第6話 審問官は異端の騎士を断罪する

「オラニエ上級審問官、今すぐ簡潔に説明したまえ!」


 と、居丈高に口火を切ったのは、青筋が浮かび上がっていそうなまでに苛立ったルドガー捜査官だ。黒縁眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、レンズの奥から鋭い眼光を放っている。

 ジルドに、ルドガーの気を鎮めるよう可愛くお願いしたのに、少しも鎮まっていない。どうやらジルドは手を抜いたらしい。


「落ち着けよ、ルドガー捜査官。高圧的な態度はよくないぞ」


 中央塔から東棟へ伸びる回廊に集まったのは、ルドガー捜査官のほかにイーヴォ第一部隊隊長、彼らを呼びだしたジルド審問局長。テオドアとデヂモ、痺れたままのロウ。

 それから、テオドアたちを襲った5人の襲撃者たち。彼らは水晶クリスタルに封じられて身動きが取れずにいるけれど。もう少し正確にいうと、ただひとりを除いて意識も封じられている。


「我々を呼びつけてなんの話だ」

「なんの話って、この面子メンツでわからないわけないでしょ」


 苛立つルドガーをなだめることなく、逆に挑発するようにテオドアが言った。テオドアは、ルドガーを茶化すようなこともせず、結論から告げることにした。


「端的に言うけど。ルドガー捜査官が念のため、と捕らえていたロウ第三部隊副隊長は、デラクレス第三部隊隊長を殺害した犯人じゃあ、ない」


 はっきりと言い切ったテオドアに向けられた視線は、両極端だった。疑わしげで面倒臭そうな視線、それから、よく言ってくれたと歓喜する視線。

 どちらの気持ちもわかる、と心の中で同意しながら、テオドアは言葉を続けた。主に、険しい顔をしたルドガーに向かって。


「ルドガー捜査官、捜査官のやり方が間違いじゃないのはわかってますよ。ロウ副隊長にはわかりやすい動機らしきものがあって、疑わしき第一発見者。なおかつ、剣の天才と謳われた隊長に唯一手が届く実力者。そしておれの魔術で視た犯人と同じ顔をした男」

「それならば、なぜ? なぜ、否定するのだ、オラニエ上級審問官」

「正直、おれがただの魔術士で、ただの審問官なら、捜査官の方法を肯定してる。でもね、ルドガー捜査官、あんたは少し急ぎすぎた。だから、そうはならないんですよ」


 テオドアはそう言うと、ゆっくりと眼をつむり、そして開いた。開くと同時に簡単な魔術式を展開する。それは、テオドアが視ている世界を数分だけ共有できる術。

 ハッと息を呑む音があちこちから聞こえる。今、テオドアの淡褐色ヘーゼル眼には、鮮やかな黄緑色の灯が光っているだろう。


「おれには、視えるものがあるから」


 眼の奥で光るその灯は、魔術の光だ。魔術や魔力を使ったときに灯る光。魔術の痕跡、魔術痕色。魔術痕色を見せることで、暗に魔術を使って得た結果だ、と滲ませた。


「皆さんには一時的に、おれがどんな風に世界を視ているのか共有しました」


 けれど、ジルド以外はみな騎士という中で、どれだけの騎士がテオドアの言葉を理解できただろうか。

 少なくとも、ルドガーは理解したらしい。感心したように頷いて、何度も目を閉じたり開いたり、片目を瞑ってみたりしている。

 こういう、変に柔軟で素直なところがこの男の評価すべき点だ。そして、捜査所感が食い違ったとしてもテオドアがルドガーと反目するところまでいかない理由でもある。

 だからテオドアは、ルドガーのためにこう言った。


「ルドガー捜査官。いなくなった容疑者の代わりに、真の犯人を差しだしましょう。もちろん、証拠を添えて」


 そうして指差したのは、すでに背景と同化しつつあった水晶クリスタル壁だ。5人の襲撃者が封じられている、ソレ。

 封じられた者の解析がすべて終わった水晶クリスタルの表面には、彼らの所属と名前、騎士階梯や剣技のレベルまで、様々な個人情報が表示されていた。

 彼らの所属は、すべて第三部隊。水晶クリスタルの解析結果によれば、レメク率いる第三部隊、となっている。

 そう、レメクだ。Lからはじまる音の名前。ロウが、友人ということになるのだろう、とはにかんだ男の名前だ。

 そして、レメクは魔術を使う。この男が魔術を展開するとき、瞳の奥に赤紫色が仄暗く灯る。テオドアがデラクレスの記憶を参照したときに視た、ロウの眼の奥で光った色と、同じ色。


「デラクレス隊長を殺害したのは、この水晶クリスタルに封じられている第三部隊のレメクだ」

「オラニエ上級審問官、その男が真の犯人だとして、証拠はどうした?」

「ありますよ。でも、物的証拠……ではないんで納得してもらえるかなぁ。でも決定的なヤツだから、安心して待っててくださいよ。大丈夫、ルドガー捜査官がロウを犯人だと断定した根拠となったアレですよ」


 そう言ってテオドアは、ルドガーに向けてニコリと笑った。魔術を少なからず展開しているために、精神的余裕リソースを節約しているせいで仕事用の無個性な笑顔だったからか、ルドガーに嫌な顔をされてしまったけれど。

 そんなルドガーに肩をすくめながら、テオドアは話を続ける。


「いやね、デヂモ卿が、実にいい仕事をしてくれたんですよ。彼が審問局に証言をする、とどこかで聞いたんだと思うけど。焦って正体をあらわした。今回はラッキーだったなぁ、策略とか謀略だとか、そういうややこしい案件じゃなくて」

「……オラニエ上級審問官、話が見えてこないのだが。第三部隊のレメクが犯人だとして、その名前は我々の『疑わしき者のリスト』に入ってはいない」

「それは警察局のリストに、っすよね。あーヤダヤダ。これだから騎士団直轄の組織は……。オレ、警察局に証言しに行きましたよね。話も聞かれずに追い返されましたけど」



 ルドガーにひねた口調で反論したのはデヂモだった。くちびるを子供のように尖らせて、反抗の意をわかりやすく示している。

 それが面白くて、つい、うっかり。


「あらら、そんなことしたのルドガー? ロウ副隊長が黙秘を決めこんだところに、うちのボスから圧力かけられてムシャクシャしてたからって、貴重な協力者にあたるのはよくないんじゃない?」

「く……っ!」


 ルドガーに気やすい口調で突っ込みを入れると、ルドガーは、もう、なにも言えなくなって、短くうめいたあとで黙ってしまった。悔しそうにテオドアを睨み、けれど気まずそうにデヂモを見ている。

 テオドアはそんなルドガーを気にせず続けた。観客あるいは証人、もしくは関係者は、ルドガーだけではないからだ。


「まず、重要なのは、どうして? ではないです。そんなのは、後でレメクに聞けばいい。あるいは、視るか。とにかく、それで解決です」


 テオドアはそう言って、水晶クリスタルに封じられているレメクを見た。レメクの意識は唯一、落とさずかしているから。意識はある、けれど、動きと口は封じたまま。

 なにも反論できずに、己が犯人である、とその証明をされている、というのはどのような気持ちだろう。

 そんなことを、ふと思う。思って、じわりと心中に黒いモヤが広がってゆくような感覚に襲われた。腹の底がシクシクと痛むような、心臓の裏側がぎゅうっと縮こまるような。今のレメクの気持ちを、テオドアは痛いほどよくわかる。

 けれどテオドアは、頭をフルフルと振ることでソレを振り払い、証明し続けてゆく。


「では、どうやって? が重要かというと、半分はそうで、もう半分はそうでもないんだ。だって最終的にデラクレス隊長の命を奪ったのは、剣に塗られていた毒なんだから。死因それはもう、わかっている」

「つまり……レメクがどうやってデラクレス第三部隊隊長を演習場に呼びだしたのか、呼びだせたのか、ということか」


 そう端的にまとめたのは、いつの間にか精神的な復活を果たしていたルドガーだった。

 なんて、タフな男だろうか。と感心しながら、テオドアは小さく頷く。


「それから、どうして我々はロウ副隊長が犯人だと疑ってしまったのか、ということも、ね」

「それは、ロウ副隊長が第一発見者だったから、だろうが」

「でも、それだけだと弱いだろ。ルドガー捜査官がロウ副隊長を犯人だと誤認してしまったのは、おれの証言があったから。だからルドガー捜査官は証言をしにきたデヂモ卿の話を、聞く価値なし、とした」


 テオドアはひとつ、深呼吸を挟んだ。深く吐いて、それから吸う。そして自嘲気味に笑って、気絶したまま目を覚まさないロウの姿を見た。


「はは。おおむね大体、おれのせいなんですけど」


 だからこの証明は、すべて、ロウのために。自分の証言で犯人扱いされてしまった無罪のひとのためにある。


「まあ、この事件における犯人の前提条件は、犯人が真っ当な騎士である、ということだけだったから。殺されたのは剣の天才で、そんなデラクレス隊長に手が届くのは、真っ当な方法で鍛錬された、真っ当な騎士でしかありえない、と思いこんだのが間違いだった。隊長の記憶にかかったノイズを軽視すべきじゃなかった」


 テオドアはレメクをジッと見つめながら、話し続ける。もう少し正確にいうと、レメクを封じている水晶クリスタルに表示された、ある情報を、だ。

 水晶クリスタルには、レメクが中級から上級相当の魔術を使えることが記載されていた。


「だから、魔術が使える騎士がいて、その騎士が団に申告していない。なおかつ、不審な行動をとっていたなら……それはもう、一番疑わしいってことでしょ」


 エレミヤ聖典騎士団に所属する騎士は、程度の差に関わらず、魔術を使用する者は申告と申請が必要だ。

 魔術を使えることがわかった時点で、部隊配属を解除される。そうしてルドガーのように警察局だとか、あるいはエジェオのような救護員だとか、とにもかくにも非戦闘員として配置転換されてしまうのだけれど。


「レメクが魔術を扱う騎士だ、ということか。オラニエ上級審問官?」

「そう。未申告の魔術騎士」


 テオドアはこくりと頷いた。


「犯人は、おれの引っかけに見事な回答をしましたよ。普段、魔術を使わず魔力の存在すら身体能力を底上げする便利な力、としか認識していない騎士が、記憶を読み取る魔術を使って倒れた理由を、魔力負荷がかかっていたから、なんて表現はしない。あれは魔術を使う者じゃなければ言えない反応だ」


 ここは、騎士団だ。好き好んで魔術を放棄し、物理力を高めることを望んで入団する者が多数派な異端の集まり。

 そんな騎士団で魔術を使えるということは、ただそれだけで異端だ。世間的には騎士団が異端でも、騎士団の中では魔術士や魔術を使える者が異端。

 だから隠したのか。あるいは、ルドガーのように馬鹿正直に申告して、別後方部隊へ転属させられるのを嫌ったか。


「さて。疑わしきレメクが、どうやってデラクレス隊長に近づいて、どうやって演習場に誘ったのか、ですが。簡単だ。レメクは魔術を使った。レメクは魔術を使えるのだから」


 テオドアは当たり前のことを当たり前のように、さらりと言った。

 戸惑っているのは騎士だけだ。魔術に馴染みのない騎士たちだけ。

 ここから先は、ただの状況整理と情報出力アウトプットだ。デラクレスの記憶を視たテオドアにしかわからない連続した話エピソードを繋げて共有するための儀式。

 それをスムーズに行う必要がある。だから、騎士たちの戸惑いによるざわめきを裂くように、テオドアはイーヴォに言葉を投げた。


「イーヴォ第一部隊隊長。デラクレス隊長が殺される前、隊長と話していますね?」

「ああ……演習場が空いているか聞かれた。だから私は、屋内演習場なら空いている、と答えたが」

「目的は聞いていませんか?」

「聞いている。第三部隊副隊長ロウと手合わせをする、と。珍しく誘われた、いつもは不意打ちで来るのに、と嬉しそうに言っていた」

「そのとき、デラクレス隊長に異変は感じませんでしたか?」


 イーヴォは思い当たる節がなかったのか、すぐに首を振った。


「……特には。ただ、しきりに目を擦っていたのは記憶している」

「ありがとうございます。……デラクレス隊長は、視覚に関係する魔術をかけられたんでしょう」


 テオドアがデラクレスの記憶を視たときの感じを、レメクが魔術を使ったという前提条件でもう一度思い返す。


「ああ、そうか。デラクレスは魔力回路を完全に塞ぎ、更なる高みを目指すための儀式を受ける準備を進めていた。一時的に魔術抵抗値が下がっていてもおかしくない」

「貴重な情報、ありがとうございます、イーヴォ隊長」


 デラクレスは、目から入った情報に対してなんらかの改竄を受けていたように思えた。

 もしかしたら、視覚情報だけじゃないかもしれない。レメクの声をロウの声だと認識するようにされていたはずだ。そうでなければ、あのロウの特徴的な低音を、他の誰かの声と間違えるはずがない。

 つまり、こうだ。


「そうして、レメクの姿をロウ副隊長であるように錯覚させられたデラクレス隊長は、レメクの誘いに応じて演習場へ」


 これだけでは、まだ弱い。だからこそのデヂモだ。彼の証言がテオドアの推論を事実として後押しする。

 イーヴォに話しかけたときとは違い、幾分か柔らかい声音でテオドアはデヂモに確認を取った。


「でも演習場へ行く前に、デラクレス隊長は第三部隊の隊員と立ち話をしています。そうですね、デヂモ卿」

「そうっす。オレ、見ました。隊長とレメクが演習場に入っていくとこ。それに、その前は隊長とレメクが個人演習の約束してたし。珍しいこともあるなって思って」


 デヂモはそこで一度区切ると、それに、とつけ足した。


「隊長は自分を盲信する人間を、意図的に遠ざけていますから。だから、隊長を盲信しているレメクと話してたのが珍しくて。それを隊長にも言ったんすけど、なんかスルーされたんすよね。オレ、ロウ副隊長派なのに……」

「と、まあ、魔術をかけられていないデヂモ卿の眼には、彼らのやり取りが正しく映っていた、ということですね。だからデヂモ卿も襲われた。審問局を訪ねていなければ、殺されていたでしょう」

「うえぇ……マジかー」


 デヂモが思い切り顔を歪めて舌を出す。


「でも審問局にボスがいたから助かりましたね、よかった」

「ああー、確かに! ほんと、髪を犠牲にしてまで助けていただいて感謝してます、ジルド局長!」

「ははは、デヂモ君が気にすることはない」

「さて。デヂモ卿がデラクレス隊長にスルーされてしまったのは、視覚だけじゃなくて聴覚にも作用する魔術だったから。とすれば説明がつきます」


 と説明をしている途中で、テオドアは嘆息しそうになった。

 だって、なんて発想とその実現力だろうか。声色だけでなく、ある特定の言葉や名称を誤魔化せる、だなんて。

 レメクが罪を犯していなかったのなら、是非ともその魔術式について教示してもらいたかった、なんてテオドアが思っていると、イーヴォがボソリと呟くように疑問を口にした。


「……魔術というのは、そんなにも都合のよいものなのか?」

「ええ、そうです。そうですよ。使用者の都合がよくなるように開発するんですから、都合がよくなるのは当たり前です」


 それが、魔術だから。世界のことわりを改変するような術式は成り立たないけれど、それ以外ならば、割となんでもアリなのが魔術だ。

 そして、そんな都合のよい魔術を使うための機会チャンスは、万人に開かれている。創世の魔女によって、生命あるものはみな、魔力を授かって産まれてくるのだから。


「だから、そんな都合がよくて使い勝手のいい魔術を、魔力を、あえて捨てようとする騎士のみなさんの気持ちは、正直よくわかんないです」


 と。うっかり、テオドアの本音がボロリとこぼれた。苦い顔をしているのは上司であるジルドだけ。それ以外の騎士たちは、みな、ポカンとしている。

 これが解決したあとで審問局に戻ったら、ジルドの小言をくらうことになるかもしれない。と、背筋をゾッとさせながら、テオドアは仕切り直しをするために、わざとらしく咳払いをした。


「——話がそれました。イーヴォ第一部隊隊長、もうひとつ確認が。デラクレス隊長と別れたあと、ロウ副隊長と話しましたね」

「ああ。屋内演習場でデラクレスがロウを待っているぞ、と」

「イーヴォ隊長は結構、律儀なんですかね」

「いや。演習棟のほうから歩いてきたレメクに……デラクレスが、ロウを待って、いる、と……」


 証言していて気がついたのか。尻すぼみに言葉を失い、更には顔から血の気の色も失ってゆくイーヴォの様子に、ルドガーやデヂモも気づいたようだった。

 レメクがロウを明確に嵌めようと画策していた、ということに。


「これでもう、わかったと思いますけど。真犯人はレメクで、ロウ副隊長は嵌められただけだった」


 テオドアがロウの無実を宣言すると、誰かがゴクリと喉を鳴らす音が聞こえた。次に聞こえたのは、深く息を吐き出す音。ひりつく緊張感が支配していた空気が、徐々にゆるゆると解けてゆく。

 ルドガーは眉間に皺を刻んだまま目を閉じて、なにか考えている。イーヴォの表情にあまり変化は感じられなかったけれど、顔色は悪いままだ。もしかしたら、感じなくてもいい罪悪感を感じているのかもしれない。


「ロウ副隊長〜! よかったなぁ! ……って、まだ起きてねーのかよ。起きろ、起きろよロウ副隊長殿〜」


 デヂモはホッとしたようでニヤけた顔でロウの元へ駆けて行った。そのロウはまだ目を覚さない。ちょっと起きなさすぎでは、と心配になってくる。あとで救護員のエジェオを呼ぼう、とテオドアは決意した。

 ジルドは周りの様子などどうでもよさそうな顔で、レメクたちを封じている水晶クリスタル壁を眺めていた。あれは襲撃者なかみたちではなく、水晶壁そとみを分析している顔つきだ。

 そして、封じられたまま意識だけ活かされて、一方的にテオドアの演説を聞かされていたレメクは、というと。

 怒りと屈辱で顔を赤黒くさせていた。せっかく整った顔立ちをしているというのに、台無しだ。赤い眼を吊り上げ、叫びたいのに喉は振るわない。その心情は、幾許のものか。

 決してレメクに同情したわけではない。ないのだけれど、物言えずこのまま、というのは、テオドアの信念に反する。たとえそれが、罪を犯したものであっても。

 だからテオドアは、レメクに向かって微笑んだ。あくまでも仕事用の無機質な笑顔で、だけれど。


「まあ、このまま弁解の機会も与えられず捕まるというのは、きっと彼も無念だろうから、言い分くらいは聞いておこうか」


 テオドアがパチンと指を鳴らすと、レメクを拘束し封じていた魔術の一部の式が、スルリと解けた。つまり、口と喉が解放されて喋れるようになったということ。

 声を出せることに気づいたレメクは、ギャンギャンと犬のように吠え立てた。


「解放しろ! 私を捕らえるということは、それ自体が騎士団にとって不利益となるぞ! いいからさっさと解放しろ!」

「あらら、正直なのか、尊厳プライドが高いのか。あんた、やってない、とは言わないんですね」

「……っ!」


 まあいいや、と呟いたテオドアは、図星を突かれたかのように奥歯を噛み締めて黙ったレメクに近づいてゆく。

 サク、サクと芝を踏み締めながら歩くテオドアは、すでに魔術式を編みはじめていた。今、こうして会話をしている精神的余裕リソース以外は、すべて式の構築へ回してしまう。


「おれの医療魔術士ドクターには止められてるんですけど、やっぱり視たほうが早いんで」

「おい、テオ。やめとけ、死ぬぞ」

「大丈夫ですよ、ボス。デラクレス隊長を視るのに使ったほうじゃなくて、簡易版のほうを使います。問題ありません、医療魔術士ドクターに許可と魔術式をもらいましたから」


 テオドアは得意げに胸を張り、ポケットに突っ込んでいたせいでくしゃくしゃになっていた手紙を取り出して宣言した。そんな自信満々のテオドアを、レメクは信じられないものを見たような目で見ながら問い詰めた。


「はぁ? そんな術式を開発したなど聞いてないぞ!」

「言ってませんし、まだ開発途中なんですよね」

「それなら尚更だ!」


 やめろ、とわめくジルドの言葉は無視をした。ついでにジルドの脚を大地に縫い止める簡単な魔術もかけておく。

 テオドアが使う記憶参照の魔術には、確かに使用制限がある。医療魔術士ドクターからは、記憶参照魔術の連続使用は控えろ、としか言われていない。第一、医療魔術士ドクターの許可は取ったのだ。と、屁理屈をこねて式を編む。

 今、展開しようとしている魔術式は、厳密に言うと記憶参照ではないから。視覚と聴覚だけを抜きだして視るだけの、簡易版。

 魔塔でのテオドアの二つ名は『天井知らず』。魔力総量を計測する道具を二度ほど壊した過去がある。

 テオドアの魔力量ならば、理論上はたとえ記憶参照魔術であっても連続使用にも耐え得る、という試算をだしたのは使用制限をかけた医療魔術士ドクターだ。

 そもそも、連続使用不可の制限がかかっているのは、消費魔力量に伴うものではなく、もっと物理的な身体負荷が理由である。テオドアの身体が、器が、魔力と魔術に耐えられないから。

 いくら簡易版であっても、肉体への負荷が高い魔術であることに変わりはない。

 けれど、とテオドアは思う。

 けれど魔術士には、やらねばならぬ時がある。たとえそれが、死の淵を歩くようなことであっても。


「おい、やめろ。暴くな! 私と隊長だけの時間を汚されてたまるか!」


 身動きの取れないレメクが激しく抵抗を見せる。口だけでしかできない抵抗は、果たして真の意味での抵抗だろうか。

 どのみち、弁解の機会を与えられたというのに有効利用しなかったレメクには、もう、この方法しかない。


「大丈夫、頭の中を覗くなんて高度で悪趣味な魔術ではないんで。ちょっと記録ログを覗いて眼を奪うだけだ」


 その言葉と同時に魔術式は完成した。なんの合図もなしに静かに展開されてゆく。

 すると、だ。

 レメクを拘束している水晶クリスタル壁がざわりと一度身震いするように震え、静まったところで音声つきのある記録ログが投映されはじめた。

 それはつまり、レメクがどうしてデラクレスを殺したか、という回答こたえだった。



   ×   ×   ×



 その記録ログは、唐突にはじまった。

 石造りの壁と天井。オレンジ色を灯す洋燈。ぶつかり合い弾かれ、また打ち当たる剣戟の音。荒い息づかいはひとつだけ。もうひとつは楽しそうに笑っている。

 演習場に備えつけられたなんの銘もつけられていない剣で、彼らは手合わせをしていた。レメクとデラクレスだ。


「ははは、今日の趣向はなかなかにいいぞ! 面白いな、どんな手を使った?」

「それを答えると?」

「違いない!」


 笑ったのはデラクレス。愉快そうに頬を緩ませて生き生きと剣を振るう。けれど、二度、三度、と剣を打ち合わせる度に、デラクレスの動きが鈍ってゆく。

 ロウの振りをしたレメクは、淡々と剣を打ちつけ、流され、また打ち当ててデラクレスを追い詰めてゆく。


「ああ、楽しい! 楽しいな! だが、この楽しい時間も残りわずかだ。俺はそろそろ隊長を辞める。後継はロウを指名しよう。後継はロウだ、お前ではない」


 突如、デラクレスが豹変した。

 それまで楽しそうに、満足したように、上機嫌で剣を太刀を浴びせていたというのに、急に冷えた声と眼差しでレメクを見やる。

 銀色の双貌には、赤紫色に光る小さな魔術式が浮かんでいる。だからデラクレスの眼は、視界は、耳や認知は、まだ誤認の魔術がかかっているというのに、だ。


「……っ、まさか、気づいて?」

「いくらお前がアレの太刀筋を真似たとしても、まるで似つかない。これで気づかぬほうがおかしい」

「そんなにあの男がいいのですか⁉︎」

「アレは俺が磨いた。至高の狼になり得る狐狼の騎士だ。第三部隊の隊長は、そういう男が相応しい」


 デラクレスはそう言うと、たたらを踏んで数歩退がった。そして、もう終いだと言わんばかりに剣を鞘に収めてレメクに背を向ける。

 その背に追い縋ったのはレメクだ。握っていた剣をガランと投げだし、デラクレスの背中に向かって大きく叫んだ。


「それは違う! 私こそ相応しい! 貴方に心底焦がれている、私のほうが!」

「お前では無理だよ。そうやってすぐに本心を叫んでしまうような、お前には。せいぜい小細工をして俺の動きを鈍らせることしかできやしない」


 言って、デラクレスは痺れて震える自分の指先を一瞥いちべつし、けれど気にもとめずに言葉を続けた。


「まあ、まやかしの術を用いてここまで苛烈な戦闘は、初めての体験だった。そこは評価してもいい。だが、二度はない」


 少しだけ。ほんの少しだけ上擦った声ののち、それとは真逆の硬い声。デラクレスはレメクに背を向けたまま、拒絶の意思をはっきりと示した。

 だからレメクは静かに息を吐いた。吐いて吐いて、肺を空っぽにしてから息を吸う。

 そうしてデラクレスへ殺気を放ちながら、投げだした剣を音も立てずに拾う。それから慎重に指先を動かして、懐に忍ばせていた毒の小瓶アンプルを取りだした。

 デラクレスの演説はまだ続いている。けれどレメクは、もう、デラクレスの言葉など聞いてはいない。


「だが、ロウは違う。あいつは本物だ。あいつだけは、俺の本気を受け止められる!」


 感情と気分が乗って声を張り上げていることに、デラクレスは気づいていない。その声が、レメクの接近音を掻き消してしまっていることにも。

 レメクは毒の小瓶アンプルをパキリと折って、手にした剣に満遍なく振りかける。その音にも、デラクレスは気づいていない。

 そして。

 デラクレスに忍び寄ったレメクは、彼を背後から抱き締め、脇腹へ一撃。深く切り裂いて別れを告げる。


「さようなら、デラクレス隊長。あなたの間違いは私を選ばなかったことだ」


 ——と。

 記録ログはそこでブツリと切れた。



   ×   ×   ×



「……隊長が悪いんだ。あのひとが、悪い。隊長をやめるだなんて、そんなこと、あってはならない。ましてや、ロウに隊長の座を譲るだなんて、もってのほかだ」


 静まり返った回廊に、レメクの身勝手な言い分が響く。テオドアはそれをただ黙って聞いていた。テオドアとジルド以外の人間は、怒りと虚しさで声を失っている。


「デラクレスは隊長の座から退いて、更なる高みを極めるつもりだった。お前の身勝手な思いで生命を奪われるなど……っ、クソ」


 イーヴォの悲痛な嘆きは、レメクには刺さらなかった。レメクはもう誰の声も聞こえていないのかもしれない。


「剣の腕が少しいいくらいで取り立てられただけのあんな男に。あんな男に隊長の後継をくれてなどやらない。やりたくない。なんでだ、私のほうが、より強く、隊長を信奉しているというのに!」

「だからロウを犯人に仕立てようと?」

「そうだ。……それに、魔塔から魔術士が審問官として出向してくると聞いたとき、試してみたくなった。私の魔術がどれほど通用するか、しないのか。このまま、隊長を盲信していていいのか、やめるべきなのか」

「それはもう、騎士の生き方、騎士の思考ではない」


 地の底を這うような痺れる響きを持つ声が、騎士としてのレメクを断罪した。ロウだ。ロウが目覚めたのだ。

 ロウの琥珀の瞳が燃えている。怒りという名の黒い焔を宿した目で水晶クリスタルに封じられたレメクを睨んでいた。

 目覚めはしても、首輪の効果がまだ残っているのか、ふらつく身体をデヂモに支えられて立っている。


「レメク、お前が殺したのか」

「そうだ、と言ったらどうするんだ?」

「俺がすることは、ただひとつ」


 そう言ったロウの姿が、ふ、と消えた。憎悪に取り憑かれた巨躯がレメクに襲いかかる。落ちていた剣を拾い、渾身の力と憎しみを込めて復讐の剣を振るう。

 しかし。

 ロウが拾った剣は水晶クリスタルに当たって中程からボキリと折れた。水晶クリスタルの硬度が剣の硬度を上回ったのだ。

 それを見たロウは、頭に血が昇ったまま感情の赴くままにテオドアを怒鳴りつけた。


「オラニエ! 魔術を解除しろ、俺が殺してやる!」

「止まれ、ロウ。レメクを裁くにはあんたの証言も必要なんだ!」


 テオドアはそう叫ぶと、簡単な魔術式を編んでロウの首輪に向かって放った。魔術式を受けた首輪がバチバチと電気を放出しはじめる。隷属の首輪を強制的に起動したのだ。


「テオ、ドア……ッ」


 首輪から放たれた雷に身体を打たれ、ロウは抵抗するも地に臥した。意識を刈り取るほどの威力が出せなかったのは、ロウの魔術抵抗値がテオドアの魔術式の出力値を上回ったから。テオドアは内心驚きながらも、努めて冷静に振る舞った。


「ロウ、おれに首輪を使わせるんじゃない。心配するな、復讐ならそのうちさせてやる」


 それは今じゃない、とロウに向かって首を振り、テオドアはレメクと向かい合った。レメクが封じられた水晶クリスタルにそっと触れる。


「……なぜ、殺したんですか?」


 テオドアが搾りだすように吐いた問いに、レメクの赤色の瞳が爛々と輝いた。魔術痕色による赤紫色ではない。狂気によって濁った赤だ。


「私を選ばない隊長では、意味がない。それがわかったから殺した。殺すつもりはなかったが、殺さなければならなくなったから」


 狂えるままに自白したレメクは、満足したような恍惚とした表情で、それ以上なにも言葉を発することはなかった。




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