閑話『母と娘』

 田舎には土地があるとはいうものの、そんなことは関係ないだろ、と言いたくなるほどの豪邸が霧生市の堺乃町には建っている。


 そこに住む来島茜が、あわただしく登校の準備をしていた。


 前日の晩に決行された作戦での戦闘で疲弊しきった体には、朝起きるということ自体がかなり難儀なものであったことは言うまでもない。

 とはいえ、意味もなくサボるような性格はしていないのだ。


 そんな茜を達観した様子で目で追うのは、現在家主であるところの来島弥恵やえ。今年で七十六になる。

 それにしては元気に軽快に廊下を歩く白髪老婆の姿は、若々しさすら感じるほどだ。


「茜。夜遅くまでほっつきあるってるから、そういうことになるんだよ。少しは計画性を持ったらどうだね!」

「あ、うん。ごめんなさい、おばあちゃん」


 このようなやり取りは珍しいものではないからか、茜もそこまで真剣に受け止めている様子はない。

 せかせかと学生鞄を肩にかけると、


「行ってきまーす」


 と、勢いよく玄関を飛び出していった。


「気を付けるんだよー!」


 声を張っても元気な七十六歳である。

 茜が出て行った際、しっかりと閉めきれてなかった玄関を、やれやれと言いつつ閉めると居間に戻るためか廊下を数歩歩き、だが立ち止まった。

 しばらくの沈黙の後、弥恵はため息とともに口を開く。


「彩音。なんで茜に会ってやらないんだい」


 誰もいないと思われた弥恵の背後に、ふわりと一人の女性が現れた。

 茜を長身にしたようなモデル体型に、その辺を歩っていれば誰もが振り返りそうな整った顔は、茜色の美しい長髪も相まって茜と親子なのだと一目でわかる。


「お母さん、よくわかったね」

「子供のことだ。わかるに決まってるだろう?」

「あはは……システム超越してるし」


 弥恵は振り返り、彩音を鋭く睨みつけた。


「最近何度もボロボロになっていたんだ。なんどもなんども泣いていたんだよ? それでも、あの子は必死で私の前で笑うんだ。……なんで一言、謝ってやれない」

「ごめん、お母さん」

「私に謝らずに、まずあの子に……」

「あ、うん。私も本当に悪いと思ってる。……本当におっきくなったよね。茜、私のこと斬ろうとしたのよ?」

「っ! あんた、会ったのかい!?」

「……うん。でも、戦っただけ」

「そんな……そんなのあんまりだよ」


 戦場で戦う。そんな親子の再会があってたまるか。

 弥恵はそう思ったが、彩音の立場もわかっているため、それ以上強くは言うことができなかった。


「お母さん。本当に苦労かけてごめん」

「……あんた。ねぇ、もういいんじゃないのかい? あの子も良い歳なんだ。本当のことを教えてやっても……」

「ダメだよ。茜には大切なお友達がいる。あの子の性格上黙ってられないでしょ?」

「それは……でも、だからって……」


 弥恵も言葉に詰まってしまう。それを見た彩音は、寂し気に笑って見せた。


「お母さん。ごめんだけど、茜をよろしくね。……私の知らないうちに立派に育っちゃってるんだから、まったく」


 子の成長に喜びながらも、そこにいられない寂しさを抱えた我が子の姿に、弥恵はなにも言うことができなかった。


「……行くのかい?」

「あ……うん。私だけ、ここで一抜けってわけにはいかないから。必ず、茜のところに帰ってくるよ。……茜が許してくれるかは、わかんないけどね」

「彩音……あんた……」

「行ってきます。お母さん」

「……私より先に死んだら、容赦しないよ!」

「あははっ……うん!」


 そう言って笑った彩音の笑顔と重なって見えたのは、弥恵が最近よく目にしていた茜の笑顔だった。

 茜が、から元気の時に弥恵に見せる笑顔と同じだったのだ。


 気づけばそこに、彩音の姿はなかった。


「まったく……」


 親子そろって作り笑いが下手なんだから。

 弥恵は何もできない自分に歯がゆさを感じながらも、大切な娘と孫の無事の帰りをただ願い続けていた。

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