第1話 審問官は捜査官に押し負ける

「……——審問官! ……テオドア・オラニエ上級審問官、今すぐ目を覚したまえ!」


 落雷のような鋭い大喝で、白くぼやけて濁っていたテオドアの意識が浮上した。

 ぱちり、と一度瞬いて、更にもう二度ゆっくりと瞬きをする。ぼんやりしていた視界と頭が、徐々に輪郭線を捕えだす。


 どうやら昏倒していたらしい。起き上がろうと上半身を動かしたところで、救護部隊の腕章をつけた腕が動きを制した。

 でこぼこした硬く冷たい床で、テオドアは仰向けになっていた。焦点が合いはじめた視界には、無機物と有機物が映りこむ。


 アーチ構造で築かれた石造りの高い天井、オレンジ色の光を放つ吊り下げられた洋燈、不安そうにテオドアの顔を覗き込む救護員。

 それから、意識消失していたテオドアを起こすよう叱咤した捜査官が見下ろしている顔。その顔は逆光になっているからそう見えるのか、それとも気を失ってしまったテオドアに落胆してか、酷く険しい。


 捜査官ルドガーの存在を厳めしいものにしているのは、なにも表情筋だけじゃない。

 皺なくアイロンがけされた隊服、首までキチリと閉じられたボタン、一筋の乱れもなく後ろに撫で固められた濃茶の髪。黒く縁取られた四角い眼鏡、鋭く光る吊り上がった深緑の眼、薄情そうな薄いくちびる。


 そういうものが、ルドガーの印象を堅く厳しいものにしている。相変わらずお堅いな、と状況にそぐわない感想をぼんやりと浮かべながら、テオドアは薄いくちびるが鋭い声を発するのを聞いた。


「オラニエ上級審問官。それで、君は見たのか? 第三部隊隊長を殺害した犯人を」


 声まで硬質で柔らかさの欠片もないのは、相変わらずか。腕組みをしてテオドアを見下ろすルドガーは、少しばかり意識を失っていたテオドアの頭の具合だとか身体の具合だとか、そんなものには興味がないらしい。


 捜査官であるルドガーの頭の中にあるのは、事件のこと。それから、その事件を早急に解決することだけ。

 事件。そう、事件だ。

 エレミヤ聖典騎士団が誇る剣の天才、第三部隊隊長デラクレスが何者かによって殺害された。


 発見当初、事故か事件かで判断が揺れたらしい。

 なぜなら、空き時間に空いている演習場を私的に使い、稽古をつける、つけられる、ということは騎士団では日常茶飯だから。そして、勢い余ってつい、うっかり。殺してしまう、殺されてしまうこともまた、日常だった。


 だから、テオドア・オラニエが上級審問官として事件現場である屋内演習場に呼びだされた。そして殺害されたデラクレスの元へ行き、要請されるがままに魔術を使い——ショックで倒れた、というわけ。


「おれが寝ている間に事件だって断定できたのか、ルドガー」

「敬称もしくは官職名をつけたまえ、オラニエ上級審問官。君はいつもそうだな、いつになったら学習するのかね?」

「はは、失礼、ルドガー捜査官殿。……それで、デラクレス隊長は殺害された、という証拠がでたんだな?」

「そうだ。致命傷となった脇腹の太刀傷から毒物反応が出た」

「なるほど。それなら確かに事故じゃない」

「だから尚更、君の証言が重要となってくる。……オラニエ上級審問官、君が見たことを話してくれ。デラクレス第三部隊隊長を殺害したのは誰だ」


 ルドガーの硬い声に冷気が宿る。切長の目がすぅ、と細められてより鋭く尖った。白絹の手袋に覆われた長い指が、組んだ腕を叩いている。あれは、ルドガーが催促しているときの癖。

 これ以上、雑談をしていると雷が落ちるな、と思いながら、テオドアはデラクレスが殺害された場面シーンを回顧するように目を細めた。


 そうして、ため息をひとつ。深く吐き出した息が垂直に上がり、少しカビた匂いのある空気と混ざって拡散してゆく。

 今もまだなお鼻の奥の粘膜に張りついて消えない血臭、目蓋を閉じても鮮明に浮かび上がる青白い顔。もう動かず、もうなにも生み出すことのないものに変わり果ててしまったデラクレス。


 隊長を殺害した者。それは副隊長だった。

 彼に殺害されるだなんて、デラクレスはどう思っただろうか。言いようのない感情に胸を掻き回される中、デラクレスが感じたものは、副隊長のあたたかな腕。


 事切れる寸前、デラクレスが見たのは、琥珀色の瞳、夜の藍色をした短髪、顰められて歪んだ端正な顔。

 テオドアは、自分が死の瞬間を体験したかのように身体を震わせて目を閉じた。いまだ朦朧とする頭の額を左手で覆いながら、渋々答える。


「ああ……た。視たよ、一応。あれは……第三部隊副隊長ロウの顔……だった、と……思う」

「なんだそれは。君は視たのだろう? 第三部隊隊長デラクレスの死に関する記憶を」


 ルドガーが怪訝な顔をして髭のないツルリとした顎をさすった。ルドガーの言いたいことは、よくわかる。視た、のだから、それが真実なのではないか、と。

 そう、テオドアは確かに視た。ロウがデラクレスを刺殺する場面シーンを。現場に居合わせてはいないけれど、テオドアにはそれを視る術がある。


 どうやって? ——魔術を使って。

 テオドアは騎士団に要請されて魔塔から出向している魔術士だ。だから当然、魔術を使って捜査をする。


「オラニエ上級審問官。君は死者の記憶を読み取れる魔術を使うんだろう? ならば、君が視た光景が真実ではないのか?」

「それはそう、なんだけど」

「君が開発した魔術はとびきりだと聞く。それなのに自信がないと言うのか」


 皮肉めいたルドガーの問いに、テオドアは上半身をゆっくりと起こしながら頷いた。今回ばかりは本当に自信がないのだ、と肯定するために。

 そう、テオドアが使った魔術はとびきりだ。なにせ、細かい条件はあるものの、生死問わず対象となる人間の記憶を参照することができるのだから。


 だから、テオドアは視た。そして、体感した。要請されて、仕事として。デラクレスの死因を。彼を殺した犯人を。けれど。


「それでも、こう……参照した記憶にノイズ? のようなものが……」

「ノイズ? ……おい、エジェオ救護員。デラクレス隊長が殺されてから何時間経過したかわかるか? およそでも構わない」


 ルドガーが、僕を介抱してくれていた救護員エジェオに所見を求めた。エジェオはビクリと肩を跳ねさせて、少し高めの声を震わせながら早口で述べる。


「は、はい! えっと……通報時刻や死後硬直などから見て2〜3時間ほどです。死亡前に手合わせをされていたと仮定して、の話で見積もり済み、です」

「というわけだ、オラニエ上級審問官。なにも問題はないのでは?」

「大アリだろ。3時間しか経ってないのにノイズ混じりなんて、絶対なんかある」


 そう言って、テオドアはため息を吐きながら首を振った。

 テオドアが使った魔術は、完全無欠の魔術じゃない。死亡から4時間以内である、という条件下でほぼ完璧に近い状態で記憶参照を可能とする。


 時間制限以外にある条件は、死亡経過時間と比例して記憶に混じるノイズの量が増え、不明瞭で不鮮明となるということ。記憶参照の有効期限は10時間。それ以上経過した場合は、死者の記憶を参照することはできない。


 そして、魔術行使の供  犠サクリファイスは心身への高負荷。一度使ってからの再使用は日数制限がかかっているし、記憶参照後は漏れなく意識障害を起こしてしまう。


「ミスした訳ではないんだろう?」

「ミスはしてない。でもどうして違和感があるのか……ちょっとよくわからない」


 テオドアが参照したのは、生前のデラクレスの身体が実行した符号データだ。体を動かすために必要な骨と筋肉、脈拍と脳波、血流と酸素。そして、膨大な量の生体信号。そういう全身の反応を複写トレースして、客観的に追体験をする。


 脳波を参照できるけれど、具体的になにを考えていたか、はわからない。だいたいこんな感じ、というふんわりとした所感ならば、まあ、わかる。

 それと同じように、感情だって、そう。心拍数の変動や発汗状態、筋肉のぎこちなさ、聴覚として耳から得た音声情報などを通して、なにを思ったか、は推測できる。けれど、それが正解かどうかは、やはりわからない。


 けれど、テオドアの仕事は、こういった事件や事故が起こったときに役に立つ。求められるのは、客観的な事実。死者の眼や耳を通して見た事実は、最高の証拠となる。

 ……なるのだけれど。


「オラニエ上級審問官。副隊長が隊長を刺殺したのには、間違いないんだな?」

「……まあ、一応」


 ルドガーの最終確認に、テオドアは歯切れ悪く頷くしかなかった。不揃いなタイル状に敷いた石張りの床を気まずく見つめることしかできないなんて、なんて不甲斐ない。


 なんとも形容し難い違和感がある、といえば、ある。それは、ないといえば、ない、と言えるのと同じこと。

 死後4時間以内の死者の記憶に、感じ慣れないノイズが混じっていた。ただその一点だけで異を唱え続けるのには、無理がある。


 なぜなら、魔塔の同期である医療魔術士ドクターとともに開発したこの魔術は、実践利用するようになってから、まだ3年も経っていない新しい術式だから。そして、死人がでて審問官が出動しなければならないような事件や事故は、そうそう起こらない。


 つまり、片手で数えるほどしか実践で使ったことがない、ということ。精度が高い、と言えば聞こえはいいけれど、それは分母が少ないから。

 その数字を、事実を、ルドガーは当然知っている。そしてルドガーは現実的な男だ。


「ならば副隊長には、このまま独房で過ごしてもらうしかない。然るべき手続がすみ次第、総長へ報告する。第三部隊ロウ副隊長が犯人である、と」

「おい、犯人断定にはまだ早いぞ」

「駄目だ。剣の天才であったデラクレス隊長が殺害されたのだ。つまり、犯人は隊長を殺せるほどの実力を持っている、ということだ。ロウ副隊長は、その犯人像にも合致する」


「それはそう、だけど……なら、動機は? なぜ、副隊長が隊長を殺さなければならないんだ」

「君は騎士団内の噂に疎いようだから教えてやるが、団内では第三部隊副隊長が自分の隊長の命を狙っている言動や、実際の演習中に不意打ちで襲いかかるなどの問題行動が多数見受けられている。よって——」


「わかった、わかりました! ……降参だ、分が悪い」

「本当にわかっているのか? とにかく、現時点では逮捕が妥当であるとしか言えない。オラニエ上級審問官、君の出番はもうない。部屋に戻って報告書の作成をしたまえ」


 ピシャリと拒絶するルドガーの言葉に、テオドアは鋼鉄の壁を幻視した。

 ルドガーが言うように、状況的に、ロウが怪しい。デラクレスを殺せる実力もある。そして、動機らしきものも。駄目押ししたのはテオドアだ。テオドアが魔術で視た、犯人の顔。


 だけど魔術で視た犯人の顔には、ところどころノイズが走っていた。デラクレスや犯人の会話も、聞き取れない箇所があった。

 死後4時間を過ぎていない新鮮フレッシュな遺体だったのに。

 くそ、冗談じゃない。おれの魔術が決め手になって、捜査や聞き取りを省略されるなんて、あってはならない。


 けれど、とテオドアはギリリと奥歯を噛み締めた。

 けれど、きっと、これ以上は取り合ってもらえないだろう。それは経験則でしかなかったけれど、テオドアの口と身体を施錠ロックする。


 口を閉じたテオドアは、もう用済みだ。捜査官の関心を失ってしまった、ということだから。説得すらできないのなら、方針を変えることができないのならば、ここにいても仕方がない。

 それはつまり、テオドアの上級審問官としての敗北を意味していた。

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