第九話「テスターである事実」(後編)

「……ごめんね」


 桐香の問いに答えることなく、彩音さんはその一言と共に俺を弾き飛ばした。


「ぐっ!」


 軽く吹き飛ばされた俺は反射的に勢いを殺し、着地する。

 これで桐香たちとは距離をとれたはずだ。

 まずは、落ち着け。冷静にならなければ駄目だ。


「っ……」


 糞が……なんなんだよこれはっ……。

 俺の脳内が、自分の意思とは関係なく、目の前の人間を殺すという思考で浸食されていくのがわかる。

 血が欲しい。人間の血を俺によこせ……そう、体が訴えている。


 立っていると、そのまま斬りかかりそうだっ……。

 耐えろ、抑えろ、その感情は俺のものじゃない、浸食されるな。

 ダーインスレイヴを鞘に戻すため、座り込み力を入れ……られないっ。


「くそっ! なんだってんだよ!」


 そんな厨二チックなの今時流行らねぇって!

 自分で抑えられないほどの力がカッケーって⁉

 誰が言ったんだそんなこと! くそ恰好悪ぃだろうが!


「くそがっ! 収まれよっ!」


 必死に鞘へと戻そうとするものの、ダーインスレイヴの暴走は収まりそうにない。

 ふと、目の前に影が落ちる。一縷の望みにすがるように見上げると、そこには彩音さんがいた。


「桐原一輝。ちゃんと抑え込んで」

「ぐぅっ……」


 もう、言われたこと以上を考える余裕などない。

 そんな俺に、彩音さんは手を伸ばしてきた。そのまま、ダーインスレイヴの柄を持とうとして……。


「くっ!」


 バチンと何かが弾けるように、彩音さんの手をダーインスレイヴがはじいた。


「やはりだめね。……我慢しなさい、桐原一輝」

「っ……どう、言う……」


 俺の疑問に答える気はないのだろう。

 もちろん、俺にもそれ以上追及する余裕はない。

 何が何だかわからないうちに彩音さんは俺の左手首を持つと、そのままダーインスレイヴを俺の足に突きたてた。


「っあっぐ……っ……なに、するんだよ……」

「桐原桐香。治癒を」

「え? は、はい!」


 彩音さんに言われるがまま、駆け寄ってきた桐香は治癒を始めた。もう、何が何だかわからない。


「桐原一輝。剣から手が離せる?」

「え? あ……」


 俺の意思で、ダーインスレイヴから手が離せた。

 さっきまでピクリともしなかったのに……。


「どういうことだよ……」

「桐原一輝。その剣を使ってはダメ。ダーインスレイヴの体力吸収スキルは、一定以上の血を吸わないと鞘に戻らないおまけ付きだから」

「……そんな」


 だから、俺の意に関係なく暴走したって言うのかよ。


「けど、この剣を使わなきゃ勝てなかった! 今回は、仕方がなかったんだ!」

「桐原一輝。あなたは、茜たちを守るには弱すぎる」

「っ……それは」


 今回のことで嫌というほどわかった。俺はテスターであり、ゲーム内最強プレイヤーであったということに自惚れて、自身の力を過大評価していたのかもしれない。


「それでも守りなさい」

「っ……」


 そんなことはわかっている。わかっているというだけではなく、もっと強固な覚悟を持たなくてはならないことも、わかったんだ。


「桐原桐香。後は任せるね」

「は、はい」


 それだけ言って彩音さんは茜のほうへと歩っていくと、茜の容態を気にするでもなく一瞥し、そのまま去っていこうとする。


「お母さんっ!」

「……」


 茜の悲痛な叫びにも、彩音さんの足は止まらない。


「お母さんたちは何をしてるのっ⁉ なんで……なんで⁉ 教えてよっ!」

「……」


 彩音さんの歩みは、まるで止まらない。このままじゃだめだ。

 茜のためにも何か、もっと何かないのかっ!


「くっ……彩音さんっ! 今回の事件はなんだったんだよ! 犯人が言っていた、あの方って誰なんだよ⁉」


 気の利いた言葉が何も思いつかない俺は、自身の疑問を投げかけるしかできなかった。

 だが、彩音さんはようやく、その足を止めてくれた。


「桐原一輝。それを聞いてどうするの?」

「親父はこんなこと望んじゃいなかったはずだ! もう俺たちも子供じゃない。俺たちにだって、できることがあるはずだ! だから、この力を俺たちに残してくれたんじゃないのか⁉ どこかに敵がいるなら俺たちも……」

「桐原一輝。あなたは何か勘違いをしているようね」

「……え?」


 ゆっくりと振り返り、俺の目をまっすぐに見据えた彩音さんは、一番聞きたくなかった答えを教えてくれた。


「あの犯人に力を与えたのも、この街に来るように指示したのも、NPC一般人殺害のこの一連の事件は、あなたのお父さんが仕組んだことなの」

「なっ⁉」


 そんな、はず……。じゃあ、犯人の言っていたあの方って、親父のことなのか⁉


「親父は……なんでそんな! なんの目的があるんだよ! 何か事情があるんだよな⁉」

「……桐原一輝。勘違いしないことよ。盲目に信じたいことを信じても、それは現実逃避でしかないんだから」

「そんな……」


 そんなはずはない。でも、だって……。


「彩音さんたちは……親父は……何をしてるんですか⁉」

「知る必要のないことだよ、桐原一輝。あなたは茜と妹、そして仲間たちを守ることだけ考えていたらいい。……けど、レベルは上げないで、絶対に」

「なんだよ、それ……俺たちを放置して、いなくなって……急に現れたと思ったら知る必要がないだって? ふざけんな、そんなのあんまりだろ⁉」


 俺の叫びに、彩音さんは黙って背を向ける。

 今まで治療に専念していた桐香は、俺の二の腕を空いた左手で強く握ってきた。

 それはまるで、言葉にならない叫びの様だった。


「お母さんっ!」


 泣き叫んでいるかのような悲痛な声と共に、茜は立ち上がった。

 なけなしの体力を気力で振り絞っているのだろう。ふらふらなのが、見てわかった。


「……」


 それでも、彩音さんは再び歩き始めた。

 俺たちに伝えることはないと、そう行動で突き放すように。


「お母さんのわからずやっ!」

「茜⁉」

「茜さん⁉」


 茜は、布都御霊ふつのみたまを抜き放ち、背後から彩音さんに切りかかる。

 それに気づいた彩音さんは振り返り、いつの間にか抜刀していた刀で茜の攻撃を難なく受け止めた。


「お母さんに切りかかるなんてね……茜。わがままがすぎるよ」

「っ!」


 彩音さんは一息に刀を振り抜くと、茜を俺たちのところまで吹き飛ばした。

 そのまま何事もなかったかのように刀を収め、彩音さんは歩いて行ってしまう。


「お母さん‼ 待って、行かないでよっ!」


 茜の叫びも虚しく、彩音さんの姿は見えなくなってしまう。

 誰一人として、彩音さんを追うほどの力は残っていなかった。

 俺たちは、ただ虚しく座り込むことしかできなかった。

 ……だが。


「……彩音さん」


 彩音さんは茜が斬りかかって行った時、優しい笑顔を一瞬覗かせていた。まるで、子供の成長を喜ぶ親のように。

 俺はそれを見逃しはしなかった。

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