グズマニア
ハヤシダノリカズ
第1話
大きな衝突音がした。通行人の叫び声や喚き或いは指示であろうか、突如起こった喧騒は窓の隙間から入ってきて、来海静香の耳に届いた。来海静香はその窓を開け喧騒の中心を見下ろす。駅前のロータリーを三階の高さから見下ろす形になった事は来海静香にとって良かったのか悪かったのか。男性の腹にバイクが刺さっている。見方を変えれば男性の腹からオブジェが生えていると見る事も出来よう。「あれではもう、助からない」来海静香の脳裏にそんな冷静な判断が浮かぶと同時に、件の男性がさっきまで自分がマッサージを施していたその人だと知る。直線距離で六十メートルといったところに倒れているその男性の顔ははっきりと確認できた。遠巻きに集まって来ていた野次馬の頭を超えて見えている。着ている服もさっき見送ったものだ。目に宿る生の光が失われていく様まで視認する事は出来ない距離だが、想像で補完できる分、より生々しいかもしれぬ。
「この能力は本物なのね」ポツリと落とした呟きは誰の耳にも入る事が無かったが、茫然とも無表情とも取れる顔の来海静香の口からこぼれたものだ。
数か月程前に施術した五十代男性の身体に触れた時、大きな違和感を来海静香は覚えた。相性の事もあるのだろうが、本来なら癒す側の自分が、身体を任せてくれている客の口から語られる話や、その彼等自身の生命力に当てられて癒される事がある事を知っていた。また、知らぬ間に生気を吸い取られたかの様に倍以上に疲れる事があるというのも知っていた。そして、その五十代男性はどちらでもなかった。
得体の知れない昏い波のようなものに体表が包まれているようで、その波は体の内から外へ、外から内へと出入りを繰り返しているように来海静香には思えた。実際に視覚情報として知覚できたわけではない。リラックスを促すマッサージのルーティーンの為に身体に触れた途端、そんなイメージが浮かんだのだ。いじめっ子の悪意のような波動が指先をぞわぞわさせた。
その五十代男性は取り立てて悪人には見えなかった。いじめっ子の悪意のような波動を生む人柄とは来海静香には思えなかった。渡された名刺に書かれた社名に見覚えはなかったが、怪しさを感じさせるような業界でもなかった。ごく普通の中年男性でしかなかった。気の交流の相性で疲れたり癒されたりする事それ自体も、自分の中での落としどころを見つけられないでいた来海静香だったが、その異質な体験はしっかりと記憶に残った。
それから一月ほどが過ぎたある日、店先に置いてある地方新聞を来海静香が何気なく見ていると、その男性の名前を見つけた。コンビニ強盗を制止しようと働きかけたが、逆上したその強盗に腹を刺されて亡くなったと書いてあった。
また、別のケースでは、その【まとわりつく死神】(いつしか来海静香はその現象をこう名付けていた)を来海静香がその身体に感じた客がオーナーの友人で、後日彼の死を聞かされた事もあった。それは病死だったとオーナーは言っていた。
そして、今日のバイク事故に巻き込まれた男性だ。ぞわりとした悪寒がしんしんと身体に入ってくるような気持ち悪さは他の人には感じられないもののようであるし、彼らの身を包む【まとわりつく死神】は誰にも見えず、本人にも自覚はない。きっと死期が近いなんてことは思ってもいないだろう。だが、どうやら自分には、そんな能力があるらしいと、来海静香は確信した。
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