幕間1 時枝郁
数か月ぶりに会った従兄は少し背が伸びていた。
半足引いて腰から重心をおろして座る所作は、弓道で身につけたものだろう。
音もなく膝を揃えて正座したその背筋は自然に伸びて、緊張などなく、芯が通っていて美しい。
詰襟をきっちりと着こなしていて、型の決まった制服を着ていても首筋から肩にかけての形が綺麗なのだと手に取るようにわかる。
従弟とその友人が今春進学する高校はブレザー。
白いワイシャツに、学年ごとに色の違うネクタイ、ベストとジャケット。中学の詰襟よりさらに体格がわかりやすくなるはずだ。
たまに街で見かける制服を目の前の背中に重ねそうになる。
……何を想像しようとしているんだ。
頭を軽く振って思考を切り替える。
《桃花》や遺言のことの祖父の説明はもちろん聞いていた。
英くんたちが来ると知り、同席したいと祖父に願い出た時、「何があろうと口出し無用」といつになく厳しい声で言われたが、すぐに頷いた。
祖父の説明を聞いて分かったが、祖父はおそらく、僕が羨む可能性を心配していたのだろう。
英くんは祖父から学ぶことをやめ、この家や紫英という名と関わるのも明らかに避けている。それなのに、高名な先祖の絵を譲られるのかと、僕が不公平に思うかも知れないと案じたのだろうけれど、考え過ぎだ。
時枝晴三郎には英くんと同じものが見えていたのだと思う。
だから、紫英の絵が英くんに渡るのは当然だ。そう納得しているからこそ、何が起こるのかという興味しかない。
高祖父の絵に対する執着も、従兄への嫉妬も微塵も湧いてこない。
不服だけれど、隣でニヤついている従弟の友人と同じような心持ちなのだろう。
英くんに「郁は」と問われた時、たくさんのことを口走りそうになってしまった。
俺なんか、なんて言わないで。
英くんが筆を握るのを見れただけで良い。
あなたが僕を気にかけてくれた。それだけで僕は嬉しい。
言い募れたらどれだけ良かっただろう。
結局、そっけなく返すことしかできなかったけれど。
英くんが両手を畳について絵を覗き込んだ。
筆を握る様子を見て、あることに気付いた。そっと祖父の様子を窺うと、祖父も気付いたようだった。
これなら、祖父の心配も杞憂でしかなくなった。
僕は最初から英くんには資格があると思っていたから、今さら分かっても些細なことでしかないけれど。
うっすら筋の浮く手の甲、細くて長い指。
半分は同じ血が流れているというのに、自分とはまったく身体のつくりが違う。
英くんは祖父に似て時枝家の特徴が強く、僕は母に似ているとよく言われるし、自分でもそう感じる。
幼い頃から身体が弱く貧弱な僕と違って、運動が得意な背が高くて均整のとれた身体。
身長も同じくらいで並んだ後ろ姿はそっくりなのに、洸さんを英くんくらい観察したいとは思わない。
有り体に言えば、英くんの身体が好みなのだ。
目にする度、デッサンしたくてうずうずする。
しかし、身体を観察してデッサンしているなんて英くんに知られるわけにはいかないから、会えた日はその姿を脳裏に焼き付けて、部屋に戻ったらすぐにスケッチブックを開く。それの繰り返し。
いつか生でデッサンしてみたい。
手に、指の一本一本に触って、感触を確かめたい。肩と鎖骨を撫でて、背中の筋肉を辿って……。
右手を握りしめる。手のひらに爪が食い込む。
できるわけがない。
英くんは僕のことを嫌っている。
さりげなく避けられ、距離を取られている。
幼い頃は「あやくん、あやくん」と、後ろをちょろちょろとついて回っていたが、避けられていると気付いてからは、やめた。
顔を背け、手を振り払われたらと想像しただけで腹の底がすっと冷える。
明確に拒絶されたくないから、こちらから距離を置く。
先に顔を背けてしまえば、従兄がどんな視線をこちらに向けていようと気付かないでいられるから。
どうしたら洸さんみたいに
今できることは、触れない、
それくらいなら良いだろう。
これくらい許してほしい。
今日もまた記憶だけを頼りに、鉛筆を走らせるだけだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます