第5話 審問官と容疑者は襲われる

 一度閉じて、再び開いた視界に映るのは、ゆらりと立ち昇る薄黄緑色の光。生命あるものから滲みでた魔力の光。それはつまり、襲撃者たちの位置情報となる。


 テオドアは視界に展開された光のうち、自分やロウへ向かってくる光だけ座標位置を把握して目標配置セットする。これで、撃ち漏らしも、撃ち間違いもなく広範囲の魔術を展開できる。

 テオドアが使える魔術は、記憶参照の術だけではない。専門がそれであるだけで、それ以外にも弾はある。


 なにせ騎士団に派遣されるまでは魔塔の魔術士だったのだ。状況特化のピーキーな魔術はお手のもの。今は、魔術の痕跡と魔力の流れを視覚的に認知する魔術を展開している。


 この世に産まれた生命あるものに魔力の祝福を。と言って、創世の魔女はこの世界を構築した。さらに詳しくいうならば、誰もがみな、手のひらに火球を生みだして飛ばせるくらいの魔力を与えよう、と言ったと伝えられている。


 騎士は魔術を使わない。けれど、魔力を物理力に変換している。つまり、魔力自体は持っているということ。だからテオドアの魔術が効果を発揮する。


「おれとの距離、忘れないでください!」


 テオドアは首輪の機能に気をつけろ、とジェスチャーしながらそう言って、ロウの後ろへジリジリ退がる。その間にも、二重、三重展開を覚悟して次の魔術式を構築してゆく。


 テオドアと入れ替わるように前へでたロウは、武器を持たない。牢からでたばかりなのだから、仕方がない。徒手空拳で迎え討つしかない。


「……どこの部隊だ」


 ロウが威嚇するように低く吠えた。広くはない回廊に、テオドアとロウのふたり以外に敵意剥きだしの襲撃者お客さんが5名。ガサリと木葉を揺らし、樹木をかき分け姿をあらわす。左右に2人、前方に3人を確認した。


 襲撃者の装いは、統一的だ。黒いフードを目深に被り顔を隠している。フードの下には隊服だ。画一的な戦闘隊服。エレミヤ聖典騎士団の隊服は、礼装と正装以外は統一されている。


 どこに所属しているのかを区別するには、襟と肩に縫いつけられている隊章を見るしかない。肝心のその隊章は残念ながら剥がされていて、どこの誰に襲われているかはわからない。


 当然、襲撃者たちがロウの問いに答えるわけもなく、1人を残して4人がジリジリと囲いを狭めてくる。

 と、その時。

 方角的には東のほうから、地響きのような低く重い爆発音が、地面と空気を伝って響いてきた。


「……ッ、……爆発⁉︎」


 東方向、といえば、審問局がある棟がある。テオドアは、まさか、と頭を振って否定して、けれどすぐに、そうなのか? と喉を鳴らす。


 ジルドには『個人要塞』という二つ名がある。つまり、それだけ防護魔術に長けている、ということ。けれど、もし、襲われたなら相手は騎士だ。無事ではいられないかもしれない。


 そうはいっても、今はジルドの心配をしている場合ではない。ロウの正面に陣取り、襲撃者たちの指揮を取っているらしい1人が、右手で合図をだしたから。


 攻撃開始の合図をだされた残りの4人は、ロウめがけて一斉に動きだす。

 まずは前方から2人。抜き身の両手剣ロングソードを構えて駆けてくる。左右の2人もひと呼吸遅れて飛びだした。


 ロウは4対1になる前に大きく踏みだし間合いを詰めて、襲撃者が剣を振りかぶるその前に、素早く相手の懐へぬるりと潜りこむ。

 すると、ガンッ、と硬い音がして襲撃者がよろめいた。膝からドサリと崩れる襲撃者。ロウの右手には奪い取ったらしい両手剣ロングソードが握られている。


「お前らが、どこの誰だかわからないとでも思ったか」


 地を這うような、腹の底をさらうような強圧的な声が響いた。怒気を孕んだその声はロウのもの。テオドアの眼には、ロウの魔力が威圧プレッシャーに変換されてゆらりと立ち昇る様がよく視えた。


「……ッ、…………っ」


 ロウの威圧プレッシャーに気圧されたのか、前方の1人と、左右から襲おうとしていた2人が足を止める。その頬にはジワリと汗が滲んでいた。

 それでも様子を窺いながらジリジリと距離を詰めようとするのは、さすが騎士か。


 残る指揮官らしき人物は、威圧プレッシャーの範囲外なのか平然と立っている。ロウとの距離は、およそ7メートルか。首輪の効果の範囲ギリギリだな、とぼんやり思いながら、構築していた魔術式に最後の方程式を編みこんでゆく。


 そうしている間に、ロウは威圧プレッシャーだけで襲撃者たちを追いこんでいた。


「威圧に屈せず声も漏らさないのは褒めてやろう。だが、連携が取れていない。指導してやろうか」


 淡々と吐きだされるロウの台詞。そこには好戦的な色も、狂気の気配もなにもない。噂されている第三部隊副隊長の印象イメージとは、まるで違う。

 ただ、魔力を威圧プレッシャーとして表出させているせいか、琥珀色の瞳の中に爛々と輝く蛍火色の光だけが、噂の面影を残している。


 厳密にいうと、ロウが発した威圧プレッシャーは魔術ではない。魔力の発露だ。けれど、ここまで強力な効果を発揮するとなれば、それは、もう、天性の才能、天才としか呼べない。

 けれど、今は、そんなこと。どうでもいい、と切り捨てて、一歩前へ踏みだした。


「残念、その機会はあげられません。みなさん、おれが魔塔から派遣された上級・・審問官だってこと、忘れてるみたいなんで」


 言うが早いかテオドアは、構築し終わった魔術式に魔力を流して展開し、魔術として発動させた。

 ——と。

 音もなくソレ・・は出現した。あるいは、一瞬にして構築された。


 透明度の高い水晶クリスタル壁に封じられたのは5人の襲撃者たち。まるでなにかの標本のように捕われて、呼吸くらいしかできなくなっている。

 ソレは、捕らえ封じたものの魔力解析を自動で行う。解析情報データ水晶クリスタルの壁面に自動で綴られるという魔術だ。


「あらら。第三部隊所属の方々だったとは」

「俺には人望がないからな」

「ええ〜、そうは見えないですけ、……どッ⁉︎」


 油断した。テオドアは、襲撃者たちを捕らえきったと思って気を抜いていた。

 テオドアとロウから一番遠い、およそ6、7メートル先。水晶クリスタルに封じられていた襲撃者の眼が。目深に被ったその奥で、赤紫色の光が仄暗く灯る。


 光の色に個人差はあれど、あれは、魔力や魔術を使うときの特徴そのもの。

 テオドアはその光の色に既視感を感じて、反応が一瞬遅れた。


「……ッ、……!」


 逃げだしたのは指揮役だ。水晶クリスタルに名前が表示される前に、無理矢理術を破った。らしい。テオドアの眼は、魔術の痕跡を視る眼は、その方法をはっきりと視た。


 どうやって? ——魔術を使って。

 そう、指揮役の人間は騎士だというのに、拘束魔術に捕らえられているにもかかわらず、魔術を使って拘束を打ち破り、脚をもつれさせてよろめきながら逃げだした。


「嘘だろ、マジかよ!」

「クソッ、おい待て逃すか!」


 テオドアとロウが焦り声で叫んだのは同時だった。そして咄嗟の判断でロウが逃亡者目がけて跳ねるように駆ける。


「あっ、ロウ副隊長! 距離が——っ!」


 駆けてゆくロウと、驚愕で固まったままのテオドアの距離は、……8メートル、9メートル。このままでは首輪の効果が発動してしまう。

 そう思って、テオドアはどうにか一歩踏みだした。けれどそれは、焼け石に水。呼吸をしている間に、ついに10メートル。ロウに嵌められた首輪に可視化された電気がパリパリと走る。


 駄目だ、と思ったのは、テオドアだけだった。

 首輪の範囲外にでてしまったというのに、ロウは動きをとめなかった。執念のような気迫と胆力で、ロウは麻痺に一瞬だけ耐えた。


 ロウにとっては、その一瞬だけで充分だった。大きく踏み込んだ剣背での一撃が、逃亡者の背中に打ち込まれたから。


「……っ、ぐぅ……」


 倒れてうめくその声は、果たしてどちらのものだったか。はっきり言えることは、ただひとつ。

 この回廊で意識と自由のあるものは、テオドア・オラニエただひとり、ということ。それだけだ。



 そういうわけで、テオドアはロウが打ち倒した逃亡者を物理的に拘束してから、改めて水晶クリスタル壁に封じ直した。

 そうして、首輪の効果で麻痺して気絶したロウが目覚めるのを待っていると、回廊に見知った人物があらわれた。


 東棟方向からきた人物——ジルドは、テオドアが知らない騎士をひとり連れている。枯れ草色の髪、傷が残る顎。それに気づいたテオドアは、話したこともない騎士の名前と存在の重要性に気がついた。


 疲労と驚愕で呆けたテオドアの頭に血が巡る。ぼやけた視界と脳みそが一瞬でクリアになったような感覚。

 鍵はすべて揃った。それはつまり、解決までに24時間も必要としなかった、ということ。


 今にも叫びだしそうになったテオドアの、理性の手綱を引いたのは、テオドアに駆け寄ったジルドだった。

 数時間前までは長い髪をふわふわとさせていたのに、今はどうしてか、短くなっているジルドの、テオドアの無事を喜ぶ声。


「テオ、無事だったか!」

「……ボス? どうしたんですか、その髪」

「ああ、この髪か? これはな、審問局に攻撃をしかけた命知らずの最後の抵抗だ」


 ジルドはそう言って、短くざんばらに刻まれた髪の毛先を捻って見せた。ジルドの長い髪が犠牲になるほど苛烈だったのか、ということよりも、テオドアは審問局が襲われたことに驚いた。


 襲撃されたのと同じ時刻に聞こえてきた爆発音は、やはり審問局で起こったのか。と、淡白に思い返しながら、サッと視線を走らせる。ジルドの全身へ、だ。

 視線に魔力を乗せて、簡易走査スキャンの魔術を使う。ジルドに、斬られた髪以外の外傷は存在しなかったことで、いつの間にか緊張して強張っていた身体から、スッと力を抜いた。


 そうしてテオドアは、冷えた眼差しをジルドへ向ける。


「もしかして、わざと受けましたね? 騎士の剣を」


 そうでもなければ、あのジルドが髪を切り刻まれることなど、起こるはずがないのだから。

 思ったとおりジルドはから笑いをしながら肩をすくめると、連れていた騎士の背中をバンバン叩く。


「ははは、仕方なかろう。なかなかの手練れだったが、このデヂモ君の腕には及ばない。おかげで助かったよ、礼を言う」 

「いえ、当然のことをしたまでです。というか、多分、襲われたのはオレがいたからなんで」

「それ、どういうことです?」


 テオドアは、襲われた理由が自分にあると自己申告したデヂモに、思わず冷ややかな声で理由を問うた。

 ジルドが、お前顔怖いぞ、だなんて抗議しているけれど、それは無視。テオドアはデヂモに詰め寄るよう二、三歩踏みだし距離を縮めた。


 耳元でドクドクと脈拍の音がする。喉は渇いて唾液を呑みこむ動作ですら億劫だ。酷い顔をしているのは、自覚している。表情が抜け落ちて固まったような、そんな顔。


 けれどテオドアには、そんなこと、どうでもよかった。大事なことは、どうして審問局が襲われたか、だ。

 その様子と形相に気圧されたのか。デヂモは頬を引き攣らせ、なぜかジルドの背に隠れて身を縮こまらせている。


「オ、オレ、うちの副隊長は殺ってない、って証言したくて。それで審問局を訪ねたんすけど」

「デヂモ君が審問局内に入る、その一瞬の隙をついて襲撃された。……テオ、相手は魔術に造詣が深い変態だ」

「変態って……それじゃあ魔術士はみんな変態になるじゃないすか。ジルド局長も変態ってことに?」

「もちろん、騎士だというのに、という前置きがあるがな」


 死地を共にしたものは、妙な連帯感やあらゆる情を抱きやすい、というが、まさかジルドとデヂモもそうなのか。テオドアは、騎士であるデヂモを庇うジルドに衝撃を受けた。


 会って話して数時間も経っていないだろうに、ジルドとここまで軽口を叩き合える仲になるなんて。もしかしたら、デヂモは優秀な男なのかもしれない。人タラシとして。

 と、そんなことをテオドアが思っていると、得意気な顔でジルドが胸を張る。


「それで、どうだ? この情報は役に立ちそうか?」

「ダメですね。それはもう、知ってます。おれたちも襲撃されました。そのうちの1人が魔術を使って……手抜きしたわけじゃないですけど、騎士のひとりに拘束魔術を破られました」


「……なんだって?」

「破られたんです。でも、ロウ副隊長の根性の一撃のおかげで、取り逃す失態は回避できましたよ」

「ああ、だからロウ副隊長がそこで寝てるのか」


 ジルドがそう言って、倒れたままのロウを見る。なお、ロウが握っていた剣は、テオドアが責任を持ってロウの手から剥がし、傍に寝かせて置いておいた。


 ロウが麻痺による気絶から回復するのは、あと少しかかるだろう。目覚める前に、手配できることをしておくか。テオドアはそう考えて、ニヤリと笑う。ジルドに部下の、可愛いお願い、とやらをすることにした。


「ボス、ちょっと頼まれてください。ちょうど関係者が揃っているんで、ルドガー捜査官とイーヴォ第一部隊隊長を呼んできてください。あ、ゲレオン副隊長は不要です」

「おい、テオ。上司使いが粗くないか?」

「まさか。それでこそボスでしょ。ボスはボスの仕事をしてください。おれはおれの仕事をするんで」


 告げてみたら、まったく可愛くないお願いだった。だから仕方なしに肩をすくめてみせたテオドアは、唖然とするジルドを放置して、次はデヂモに向き合った。

 そうして、審問官としての指示をする。


「デヂモさんは、彼らが来るまでおれと一緒に襲撃者たちの見張りを。……デヂモさんにとっては仲間で、複雑な思いだろうけど、おれたちが襲われたことには変わりないんで」

「いいっすよ、大丈夫っす。それにオレは少数派なんで」

「少数派?」

「そ。少数派。オレは数少ないロウ副隊長派なんです」


 デヂモはテオドアに向かってバチンと大袈裟に片目を瞑ってみせてから、軽い口調と軽い態度で、そう軽く請け負ったのだった。

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