第2話 審問官は狐狼の騎士に首輪を嵌める

「……と、言うわけなんです。どうにかなりませんか」


 納得のいかない結果を抱えて戻ってきたテオドアは、執務室に入るなり、執務机デスクに座って書類と格闘している上司ボスジルド・クレバスに向かって、そう訴えた。

 ジルドは、色付きレンズが嵌めこまれた眼鏡をかけた顔を心底嫌そうに歪めると、長くて深い息を吐きだした。

 そうして、翡翠色の万年筆をするすると滑らせて確認していた書類にサインをすると、もう一度深いため息を吐く。


「お前がどうにかならんのか。……いつもいつも厄介ごとを持ち込んでくるのはなんなんだ。現場で食い下がってこい、持ち帰って俺に泣きつくな、あらゆる権限を事前に確保しろ、といつも言っているだろうが。それか、もっと部下らしく、可愛くお願いをしろ」


 ジルドはそう言うと、紫がかった柔らかく長い銀の髪に縁取られた美貌を嫌気によって歪ませて、苛立たしげに五本の指をすべて使って机を叩く。リズミカルに鳴る硬質な響きは徐々に速くなる。それはまるで、華麗に鍵盤を叩いているかのよう。

 不機嫌を主張しているように見えるジルドのそれは、実は不満や機嫌の悪さの体現ではない。

 どうすればいいのか深く速く思考しているときの癖。頭の中で何度も何度も計画プランを試行して、最善を弾き出すための儀式。と、前に聞いたことがある。

 だからテオドアは、謝らない。申し訳なさそうにもしない。

 代わりに、こうしてジルドの力を借りなければならない元凶となった男の渋い顔を思いだし——ゆるゆると緩んでにやけた顔で首を横へ振った。


「おれだって、好きで厄介ごとを持ち帰っているわけじゃあないんですよ。ただ……今回の担当捜査官がルドガーだったので、つい……気が緩みました」


 と、テオドアはあっけらかんと笑って告げた。

 ルドガーという捜査官は、ジルドとテオドアのふたりしかいない審問局の密かなるお気に入りだ。騎士団の中に魔術士を引き入れることごできる胆力と人伝てがある。それだけじゃない。

 なぜならあの男だけは、魔術士であるテオドアやジルドを人間扱いしてくれるから。

 つまり、騎士であるのに魔術士を忌避しない。

 大抵の騎士は、魔術士を遠巻きにするか嫌悪する。騎士であるか、魔術士であるか、ということに重点を置かない、というのは騎士の中でも珍しい。かといって、区別がないわけではなく、人材配置がさりげなく上手い。

 そしてテオドアは、役割を果たしてくれれば何者でも構わない、というルドガーの姿勢に、実はほんの少しだけ慰められている。騎士団の中にいる魔術士という存在は、多かれ少なかれ常に肩身の狭い思いをするものだから。

 けれど、ルドガーに抱く感謝だとか尊敬だとかいうふやふやした好感度は、厄介な事件が絡まなければ、という話。今は、違う。尊敬で顔をふにゃらせていい時間じゃない。


「あいつは事件のことになると途端に融通が利かなくなるので。公平で公正ですけど、その分しっかり納得させないと動かないんですよ」

「融通が利くとか利かないとか、柔らかいか硬いか、という話ではない。ルドガーが捜査官なら、お前がきちんとあいつを納得させられる根拠をあげられなかったのが悪い」

「……そう言われると、返す言葉がありません」

「それよりもお前、私情を挟んでないか?」


 問われたテオドアは、ギクリと身体がこわばった。完全に反射で、無意識だった。

 テオドアはロウと面識はない。殺害されたデラクレスともない。呼ばれて行った演習場で変わり果てたデラクレスを見たのがはじめてで、ロウの顔を認識したのも、デラクレスの記憶が最初。

 だから私情を挟む余地などないのだ、と弁明すればよかったのに、テオドアはできなかった。

 ロウが置かれた状況は。弁明の機会すら与えられず、状況証拠と噂されているだけの動機によって犯人扱いされているこの状況は、だめだ。テオドアとしては、誰がなんと言おうとも認められない。

 状況証拠だけで一方的に加害者にされた。たとえロウが本当に犯人であっても、それだけはだめだ。

 テオドアは拘束されたまま静かに怒るロウの姿を思い返した。

 あれは、言いたいことがあるのに言えなかった人間の顔だ。言葉を奪われ、無実であると訴えることができなかった人間の。誰も話を聞こうとせずに、弁明の機会を奪われた人間の怒りが滲んでいた。

 ロウがなにかを訴えたいのなら、自分がどうにかしてやらなければ。とテオドアは胸の奥の奥の方で固く誓った。胸の最奥では、仄暗い執念の焔がチラついている。誰の焔でもなく、テオドア自身が持つ焔。けれどその焔は隠して、テオドアはとぼけて笑った。


「……なんのことです?」

「まあいい、死者に対して記憶参照の魔術を使った後の疲労した頭であいつが納得する根拠を提示しろ、というのは少々酷な話だしな」


 すっとぼけたテオドアに、ジルドがため息を吐く。テオドアの性格と信念を理解しているジルドは、きっと深く突っこんでこない。私情が篭りまくりで捜査に支障をきたすようならば、別だけれど。

 そうしてジルドはテオドアをジッと観察しながら執務机に両肘をついて指を組み、数十秒。口元を覆い隠してボソリと告げた。


「仕方がない、ルドガーの言い分は筋が通っている。あいつは優秀な男だ。ぼやけた頭で太刀打ちできる男じゃない。……アレはおそらく幹部候補だからな」


 聞かせる気があったのか、それとも単にテオドアの耳が良すぎたか。ジルドの呟きを拾ったテオドアは心底驚き、そして同時に胸が躍る。


「え、そうなんですか? 初耳ですけど」

「そりゃそうだ。誰にも言ってないし、ただの勘だ」

「ボスの勘なら、確実じゃないですか。……へぇ、そうか……そうなのか!」


 テオドアはしかめっ面をしたルドガーが幹部に押し上げられる未来を想像して、自分のことではないただの噂なのに、思わず声を弾ませた。


「ルドガーは騎士のくせに魔術士を忌避しない柔軟な考えができる奴だからな。そういう奴は組織の上のほうで重宝されるんだよ」

「なぜです? 騎士サマ方は魔術士がお嫌いですけど」

「そりゃ、エレミヤ聖典騎士団の上層部……総長に近い第一階層の奴らのほとんどは、魔術士か魔術も使う騎士で構成されているからな」


 ジルドの話を聞いて、テオドアはなるほど、と膝を打つ思いだった。それならばルドガーが幹部候補に上がる理由も頷ける。

 それと同時にテオドアは、けれど、とも思う。

 けれど、エレミヤ聖典騎士団で、魔術士は異端だ。そういうことになっている。騎士団の不文律とか、そういう話だ。

 だから、いくら魔術士によって運営されている騎士団であるといっても、魔術士のテオドアが、現場でまともな扱いを受けるなんてことは、ない。騎士団内部の事件捜査を行う『審問官』という役職を得ていても、だ。

 魔塔から派遣されたジルドとテオドアは、騎士団にとっては部外者と同じもの。ふたりが騎士団から割り当てられた役目は、団内で揉め事や争い、事件などが発生した際に第三者的な立場で調査を進める審問官という役職だった。

 それは当然、表向きの事情。

 裏向きの本音はこうだ。魔塔は若いのに有能優秀で政治もできる魔術士や、厄介な魔術を積極的に開発して使いだすような魔術士を塔から追いだしたかったし、騎士団は身内を庇って虚偽の報告をするような不正の温床となるような機関ではなく、公平公正な振る舞いをする組織を騎士団内に持ちたかったから。

 利害関係が一致したに過ぎないのだけれど、上層部が魔術士で固められているのなら、ジルドも幹部候補なのでは、とテオドアは思わず勘繰った。


「……まあ、いい。お前の持ち込んだ厄介ごとをどうにか処理するのが俺の仕事だ」


 ジルドはそう言うと、ふう、と短く息を吐いた。

 どうやらジルドの中で各種算段がついたらしい。黒い革張りの椅子の包容力がある背もたれにゆったり身体を預け、血色のいいくちびるをニヤリと吊り上げる。


「テオ、お前の望みはなんだ?」

「違和感の正体を知ること。そして、真実を白日の元に晒したい」


 テオドアはジルドの問いに即答した。格好つけて言いはしたものの、テオドアの望みなんて、正義感だとか真理探究だとか、そんな大層なものじゃない。

 あやふやで、よくわからない違和感をなくしたい。このままではパズルのピースがかけたまま。未完成のパズルは気持ち悪くて、放っておけない。

 なによりも、犯人とテオドアにしかわからないデラクレスの最期、という物語を完璧なものに仕上げたい。

 そんな欲望まるだしの答えに、ジルドは笑うでも呆れるでもなく、頼もしい上司の顔で力強く頷いた。


「わかった。お前に全面的な捜査権を与えるよう、俺のほうから警察局局長に話を通しておこう。……まあ、取れて2日だな。それ以外のルドガーとの個別交渉はお前に任せるが、くれぐれも無茶な要求はしてやるなよ」






 その後。

 調整をかけるから明日の朝に警察局へ顔をだせ、というジルドの指示を受けたテオドアは、有能優秀な上司の言葉に従って明朝9時ぴったりにルドガーの元へと足を運んだ。

 ジルドは宣言通り、2日の猶予をもぎ取ってきた。どうやって取ってきたのか、は聞かないことにした。それを聞くのは野暮だから。

 テオドアは審問局がある東棟から騎士団の砦城本館を経由して、西棟にある警察局に顔を出す。局員達は忙しそうに書類仕事や小会議を行なっている。テオドアへの指示を伝言魔術を使って簡易的に伝えてきたジルドとは大違いだ。


「オラニエ様、おはようございます。ルドガーさんをお呼びしましょうか」


 警察局の受付でテオドアに声をかけてきたのは、小柄な騎士だった。丸い輪郭、華奢な腕。細い首と、長い脚。初夏だというのに余分に羽織ったコート。確かにその騎士は男性に見えるのに、テオドアは直感的に違和感を覚えた。だからテオドアは一度目を瞑って、ゆっくり開けた。目を開けてから視える世界は、それまで視ていた世界とはまるで違う別世界。

 ひとは皆、魔力を持って生まれてくる。魔力や魔法を忌避し、拒絶している騎士もそれは同じこと。テオドアの目に視えるのは、ひとが持つ生命の輝き。魔力の爪痕。テオドアは、誰がどのような魔術を使ったのか、という魔術の痕跡を色として視ることができる魔術士だ。

 テオドアが受付の騎士をジッと見る。騎士を取り巻く魔術の痕跡——魔術痕色が、暗い桃色に輝いている。


「……君、もしかして」

「しっ。大きな声で言わないでください」


 小柄な騎士が声を顰めてテオドアを睨む。彼は、いや、彼女は性別を偽って騎士団に入団した女性騎士だった。

 騎士団の団員は、根本的な体格や体力、腕力の関係で男性が多い。女性騎士がいないわけではないけれど、男性ばかりの閉鎖的な社会で女性が暮らしていくのは難しい。それ故に、彼女は性別を偽る魔術を使っているのだろう。

 彼女は真剣な眼差しでテオドアに囁いた。


「警察局には多いですよ、姿眩ましや視界改竄の魔術を使って勤務する女性騎士が」

「それ、おれは把握していないなぁ。……無申告?」

「見逃していただけませんか。騎士団は男性社会なんです」

「それでも、しがみつきたいほど魅力的なんだ?」

「信仰者を守る者の不正を取り締まる——こんなに魅力的な仕事はありません」


 胸を張って堂々とのたまう彼女の姿は、どこか仄暗い眩しさを感じるものだった。

 魔術士を忌避し、嫌悪する騎士団のなかで、警察局だけは特別だ。ルドガーのような魔術士すら自分の駒として使う人間がいるだけじゃなく、彼女のように魔術を使う騎士がいる唯一の部署だから。

 騎士とはいえ、創世の魔女の祝福によって魔力を身に宿して生まれてくるのだ。その魔力を魔術として放出するのが魔術士で、身に宿る魔力を物理力に変換して使うのが騎士である。騎士は魔術士に対抗するため、魔女の祝福を自らの意思で拒絶することによって魔術を防ぐほどの力を得ている化け物だ。

 騎士団の中では、魔術士は異端。

 それでも魔術を取り入れる試みを行う騎士は、いる。魔術を取り入れた結果、前線を担う各部隊ではなく警察局という騎士団の内部組織に左遷されることになった存在。異端に片足を突っ込んだ者。それが、警察局の騎士である。


「そうだとしても、無申告はいけないなぁ。使える術式は偽っていいから、申告しておくことをおすすめするよ」


 申告なしに魔術を使い、それが露顕したら困るのは彼女だ。魔術の無申告での使用は、騎士団の内部統制規範によると重罪で、よければ追放、悪ければ重い処罰が待っている。


「ところで、牢獄に繋がれた第三部隊副隊長は、なにか喋った?」

「いえ。ロウ副隊長……いえ、ロウ容疑者は、ルドガー捜査官が一晩かけて尋問を行いましたが黙秘を貫き通しました」

「そっか。黙秘か……ルドガー相手に、黙秘、ね。根性あるね、さすが副隊長」

「まるで自ら罪を被りたいかのようでしたよ」


 彼女はしれっとした顔で、そんなことを言った。ルドガーの尋問に同席しての証言だ。信用できる話だろう、と思いながら、テオドアは彼女の考えを探るように淡褐色ヘーゼル眼をきらめかせて聞いた。


「君、ルドガーが下した判断を盲信してるわけじゃないんだ」

「ルドガーさんは第三部隊絡みとなると、途端に目が曇るので」

「へぇ……君、ルドガーのこと、よく見てるね」


 テオドアが顎をさすりながら感心していると、テオドアの姿を見つけたらしいルドガーが、損なわれた機嫌を隠しもせずにテオドアの元へ駆けつけてきた。


「なにか御用でしょうかね、上級審問官殿?」


 ルドガーは言葉の端々に氷の棘を纏わせて、慇懃無礼にそう言った。眼鏡の奥で深緑の眼に薄氷色の灯が光っているけれど、無意識だろう。彼もまた、警察局の騎士——つまり、魔術を使う騎士だから。魔術士を忌避しないルドガーは、魔術士を理解するために魔術も使う。馬鹿正直に申告した結果、警察局に飛ばされてきた、と聞いたことがある。


「機嫌が悪いようだが、どうかしたのかルドガー」

「オラニエ上級審問官殿とその上司殿のお陰でこうなっている。知らないとは言わせない」


 鶴の一声という理不尽な圧力によって自身の捜査を中断させられたルドガーは、氷点下並みの冷気を纏っていた。そのせいで彼の同僚たちは初夏になろうという季節だというのに、みな厚着をしている。

 警察局内の冷えた空気に、テオドアは思わず胸の内で思った。冷房魔術知らずだな、と。口にしてからかわなかったのは、そんな軽口を言える雰囲気ではなかったから。

 氷雪の空気を纏うルドガーは、真夏以外は近づきたくはない。テオドアでさえ、そう思うほどの凍てつく寒さ。

 無意識に冷気を放出してしまうだなんて。ルドガーの機嫌の悪さは、どこからくるのか。一晩かけても副隊長から自白を得られなかった苛立ちか、それともジルド経由で警察局の上司からかけられたストレスのせいか。

 ルドガーの魔力は上手く循環させることができずに、氷の結晶となって漏れていた。そう、雰囲気だとか空気だとか、そういうふんわりしたものではなく、実際に魔術現象として警察局内に氷雪が舞っている。

 そんな姿を見て、テオドアはなるほど、と思った。

 魔術も使う騎士。ならば、やはりルドガーは幹部候補なのだ、と。それを本人が知っているかは別として。

 とにもかくにもテオドアは、にこりと最上級の微笑みを浮かべた。もしかしたら、ニンマリ、だったかもしれない。そうして、不機嫌の雪嵐と化したルドガーに全然無茶ではない要求を告げるのだ。


「ルドガー、話は通っているな? 早速だけど、ロウ副隊長が収監されている独房と鎖の鍵をくれ」




 ガチャリ、と金属同士が噛み合う音が響いて、黒鋼鉄製の格子扉が解錠された。

 ルドガーから借りてきた鍵をなくさないよう長衣ローブのポケットにすぐさましまい、テオドアは格子に手をかけた。

 指先に冷たさを感じながら、ゆっくりと開く。意外にも錆びた音は響かなかった。するりと滑らかに開けられた扉の隙間へ身を潜らせて、暗く狭い牢内へ足を踏み入れる。


「……誰だ」


 一歩も踏み出さないうちに、掠れた低い声が湿気った空気を震わせた。テオドアは、思わずゴクリと唾を呑む。

 天井、床、それから壁を頑丈な岩石で囲われた独房。唯一、格子扉がある側面だけが開放的で、鉄格子によって透けている。

 騎士という生き物は、物理力に秀でている。というのは、過小評価的な表現で、実際は粛清討伐対象である〈獣〉ケモノ以上の攻撃力を有している。

 だからこそ罪を犯した騎士を捕らえておかなければならない牢獄は、簡単に脱獄できないよう中央棟の地下に造られ、手足を振り回せないよう狭くなっている。この地下領域では、基本的人権という言葉と権利は泡と消える。

 廊下に立てかけられた灯用のオレンジ色の火が、捕われた男の姿をチラチラと浮かび上がらせていた。

 第三部隊副隊長ロウは、まだ容疑者ではあるが実質的な犯人として収容された。罪人らしく両手両足を鎖で繋がれ、その鎖は岩壁の高い位置に埋め込まれた吊鉤フックにかけられている。

 両腕は中途半端に吊り上がり、両脚は股を割るよう開かれて膝をつかされる、という自由や尊厳の欠片もない体勢だ。

 そんな状況でもロウは腐っていなかった。目の下に酷い隈があるものの琥珀の瞳は力強さを保っていたし、夜の藍色をした短い髪は汗と埃でヘタっていたけれど、それだけだ。

 心身ともに疲労はしている。けれど頭はいたって正常で、むしろ冷静ですらある。だからロウは、牢内へ侵入したテオドアに吠えたり噛みついたりはしなかった。そんなことをするようにも見えなかった。

 そこはさすが副隊長、といったところか。などと感心しながら、テオドアは暗闇でにこりと業務用の微笑みを浮かべて腰を折る。


「はじめまして、ロウ第三部隊副隊長。おれは上級審問官テオドア・オラニエです」

「上級審問官……? お前、魔術士か」

「まあ、そうですね」

「魔術士……」


 やはりロウも騎士か。憮然とした顔を晒したまま、肩を落として息を吐く。その姿に、テオドアは特になにも思わない。騎士にこのような態度を取られるのは、いつものことだから。

 ロウはしばらく無言で暗い床を見つめていた。テオドアも右にならえで口を施錠ロックする。そうしたものだから、ロウはいつまで経っても喋りだそうとしないテオドアに、ついに折れて口を開いた。


「俺になんの用だ」

「ロウ副隊長に面会を。場合によっては外へだします」

「……外へ? 釈放ということか?」


 頭上に疑問符を浮かべたロウが身じろぎするのに合わせて、彼を拘束している鎖がジャラリと揺れる。その不快な音を聞きながら、テオドアはゆっくりと首を振った。縦ではなく、横へ。


「残念ながら、そこまでは。でも、でられますよ。おれに協力してくれたなら」

「はっきり言え。俺は考える担当じゃないんだ」

「ああ、そういうのは隊長の仕事でしたか」


 悪意はないけれど、わざとらしい揶揄をこめた言葉をテオドアは遠慮なく投げつけた。当然、ロウは口をつぐんで長く沈黙する。

 ぎゅうっと噛み締められたくちびる、口の端から滲みでた赤い血。ロウは鎖に繋がれたまま暴れることもなく、流血するほど燃え上がった激情を押し殺していた。

 頬には乾いてこびりついた血痕。ああ、これは確か、デラクレス隊長の。テオドアは黙ったままのロウを、じっくり観察する。

 呼吸をひとつ、ふたつ。ロウと幾ばくか距離をとっているテオドアの耳が捉えることができるほど大きく吐いて、それから吸う。

 それを、2回。そうしてロウからギリリと奥歯を噛み締める音がした。


「……、……そうだ」


 ロウは無理矢理絞り出したような枯れた声で肯定し、眉間に思い切り皺を寄せて肯首した。

 ロウが見せたのは理性的な素振りだ。テオドアが甘い考えでロウの感情を揺さぶろうとしたというのに、苛つくどころか認めるなんて。

 だからこのひとは、第三部隊副隊長を務めることができたんだ。と、テオドアの胸の内でなにかがストンと腑に落ちた。

 そうして、騎士という生き物に抱いていた一方的な固定概念からくる警戒心だとか嫌厭感だとか、そういうものをスルリと解いて、テオドアはロウという男にはじめて向き合う。

 それはつまり、遠慮なく疑問をぶつける、ということ。


ちまたでは、ロウ副隊長がデラクレス隊長の命を狙っている言動や、実際の演習中に不意打ちで襲いかかるなどの問題行動をとっていた、と囁かれていますが真実ですか?」


 テオドアが煽っても理性的な返しをしたロウのことだから、否定が返ってくるだろうと期待した。

 そう、期待。そして、希望的観測からくる期待は、たいてい裏切られるものだ。だからテオドアは、自分が抱いた期待に秒で裏切られた。


「残念ながら真実だ」

「マジかよ」


 テオドアはロウから返ってきたあっけらかんとした肯定に、思わず素でそう返した。そうして、左手で額を押さえて顔を顰めながら小さくうめく。

 なんでだよ、そこは否定してくれ。感情の爆発を抑え込めるくらい理性的なんじゃなかったのかよ、と。テオドアは思い通りにいかない現実に眩暈がした。


「……失礼。思わず、素がでました」


 テオドアは短く謝罪すると、思考を切り替えるために息を吐く。


「はぁぁぁ、どうしよっかな。視るのが一番早いんだよな。でもなぁ……さっき隊長の記憶参照したばっかりだしな……」


 言って、テオドアは首の後ろをガリガリと掻く。テオドアの言葉に反応したロウがハッと息を呑む音を聞きながら、ぐるぐると頭を回す。手っ取り早く魔術を使えばいいのだけれど、それができない事情がある。

 あの魔術は絶対に連続使用をするな、と同期の医療魔術士ドクターが言っていた。けれど、無理に使おうと思えば、まあ、それなりに使えることを、テオドアは知っている。

 新しい魔術を開発した場合、良心的で研究熱心な魔術士ならば、大抵は耐久負荷試験を行う。テオドアも、そう。もちろんやった。

 連続行使はどのくらいできるか、魔力消費量はいくらか、こめる魔力の最大値はどこまでか、副次的効果あるいは作用があるのかないのか……など、自分以外が使用した場合に注意すべき点を周知させる必要があるから。

 正式名称はまだ決めていない記憶参照魔術を開発した際にも当然試験は行った。行った結果、相棒である医療魔術士ドクターからは、オレのいないところで連続行使は絶対にするな、と口を酸っぱくして言われたのだけれど。

 どうしようか、こうしようか。と悩んでいると、鎖をガチャガチャ揺らしながら、動揺に声を震わせたロウが叫んだ。


「おい、魔術士! 隊長の記憶と言ったか!?」

「うるさいな、こっちはこれからどうするか考えてんですよ」

「!?」


 拘束されている騎士など、恐るものはなにもない。思考を中断させられたテオドアは不機嫌に顔を歪めて一括すると、一度ため息を吐いた。

 そして、機嫌の悪さを隠しもせず投げ遣りに言う。


「……ああ、記憶の話ですか? おれの魔術で視ただけですよ」

「……なに? それなら!」

「ですが、万能ではないんでね。こうしてあんたの顔見て話して……まあいいや」


 言いかけてやめたのは、話しかけた説明をやめたから、というわけではない。テオドアが、自身の言葉遣いの悪さを自覚したから。

 いくら今は容疑者で牢に繋がれているとしても、相手は副隊長だ。もう少し敬意を払うべきか、と数秒だけ思案して、結局やめた。

 すでにいくらか不敬を重ねているのだ。ロウが礼節を重んじるタイプなら、一言三言なにか言われていなければおかしい。それがないのだから、多分、きっと、大丈夫。

 テオドアは気持ちを切り替えて、険しさと疲労が滲むロウの顔を真正面からジッと見る。


「ロウ副隊長。おれはあんたがデラクレス隊長を殺すところを視ました。その上で聞きます。……あんたは殺してませんね」

「おい魔術士、その質問は矛盾してるぞ」

「わかってます。でも、あんたじゃないでしょ」


 不躾な物言いで言い切るテオドアに、思わずといったさまでロウが、ふ、と笑った。


「ああ、俺は隊長を殺してない。俺が殺すはずがない。いや、いっそのこと、俺が殺したことにしたい」

「……あんたが肯定した噂と矛盾しますけど?」

「わかってる。それでも俺じゃない。俺が演習場で隊長を見つけたときには、もう……」


 そう言ってロウは項垂うなだれた。どのような表情をしているかは、テオドアにはわからない。うつむいた藍色の頭は旋毛つむじを見せているから。

 吐いて、吸って。また吐いて、吸う。テオドアはふた呼吸分の沈黙を、悲しみか悔しさか、あるいはもっと別の感情かに揺さぶられ身体を震わせているロウと、今は亡きデラクレスへ捧げた。

 それからすぐに「では、」と切りだして、テオドアは繋がれたロウの目の前まで歩みを進める。背中の後ろに隠した手で、腰に吊り下げていた小鞄バッグの中を漁りながら。

 そして、にこりと仕事用の笑顔を貼りつけて口を開いた。


「おれの方針を言います。おれはあんたを全面的に信じることはできません。今はあんたの味方みたいな真似してますけど、審問官なので。でも、多分、あんたは殺してない。殺してないんだ。……けれど、あんたが殺す場面シーンを、おれは視た」


 そこで一旦、テオドアは言葉を区切る。少しばかり感情的になってしまったから。

 デラクレスの記憶を視てから、どうにもおかしい。つい、ロウに肩入れしてしまう。引き摺られているのだろうか、それにしたっておかしい。おれの魔術は記憶を参照するけれど、思考や感情には触れられないのだから。

 テオドアは気持ちを切り替えるように、あるいは誤魔化すように咳払いをひとつして、小鞄バッグを探ってあるものを取りだす。そして、それを後ろ手にぎゅっと握りしめながら、仕事用の微笑みビジネススマイルを浮かべ直して話を続ける。


「なので、その矛盾を解消します。……その手順として、まずはこれを」


 そう言って、握りしめていた首輪を素早くガチャリとロウの首へ嵌めてしまった。


「……なんだ、コレは? 俺に犬になれってか?」


 と言って首を傾げるロウの顔には、皮肉の笑みが浮かんでいた。

 首輪を嵌めた者として説明をする義務が発生したテオドアは、改心したかのように無作法な態度を改めて、箇条書きを読み上げるかの如く丁寧な棒読み口調で答えを返す。


「逃亡防止用の首輪です。おれからある程度の距離離れると、かなり強烈な麻痺がかかります。おれを殺そうとしても麻痺します。その代わり、この牢からでられます」

「……コレを遠慮するってのは?」


 テオドアはロウを拘束する鎖をルドガーからほとんど強引に入手した鍵で外すと、引き攣った顔で問うロウに向けて首を振る。

 縦ではない。大きく、ゆっくり、勿体ぶって、横へと。そうしてテオドアは、いい笑顔を浮かべて朗らかに告げた。


「もうつけちゃいましたし、無理ですね!」


 ——と。





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