第2話 審問官は上司に泣きつく

「……と、言うわけなんです。どうにかなりませんか」


 納得のいかない結果を抱えて戻ってきたテオドアは、執務室に入るなり、執務机デスクに座って書類と格闘している上司ボスジルド・クレバスに向かって、そう訴えた。


 ジルドは、色付きレンズが嵌めこまれた眼鏡をかけた顔を心底嫌そうに歪めると、深くて長い息を吐きだした。

 そうして、翡翠色の万年筆をするすると滑らせて確認していた書類にサインをすると、もう一度深いため息を吐く。


「お前がどうにかならんのか。……いつもいつも厄介ごとを持ち込んでくるのはなんなんだ。現場で食い下がってこい、持ち帰って俺に泣きつくな、あらゆる権限を事前に確保しろ、といつも言っているだろうが。それか、もっと部下らしく、可愛くお願いをしろ」


 ジルドはそう言うと、紫がかった柔らかく長い銀の髪に縁取られた美貌を嫌気によって歪ませて、苛立たしげに五本の指をすべて使って机を叩く。リズミカルに鳴る硬質な響きは徐々に速くなる。それはまるで、華麗に鍵盤を叩いているかのよう。


 不機嫌を主張しているように見えるジルドのそれは、実は不満や機嫌の悪さの体現ではない。

 どうすればいいのか深く速く思考しているときの癖。頭の中で何度も何度も計画プランを試行して、最善を弾き出すための儀式。と、前に聞いたことがある。


 だからテオドアは、謝らない。申し訳なさそうにもしない。

 代わりに、こうしてジルドの力を借りなければならない元凶となった男の渋い顔を思いだし——ゆるゆると緩んでにやけた顔で首を横へ振った。


「おれだって、好きで厄介ごとを持ち帰っているわけじゃあないんですよ。ただ……今回の担当捜査官がルドガーだったので、つい……気が緩みました」


 と、テオドアはあっけらかんと笑って告げた。

 ルドガーという捜査官は、ジルドとテオドアのふたりしかいない審問局の密かなるお気に入りだ。

 なぜならあの男だけは、ジルドやテオドアといった魔術士を恐れないから。


 つまり、騎士であるのに魔術士を忌避しない。

 大抵の騎士は、魔術士を遠巻きにするか嫌悪する。騎士であるか、魔術士であるか、ということに重点を置かない、というのは騎士の中でも珍しい。かといって、区別がないわけではなく、人材配置がさりげなく上手い。


 そしてテオドアは、役割を果たしてくれれば何者でも構わない、というルドガーの姿勢に、実はほんの少しだけ慰められている。騎士団の中にいる魔術士という存在は、多かれ少なかれ常に肩身の狭い思いをしているから。


 けれど、ルドガーに抱く感謝だとか尊敬だとかいうふやふやした好感度は、厄介な事件が絡まなければ、という話。


「あいつは事件のことになると途端に融通が利かなくなるので。公平で公正ですけど、その分しっかり納得させないと動かないんですよ」

「融通が利くとか利かないとか、柔らかいか硬いか、という話ではない。ルドガーが捜査官なら、お前がきちんとあいつを納得させられる根拠をあげられなかったのが悪い」

「……そう言われると、返す言葉がありません」

「それよりもお前、私情を挟んでないか?」


 問われたテオドアは、ギクリと身体がこわばった。完全に反射で、無意識だった。

 テオドアはロウと面識はない。殺害されたデラクレスともない。


 けれど、ロウが置かれた状況は。弁明の機会すら与えられず、状況証拠と噂されているだけの動機によって犯人扱いされているこの状況は、だめだ。テオドアが、自分がどうにかしてやらなければ、と思わざるを得ない状況だから。


「……なんのことです?」

「まあいい、死者に対して記憶参照の魔術を使った後の疲労した頭であいつが納得する根拠を提示しろ、というのは少々酷な話だしな」


 すっとぼけたテオドアの言葉に、ジルドがため息を吐く。テオドアの性格と信念を理解しているジルドは、きっと深く突っこんでこない。私情が篭りまくりで捜査に支障をきたすようならば、別だけれど。


 そうしてジルドはテオドアをジッと観察しながら執務机に両肘をついて指を組み、数十秒。口元を覆い隠してボソリと告げた。


「仕方がない、ルドガーの言い分は筋が通っている。あいつは優秀な男だ。ぼやけた頭で太刀打ちできる男じゃない。……アレはおそらく幹部候補だからな」


 聞かせる気があったのか、それとも単にテオドアの耳が良すぎたか。ジルドの呟きを拾ったテオドアは心底驚き、そして同時に胸が躍る。

 自分のことではないただの噂なのに、思わず声が弾んだ。


「え、そうなんですか? 初耳ですけど」

「そりゃそうだ。誰にも言ってないし、ただの勘だ」

「ボスの勘なら、確実じゃないですか。……へぇ、そうか……そうなのか!」

「ルドガーは騎士のくせに魔術士を忌避しない柔軟な考えができる奴だからな。そういう奴は組織の上のほうで重宝されるんだよ」


「なぜです? 騎士サマ方は魔術士がお嫌いですけど」

「そりゃ、エレミヤ聖典騎士団の上層部……総長に近い第一階層の奴らのほとんどは、魔術士か魔術も使う騎士で構成されているからな」


 ジルドの話を聞いて、テオドアはなるほど、と膝を打つ思いだった。それならばルドガーが幹部候補に上がる理由も頷ける。

 それと同時にテオドアは、けれど、とも思う。


 けれど、エレミヤ聖典騎士団で、魔術士は異端だ。そういうことになっている。騎士団の不文律とか、そういう話だ。

 だから、いくら魔術士によって運営されている騎士団であるといっても、魔術士のテオドアが、現場でまともな扱いを受けるなんてことは、ない。なかった。ルドガーが捜査官としてつくまでは。


 それが事件捜査を行う『審問官』という役職を得ていても、だ。

 魔塔から派遣されたジルドとテオドアは、騎士団にとっては部外者と同じもの。ふたりが騎士団から割り当てられた役目は、団内で揉め事や争い、事件などが発生した際に第三者的な立場で調査を進める審問官という役職だった。


 それは当然、表向きの事情。

 裏向きの本音はこうだ。魔塔は若いのに有能優秀で政治もできる魔術士や、厄介な魔術を積極的に開発して使いだすような魔術士を塔から追いだしたかったし、騎士団は身内を庇って虚偽の報告をするような審問機関ではなく、公平公正な振る舞いをする組織を騎士団内に持ちたかったから。


 利害関係が一致したに過ぎないのだけれど、上層部が魔術士で固められているのなら、ジルドも幹部候補なのでは、とテオドアは思わず勘繰ってしまった。


「……まあ、いい。お前の持ち込んだ厄介ごとをどうにか処理するのが俺の仕事だ」


 ジルドはそう言うと、ふう、と短く息を吐いた。

 どうやらジルドの中で各種算段がついたらしい。黒い革張りの椅子の包容力がある背もたれにゆったり身体を預け、血色のいいくちびるをニヤリと吊り上げる。


「テオ、お前の望みはなんだ?」

「違和感の正体を知ること。そして、真実を白日の元に晒したい」


 テオドアはジルドの問いに即答した。格好つけて言いはしたものの、テオドアの望みなんて、正義感だとか真理探究だとか、そんな大層なものじゃない。


 あやふやで、よくわからない違和感をなくしたい。このままではパズルのピースがかけたまま。もう犯人とテオドアにしかわからないデラクレスの最期、という物語を完璧なものに仕上げたい。


 そんな欲望まるだしの答えに、ジルドは笑うでも呆れるでもなく、頼もしい上司の顔で力強く頷いた。


「わかった。お前に全面的な捜査権を与えるよう、俺のほうから警察局局長に話を通しておこう。……まあ、取れて2日だな。それ以外のルドガーとの個別交渉はお前に任せるが、くれぐれも無茶な要求はしてやるなよ」




 その後。

 調整をかけるから明日の朝に警察局へ顔をだせ、というジルドの指示を受けたテオドアは、有能優秀な上司の言葉に従って明朝9時ぴったりにルドガーの元へと足を運んだ。


 ジルドは宣言通り、2日の猶予をもぎ取ってきた。どうやって取ってきたのか、は聞かないことにする。それを聞くのは野暮だから。

 なお、牢獄へ繋がれた第三部隊副隊長ロウは、一晩かけて行われたルドガー他多数の捜査官からの尋問に黙秘で答え、いまだ口を割らず、といったところらしい。


 そういう情報を入手しながら警察局へ赴いたテオドアは、ルドガーに声をかけるまでもなかった。局内に入るや否や、ルドガーが損なわれた機嫌を隠しもせずにテオドアの元へ駆けつけたからだ。


「なにか御用でしょうかね、上級審問官殿?」


 ルドガーは言葉の端々に氷の棘を纏わせて、慇懃無礼にそう言った。眼鏡の奥で深緑の眼に薄氷色の灯が光っているけれど、無意識だろう。

 鶴の一声という理不尽な圧力によって自身の捜査を中断させられたルドガーは、氷点下並みの冷気を纏っていたし、そのせいで彼の同僚たちは初夏になろうという季節だというのに、みな厚着をしている。


 警察局内の冷えた空気に、テオドアは思わず胸の内で誓った。2日と言わず、1日24時間以内で解決しよう、と。口にして言わなかったのは、そんなことを言える雰囲気ではなかったから。

 氷雪の空気を纏うルドガーは、真夏以外は近づきたくはない。テオドアでさえ、そう思うのだから。


 魔術士を忌避しないルドガーは、魔術士を理解するために魔術も使う。そんな理屈まみれのルドガーは、一晩かけても副隊長から自白を得られなかった苛立ちか、それともジルド経由で警察局の上司からかけられたストレスのせいか。

 ルドガーの魔力は上手く循環させることができずに、氷の結晶となって漏れていた。そう、雰囲気だとか空気だとか、そういうふんわりしたものではなく、実際に魔術現象として氷雪が舞っている。


 そんな姿を見て、テオドアはなるほど、と思った。

 魔術も使う騎士。ならば、やはりルドガーは幹部候補なのだ、と。それを本人が知っているかは別として。


 とにもかくにもテオドアは、にこりと最上級の微笑みを浮かべた。もしかしたら、ニンマリ、だったかもしれない。そうして、不機嫌の雪嵐と化したルドガーに全然無茶ではない要求を告げた。


「ルドガー、話は通っているな? 早速だけど、ロウ副隊長が収監されている独房の鍵をくれ」

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