第三話「知っていたはずの絆」(後編①)

 正直言って、こんなことは予想外だった。

 ゲーム時代から、茜は意見があるとハッキリと言ってくる奴だったが、桐香の意見に真っ向から反対することもまたなかった。

 昔から作戦立案は桐香の役回りだったし、俺はそれが一番いいと思っていた。実際、それで失敗したことなど一度としてなかったからだ。


 だからこそ、こんなことになるなんて思ってもいなかった。


 桐香もそうだったのだろう。いくらなだめても、まるで泣き止む様子がなかった。

 桐香自身の心情も、複雑なものだと思う。

 お互いの信頼や尊敬、絶対的な唯一無二の仲間であるという感覚。

 いろんな気持ちがごちゃ混ぜになって、何をどうしたらいいのか、自分は何を考えているのかすらわからないほど、混乱しているんじゃないかと思う。


 俺自身そうなのだ。


 少なくとも、茜があんなに感情的に怒っているところなんて見たことがなかったし、あんなに否定的な言葉を投げかけられたのも初めてだった。

 でもそれは、逆にいえばそれだけ茜の気持ちを傷つけてしまったということでもあるんじゃないかと思うと、余計に自分のした過ちがわからないだけにこたえる。


 日が完全に落ちきったころには桐香も泣き止んだが、三十分くらいはお互い無言のまま何もすることができなかった。

 が、当然そのままただ意気消沈しているわけにもいかない。

 先に口を開いたのは桐香だった。


「……お夕飯、作るね」

「……ああ」


 消沈しきったような消え入りそうな桐香の声に、俺はさらに気持ちが重くなる。

 桐香は大概、明るく元気だからな。どうしても、こういう様子は見ているだけでつらくなる。


 桐香が台所に立つのを見ながらリビングの椅子に腰かけ、ただ無言で桐香を見つめていた。

 声をかけるべきだろうか、とか。茜の話をするべきだろうか、とか。innocenceイノセンスの話をするべきだろうか、とか。

 いろんな考えが浮かんでは消えていく。もし、無神経なことを言ってしまったら、桐香を傷つけそうで怖かった。

 頭の中でぐるぐると考えているうちに、桐香がご飯をもってやってくる。


「お兄ちゃん、ごめんね。冷凍食品だけど良いかな?」


 桐香はぎこちなく笑ってくるが、目は複雑な感情をかくしきれてはいない。


「もちろん良いよ。たまには、こういうのもおいしいだろ?」


 とりあえず、何事もなかったかのようにするのが正解だろう。藪蛇だけはやらないようにしなければ。

 食卓に並ぶのは、冷凍食品の揚げ物とご飯にサラダ。

 こんな中でわざわざ用意してくれたのだからと口に物を運んでいくが、どうにも味を感じない。いや、味はするんだが……何を食べているのかよくわからない。


 桐香も無言で箸をつけてはいるが、やはりあまりはかどってはいないようだった。


 とても重苦しい時間だった。

 早く食べ終わって逃げ出してしまいたかった。

 当然、逃げ出すなんてできるわけないのだが。というか、桐香を残してこの場を立ち去ることを俺の心が許してくれなかった。

 食べ終わって食器を黙々と片づけた桐香は洗い物をはじめて、俺は座ったまま変わらずその姿を眺めていた。

 不甲斐なさすぎる。せめて食器を洗うくらい俺がすれば良かったと、新たな後悔をし始めた矢先、


「……っはぁ!」


 桐香は思い切り息を吐き出すようにして、声を張り上げた。

 いったいどうしたのかと桐香の顔を見たまま固まった俺に、


「ごめん! 大丈夫!」


 と、大丈夫なわけはないのに気丈にいつもの笑顔を向けてきた。


「桐香、無理はダメだ。こんな時くらい俺に頼ってくれたって……」

「いや、悲しむ妹を前にして、何も手伝わずただ座っているだけのくせしてよく言うよ」

「うぐっ」


 ごもっともです。


「私だって勿論、吹っ切れたわけじゃないよ? でも、今は茜さんとのことより、目の前にあることを考えなきゃ……」

innocenceイノセンスのこと、だよな?」

「そう。でも、現状だともう先手を打つのは厳しいよね」

「そうなのか? まだ、数時間たっただけだぞ?」

「そうだけどね。時間の問題よりも何よりも、茜さんがいない状況で戦うのは明らかに戦力不足になるし、勝率は著しく低下するから」


 てきぱきと洗い物を終えた桐香は、何かを考えるように顎に手を当てたままやってきて俺の向かいに座り、


「うん」


 と、納得したようにうなずいた。


「なあ、桐香。まずは茜ともう一度しっかり話し合って……」

「お兄ちゃん。茜さんのことが気持ち的にひっかかるのは私も同じだよ? でも、今は優先順位が逆。innocenceイノセンスをどうにかしないことには、お兄ちゃんだけじゃなく、茜さんも被害を被る可能性があるんだから」

「けど、戦力的に茜がいれば違うだろ? なら、早く仲直りしたほうが……」

「お兄ちゃん。派手にもめたぶん、そう簡単に元通りとはいかないよ。関係が深かった分、よけいにね」

「それはそうかもしれないけど……」

「茜さんとのことを、上辺だけ解決しても意味がない。非情なようだけど、精神的に不安定な茜さんを戦力に換算するのは難しいから」


 何やってんだ俺は。桐香だって一刻も早く仲直りしたいに決まってる。それでも冷静に考えてくれてるんだ。俺も、感情論だけで考えてちゃダメだろ。


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