第3話 審問官は証言者を求めて騎士団を彷徨う
そういうわけで、中央棟地下の上級騎士を拘束するための専用牢獄からロウを連れ出すことに成功したテオドアは、ひとまず上司のジルドが書類に埋もれながら仕事を片づけているであろう審問局へ向かうことにした。
エレミヤ聖典騎士団内で一番安全な場所は、ジルドのいる審問局だ。魔術士にとって、という注釈がつくけれど。
ジルドは局長なだけあって、本拠地と定めた領域を防護する魔術に
そもそもの話、魔術士にとって騎士という生き物は天敵だ。
それだけじゃない。テオドアが連れて歩いているロウは首輪つきとはいえ殺人の容疑者だったし、その容疑者も、テオドアだけが罪を犯していないはず、と思っているだけで、ルドガーも彼の同僚も、あの現場に関わっていた騎士はみな、ロウが犯人だと信じている。という状況だ。
全然、これっぽっちも、安全じゃない。安全なのは、審問局だけ。
だからテオドアは、安全地帯である審問局へと急いでいた。
審問局がある東棟へ向かう回廊は、両脇を背の高い樹木で囲われている。石畳をゆく足音がふたり分、カツカツと響いている。それ以外は、風の音と葉擦れの音。時折、遠くのほうから聴こえてくる雑談や慌ただしく駆ける音が風に混じって流れてくる。
「……なあ、お前。俺が隊長を殺すところを見たって言ったよな」
回廊を半ば歩いたところで、ふいにロウがそう投げかけてきた。ぼそりと低く呟かれた問いを拾ったテオドアの耳は、ロウがゴクリと唾を呑む音まで拾う。
殺されたデラクレスと、副隊長であったロウが、どのような人間関係を築いてきたのか、なんて知らない。けれど、ロウの震える声音から拾える感情と憶測は、彼が隊長を随分と深く慕っていたのではないか、ということ。
けれどその感情は、ロウが肯定した噂と矛盾する。
いわく、第三部隊の副隊長は上司である隊長の命を狙っている。
いわく、第三部隊の副隊長は隊長に不意打ちで襲いかかって返り討ちにされたらしい。
慕っているのに、なぜ、矛盾した言動をとっていたのだろう。と、テオドアは不思議に思いながら、騎士という生き物をまだよく理解できていない自分の不勉強さに自嘲する。
その否定的な笑みを、つい、うっかり。外へ漏らしてロウに気づかれた。怪訝な顔をされてしまったから、テオドアは内心焦りながらひねた物言いでこう返す。
「お前、じゃなくて魔塔から派遣されて常駐しているテオドア・オラニエ上級審問官です。姓でも名でも役職名でも、好きな呼び方で、どうぞ」
と、自己紹介に無理矢理変換したのは、どうやら成功したらしい。ロウはひとつ頷いて、けれど眉間の皺は先程よりも多く深く刻まれてる。
「ならば、オラニエ。……それはつまり、どういうことだ?」
「言ったでしょ、魔術ですよ、魔術。おれはそういう魔術が使えるんです。万能じゃないんで、なんでも視れるわけじゃないですけど」
テオドアが魔術使用時の時間と精度の問題を掻い摘んで説明すると、ロウは懐疑的に目を細めて片眉を跳ね上げた。
「お前が視たのは、本当に俺か?」
「姿形はあんたでした。声もそう。……おれが視たあんたは、デラクレス隊長と私的な演習を行う約束をしていた。だから隊長はイーヴォ第一部隊隊長にかけあって演習場を押さえたんです」
「ちょっと待て、俺は隊長とそんな約束をした覚えはない」
というロウの自己申告に、テオドアは首を傾げて唸るしかなかった。だって、テオドアは視たから。西棟3階の廊下でロウがデラクレスを呼び止めて、個人的な演習の約束を取りつける
なら、アレは誰だ?
藍色の髪、琥珀色の眼。そして、精悍な顔つき。隊服の襟と肩に縫いつけられた隊章と階級章は、確かに第三部隊副隊長である、と示していたのに。
ロウが嘘を吐いているのか、それとも記憶の中のロウが別人だったのか。別人だったとして、それは、一体、どうやって?
ここが魔塔や教会だったなら、まあ、わかる。魔術を使ったのだ、と納得できる。けれど、ここは、騎士団だ。魔術を遠ざけて力を得ている人間が集う場所。魔術を使う騎士は、すべて警察局に集約される。
テオドアが黙ったまま考えこんでいると、ロウが低く響く声で横槍を入れた。
「オラニエ、考え込むのは構わないが、今は続きを話してくれ」
痺れを切らしたのか、ロウが話の先を促すようにそう言った。
テオドアは、驚いたように目をまるく見開いて呼吸を一拍止めた。それからすぐに話を再開する。
「ああああ、失礼。……その後……あれは誰だ? 枯れ草色の髪を真ん中で分けてる、焦茶色の眼をした中肉中背の……」
「その男は顎に傷があったか?」
「あった、と思う」
デラクレスの記憶を通して視た人物を思い出しながら、テオドアは頷いた。
「それは第三部隊のデヂモだ」
「へえ、デヂモ卿。ああ、あんたを拘束してた騎士のひとりか。……その後、隊長はデヂモ卿と妙な話をして……」
「妙な話?」
「そ。『珍しいこともあるんですね。——と屋内演習場で、ですか』とか、なんとか。名前を呼んだんだと思うんだけど、聞き取れなかったな。あ、おれが、じゃなくて、隊長が。でも、Lから始まる音の名前ってことだけは、わかってる」
「L……まあ、俺の名前もLから始まるな」
そう告げたロウは、なにがおかしいのか鼻で笑った。自嘲染みたその笑みに、テオドアは思わずため息を吐いた。
「あんた、とことん詰んでんな。まあ、それは置いといて。そういえば、デヂモ卿が変な顔してたな……で、話終わって演習場へ向かった、というわけ」
「そして、手合わせが加熱して……という流れか」
「あんた、まるで他人事ですね。手合わせが加熱した結果の事故じゃないですよ、明確な殺意を浴びたんで。何度も何度も切り刻まれるとか、もう二度と味わいたくない。……まあ、おれはあんたの戦闘スタイルを知らないんで、アレがあんたなのか、それとも別人なのかは断言できないです」
少なくとも、デラクレスは致命傷を負うまでアレをロウだと認識していた。けれど、とテオドア思う。
けれど、テオドアが視たデラクレスの記憶の中のロウは、そのほとんどにノイズが走って不鮮明だったのだ。唯一鮮明だったのは、倒れたデラクレスを抱き起こしてからのロウの姿だけ。
ということは、やはりアレは魔術を使う騎士なのか?
容姿変貌か、認識齟齬か。物理的に変えるのか、脳に直接影響を与えるものか、視覚情報を操作するのか。思いつく限りの可能性を上げて思考を深める。
片っ端から視てしまえば、話は早いのだけど。でも、それはできない。死者の記憶を視たばかりの脳は、疲労が回復しきれていない。そんな状態で負荷の高い魔術の連続使用は、死に急ぐのと同じこと。
ああでもない、こうでもない。と、悩んでいるテオドアを、現実世界に引き戻したのは、またしてもロウの声。
「それで、隊長の死因と凶器は?」
低く突き刺さるような深い声。この声はどうしてか耳によく届く。思考の深淵でぐるぐる回っていたとしても、ロウの声に呼び戻される。
これは、ちょっと、貴重な体験だ。と、徐々に早まる動悸を自覚しながら、テオドアは場違いにもニヤけそうになる口を右手で覆った。真面目に思いだして考えている風を装うために、口を覆った右手をそろりと顎方向へ移動させる。
「死因は失血死……と見せかけて、毒による殺害。蓄積型の毒なのか、一撃必殺型の毒なのかは、今、エジェオ救護員が調べてる。凶器は、演習場の備品である真太刀の剣」
「なら、俺じゃない。俺は毒を使わない」
「あ、そうなんです? ところで、なんであんたは演習場へ? 隊長と約束したわけじゃないのに」
「第一部隊のイーヴォ隊長が演習場でデラクレス隊長が待っているぞ、と」
「あらら。……うーん、それなら、演習場に行くまでの間でイーヴォ隊長以外に話した人とかすれ違った人とか、います?」
テオドアが問うと、ロウは少し考えてから首を振った。
「イーヴォ隊長以外に……? いや、いない」
「ええー」
「いや、俺はそもそも、隊長じゃなくてレメクを探していたんだが」
「え、そうなんです?」
まったく新しい名前がロウの口から飛びだした。ロウに詳しく聞くと、第三部隊の隊員だという。黄色味の強い金髪に、赤い眼をした男で、長がつく役職にはついていないけれど、副隊長であるロウの次に実力があるらしい。
ロウの外聞のよくない噂を茶化して笑うくらいには仲がいい、隊の方針について相談することがあって探していた、まあ友人ということになるだろうか、と話すロウの顔は、険しさが少し取れていた。
「結局、レメクには会えなかったんだが……」
「もー、それを早く言ってくださいよ。じゃあ、あんたは隊長じゃなくて、そのレメクとかいうひとを探してた、と」
「ああ」
「ふうん、そうですか。あんたのことだから、それからまっすぐ演習場に向かって……そして隊長を看取った……」
テオドアはそう言って、思考の渦に身投げする。
ロウの言っていることが真実だとして、ならばデラクレスが見て、話して、そして剣を切り結んだ相手は誰だ? 可能性としてあげられるのは、魔術を使う騎士の存在。
けれど、剣の天才と謳われたデラクレスを殺害できるほど腕の立つ魔術騎士が、果たして存在するのだろうか。
魔術騎士は、魔術士としても騎士としても中途半端な存在だ。魔術を搦手として使ったとしても、魔術をも弾く純粋な物理力には敵わない。石と魔術は使いようではあるけれど、騎士と騎士の戦いは一瞬の隙や判断の遅れが致命傷に繋がるシビアな世界。前線に立つ騎士であれば、躊躇いなく魔術を捨てる。魔術騎士が天才と呼ばれたデラクレスを殺害するだなんて、不可能だ。
いや、でも、犯人は毒を使っていたんだよな。それならば、幾らかは可能性がある、のか? でも、騎士の実力なんてサッパリわからないから、どう見積もればいいのか判断がつかない。と、テオドアの頭の中でぐるぐる、ぐるぐると可能性が踊りだす。
剣の天才であるデラクレスは、騎士団内で人気が高い。高い人気は裏返り、身勝手な憎悪を生みだすことも多い。
動機を取れば方法が。方法を取れば動機が定まらない。唯一わかるのは、暫定的な容疑者だけ。その容疑者には、動機も方法もある。
けれど、その容疑者は違うとテオドアの直感が訴えている。自己申告ではあるけれど、ロウは毒を使わないと言っているから、動機と方法のうち、方法が崩れた、という論理的な理由も一応ある。
それだというのに、だ。
「……本当は俺がやったのかもしれない」
「やったんですか? やってないでしょ。あんたがやれるわけない。やってないっていう記憶もあるんでしょ。なら違うでしょ」
顔を伏せたロウが漏らした憂慮からくる自虐的な呟きを、テオドアは力強く断定的に否定した。否定はしたけれど、テオドアの心は揺れていた。ロウと話した結果、テオドアの頭はロウが犯人ではない、という答えを弾きだしていたから。
それなのに、本人の口から「自分がやったのかもしれない」だなんて気弱なことを言われたら、決意が鈍る。自分の判断を疑ってしまう。
だからテオドアは、真っ直ぐロウの眼を見た。揺れる自分の心がピンと真っ直ぐ前を向くように。テオドアを見つめる琥珀色の双眸は、疑問と不安でどうしようもなく揺れていた。一晩かけて行われた尋問のせいか、ロウも自分の無実を疑いはじめているのかもしれない。
それは、悪い兆候だった。物言わず、冤罪を被ることになるかもしれない兆候だ。
だから、おれがあんたの無実を証明する、という言葉を、テオドアはロウにかけたかった。けれどテオドアの口がその言葉を紡ぐことはできなかった。気後れしたとか、青くさい台詞を吐きたくなかったとか、そういう理由からじゃない。
テオドアが言葉を発しようとしたタイミングで、割り込んできた声があったから。
「お。第三部隊の『狐狼の騎士』じゃん。なになにお前、魔術士の『犬』にでもなったのかよ!」
「……ゲレオン」
ロウが忌々しそうに呟いた名前に、テオドアは心当たりがあった。
第一部隊副隊長ゲレオン。ケラケラと笑う姿は、それほど高くはない身長と相まって幼く見える。毛先が跳ねたオレンジ色に焼けた髪、海の青さと暗さを持つ眼、そして、腰に差した双剣。
最年少で副隊長に就任したらしいゲレオンは、見かけに反して庶務や雑務を難なくこなす。らしい。以前、珍しくジルドが誉めていたから、テオドアはそれを覚えていた。
「首輪つけてお散歩かぁ? いーね、似合ってんよ。お前、副隊長なんかやってるより、そっちの方が合ってんじゃねーの?」
ゲレオンはロウにからかいの言葉を投げながら近づいて、テオドアが嵌めた首輪と、そしてテオドア本人とを、目を細めてジッと見た。
品定めされているような視線に不快を覚えて少し睨み返してみたけれど、ゲレオンは気にすることなくロウに絡んでゆく。
「まー、オレはさ、お前があの狂人の元から解放されたんなら、なんでもいーんだけど」
「おい、隊長を悪く言うな」
「悪口じゃねーし。事実だし。お前だって」
わかってんじゃねぇの、というゲレオンの嘲笑混じりの言葉が、氷を思わせるような鋭く冷たい声と重なった。
「ゲレオン、なにをしている? その男には関わるな」
鋭利な声の持ち主は、第一部隊隊長イーヴォ。テオドアが声をした方を向くと、デラクレスの記憶の中で視た美貌がそのままそこに立っていた。第一部隊は会話に割り込んでくるのが趣味なのか、と疑ってしまうほどタイミングがいい。
ゲレオンは、というと、
「やっべ、隊長に見つかった……」
と、バツの悪そうな顔をして舌打ちをして、そうして、ため息をひとつ。深く短く吐いてから、くるりとロウに背を向けた。
「じゃーな、ロウ。お前の魔術士がどーにかしてくれるといいな! オレとしてはお前が犯人でもそーじゃなくても、どっちでもいーからさ!」
「おい、それは誤解……くそ、行ったか……」
ゲレオンは肩越しにヒラヒラと手を振りながら、イーヴォの方へと向かって歩く。それを見送りながら、ロウはガシガシと頭を掻きむしって悪態を吐いていた。
ほぼゲレオンの一方的な会話は、テオドアの意思に関わらず耳に届いていた。声を
そうしてゲレオンがイーヴォと合流し、その背が完全に見えなくなった頃。テオドアはポツリと呟いた。ロウの耳に届くよう、それなりの声量で。
「……デラクレス隊長は狂人だったんですか?」
「違う」
「あらら、即答ですか」
天才と狂人は紙一重である、という。ゲレオンがデラクレスを狂人と評価するのも、そういう理屈なのかもしれない。
では、この男は、ロウは、副隊長として隊長であり剣の天才であるデラクレスを、正しく理解できていたのだろうか?
テオドアは上司であるジルドに、それなりに理解されている、と思う。では、逆は? テオドアはジルドという男を理解するなど、できる気がしない。
慕っているし、尊敬もしている。けれど、それと理解は別のこと。自分よりも上位階梯の魔術士を理解するなんて、到底できない。では、騎士は? 自分の上に立つ騎士を、下位の騎士が理解できるのか。剣先の延長で理解することは可能なのか。
それでもロウは、デラクレスを理解したのか? そして、その逆も、また。
そのあり方は、少し、羨ましいと思う。魔術士ではありえない相互理解。それを騎士ならばなせるのか。
「……まあ、おれには関係のないことなんで、どうでもいいですけど」
勝手に負けたような気がして、テオドアは虚勢を張ったのだ。
「審問局に向かう前に、デヂモ卿に会っておこうと思うんですよね」
東棟へ向かう回廊で第一部隊隊長イーヴォとすれ違ったことで、テオドアは今後の方針を変更することを決めていた。
この事件の鍵となるのは、被害者であるデラクレスの記憶だ。ノイズが走る歪な記憶。事件の謎はそこにある。
だから、安全地帯である審問局に引き篭もることよりも、デラクレスが殺害される直前に会って話していた人物に話を聞くことが事件解決への足掛かりになる、というわけ。
イーヴォにも話を聞けたらよかったけれど、拒絶が酷くて話しかけられなかった。デラクレスの記憶の中では気安い人間だったのに、人を選んで態度を変えているのか、それとも極度な人見知りか。
そんなことを考えて、しばらく経ってもなんの言葉も返さないロウに、テオドアはふと眉を寄せた。
「……あれ、なんか感想ないんですか。デヂモ卿に会うって言ってんですよ?」
「そうか」
「いや、そうか……って、他になんかないんですか。この人、昨日現場であんたを拘束してた騎士でしょ」
デヂモは、昨日のデラクレス殺害現場でロウを拘束していた騎士たちだ。それはつまり、ロウを容疑者だと思っている人間だということ。
そんな騎士にこれから会いに行く。魔術士のテオドアと容疑者であるロウのふたりで。この決断はテオドアにとって苦渋なる決断だった。
なにせ騎士団は書いて字の如く騎士のための組織だから。ここはエレミヤ聖典騎士団の砦城。魔術士をいとも簡単に葬り去ることができる騎士たちの園。
この世界と創世の魔女との盟約で、生命あるものは例外なく魔力を有して生まれてくる。騎士だって、そう。
騎士という生き物は、せっかく授かった魔力を否定して、物理力に変換している。もう少し正確にいうと、常時魔力を
そうして得た力は絶大で、いとも容易く魔術師を屠る。
ロウに向けられた殺意の流れ弾に当たって、ついでに殺されでもしたら、たまったものじゃない。そんなテオドアの不安と心配を知ってかしらずか、ロウは肩をすくめて飄々とのたまった。
「俺はこの通り繋がれた身だ。飼い主の意向に従うしかない。特に、魔術を使って倒れるような貧弱な飼い主の命令には、な」
「……あっ、そうですか。じゃあ、いざとなったらおれを守ってくれるんですかね」
周囲は魔術士殺しの技に長けた騎士だらけ。いつでも魔術士を殺せるものに囲まれている危険地帯である。
テオドアがロウに麻痺機能つきの首輪を嵌めたのも、容疑者を連れ歩くため、という理由のほかに、そういうわけがあったから。万が一にも裏切られて殺されないようにするための保険というわけ。
その大事な大事な保険であるロウは、テオドアを挑発するようにニヤリと笑って答えた。
「騎士団に出向してくる魔術士殿が、騎士から身を守れないとは思えないが」
そう言ったロウの顔は、まるで血の通った普通のひとのよう。牢から出て、ゲレオンと軽口を言い合って、少しは気が緩んだのだろうか。
「あんた、かなり喋るようになりましたね。おれに慣れてきました?」
「いや。これは……お前の話し方が隊長に……」
どうしてか気まずそうに目を逸らすロウ。おれは死人と面影を重ねられて怒るような性格じゃないぞ、とテオドアが気休めを言おうとしたところに、探してた騎士のひとりがあらわれた。レメクは昨日、デヂモとともにロウを拘束していた騎士だ。デラクレスを慕っていたようで、あからさまな敵意と殺意をロウに向けていたことをよく覚えている。
「ロウ? なぜお前が牢から出ているんだ」
癖のない銀の髪を肩口で切り揃えた男——レメクが、青褪めた顔でロウを凝視していた。レメクは騎士らしく、静かに腰へ手を伸ばし、抜剣しようとしているではないか。それに気づいたテオドアは、慌てて首と手とを横に激しく振った。
「不法な脱獄じゃないですよ、レメク卿。すべて捜査の一環です! ルドガー捜査官には許可を得てるんで!」
「捜査……? 隊長を殺害したのはこの男で決まったんじゃないんですか!?」
「それはルドガー捜査官の主張ですね。審問局としては、いち捜査官の意見を鵜呑みにするわけにはいかないんで」
もっともらしいことを言って、テオドアはニコリと微笑んでみせた。審問局の上司ジルドに泣きついて二日間だけ優先的に捜査できるよう取り計らってもらったのだ、なんて真実は、口が裂けても言えない。真面目で神経質そうなレメクには、特に。
テオドアは頭をぐるぐると巡らせて、レメクの気を逸らせるような話題はないか、と記憶を探る。一秒、二秒と経過して、そうして見つけた答えは、これだった。
「そういえばロウ副隊長、元々レメク卿を探していたのでは?」
「話すことはない。隊長亡き今、もう無意味なことだ」
ロウは先ほど見せた砕けた表情から一変して、冷えた鉄仮面のような無表情さで無情に答えた。テオドアは返ってきた言葉の冷たさに、顔を引き攣らせてしまった。
「あーはい、そーですか。……まあ、おれとしてもデラクレス隊長の記憶の中にレメク卿と会話した記憶はなかったし……あんたがいいって言うんならそれでいいんですけど」
「……隊長の記憶?」
レメクの眉間がヒクリと動く。うっすらと刻まれた皺と瞬間的に膨れ上がった殺気に当てられて、テオドアは思わず一歩、後ろへ退がった。後退した足の踵が、コツリと硬いなにかに当たる。なにかと振り返ると、そこにいたのはロウだった。
いつの間にかテオドアを支えるように背後に立っていたロウが、殺気に当てられて言葉を失ったテオドアの代わりに答えていた。
「オラニエは死者の記憶を読み取る魔術士だ」
「記憶を……。だからあの時、魔力負荷がかかって倒れたのか」
「ええ、まあはい。高負荷な魔術なので」
ロウ支えられているからか、それともロウが番犬のようにレメクを威嚇し返したからか。当てられていた殺気はすでになく、テオドアも言葉を返せるようになっていた。
それだけじゃない。テオドアが記憶を読み取れる魔術士であると聞いて、レメクは途端にしおらしく、すがるような目でテオドアを見ていた。
「……オラニエ殿。隊長が亡くなる前に話していた人物が誰なのか、聞いても?」
「デラクレス隊長の記憶にいたのは、ロウ副隊長を除けば、第一部隊イーヴォ隊長、それからデヂモ卿だけですね」
慕っていたデラクレスが最後に話した人間を知りたいと思う気持ちは、よく理解できる。だからテオドアは包み隠さずレメクに話した。
昨日現場にいたのだから、ルドガーとテオドアの会話も聞こえていただろうと思って、デラクレスの記憶にノイズが走っていたことは言わなかったし、記憶にノイズが走っていたからこそ調べているのだ、とは言わなかったけれど。
「そうだ、レメク卿。デヂモ卿はどこに? 彼、第三部隊隊長が殺害される前に、隊長と話してるんですよ。なにか聞けないかと思って」
「デヂモは今、騎士団の砦城にはいませんよ、オラニエ殿」
「えっ? 昨日の今日で? 警察局から事情聴取があるんじゃないのか?」
「私はこれから警察局で聴取がありますが……デヂモはそれよりも優先度の高い任務があると言って、サロニヤの街に」
「街に行った? ……そうか、ありがとうございます。大変参考になる証言だった。ああ、そうだレメク卿。今、警察局へ行くならコートを持って行った方がいい。レメク卿が極寒に耐えられるのでなければ、ね」
テオドアはにこりと他所行きの笑みを浮かべると、今もなおルドガーから漏れ出す冷気で冷え込んでいるであろう警察局を思って、レメクに忠告した。これから待ち受ける極寒の警察局を思い浮かべたテオドアは、同情するようにレメクの肩をポンと叩いた。
そうしてテオドアは後ろを振り返ると、黒い壁のように立っていたロウに告げる。
「ロウ副隊長、行先変更だ。このまま騎士団を出てデヂモ卿を追う」
× × ×
上級騎士を封印するための地下牢にやってきた魔術士を見て、心底驚いたのは本心だ。
テオドア・オラニエ上級審問官。上級とつくのは魔術士としてか、それとも審問官としてなのか。とロウは考えて、警戒をすることにした。相手の実力がわからない状態で動くのは、愚かで危険な行為だ、と過去、まだデラクレスが生きているときに、そう教えられたから。
デラクレスが何者かによって殺害されたあの現場では、誰もがロウが犯人だと信じていた。
それを後押ししたのはテオドアの証言だったというのに、ロウは殺していないのだ、と断定的に言ってのけたのには眉を顰めるしかなかった。
魔術士が騎士の無実を証明する? そんなこと、信じられない。
けれど、テオドアの瞳の奥でチラチラと燃えていた焔が見えたから。矛盾と違和感をなにがなんでも解決してやる、という強い意志が燃えていた。
どうやらテオドアは本気らしい。そんなこと、信じられない。
それでもロウの心は揺れてしまった。強引なところや芯の強さ、瞳の奥でチラつく焔の暗さが、デラクレスを思わせるものだったから。
テオドア・オラニエ上級審問官。家名を捨てて名前ひとつとなった騎士とは違い、苗字を持つ魔術士。彼はこれから騎士団を出て街に行くという。デヂモを追って。
これは好機か? 好機に違いない。たかが魔術士ひとり、撒くのは容易いことである。隊長と似ている部分がある人間だからといって、なんだ。それは理由にはならない。隊長以外に信用できる人間なんて、この世にいない。
隊長は、孤児でボロ切れみたいに街の片隅で小さくなっていたロウに手を差し伸べて、はじめて居場所をくれたひと。
自己流で鍛えた雑な剣技を「まるで狼のように野生味あふれる剣だ」と笑って肯定してくれたひと。
そして、孤立しやすいロウを常に気にかけ、まるで狼の群れのような絆の強さでロウとともに戦い、背中を預け合い、苦楽をともにしてくれたひと。
その隊長亡き今、信用に値する人間は皆無だ。だからこそ、俺は俺の手で、隊長を殺害した人間を探し出し——。
ロウはそんなことを悶々と考えながら騎士団の厩舎から馬を一頭失敬してテオドアを乗せ、無言のまま街まで走った。
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