妻には全てお見通し

ポンポン帝国

妻には全てお見通し

 所々錆びた扉。幸いにも開けるのには不自由ないので俺はそれを気にせず、鍵を開けて中へと入っていく。


「ただいま」


 開けた瞬間に待っていたのは食欲をそそる美味しそうな香り。今日はカレーかな?


「アナタ、おかえりなさい」


 パタパタっと音をたてながらこちらにやってきたのは俺の妻だ。結婚してそろそろ二年になる。


 アパートではあるけど暖かい我が家。優しく美人な嫁。いつも出てくる美味しい食事。まだ子宝には恵まれてないが、俺達は若いので慌てるほどじゃない。はっきり言って、今の俺は誰もが羨むような、そんな生活をしている自覚がある。うん、幸せだ。


「いい匂いだな。今日はカレーか」


「えぇ、今日は疲れてるでしょ? そんな時は大好きなカレーを食べてもらって元気になって欲しくて」


「その気持ちが嬉しいよ。ありがとう。いっぱい食べて元気を出さないとな!」


「ふふ、アナタったら」


 羨ましいか? やらないぞ。


 こうして日常と呼べる日々を過ごしていくのだった。





 そんなある日、妻は出勤前の俺にこう言ってきた。


「今日はいつもの電車を一本遅らせた方がいいわ。大丈夫。遅れても問題ない筈だから」


 いつもニコニコしていた妻が少し険しい表情でお願いしてきた。


「おいおい、それじゃ遅刻だぞ。遅れても問題ないって一体どういう事なんだ?」


「私からはお願いする事しか出来ないの……」


 どんなに質問しても困った表情をするばかりでハッキリと答えが返ってこない。ただ、妻がこうやってお願いしてくる事は珍しい。


 俺は結局、妻の為に一本電車を遅らせる事にした。まぁ、幸いにも今まで真面目に会社の為に勤めてきたし、社内での評価もそれなりに高い。しっかりと言い訳を用意しておけば一回だけならそう怒られる事もないだろう。


「仕方ないな、わかったよ。だからその困った顔はもうやめてくれ」


 そう答えると漸く妻の表情が明るくなった。これだけでも電車を一本遅らせるだけの価値があるだろう。


「ありがとう、アナタ」


「あぁ、それじゃあ時間に余裕が出来たし、一杯コーヒーでもいただこうかな」


「今、用意するわね」


「あぁ、頼むよ」


 たまにはこんな余裕があってもいいかもしれないな……。








『ただいま、トラブルが発生している為、電車の運行が出来ませ――――』


 これはどういう事だ……。確かに遅れても問題ないが、なぜ妻にはそれがわかったんだ? とにかくこれは仕事どころじゃない。会社に連絡だけ入れて、家に戻ろう。


「なぁ、何でいつもの時間の電車で脱線事故があるってわかったんだ?」


 初めからこう質問が来るのがわかってたであろう、ちょっと困った表情をしていたが、先程より少し余裕のあるのがわかる、そんな表情で答えを返してきた。


「ふふ、何ででしょうね? 言葉で説明するのは難しいわ。けどそうね、あえて一言言うなら女の勘かな?」


 もっと深く問い詰めたい気持ちもあるが、何か違うと俺は感じた。俺の為にやってくれた事でそれを、問い詰めるのはお門違いだと。それにしても女の勘か、女性は凄いな。いや、俺の妻が凄いのか? まぁいいや。事故に巻き込まれた人には悪いが、今は何もなかった事を共に喜ぼう。


















 知らない天井が見える……。ここはどこだろうか? 身体中が痛くて動かせない。ん? そこにいるのは妻か? いや、俺の知ってる妻はそんな表情を見せた事がないぞ。その表情はまるで能面だ。


「……あら、目が覚めたのね、アナタ? アナタは今日、会社に行く途中、車に引かれたのよ。今まで何度もこういった事故を回避してきたのだけど、今回それが無かったか理由はわかるかしら?」


 ……俺は愛する妻がいるのに浮気をしてしまった。けど、バレないように俺は完璧にやってきた筈だ。何でバレたんだ?


「ふふ、何でバレないと思ったの? 女の勘は鋭いのよ?」


 何で俺は忘れていたんだ? いや、違う。慣れてしまってたんだ。当たり前のように準備されている食事、知らされてなかったんだろうが、他にも何度か俺の為に色々してくれてたんだろう。


「けど、もう安心してね。邪魔者もいなくなったし、これからは私がアナタを完璧に管理してあげるわ。ふふ、いつものアナタもかっこよかったけど、何も出来ないアナタも悪くないわね。……可愛い♡」


 もう俺の事なんて見ているようで見ていない。おそらく、俺はもう動く事は出来ないのだろうし、動かさせてくれないだろう。


 幸せな家庭だった筈だったのに、全て俺が壊してしまった。俺の事を見つめてくる妻の瞳は、気が付いたら闇のように黒く淀んでいるのだった。

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