第一話「現実の事件」(中編①)
「私、お母さんがいなくなるなんて思ってなかった。……失踪する前日も、別にいつも通りにお話してたんだよ? なのに、急に……なんだもん……」
「茜……」
上手い言葉が見つからない。
自分に不甲斐なさを感じていたのが顔に出ていたのか、茜は焦ったように顔を上げて両手をパタパタと振りながら、
「あ、えっと……小さいころはってことだから、心配しないで! 今は少しだけど、心の整理もついてるし!」
「……なら、いいけど」
まあ、そうだよな。実の親だから当然気になるし思うところはあるだろうが、これだけ一緒にいないのだから気持ちをある程度切り替えていかないと生活するのもきついだろうし。
実際俺も、普段からそこまで親父のことばっかり考えているわけじゃないしな。
「あ、えっと。一輝くんは?」
「え?」
「あ、えっと。何か情報はないのかなって。ほかのテスターメンバーのこととか……お父さんのこととか」
「……いや、手がかりすらないよ。彩音さん見つけて聞くのが一番可能性あるかもね」
「あ、うん。そっか」
推測にすぎないが、親父は俺がレベル200になる事を望んでいるのかもしれない。けど、レベルを上げるために人を殺すなんてできない。
ゲーム時代同様、
ゲーム時代は
「茜は……」
ふと出かかった疑問がそこまで言って詰まる。「……今、何レベルだ?」と続けるつもりだったのに喉につっかえて出てこない。
もし、レベル120以上だったら……。この質問は茜を傷つけてしまうかもしれない。
「あ、えっと。安心して一輝くん。120だよ」
「……そっか」
半ばそう返ってくるだろうとは思っていた。だが、もし120を超えていたとしても俺は茜を責める気などなかった。
倫理的な理由を並べてレベルを上げないことを、親父たちから逃げているような、そんなふうに思う部分もあるからだ。
「あ、えっと。一輝くんも120レベルだよね?」
「そうなんだけど……いや、俺たちがレベルをあげれば、もしかしたらこのゲームは終わるのかもしれない……って、考えたことないか?」
「あ、うん。……それは、ね。……でも、殺せないよ」
「……そう、だよな」
開発メンバーの子供であった俺達は、このゲームのテスターだった。それも、クローズドβなんて比にならないほどテストプレイをした。だから、俺達の熟練度は桁違いで、たとえレベル200が相手であっても勝機があるだろう。
だが、俺たちがレベルを上げることで何かしらの活路が見いだせる確証もないまま行動を起こすのはリスクが高すぎる。
そう思うのは、逃げなのだろうか。
見たくない現実から目をそらして、問題を先送りにしているだけなのだろうか。
俺たちが数人殺さなかったとしても、このゲームが続く限り何人もの犠牲者が出続けるはずだ。
戦わないという判断は所詮自己満足に過ぎないのかもしれない。それならいっそ……
「あ、一輝くん。私、こっちだから」
茜に声をかけられ我に返る。
T字路に差し掛かった所で、茜は我が家と逆方向に指を指していた。
何を考えているんだ俺は。そんな簡単に超えて良い一線ではないはずだろうに。
「一輝くん? 大丈夫?」
「大丈夫だよ。何でもない」
「あ、うん。ならいいけど」
「じゃあまた明日、何かあったら連絡して」
「あ、うん。……あ、えと、その」
「なに?」
「あ、えっと。私、一輝くんの連絡先知らないんだけど」
「そう言えばそうだった」
メアドすら交換していなかった。本来なら最初にするべきだったな。
「それじゃあ、交換しようか」
「あ、うん」
俺はほとんど使うことのないスマホをポケットから取り出すと、
「あ、一輝くん何かSNSやってる?」
「……SNS?」
いや、SNSの意味くらい分かる。だが、それはパソコンでやるものではないのか。
「あ、えっと。やって、ない?」
なんだかちょっとバカにされた気分だ。
「普段ほとんどスマホ使わないからな……」
「あ、じゃあ……えっと、メアドで良い?」
「うん」
今はSNSが連絡手段として主流なのか。
などと考えている間に茜はスマホを取り出した。簡単に連絡先を交換すると、
「あ、えっと。またね、一輝くん」
「おう、また」
と、改めて挨拶を交わし、そのままお互いに帰宅の途についた。
ちなみに余談だが、妹以外の連絡先がスマホに登録されたのは初めてだったりした。
***
寂れた田舎とはいえ夜になると飲み屋街は少しばかり喧騒を取り戻す。代行タクシーで車道は賑わい、仕事で疲れた大人たちを誘い込んでいた。
そんな表通りの明るさとは裏腹に、裏通りは暗さが深みを増す。
「くくくっ……良いねぇ」
室外機の動く音と熱気に包まれた路地裏には、鉄のような臭いが充満していた。
発砲音が夜の街に響き、コンクリートと鉄がこすれあう音がこだまする。
「やめ、たのむよ! なあ!」
足が震え、立つことのできないサラリーマンらしき細身の中年男性は、それでも必死に逃げようと後ろへ這うようにもがき続ける。失禁し涙で顔を汚すという醜態を晒しても、生きることへの執着は当然捨てられるわけがない。
べちょっとした生暖かい液体に手が触れ、
「ひぃっ!」
と情けない声をあげたサラリーマンの両脇には、仲の良い同僚二人が肉塊と化して飛散していた。鋭利なものでバラバラにされた体には多くの銃創が残っている。
先ほどまで談笑し楽しい時間を共に過ごしていた仲間の死は突然無慈悲に訪れた。
絶望感に打ちひしがれ、顔を上げたサラリーマンの瞳に飛び込んできたのは一人の屈強な男性の姿だった。
日本人離れした大柄な体躯のその男は、パンク系作品から出てきたのかと思うような風貌だ。さっぱりと切り揃えられた黒髪とトレンチコートに身を包んだ姿はさらに威圧感を増大させていた。
自身の体躯程はありそうな大剣を肩に乗せサラリーマンににじり寄ると、
「いい顔だ」
満面の笑みを浮かべた後、剣をサラリーマンの額に向ける。その剣先には銃口があり、柄にはトリガーがついていた。いわゆるガンブレードというやつだ。
「ま、待ってくれ! できうる限り言うことを聞く、何でも聞くからぁ!」
「何でも? 今、何でもって言ったか?」
良いことを聞いたと言わんばかりに、大男は口角を上げて見せた。それを目にしたサラリーマンは一縷の望みを抱き、わらをもすがる思いで提案を口にする。
「か、金か? 金がほしいのか?」
「くくくっ……面白いなお前は」
「そ、そうか!? ほかに、そうだ、他に何かあるなら何でも言ってくれ、できる範囲のことは……」
助かるかもしれない。大男の笑いにそんな思いが脳裏をよぎったサラリーマンだったが、直後の大男の一言に希望は砕かれた。
「馬鹿かお前は?」
「……え?」
大男の顔から笑みは消え、
「殺しが金で買えるのか? この興奮が金で買えるのか? 違う!」
手に持っていた剣を振り上げていた。
「ちょっちょっと、ちょっと待ってくれ! なあ!?」
「最高の贈り物だよ。おっさんの、その絶望に染まった表情は」
「い、いやだっ! やめっ! た、たすけてくれぇぇっ!」
路地裏に響く叫び声を合図とするように、剣は振り下ろされた。
常識では考えられない程の切れ味をもったその剣は、サラリーマンを真っ二つに切り裂く。
「キヤャャァァ!」
背後からの悲鳴に大男は振り返る。サラリーマンの叫び声を聞いて駆け付けたのか、そこにはOL風の女性の姿があった。
「くくくっ……獲物が自分からやって来るとは気前がいいな」
不適な笑みを浮かべた大男は品定めするかのように女性を眺め始めた。
「君は、どんな素晴らしい声で鳴くんだい?」
「い、いやっ!」
一歩、また一歩と大男は歩みを進める。無邪気に遊ぶ子供のような笑顔を携えて……。
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