね。急ぐの」と言って、藤川静香は踵を返した。


 封筒の中身は現金だった。老人一人の旅行には多すぎる額がその中には入っていた。「最速のルートを選ぶのよ」そう呟いて、藤川静香がまず乗り込んだのはタクシーだった。同世代の中では健脚と誇れる藤川静香であったが、老人の足では徒歩による時間のロスが一番大きい事を知っていた。「名鉄岐阜駅の、改札に、一番近いタクシー降り場へお願いします」運転手にそう伝えると、「承知いたしました……ん? お客さん、あの方が呼んでいるのはお客さんじゃないですか?」と運転手は言ってきた。運転手の指さす方を藤川静香が見てみると、恰幅のいい男性が汗だくになりながら走ってきている。「藤川様―。藤川様―!」と声を上げながら。岐阜公園の支配人早川だろう。「なにー?」車の窓を開けて藤川静香も大きな声を上げた。「藤川様―、藤川様は、ドラゴンズの活躍をたくさん御覧くださいましたでしょうかー」その問いに藤川静香はピンとこなかったが、「あぁ、野球か」と思いついて、握りしめたこぶしを上にあげて、早川に向かってニカッと笑った。早川は膝に両手を当てながら肩で息をし、それを見届け、右手のこぶしを上げてその親指を立てた。「発進しますねー」そう言いながら運転手はアクセルを踏んだ。

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