第2話

「酷い事故だったようです」そう口を開いたのはこの店のマスターだ。来海静香は暗く沈んだ気分を変えようと、駅前ビルの半地下にあるバーに立ち寄っていた。マスター自身はその現場に居合わせた訳ではなかったが、この店の正面から事故現場は良く見える。数歩近づけば献花の匂いすら確認できるほどの距離だ。事故の概要から憶測まで何十という情報が耳に入って来たに違いない。

 自らの無力さと、死ぬ直前に施したマッサージの意味と、ほんの少しの縁を思い、来海静香は亡くなった彼に少しだけ祈りを捧げた。

「自分がいつどこで、どんな風に死ぬかなんて、人には分からないですしね」亡くなった彼の身体を直前まで触っていたとも、死の予感を感じ取っていたとも来海静香は言わない。なんとなく彼の死を茶化すようで不謹慎に思えたからだ。また、自分の身体に【まとわりつく死神】が憑いたとして、それは自分では分からないのだろうなという予感もあった。だから、一般論からの導入で彼の死を悼み、今の生を自覚しようという当たり障りのない言葉を選んでいた。


 入口のドアの開く音がした。そこには老婦人が一人で立っていた。何気なく視線をやった来海静香とその老婦人の目が合い、互いに会釈する。「いらっしゃいませ。お一人様ですか? 空いているカウンターのお席へどうぞ」と、マスターが声を掛ける。「よかったら、一緒に飲みません?」来海静香は隣のスツールを少し引いた。

「あら、嬉しい! では、お隣お邪魔させてもらおうかしら。うふふ」老婦人はそう言って来海静香の隣に座った。

「このお店は初めてですか?」

「そうね。もう、いったい何年ぶりかしらって位の昔に来たことがあるの」

「5年前とかなら当店のオープン当時ですね。それより前だとここは今とは違う店でしたよ」マスターはさり気なく会話に加わってくる。

「そうなの? じゃあ、きっと、以前の店の時ね。だけど、ダメね。記憶って曖昧なのね。この雰囲気がとても懐かしいの。変よね」老婦人は楽しそうにコロコロと笑う。

「店の場所は同じなんでしょうし、カウンターの位置なんかはもしかしたらそのままかも知れませんしね。おかしくないですよ。懐かしいって感覚はマスターも多分嬉しがってる」来海静香がそう言うと、マスターは口角を少し上げた。

「そうそう!注文をしなきゃね。えーっと、……何を飲んでいらっしゃるのかしら。それから、申し遅れました。わたくし、藤川と申します。お隣に誘ってくださってありがとうございますー」

「あー! すみません。名乗りもせずに……。わたしは来海静香。“来る”に“海”と書いて“きまち”と読みます。“くるみ”と読まれる事もあります。もう、それはどちらでもいいです。気軽にお誘いしてしまってすみません。私が今飲んでいるのはラスティネイルというカクテルです」ゆったりと話しかける藤川に対して、来海静香は随分と早口だ。

「いいえー。とても嬉しいのよ。娘よりもまだ若い女の子と一緒に飲めるなんて幸せよー。マスター、私にもラスティネイルをくださいな」

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