第4話 審問官は容疑者に聞き取りをする

 そういうわけで、中央棟地下の上級騎士を拘束するための専用牢獄からロウを連れ出すことに成功したテオドアは、ひとまず上司のジルドが書類に埋もれながら仕事を片づけているであろう審問局へ向かうことにした。


 審問局がある東棟へ向かう回廊は、両脇を背の高い樹木で囲われている。石畳をゆく足音がふたり分、カツカツと響いている。それ以外は、風の音と葉擦れの音。時折、遠くのほうから聴こえてくる雑談や慌ただしく駆ける音が風に混じって流れてくる。


 この場面だけを切り取れば、なんて長閑のどかな光景かと錯覚してしまうな、とテオドアはぼんやり思った。けれど、ここは、見かけのとおり安全で平和な場所、ではない。


 テオドアが連れて歩いているのは首輪つきとはいえ殺人の容疑者だったし、その容疑者も、テオドアだけが罪を犯していないはず、と思っているだけで、ルドガーも彼の同僚も、あの現場に関わっていた騎士はみな、ロウが犯人だと信じている。という状況だ。


 全然、これっぽっちも、安全じゃない。安全なのは、審問局だけ。

 エレミヤ聖典騎士団内で一番安全な場所は、ジルドのいる審問局だ。魔術士にとって、という注釈がつくけれど。

 ジルドは局長なだけあって、本拠地と定めた領域を防護する魔術にけている。だから、彼のそばにいれば、ひとまずは安全だ。


 そもそもの話、魔術士にとって騎士という生き物は天敵だ。

 この世界と創世の魔女との盟約で、生命あるものは例外なく魔力を有して生まれてくる。騎士だって、そう。

 けれど騎士という生き物は、せっかく授かった魔力を否定して、物理力に変換している。もう少し正確にいうと、常時魔力を供  犠サクリファイスとして、魔術に対抗できるほど強力な物理力を得ている、ということ。


 そうして得た力は絶大で、いとも容易く魔術師を屠る。

 だからといって、騎士が魔術士たちを従えられるほどの力を持っているか、というと、そうではない。

 騎士は圧倒的に数が少ない。そもそも成り手がいない、という話。


 エレミヤ聖典騎士団は、エレミヤ聖典教会に属する下部組織だ。エレミヤ聖典教会は、創世の魔女が残した教典や遺産を管理し、人々を正しく導くことを使命としている。魔力の使い方、つまり魔術の使い方は、大体のひとが教会で学ぶ。


 そういう環境の中で、騎士を専攻して進むひとは極少数だ。騎士になるということは、魔術行使の機会を放棄するのと同じこと。いくら騎士団が、エレミヤ聖典教会の信仰の守護者としての役目をになっているのだとしても。


 それに、エレミヤ聖典教会の影響下にあってもなくても、便利で生活に欠かせない魔力や魔術を使わず生きる、という考えを抱くひとは、ほぼいない。

 だから、魔術士が先で、騎士が後。

 けれど騎士団内では、騎士が先で、魔術士が後だ。


 周囲は魔術士殺しの技に長けた騎士だらけ。いつでも魔術士を殺せるものに囲まれている、ということ。

 だから、騎士団に派遣された審問官が、表向きは安全な職務を与えられていたとしても、請われて配属された『オキャクサマ』的な立場であったとしても、魔塔や魔術士から見ればそれは厄介払いの左遷だし、ストレスフルで生命の危険が伴う最前線だ。


 テオドアがロウに麻痺機能つきの首輪を嵌めたのも、容疑者を連れ歩くため、という理由のほかに、そういうわけがあったから。そして、騎士団内で魔術士が安全に引きこもれる場所が、ジルドがいる審問局、というわけ。


「……なあ、お前。俺が隊長を殺すところを見たって言ったよな」


 回廊を半ば歩いたところで、ふいにロウがそう投げかけてきた。ぼそりと低く呟かれた問いを拾ったテオドアの耳は、ロウがゴクリと唾を呑む音まで拾う。

 殺されたデラクレスと、副隊長であったロウが、どのような人間関係を築いてきたのか、なんて知らない。けれど、ロウの震える声音から拾える感情と憶測は、彼が隊長を随分と深く慕っていたのではないか、ということ。


 けれどその感情は、ロウが肯定した噂と矛盾する。

 いわく、第三部隊の副隊長は上司である隊長の命を狙っている。

 いわく、第三部隊の副隊長は隊長に不意打ちで襲いかかって返り討ちにされたらしい。


 慕っているのに、なぜ、矛盾した言動をとっていたのだろう。と、テオドアは不思議に思いながら、騎士という生き物をまだよく理解できていない自分の不勉強さに自嘲する。

 その否定的な笑みを、つい、うっかり。外へ漏らしてロウに気づかれた。怪訝な顔をされてしまったから、テオドアは内心焦りながらひねた物言いでこう返す。


「お前、じゃなくて魔塔から派遣されて常駐しているテオドア・オラニエ上級審問官です。姓でも名でも役職名でも、好きな呼び方で、どうぞ」


 と、自己紹介に無理矢理変換したのは、どうやら成功したらしい。ロウはひとつ頷いて、けれど眉間の皺は先程よりも多く深く刻まれてる。


「ならば、オラニエ。……それはつまり、どういうことだ?」

「言ったでしょ、魔術ですよ、魔術。おれはそういう魔術が使えるんです。万能じゃないんで、なんでも視れるわけじゃないですけど」


 テオドアが魔術使用時の時間と精度の問題を掻い摘んで説明すると、ロウは懐疑的に目を細めて片眉を跳ね上げた。


「お前が視たのは、本当に俺か?」

「姿形はあんたでした。声もそう。……おれが視たあんたは、デラクレス隊長と私的な演習を行う約束をしていた。だから隊長はイーヴォ第一部隊隊長にかけあって演習場を押さえたんです」

「ちょっと待て、俺は隊長とそんな約束をした覚えはない」


 というロウの自己申告に、テオドアは首を傾げて唸るしかなかった。だって、テオドアは視たから。西棟3階の廊下でロウがデラクレスを呼び止めて、個人的な演習の約束を取りつける場面シーンを。


 なら、アレは誰だ?

 藍色の髪、琥珀色の眼。そして、精悍な顔つき。隊服の襟と肩に縫いつけられた隊章と階級章は、確かに第三部隊副隊長である、と示していたのに。

 ロウが嘘を吐いているのか、それとも記憶の中のロウが別人だったのか。別人だったとして、それは、一体、どうやって?


 ここが魔塔や教会だったなら、まあ、わかる。魔術を使ったのだ、と納得できる。けれど、ここは、騎士団だ。魔術を遠ざけて力を得ている人間が集う場所。

 ルドガーのように、魔術を積極的に取り入れる騎士もいるにはいるけれど、剣術と魔術の両立は難しい。ルドガーが二刀流でやっているのは、捜査官だからだろう。前線に立つ騎士であれば、躊躇いなく魔術を捨てる。

 テオドアが黙ったまま考えこんでいると、ロウの低く響く声が横槍を入れた。


「オラニエ、考え込むのは構わないが、今は続きを話してくれ」


 痺れを切らしたのか、ロウが話の先を促すようにそう言った。

 テオドアは、驚いたように目をまるく見開いて呼吸を一拍止めた。それからすぐに話を再開する。


「ああああ、失礼。……その後……あれは誰だ? 枯れ草色の髪を真ん中で分けてる、焦茶色の眼をした中肉中背の……」

「その男は顎に傷があったか?」

「あった、と思う」

「それは第三部隊のデヂモだ」


「へえ、デヂモ。……その後、隊長はデヂモと妙な話をして……」

「妙な話?」

「そ。『珍しいこともあるんですね。——と屋内演習場で、ですか』とか、なんとか。名前を呼んだんだと思うんだけど、聞き取れなかったな。あ、おれが、じゃなくて、隊長が。でも、Lから始まる音の名前ってことだけは、わかってる」

「L……まあ、俺の名前もLから始まるな」


「あんた、とことん詰んでんな。まあ、それは置いといて。そういえば、デヂモが変な顔してたな……で、話終わって演習場へ向かった、というわけ」

「そして、手合わせが加熱して……ってとこか」

「あんた、まるで他人事ですね。まあ、実際そうなんでしょうけど。……おれはあんたの戦闘スタイルを知らないんで、アレがあんたなのか、それとも別人なのかは断言できないです」


 少なくとも、デラクレスは致命傷を負うまでアレをロウだと認識していた。けれど、とテオドア思う。

 けれど、テオドアが視たデラクレスの記憶の中のロウは、そのほとんどにノイズが走って不鮮明だったのだ。唯一鮮明だったのは、倒れたデラクレスを抱き起こしてからのロウの姿だけ。


 ということは、やはりアレは魔術を使う騎士なのか?

 容姿変貌か、認識齟齬か。物理的に変えるのか、脳に直接影響を与えるものか、視覚情報を操作するのか。思いつく限りの可能性を上げて思考を深める。

 片っ端から視てしまえば、話は早いのだけど。でも、それはできない。死者の記憶を視たばかりの脳は、疲労が回復しきれていない。そんな状態で負荷の高い魔術の連続使用は、死に急ぐのと同じこと。


 ああでもない、こうでもない。と、悩んでいるテオドアを、現実世界に引き戻したのは、またしてもロウの声。


「それで、隊長の死因と凶器は?」


 低く突き刺さるような深い声。この声はどうしてか耳によく届く。思考の深淵でぐるぐる回っていたとしても、ロウの声に呼び戻される。


 これは、ちょっと、貴重な体験だ。と、徐々に早まる動悸を自覚しながら、テオドアは場違いにもニヤけそうになる口を右手で覆った。真面目に思いだして考えている風を装うために、口を覆った右手をそろりと顎方向へ移動させる。


「死因は失血死……と見せかけて、毒による殺害。蓄積型の毒なのか、一撃必殺型の毒なのかは、今、エジェオ救護員が調べてる。凶器は、演習場の備品である真太刀の剣」

「なら、俺じゃない。俺は毒を使わない」

「あ、そうなんです? ところで、なんであんたは演習場へ? 隊長と約束したわけじゃないのに」


「第一部隊のイーヴォ隊長が演習場でデラクレス隊長が待っているぞ、と」

「あらら。……うーん、それなら、演習場に行くまでの間でイーヴォ隊長以外に話した人とかすれ違った人とか、います?」

「イーヴォ隊長以外に……? いや、いない」

「ええー」

「いや、俺はそもそも、隊長じゃなくてルカスを探していたんだが」

「え、そうなんです?」


 まったく新しい名前がロウの口から飛びだした。ロウに詳しく聞くと、第三部隊の隊員だという。黄色味の強い金髪に、赤い眼をした男で、長がつく役職にはついていないけれど、副隊長であるロウの次に実力があるらしい。


 ロウの外聞のよくない噂を茶化して笑うくらいには仲がいい、隊の方針について相談することがあって探していた、まあ友人ということになるだろうか、と話すロウの顔は、険しさが少し取れていた。


「結局、ルカスには会えなかったんだが……」

「もー、それを早く言ってくださいよ。じゃあ、あんたは隊長じゃなくて、そのルカスとかいうひとを探してた、と」

「ああ」

「ふうん、そうですか。あんたのことだから、それからまっすぐ演習場に向かって……そして隊長を看取った……」


 テオドアはそう言って、思考の渦に身投げする。

 ロウの言っていることが真実だとして、ならばデラクレスが見て、話して、そして剣を切り結んだ相手は誰だ? 可能性としてあげられるのは、魔術を使う騎士の存在。


 けれど、剣の天才と謳われたデラクレスを殺害できるほど腕の立つ魔術騎士が、果たして存在するのだろうか。

 いや、でも、犯人は毒を使っていたんだよな。それならば、幾らかは可能性がある、のか? でも、騎士の実力なんてサッパリわからないから、どう見積もればいいのか判断がつかない。


 剣の天才であるデラクレスは、騎士団内で人気が高い。高い人気は裏返り、身勝手な憎悪を生みだすことも多い。

 動機を取れば方法が。方法を取れば動機が定まらない。唯一わかるのは、暫定的な容疑者だけ。その容疑者には、動機も方法もある。


 けれど、その容疑者は違うとテオドアの直感が訴えている。自己申告ではあるけれど、ロウは毒を使わないと言っているから、動機と方法のうち、方法が崩れた、という論理的な理由も一応ある。

 それだというのに、だ。


「……本当は俺がやったんだ、と自白したらどうするつもりだ」

「やったんですか? やってないでしょ。あんたがやれるわけない」


 顔を伏せたロウが漏らした憂慮からくる自虐的な呟きを、テオドアは力強く断定的に否定した。ロウと話した結果、テオドアの頭はロウが犯人ではない、という答えを弾きだしていたから。

 テオドアが真っ直ぐロウの眼を見た。琥珀色の双眸が、疑問と不安で揺れている。


 おれがあんたの無実を証明する、という言葉を、テオドアの口が紡ぐことはできなかった。気後れしたとか、青くさい台詞を吐きたくなかったとか、そういう理由からじゃない。

 テオドアが言葉を発しようとしたタイミングで、割り込んできた声があったから。


「お。第三部隊の『狐狼の騎士』じゃん。なになにお前、魔術士の『犬』にでもなったのかよ!」

「……ゲレオン」


 ロウが忌々しそうに呟いた名前に、テオドアは心当たりがあった。

 第一部隊副隊長ゲレオン。ケラケラと笑う姿は、それほど高くはない身長と相まって幼く見える。毛先が跳ねたオレンジ色に焼けた髪、海の青さと暗さを持つ眼、そして、腰に差した双剣。


 最年少で副隊長に就任したらしいゲレオンは、見かけに反して庶務や雑務を難なくこなす。らしい。以前、珍しくジルドが誉めていたから、テオドアはそれを覚えていた。


「首輪つけてお散歩かぁ? いーね、似合ってんよ。お前、副隊長なんかやってるより、そっちの方が合ってんじゃねーの?」


 ゲレオンはロウに揶揄からかいの言葉を投げながら近づいて、テオドアが嵌めた首輪と、そしてテオドア本人とを、目を細めてジッと見た。

 品定めされているような視線に不快を覚えて少し睨み返してみたけれど、ゲレオンは気にすることなくロウに絡んでゆく。


「まー、オレはさ、お前があの狂人の元から解放されたんなら、なんでもいーんだけど」

「おい、隊長を悪く言うな」

「悪口じゃねーし。事実だし。お前だって」


 わかってんじゃねぇの、というゲレオンの嘲笑混じりの言葉が、氷を思わせるような鋭く冷たい声と重なった。


「ゲレオン、なにをしている?」


 鋭利な声の持ち主は、第一部隊隊長イーヴォ。第一部隊は会話に割り込んでくるのが趣味なのか、と疑ってしまうほどタイミングがいい。

 ゲレオンは、というと、


「やっべ、隊長に見つかった……」


 と、バツの悪そうな顔をして舌打ちをしていた。そうして、ため息をひとつ。深く短く吐いてから、くるりとロウに背を向けた。


「じゃーな、ロウ。お前の魔術士がどーにかしてくれるといいな! オレとしてはお前が犯人でもそーじゃなくても、どっちでもいーからさ!」

「おい、それは誤解……くそ、行ったか……」


 ゲレオンは肩越しにヒラヒラと手を振りながら、イーヴォの方へと向かって歩く。それを見送りながら、ロウはガシガシと頭を掻きむしって悪態を吐いていた。


 ほぼゲレオンの一方的な会話は、テオドアの意思に関わらず耳に届いていた。声をひそめるわけでもなく、あんな大声で会話していたのだから、他にも聞いている騎士がいるかもしれなかったけれど。

 だから、つい、うっかり。テオドアの耳は勝手に気になる単語を拾って集め、自分自身の好奇心を刺激した。


 そうしてゲレオンがイーヴォと合流し、その背が完全に見えなくなった頃。テオドアはポツリと呟いた。ロウの耳に届くよう、それなりの声量で。


「……デラクレス隊長は狂人だったんですか?」

「違う」

「あらら、即答ですか」


 天才と狂人は紙一重である、という。ゲレオンがデラクレスを狂人と評価するのも、そういう理屈なのかもしれない。

 では、この男は、ロウは、副隊長として隊長であり剣の天才であるデラクレスを、正しく理解できていたのだろうか?


 テオドアは上司であるジルドに、それなりに理解されている、と思う。では、逆は? テオドアはジルドという男を理解するなど、できる気がしない。

 慕っているし、尊敬もしている。けれど、それと理解は別のこと。自分よりも上位階梯の魔術士を理解するなんて、到底できない。


 それでもロウは、デラクレスを理解したのか? そして、その逆も、また。

 そのあり方は、少し、羨ましいと思う。魔術士ではありえない相互理解。それを騎士ならばなせるのか。


「……まあ、おれには関係のないことなんで、どうでもいいですけど」


 勝手に負けたような気がして、テオドアは虚勢を張った。そうして、「ところで……」と前置きをして、テオドアはいつでも魔術式を展開できるよう集中しはじめる。


「騎士団の皆様方って、身内が間違いをしでかしたりすると、強制的に排除する文化があったりするんです?」

「そんな野蛮な集団があるかよ」


 ロウも気づいたらしい。サッと周囲に視線を走らせ、いつ、どこから強襲を受けても対応できるよう神経を尖らせている。

 テオドアもまた、両手をあけて構えをとった。テオドアの魔術に杖や媒介物は必要ない。頭に余白を、雑談ができるだけの精神的余裕リソースを残して、残りはすべて迎撃用魔術の式を編む。


 そうして、テオドアは一度目を瞑って、ゆっくり開けた。目を開けてから視る世界は、別世界。共に襲撃者を迎え撃つべく警戒を強めるロウに、不敵に笑った。


「でも、おれの客じゃないですよ。心当たりがあるのは、あんたの件しかない」

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