第4話 審問官は孤狼の騎士に逃げられる

 エレミヤ聖典騎士団の砦城から馬で駆けて一刻半。サロニアの街についたのは、太陽が中天を通過した頃。

 普段、馬になど乗らないテオドアは、ロウが駆る軍馬に乗って街までたどり着いた。

 昨日、高負荷魔術である死者の記憶を参照する魔術を使っていなければ、テオドアとロウのふたりまとめて移動魔術で街まで来れただろうけれど、それは過ぎ去りし虚像でしかないから馬を使った。

 デヂモが向かったというサロニヤの街。

 警察局の聴取より優先される任務とは、一体なにか。テオドアとロウは、軍馬を休ませるために借りた酒場兼宿屋である舞う子狐亭の裏にある馬小屋に馬を繋ぎ、サロニヤの街の中央通りへ向かった。

 するとである。


「そ、そんなこと言われても困るんすけど!」

「だがな、兄ちゃん。ウチに限らず宿帳は魔力認証を通さねぇといけねぇ決まりになってるんだわ。文句があるならお国に言ってくれ」

「そ、そんなぁ〜」


 中央通りに面した舞う子狐亭の道を挟んで向かい側。囁く白猫亭と書かれた看板が掲げられた宿屋から、聞き覚えのある声がしたのだ。

 ロウと顔を見合わせたテオドアは囁く白猫亭へ向かって走り、開いたままの扉をくぐる。


「デヂモ、どうした?」

「あれ? 副隊長じゃないすか! すんません、助けてください!」


 囁く白猫亭で喚いていたのは、デヂモだった。顎に傷があり、柔らかく波打つ枯れ草色の髪を短く刈り上げたその青年は、身分を表す騎士団の服、第三部隊の隊服を着ておらず、旅人のような装いだった。

 デヂモはロウの姿を見るや否や泣きつくと、目尻に涙を滲ませていた。


「……どうしたんですか、なにかトラブルでも?」

「おっ、テオドアさんじゃねぇか。この兄ちゃん、もしかして知り合いか? 山奥から出てきたみてぇに常識がねぇんだわ。魔力認証も知らねぇ、出来ねぇと抜かしやがる。どうにかなんねぇか」


 囁く白猫亭の店主カザキとテオドアは顔見知りだ。テオドアが魔塔の同期である医療魔術士ドクターと連絡を取り合う際に、この宿屋を借りることがある。騎士団の砦城の天井や城壁には、外部と連絡を取り合うような魔術を封じる封印石が埋め込まれているから。

 テオドアは戸惑うカザキに近づくと、そっと事情を耳打ちした。


「カザキさん、このひとはねぇ……エレミヤ聖典騎士団のひとなんだよ」

「なんだと? 兄ちゃんお前……騎士なのか?」

「あー……はい、まあ。……えっ、これってマズイ状況です!?」

「いや、大丈夫だデヂモ卿。単に騎士——それも、エレミヤ聖典騎士団の騎士っていう生き物が見慣れないだけだからさ」


 馬で駆けて一刻半の距離にあるエレミヤ聖典騎士団とサロニヤの街に交流はない。

 魔力や魔法、魔術を拒絶する異端の騎士団であるエレミヤ聖典騎士団は、砦城の内側だけで生活をしているから。自給自足をしているわけではないから、補給担当や食堂担当の騎士はサロニヤの街の住人とも接点があるだろうけれど、基本的には身分を明かさすことはない。

 騎士団の砦城の外では、創世の魔女の祝福を拒絶する騎士は、異端の存在だから。ひとは異端の存在を容易く虐げる生き物だから。

 テオドアはカザキに「他言無用なんだけど」と前置きをしてから、にこやかに告げる。


「カザキさんもそういうことだから。騎士は魔力を放出できない。魔力認証も使えないってこと。……ところでデヂモ卿。魔力認証が必要だなんて……なにしたかったんですかね?」


 デヂモはテオドアの問いに、少し目を泳がせた。

 基本的に、騎士団の外である魔術士の社会では、魔道具を使ったり自己証明をするときに魔力認証が必要である。生まれ持った魔力は指紋と同じ。同一の魔力色を持つひとは存在しないから。

 けれど、魔力を外側に放出することなく肉体の内側で循環させて常時魔力を供犠サクリファイスとして物理力に変換している騎士は、この魔力認証が使えない。認証するときに魔力を放出しなければならないからだ。

 そういう意味では、騎士は外の世界では生きてはいけない。

 コンロも照明も空調を調整する魔道具は、魔力認証ありきで作られているから。銀行へ資金を預けるときも、契約を結ぶときも、すべて魔力が必要である、ということ。

 テオドアは、なかなか答えようとしないデヂモをジッと見つめた。彼は人差し指で顎の傷をカリカリと掻きながら、照れ臭そうに頬を赤らめて口を開いた。


「ああ、騎士団の上層組織であるエレミヤ聖典教会に嘆願書を出そうと思って……その、ロウ副隊長の件で」

「嘆願書?」

「そうですよ! あんな杜撰な捜査でロウ副隊長を犯人扱いするなんて、もってのほかじゃないですか!? 魔術だかなんだか知らないですけど、もっとしっかり捜査と鑑識をするべきなんです!」

「おれを前にして、そう言うんですか。なかなか度胸があるんですね、デヂモ卿」


 喧嘩を売られたとは思っていなかったけれど、テオドアは作り笑いだとはっきりわかる笑顔でそう言った。その笑顔の裏で、先ほどからずっと口を閉ざしているロウが、彼に嵌めた首輪が、じりじりとテオドアから離れて行く気配を感じて、さらに笑みを深くする。


「あっ、いや……その。魔術を使って倒れる程度の魔術士なら、言っても許されるかな、って。……とにかく! 捜査はもっと慎重に行われるべきです! いくらルドガー捜査官がデラクレス隊長に恨みがあるからって……杜撰すぎる」

「……ルドガーがデラクレス隊長に恨み?」

「知らないんですか? ルドガー捜査官は元第三部隊の騎士ですよ。魔術と剣術を組み合わせた闘法を使えないか研究していて……魔術使用の申請を隊長に出した後、すぐ警察局に転属されたんですよ」

「あのルドガーが?」


 ロウとの距離が開く気配を超えて、ルドガーの真実が衝撃的だった。テオドアが思わず息を詰まらせるほど。

 ルドガーが魔術を使えることを申告して警察局に移動となった話は知ってはいたけれど、それが第三部隊でのことだったなんて。

 もしかして、デラクレスへの恨みが今回の事件の真相なんだろうか。と考えて、テオドアは自分の背筋が凍るような思いをした。ふと、思い出したのだ。警察局には姿を偽る魔術を使う騎士がいたことを。魔術は技術だ。手順と魔力をどう使うかさえ知っていれば、誰でも再現ができるのだから。

 そもそも、冷酷無比で公正公平を信念としているような男が、自局内で無申告で魔術を使う騎士がいることを許しているのがおかしい。それに、ルドガーもLからはじまる名前を持つではないか。

 そう考えて、テオドアはふるりと首を横へと振った。自分の考えを払拭するかのように。待て、今はまだ、可能性の段階でしかない。テオドアは自分にそう言い聞かせて、奥歯をギリリと噛み締めた。


「まあ、魔術士殿が騎士団に着任する前の話ですからねー。知らなくても当然かと思いますけども」

「……そうか。……デヂモ卿、有益な情報をありがとう。そうだ、その嘆願書の件だが、おれが代わりに手配しようか?」


 デヂモの嘆願書が通るかどうかはさておいて、ロウを支持する騎士がいることは好ましい。それに、嘆願書が通ったなら、ジルドがもぎ取ってきたたった二日しかない猶予が多少は伸びるかもしれない。そんな打算を持ってテオドアはデヂモに申し出た。


「えっ、いいんですか!? 途中で握り潰してなかったことにしませんか!?」

「するわけないだろ、こんなに証人がいるのにそんなこと。……まあ、おれも魔塔に手紙を出す用事があるからさ。そのついでだよ」

「ありがとうございます! ついでにロウ副隊長も解放してくださって、本当にありがとうございます!」

「いや、おれは副隊長を解放したつもりはないよ。——聞いているか、ロウ!」


 テオドアは、じりじりと離れていくロウに忠告を投げた。けれどその途端、ロウが脱兎のごとく駆け出したのだ。



   ×   ×   ×



 デヂモとの会話に気を取られているテオドアの隙を狙って、ロウが逃走を試みる。

 それを見たデヂモは、ロウ副隊長はなにも変わっていないのだ、と心のどこかで安堵していた。ロウはデラクレス以外には靡かないのだ、と。

 ロウが噂に反してデラクレスを慕っていたことを、デヂモはよく知っていた。所構わずデラクレスに襲い掛かっていたのは、デラクレスがロウに、そうあれ、と言ったから。よく悪くもロウは素直な一辺倒で、誰よりもデラクレスに忠実だったのだから。

 だからデヂモは、ロウに逃げられそうになっているテオドアをジッと観察することにした。魔塔の魔術士であるテオドアが、どう判断するのか、と。

 そのテオドアは、焦りもせずに余裕の表情でロウを追っている。得意の魔術を使って。


「ロウ、あまりおれから離れると痛い目を見るぞ」


 風を切り、障害物をすり抜けるその姿は、まるで魔に染まった物——魔物のよう。やはり魔術士は、力を持ちすぎた魔術士はある程度間引かなければ、だなんて考えて、デヂモはエレミヤ聖典騎士団の教えのひとつを思い浮かべて首を振る。縦ではなく、横へと。

 エレミヤ聖典騎士団の騎士と魔術士は、相容れない。けれど今は、その魔術士にかけるしかなかった。デヂモが敬愛するロウのためにも。

 魔術士といえば呪文詠唱である、と踏んでいたデヂモは、先ほどからテオドアが呪文を唱えることなく、片手を振るだけで氷の刃や影の棘を自由自在に操って、ロウを足止めする様を見て、眉を顰めた。もしかしたらこの魔術士は、少しも本気を出していないのかもしれない、と。

 現に、サロニヤの街の中央通りは人通りが多いにも関わらず、テオドアの魔術に被弾したものはいなかったし、路面店や住宅が破壊されることもなかったのだから。

 無詠唱で魔術を放つテオドアに徐々に追い詰められて逃げ場を失ったロウは、これ以上はテオドアを振り切れないと踏んで立ち止まった。デヂモと同じように、テオドアの底知れなさを警戒したのかもしれない。ロウは真正面からテオドアに勝負を挑むことにしたようだった。


「オラニエ、俺を解放しろ」

「嫌だね、自由になりたけりゃ、おれを殺すしかない」

「そうか、わかった」

「——……マジかよ、本気かっ!?」


 そう言って、ロウは秘めていた殺気を解放した。その巨躯から放たれるのは、騎士の自分ですら膝が震えるほどの威圧プレッシャー。ロウはテオドアを本気で排除することにしたらしい。琥珀色の瞳の中に爛々と輝く蛍火色の光が美しい。


「デヂモ、俺に剣を寄越せ!」

「は、はいっ、副隊長!」


 デヂモはいつも通りのロウの呼び声に、反射的に腰に下げていた剣を抜いて放り投げていた。抜き身の両手剣ロングソードが宙を舞い、ロウが片手で柄を取る。剣を受け止めた勢いのまま、ロウが威圧を浴びて動けないテオドアとの距離を詰め、両手剣を上段から振り下ろした。

 けれど。


「——……ッつ!? ッぐあ!」


 バチリ、と音がして、ロウの首に小さな稲妻が走った。首に嵌められた首輪がバチバチと音を立てて光っている。次の瞬間、ロウは握っていた剣を取り落とし、そのまま白目を剥いて地に倒れ伏してしまった。

 今のは、なんだ。

 魔術士を狩るために存在する騎士が、エレミヤ聖典騎士団の第三部隊副隊長が、魔術ひとつで昏倒するだなんて。デヂモは信じられないものを見てしまった。途端に背筋がゾッと凍りだす。先ほどまで、上から目線でテオドアを評価していたけれど、それは間違いだったのではないか、と。

 デヂモの恐怖を余所に、呆れたように息を吐きだすテオドアが倒れたロウの側にしゃがみ込んだ。


「ほーら、言わんこっちゃない。言ったでしょ、おれから離れるかおれに危害を加えようとすると、ビリビリ強烈な痺れに襲われる、って」


 そして、手に負えない飼い犬を愛おしむかのように、倒れたロウの藍色の髪を雑な手つきで撫ではじめたのだ。その手つきに、言動に、デヂモはある人物の面影を見た。

 知らず知らずのうちに、目尻に涙が滲んでしまう。けれど、その涙が溢れる前に、デヂモは目元を指で拭った。深呼吸をひとつして、気持ちを切り替えることにした。


「うわ……これ、魔術ですか? 凄ッ……ロウ副隊長の意識を刈り取る魔術があるんだ。えっ、もしかしてこのためだけに、ロウ副隊長を煽りました? ……魔術士、怖ッ!」


 デヂモの言葉にニヤリと笑うテオドアを見て、デヂモはテオドアを認めざるを得なかった。

 これは、このひとなら、ロウが靡いてしまったとしても仕方がないな、と。やり口がまるでデラクレス隊長のようだ、と。

 そんな未来が来るのか、否か。未来を予測することのない騎士は直感に従って、意識を失ったロウをテオドアと協力して、囁く白猫亭の向かいにある宿屋兼酒場である舞う子狐亭まで運ぶ。

 ロウが無実だとしても、もう第三部隊には戻らないかもしれない、だなんて思いに囚われながら。



   ×   ×   ×



「ところでデヂモ卿。嘆願書を出すのはいいとして、それは本当に任務だったのか?」


 舞う子狐亭の二階。大柄な成人男性が横になっても十分な広さがあるベッドにロウを転がし、テオドアはデヂモと話していた。

 ひとつしかない窓際に申し訳程度に置かれた木製のテーブルと二脚の椅子。その椅子に腰掛けて、向かい合う。話を振られたデヂモは、頭の後ろを掻きながらへらりと笑ってこう答えた。


「ボクとしては、上層部に嘆願書を出すのは、なによりも優先すべき任務だ、と自負していますけど? それに、こういうものは外から届いた方が、上層部も真剣に取り合ってくれるものなんで」

「開き直るなよ、デヂモ卿は清く正しいエレミヤの騎士なんじゃないのか」

「ははは。第三部隊はちょっと特殊なんですよ。なにものにも縛られない自由な風紀がウリだったんで。……そうでなかったら、ロウ副隊長も騎士になっていなかったでしょうし、それはボクやレメクもそうだと思いますよ」


 デヂモはそう言って、ひとつ長い息を吐き出した。ひと呼吸分うつむいて、次に顔を上げたときには、少しばかり覚悟を決めた顔をしていた。


「それで、ボクを街まで追いかけてきて、なにを証言させたいんです?」

「西棟の階段でデラクレス隊長を呼び止めたよな。あのとき……誰と演習をするのか、と聞いたな」

「ああー、そんなこともありましたかね。……えっ、なんでそんなこと知ってんですか。もしかして、ボクの記憶読みました?」

「読み取ったのはデヂモ卿の記憶じゃない。デラクレス隊長に遺されたわずかな記憶だよ」

「うっわ、凄ッ! 凄いな魔術……騎士になるって決めたの、時期尚早でしたかね?」


 茶化すように笑うデヂモに、今度はテオドアが額を押さえながら息を吐く。


「デヂモ卿の進路に興味はないんだが」

「ですよねー。えっと……隊長が誰と演習をしたかって話ですよね。いいですよ、話します。そんな話でロウ副隊長を救えるのなら、いくらでも。それにオレは少数派なんで」

「少数派?」

「そ。少数派。オレは数少ないロウ副隊長派なんです」


 デヂモはテオドアに向かってバチンと大袈裟に片目を瞑ってみせてから、軽い口調と軽い態度で、デラクレスが実際に誰と個人演習をしたのかを話し出した。

 そうやって聞き出したデヂモの証言は、少しばかりテオドアを混乱させるものだった。






「起きろ、ロウ。今すぐ騎士団に戻るぞ!」


 ベッドの上で意識を飛ばしていたロウの頬を叩いて起こしたテオドアは、いまだぼんやりしたままのロウにそう宣言した。頬を叩かれたロウは、二度、三度頭を振ってから、のたりとベッドから起き上がる。


「……騎士団に? 街での用事は済んだのか」

「あんたが寝てる間にな。おれの手紙もデヂモの嘆願書も、郵便魔具で送っておいた。ああ、デヂモがあんたに協力した件は見なかったことにしといてやる。いいか、ロウ。あんたは今、おれの監視下で一時的に自由に動けてるだけの容疑者なんだ。あまり勝手なことをするなよ」

「……以後、気をつける。ところでデヂモは」

「なんだ、話したかったのか? デヂモの宿は向かいの囁く白猫亭だ。今頃、仲間たちへの土産でも買ってるだろうさ」


 テオドアは、デヂモと別れる際に、テオドアにした証言と同じ話を騎士団審問局のジルドにするよう言い含めておいたから。少し遅れるだろうけれど、デヂモも騎士団へ戻るだろう。

 そういうわけで、テオドアとロウは舞う子狐亭を出て、馬小屋で休めていた軍馬とともに、エレミヤ聖典騎士団の砦城を目指して馬で駆けていた。

 サロニヤの街から砦城までは丘と草原を越えて川を渡り、森を行く必要がある。騎士団本拠地は森の中の高台に築かれた砦城で、一番警戒しなければならないのはこの森だ。砦城として守りを固めやすいし、敵を襲撃するなら見晴らしのいい丘や草原よりも、断然、森だ。

 テオドアとロウが森の中ほどまできたところで、「ところで……」と前置きをしてから、テオドアはいつでも魔術式を展開できるよう集中しはじめた。


「騎士団の皆さんって、身内が間違いをしでかしたりすると、強制的に排除する文化があったりするんです?」

「そんな野蛮な集団があるかよ」


 ロウも気づいていたらしい。駆ける馬を止めて降りると、サッと周囲に視線を走らせ、いつ、どこから強襲を受けても対応できるよう神経を尖らせる。調教された軍馬は、騎士団に戻るよう言い聞かせてから森の奥へと解き放つ。

 テオドアもまた、両手をあけて構えをとった。テオドアの魔術に杖や媒介物は必要ない。詠唱も不要だ。頭に余白を、雑談ができるだけの精神的余裕リソースを残して、残りはすべて迎撃用魔術の式を編む。

 そうして、テオドアは一度目を瞑って、ゆっくり開けた。目を開けてから視る世界は、別世界。共に襲撃者を迎え撃つべく警戒を強めるロウに、不敵に笑った。


「でも、おれの客じゃないですよ。心当たりがあるのは、あんたの件しかない」


 一度閉じて、再び開いた視界に映るのは、ゆらりと立ち昇る薄黄緑色の光。生命あるものから滲みでた魔力の光。それはつまり、襲撃者たちの位置情報となる。

 テオドアは視界に展開された光のうち、自分やロウへ向かってくる光だけ座標位置を把握して目標配置セットする。これで、撃ち漏らしも、撃ち間違いもなく広範囲の魔術を展開できる。

 テオドアが使える魔術は、記憶参照の術だけじゃない。専門がそれであるだけで、それ以外にも弾はある。

 なにせ騎士団に派遣されるまでは魔塔の魔術士だったのだ。状況特化のピーキーな魔術はお手のもの。今は、魔術の痕跡と魔力の流れを視覚的に認知する魔術を展開している。

 この世に産まれた生命あるものに魔力の祝福を。と言って、創世の魔女はこの世界を構築した。さらに詳しくいうならば、誰もがみな、魔力を持って生まれてくる。

 騎士は魔術を使わない。けれど、魔力を物理力に変換している。つまり、魔力自体は持っているということ。だからテオドアの魔術が効果を発揮する。


「おれとの距離、忘れないでください!」


 テオドアは首輪の機能に気をつけろ、とジェスチャーしながらそう言って、ロウの後ろへジリジリ退がる。その間にも、二重、三重展開を覚悟して次の魔術式を構築してゆく。

 テオドアと入れ替わるように前へでたロウは、武器を持たない。デヂモから一時的に借り受けた剣は、すでにデヂモが回収済みだ。徒手空拳で迎え討つしかない。


「……どこの部隊だ」


 ロウが威嚇するように低く吠えた。広くはない回廊に、テオドアとロウのふたり以外に敵意剥きだしの襲撃者お客さんが5名。ガサリと木葉を揺らし、樹木をかき分け姿をあらわす。左右に2人、前方に3人を確認した。

 襲撃者の装いは、統一的だ。黒いフードを目深に被り顔を隠している。フードの下には隊服だ。画一的な戦闘隊服。エレミヤ聖典騎士団の隊服は、礼装と正装以外は統一されている。

 どこに所属しているのかを区別するには、襟と肩に縫いつけられている隊章を見るしかない。肝心のその隊章は残念ながら剥がされていて、どこの誰に襲われているかはわからない。

 当然、襲撃者たちがロウの問いに答えるわけもなく、1人を残して4人がジリジリと囲いを狭めてくる。


「俺を殺せると、本気で思っているのか?」


 ロウの挑発に、襲撃者たちが動いた。ロウの正面に陣取り、襲撃者たちの指揮を取っているらしい1人が、右手で合図をだしたのだ。攻撃開始の合図をだされた残りの4人は、ロウめがけて一斉に動きだす。

 まずは前方から2人。抜き身の両手剣ロングソードを構えて駆けてくる。左右の2人もひと呼吸遅れて飛びだした。

 ロウは4対1になる前に大きく踏みだし間合いを詰めて、襲撃者が剣を振りかぶるその前に、素早く相手の懐へぬるりと潜りこむ。

 すると、ガンッ、と硬い音がして襲撃者がよろめいた。膝からドサリと崩れる襲撃者。ロウの右手には奪い取ったらしい両手剣が握られている。


「見知った剣筋だな。お前ら、どこの誰だ?」


 地を這うような、腹の底をさらうような強圧的な声が響いた。怒気を孕んだその声はロウのもの。テオドアの眼には、ロウの魔力が威圧プレッシャーに変換されてゆらりと立ち昇る様がよく視えた。


「……ッ、…………っ」


 ロウの威圧に気圧されたのか、前方の1人と、左右から襲おうとしていた2人が足を止める。その頬にはジワリと汗が滲んでいた。

 それでも様子を窺いながらジリジリと距離を詰めようとするのは、さすが騎士か。

 残る指揮官らしき人物は、威圧の範囲外なのか平然と立っている。ロウとの距離は、およそ7メートルか。首輪の効果の範囲ギリギリだな、とぼんやり思いながら、テオドアは構築していた魔術式に最後の方程式を編みこんでゆく。

 魔術士にとって騎士が振るう剣は致命的だ。当たってしまえば生命は終わる。慎重に、慎重に。丁寧に魔術式を組み上げているいる間に、ロウは威圧だけで襲撃者たちを追いこんでいた。


「威圧に屈せず声も漏らさないのは褒めてやろう。だが、連携が取れていない。指導してやろうか」


 淡々と吐きだされるロウの台詞。そこには好戦的な色も、狂気の気配もなにもない。噂されている第三部隊副隊長の印象イメージとは、まるで違う。森で獲物を狩る狼のようだった。

 ただ、魔力を威圧として表出させているせいか、琥珀色の瞳の中に爛々と輝く蛍火色の光だけが、噂の面影を残している。

 厳密にいうと、ロウが発した威圧は魔術ではない。魔力の発露だ。けれど、ここまで強力な効果を発揮するとなれば、それは、もう、天性の才能、天才としか呼べない。

 それを見てテオドアは身体が震えた。デラクレスの記憶の中で彼を殺害した犯人はロウではない、と確信を持った。記憶の中での戦い方と、今、目の前にいるロウの戦い方は、まるで違う。

 けれど、今は、そんなこと。どうでもいい、と切り捨てて、テオドアは一歩前へ踏みだした。


「残念、その機会はあげられません。みなさん、おれが魔塔から派遣された上級・・審問官だってこと、忘れてるみたいなんで」


 言うが早いかテオドアは、構築し終わった魔術式に魔力を流して展開し、魔術として発動させた。周囲の木々が、草蔓が、魔術によって変容し、騎士を捉える鎖に変わる。

 テオドアが発動した魔術は、対象となるものを拘束する魔術だ。騎士を相手にするならば、遠距離から拘束魔術を使って動きを封じる。それがセオリーだから。

 けれど、である。敵の一人が口の中で何ごとか呟いた。と思った瞬間、囮となる人形ヒトカタを放ってテオドアの魔術を防いだのだ。

 どうやって? ——魔術を使って。


「嘘だろ、マジかよ!」


 テオドアは驚愕のうちにそう叫びながらも、木の枝を上手く使って逃走する襲撃者たちの魔術痕色を視た。彼らはすべて全身がどこかで見たような気がする赤紫色に覆われている。すかさずテオドアは魔術式を解析する。これは、姿を偽装する魔術だ。それも、自分だけでなく他者の姿をも変える広範囲偽装魔術。

 クソ、やられた。舌打ちをしながらテオドアは、組み上げていた魔術式を一度破棄して、まったく別の魔術式を組み上げていく。相手は広範囲に渡って偽装魔術を展開できる人間だ。生半可な魔術では破られる。テオドアは殊更丁寧に、慎重に、隙なく式を編んでゆく。

 一方で、ロウが動いた。逃げる襲撃者たちを追うように駆け出して剣を振るう。けれど、テオドアはそんなロウを一喝した。


「ロウ、距離!」

「……っクソ、やりにくい」


 つい先刻、逃走防止兼、危害防止用の首輪によって昏倒させられたことを思い出したのか、駆け出したロウの足がピタリと止まる。

 その間に、襲撃者たちの姿は小さくなっていく。葉と葉が、枝と枝が重なるその先に去りゆく背中を睨みつけながら、テオドアはニヤリと笑った。


「いや、充分だ。足止め御苦労、ロウ」


 テオドアはそう言うと、魔術を使ってテオドアの拘束魔術を逃れた襲撃者たちに向かって、組み上げた魔術式を解き放った。目標配置の魔術のお陰で外れることはない。そして、この魔術が目に見えるような効果を発揮するのは、もっと先のことだ。

 効果が見えないことで不安になったのか。ロウが怪訝な顔でテオドアに問う。


「……なにをしたんだ、オラニエ。不発か?」

「さあ、どうでしょうね。運がよければ……いや、悪ければ、後でわかるんじゃないですか?」


 テオドアは不敵に笑うと、隣に立つロウの背中をポン、と叩くのだった。




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