第3話 審問官は狐狼の騎士に首輪を嵌める

 ガチャリ、と金属同士が噛み合う音が響いて、黒鋼鉄製の格子扉が解錠された。

 ルドガーから借りてきた鍵をなくさないよう長衣ローブのポケットにすぐさましまい、テオドアは格子に手をかけた。


 指先に冷たさを感じながら、ゆっくりと開く。意外にも錆びた音は響かなかった。するりと滑らかに開けられた扉の隙間へ身を潜らせて、暗く狭い牢内へ足を踏み入れる。


「……誰だ」


 一歩も踏み出さないうちに、掠れた低い声が湿気った空気を震わせた。テオドアは、思わずゴクリと唾を呑む。

 天井、床、それから壁を頑丈な岩石で囲われた独房。唯一、格子扉がある側面だけが開放的で、鉄格子によって透けている。


 騎士という生き物は、物理力に秀でている。というのは、過小評価的な表現で、実際は粛清討伐対象である〈獣〉ケモノ以上の攻撃力を有している。


 だからこそ罪を犯した騎士を捕らえておかなければならない牢獄は、簡単に脱獄できないよう中央棟の地下に造られ、手足を振り回せないよう狭くなっている。この地下領域では、基本的人権という言葉と権利は泡と消える。


 廊下に立てかけられた灯用のオレンジ色の火が、捕われた男の姿をチラチラと浮かび上がらせていた。

 第三部隊副隊長ロウは、まだ容疑者ではあるが実質的な犯人として収容された。罪人らしく両手両足を鎖で繋がれ、その鎖は岩壁の高い位置に埋め込まれた吊鉤フックにかけられている。


 両腕は中途半端に吊り上がり、両脚は股を割るよう開かれて膝をつかされる、という自由や尊厳の欠片もない体勢だ。

 そんな状況でもロウは腐っていなかった。目の下に酷い隈があるものの琥珀の瞳は力強さを保っていたし、夜の藍色をした短い髪は汗と埃でヘタっていたけれど、それだけだ。


 心身ともに疲労はしている。けれど頭はいたって正常で、むしろ冷静ですらある。だからロウは、牢内へ侵入したテオドアに吠えたり噛みついたりはしなかった。そんなことをするようにも見えなかった。


 そこはさすが副隊長、といったところか。などと感心しながら、テオドアは暗闇でにこりと業務用の微笑みを浮かべて腰を折る。


「はじめまして、ロウ第三部隊副隊長。おれは上級審問官テオドア・オラニエです」

「上級審問官……? お前、魔術士か」

「まあ、そうですね」

「魔術士……」


 やはりロウも騎士か。憮然とした顔を晒したまま、肩を落として息を吐く。その姿に、テオドアは特になにも思わない。騎士にこのような態度を取られるのは、いつものことだから。


 ロウはしばらく無言で暗い床を見つめていた。テオドアも右にならえで口を施錠ロックする。そうしたものだから、ロウはいつまで経っても喋りだそうとしないテオドアに、ついに折れて口を開いた。


「俺になんの用だ」

「ロウ副隊長に面会を。場合によっては外へだします」

「……外へ? 釈放ということか?」


 頭上に疑問符を浮かべたロウが身じろぎするのに合わせて、彼を拘束している鎖がジャラリと揺れる。その不快な音を聞きながら、テオドアはゆっくりと首を振った。縦ではなく、横へ。


「残念ながら、そこまでは。でも、でられますよ。おれに協力してくれたなら」

「はっきり言え。俺は考える担当じゃないんだ」

「ああ、そういうのは隊長の仕事でしたか」


 悪意はないけれど、わざとらしい揶揄をこめた言葉をテオドアは遠慮なく投げつけた。当然、ロウは口をつぐんで長く沈黙する。

 ぎゅうっと噛み締められたくちびる、口の端から滲みでた赤い血。ロウは鎖に繋がれたまま暴れることもなく、流血するほど燃え上がった激情を押し殺していた。


 頬には乾いてこびりついた血痕。ああ、これは確か、デラクレス隊長の。テオドアは黙ったままのロウを、じっくり観察する。

 呼吸をひとつ、ふたつ。ロウと幾ばくか距離をとっているテオドアの耳が捉えることができるほど大きく吐いて、それから吸う。

 それを、2回。そうしてロウからギリリと奥歯を噛み締める音がした。


「……、……そうだ」


 ロウは無理矢理絞り出したような枯れた声で肯定し、眉間に思い切り皺を寄せて肯首した。

 ロウが見せたのは理性的な素振りだ。テオドアが甘い考えでロウの感情を揺さぶろうとしたというのに、苛つくどころか認めるなんて。


 だからこのひとは、第三部隊副隊長を務めることができたんだ。と、テオドアの胸の内でなにかがストンと腑に落ちた。

 そうして、騎士という生き物に抱いていた一方的な固定概念からくる警戒心だとか嫌厭感だとか、そういうものをスルリと解いて、テオドアはロウという男にはじめて向き合う。

 それはつまり、遠慮なく疑問をぶつける、ということ。


ちまたでは、ロウ副隊長がデラクレス隊長の命を狙っている言動や、実際の演習中に不意打ちで襲いかかるなどの問題行動をとっていた、と囁かれていますが真実ですか?」


 テオドアが煽っても理性的な返しをしたロウのことだから、否定が返ってくるだろうと期待した。

 そう、期待。そして、希望的観測からくる期待は、たいてい裏切られるものだ。だからテオドアは、自分が抱いた期待に秒で裏切られた。


「残念ながら真実だ」

「マジかよ」


 テオドアはロウから返ってきたあっけらかんとした肯定に、思わず素でそう返した。そうして、左手で額を押さえて顔を顰めながら小さくうめく。

 なんでだよ、そこは否定してくれ。感情の爆発を抑え込めるくらい理性的なんじゃなかったのかよ、と。テオドアは思い通りにいかない現実に眩暈がした。


「……失礼。思わず、素がでました」


 テオドアは短く謝罪すると、思考を切り替えるために息を吐く。


「はぁぁぁ、どうしよっかな。視るのが一番早いんだよな。でもなぁ……さっき隊長の記憶参照したばっかりだしな……」


 言って、テオドアは首の後ろをガリガリと掻く。テオドアの言葉に反応したロウがハッと息を呑む音を聞きながら、ぐるぐると頭を回す。手っ取り早く魔術を使えばいいのだけれど、それができない事情がある。


 あの魔術は絶対に連続使用をするな、と同期の医療魔術士ドクターが言っていた。けれど、無理に使おうと思えば、まあ、それなりに使えることを、テオドアは知っている。

 新しい魔術を開発した場合、良心的で研究熱心な魔術士ならば、大抵は耐久負荷試験を行う。テオドアも、そう。もちろんやった。


 連続行使はどのくらいできるか、魔力消費量はいくらか、こめる魔力の最大値はどこまでか、副次的効果あるいは作用があるのかないのか……など、自分以外が使用した場合に注意すべき点を周知させる必要があるから。


 記憶参照魔術(正式名称未定)を開発した際にも当然試験は行った。行った結果、相棒である医療魔術士ドクターからは、オレのいないところで連続行使は絶対にするな、と口を酸っぱくして言われたのだけれど。

 どうしようか、こうしようか。と悩んでいると、鎖をガチャガチャ揺らしながら、動揺に声を震わせたロウが叫んだ。


「おい、魔術士! 隊長の記憶と言ったか⁉︎」

「うるさいな、こっちはこれからどうするか考えてんですよ」

「⁉︎」


 拘束されている騎士など、恐るものはなにもない。思考を中断させられたテオドアは不機嫌に顔を歪めて一括すると、一度ため息を吐いた。

 そして、機嫌の悪さを隠しもせず投げ遣りに言う。


「……ああ、記憶の話ですか? おれの魔術で視ただけですよ」

「……なに? それなら!」

「ですが、万能ではないんでね。こうしてあんたの顔見て話して……まあいいや」


 言いかけてやめたのは、話しかけた説明をやめたから、というわけではない。テオドアが、自身の言葉遣いの悪さを自覚したから。

 いくら今は容疑者で牢に繋がれているとしても、相手は副隊長だ。もう少し敬意を払うべきか、と数秒だけ思案して、結局やめた。


 すでにいくらか不敬を重ねているのだ。ロウが礼節を重んじるタイプなら、一言三言なにか言われていなければおかしい。それがないのだから、多分、きっと、大丈夫。

 テオドアは気持ちを切り替えて、険しさと疲労が滲むロウの顔を真正面からジッと見る。


「ロウ副隊長。おれはあんたがデラクレス隊長を殺すところを視ました。その上で聞きます。……あんたは殺してませんね」

「おい魔術士、その質問は矛盾してるぞ」

「わかってます。でも、あんたじゃないでしょ」


 不躾な物言いで言い切るテオドアに、思わずといったさまでロウが、ふ、と笑った。


「ああ、俺は隊長を殺してない。俺が殺すはずがない」

「……あんたが肯定した噂と矛盾しますけど?」

「わかってる。それでも俺じゃない。俺が演習場で隊長を見つけたときには、もう……」


 そう言ってロウは項垂うなだれた。どのような表情をしているかは、テオドアにはわからない。うつむいた藍色の頭は旋毛つむじを見せているから。

 吐いて、吸って。また吐いて、吸う。テオドアはふた呼吸分の沈黙を、悲しみか悔しさか、あるいはもっと別の感情かに揺さぶられ身体を震わせているロウと、今は亡きデラクレスへ捧げた。


 それからすぐに「では、」と切りだして、テオドアは繋がれたロウの目の前まで歩みを進める。背中の後ろに隠した手で、腰に吊り下げていた小鞄バッグの中を漁りながら。

 そして、にこりと仕事用の笑顔を貼りつけて口を開いた。


「おれの方針を言います。おれはあんたを全面的に信じることはできません。今はあんたの味方みたいな真似してますけど、審問官なので。でも、多分、あんたは殺してない。殺してないんだ。……けれど、あんたが殺す場面シーンを、おれは視た」


 そこで一旦、テオドアは言葉を区切る。少しばかり感情的になってしまったから。

 デラクレスの記憶を視てから、どうにもおかしい。つい、ロウに肩入れしてしまう。引き摺られているのだろうか、それにしたっておかしい。おれの魔術は記憶を参照するけれど、思考や感情には触れられないのだから。


 テオドアは気持ちを切り替えるように、あるいは誤魔化すように咳払いをひとつして、小鞄バッグを探ってあるものを取りだす。そして、それを後ろ手にぎゅっと握りしめながら、仕事用の微笑みビジネススマイルを浮かべ直して話を続ける。


「なので、その矛盾を解消します。……その手順として、まずはこれを」


 そう言って、握りしめていた首輪を素早くガチャリとロウの首へ嵌めてしまった。


「……なんだ、コレは? 俺に犬になれってか?」


 と言って首を傾げるロウの顔には、皮肉の笑みが浮かんでいた。

 首輪を嵌めた者として説明をする義務が発生したテオドアは、改心したかのように無作法な態度を改めて、箇条書きを読み上げるかの如く丁寧な棒読み口調で答えを返す。


「逃亡防止用の首輪です。おれからある程度の距離離れると、かなり強烈な麻痺がかかります。その代わり、この牢からでられます」

「……コレを遠慮するってのは?」


 テオドアはロウを拘束する鎖を簡単な魔術を使って断ち切りながら、引き攣った顔で問うロウに向けて首を振る。

 縦ではない。大きく、ゆっくり、勿体ぶって、横へと。そうしてテオドアは、いい笑顔を浮かべて朗らかに告げた。


「もうつけちゃいましたし、無理ですね!」


 ……と。

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