1ー2 本家




 英と洸は肩を並べ、古い門の前に立っていた。乾燥した木の色は経てきた年月が沁み込んでいる証だ。

 大きくひらかれている門の内側には手入れの行き届いた植物が並び、視線を落とすと白い砂利が小川のように敷かれ、その中に置かれた飛び石が進むべき道筋を示している。

 絶妙に配された草木に隠されて、門の外から敷地内の様子を窺うことはかなわない。

 門柱には小さな表札と、その下には表札より一回りだけ大きい看板が打ち付けられている。

 表札もその下の「時枝絵画教室」と書かれた看板も、柱と同化する木材にはっきりしない色で認められており、立ち止まって目を凝らさなければ読めないという酷く不親切な仕様である。

 絵画教室は祖父が画業の傍ら、敷地内の離れで小学生から大学生くらいまでを対象に行なっている。

 絵画教室という名称ではあるが、小中学生は各々が好きに「何かを作る」というのが主な活動で、自由に、遊ぶように過ごせる場所でもある。もちろん、絵画技法が学びたいと願えば丁寧に指導してくれるが、絵の描き方だけを教えるわけではない。

 祖父、時枝晴海ときえだはるみは、何が出来上がるか、いつも最後まで口出しせず楽しそうに見守ってくれる。英も、祖父に出来上がったものを褒めてもらえるのが嬉しくて、小学五年の頃まで通っていた。その頃のことを思い出しそうになるが、首を振って気持ちを切り替える。

 門の下に立つと、古い木と微かな花の匂いがした。

 隣にいた洸が軽やかに飛び石を二つ進み、身体ごと振り返った。

「怖いか」


 物心つく前に母は亡くなり、父は仕事が忙しく、幼いころ、英はほとんどの時間をこの本家で過ごしていた。小学校にあがってからも放課後はいつもこの屋敷で宿題をしたり、祖父の絵画教室に顔を出したりしながら仕事帰りの父が迎えに来てくれるのを待っていた。

 父と二人で暮らす家よりも多くの時間を過ごしていた本家を避けるようになったのは、恐れているから。

 俯きそうになるのを堪えて背筋を伸ばす。

 洸の後ろの梅の木へ目を向ける。

 僅かに花の残っている枝に、鳥が一羽とまっている。

 長い灰青色の尾羽が美しい鳥。帽子を被っているような黒い頭の小さな瞳は、洸を見据えていた。

「ほら、がんばれ。帰りに、あれ奢ってあげるから」

 洸はすっと手を伸ばしてきた。

 ふと初めて言葉を交わした日を思い出す。きらきらと光を弾く透明な水しぶきの中、無邪気な笑顔で覗き込んできて、そして手を差し伸べてくれた。

「それなら、がんばらなきゃいけないな」

 差し伸べられている手に、応じるように手を出すと強い力で手首を掴まれる。引っ張られるより先に足を動かす。

 一瞬驚いた色を浮かべた洸は、しかしすぐに嬉しそうな笑みを零して、手首を握ったまま英と並んで歩きはじめた。

 途中で二股に分かれている飛び石を右に進み、六つ数えたところで母屋の玄関に到着する。

 広い玄関はやわらかな陽光に包まれてひっそりとしていた。

「ごめんください」

 洸がよく通る声で呼びかけると、すぐにはいはいと応える声があり、足音が近づいてきた。

 廊下の角を曲がって姿を見せたのは祖父だった。

「二人ともいらっしゃい」

「こんにちは、先生」

「いきなり呼び出して悪かったね、英。洸もよく来てくれた」

「平気です。受験も期末テストも終わってますし、あとは卒業式くらいですから」

 英の言葉に洸も頷く。

「そういえば受験が終わってから会えてなかったね。二人とも高校合格おめでとう。英は誕生日も」

 二人同時にお礼を言うと、祖父はくすりと笑った。

「さあ、あがっておくれ。おしゃべりは後でゆっくりしよう」

 祖父に促され、玄関からあがる。

「今日はね、英にやってほしいことがあって来てもらったんだよ」

 靴を揃えていると祖父の声が背中に降ってきた。

 勢いよく顔をあげた二人に祖父は目尻の皺を深くしたが、ここで説明する気はないらしく、「ついておいで」とだけ言って先ほど歩いてきた廊下へと踵を返してしまった。

 コの字型で中庭を囲む廊下は二辺が硝子戸で、所々細く開けられた隙間から冷たいが心地いい空気が屋敷中に通っていた。



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