優雅な旅支度

 いつ何時、どんな状況下でも温泉とは概ね素晴らしいものだと思う。


「日本人に生まれて良かった〜」

 もはや日本の血は一滴たりとも流れてはいないし、そもそも日本という国自体が存在しない世界だが、アレクにとっては温泉とはルーツに響く癒しの一つであるらしい。

「シャワーに慣れるとそれでいいやって思うけど、やっぱ大きい風呂ってなんか良いわ」


 家を出てから男装を続けてきたので、女性と特定される行動は可能な限り避けてきた——が、シズに女に見えると言われてしまったので、開き直って女湯に入ってきたわけだ。


「ちょっと高いけど、温泉宿にして正解だったな。スキンケアのアメニティも結構良いし、たまの豪遊って最高。夕飯も楽しみだな〜」


 転生してからは蝶よ花よと贅沢三昧な令嬢生活を送ってきたが、いざ家を出てみるとこのくらいの楽しみでも特別に感じることができる。

 これはおそらく、多忙な時期を乗り越えた後での有給を使った小旅行の思い出が心の片隅にあるからだろう。


「ネイルサロンとか行っちゃうかな〜? いや、すぐに剥がれそうだしさすがに無駄か。でもアガるんだよなぁ、誰に見せるわけでもないとは思いつつも」


 男として暮らして約三十年の記憶はある。しかし直近十五年は女として過ごしてきているので、今はどちらの性別にも共感できる。そういうわけで男女の枠に縛られずに人生を楽しもう、というのがアレクの信条だ。

 ことオシャレに関しては女物の方が選べる幅が広く、またさすがに悪役令嬢ということで飾って映える美貌を備えているので、女として遊んだ方が面白いと思っている。


「まあいいや、後で時間があれば考えるか。そろそろシズと待ち合わせだし」


 その頃シズはひと足先に部屋へと戻りアイスクリームを舐めていた。冷たい。美味しい。いつ食べても美味しいが、風呂上がりは特に美味しい。定番の牛乳よりもアイスクリームの方がいいよなぁ、とシズは常々思っている。


 幸せを噛み締めていると部屋の扉が開く音がした。


「遅くなった、悪いな」

 旅館貸し出しの館内着を身に付けたアレクだ。有料なわりにはなんの装飾もないシンプルなパジャマを着ているのになぜか華がある。

 帽子がなく顔がよく見えるからか、年齢のわりに大人びている雰囲気がそう見せるからなのか。

 ただでさえまだ慣れない少女の姿に、シズはなんとなく居住まいを正した。


「身体の調子はどうだ?」

「はい、おかげさまで」


 数時間前、デクストという名の街に着いてすぐにシズは病院へと担ぎこまれた。

 入院しろだとか高い薬を買えだとか言われるのではないかと内心ものすごく心配していたが、幸いにも身体に残る毒は特殊なものではなかったらしく、病院勤務の白魔術師ソーサラーの治癒魔術を受けるだけで充分に回復ができた。


 その後ギルドで手続きをしたり宿で温泉に入ったりなどしばらく過ごすうち、四肢に残っていた違和感も薄れて現在は元気である。


 なお、その治療費もこの温泉宿の宿泊費もすべてアレクが払っている。


「本当に、ほんっとうにありがとうございます」

 シズは深々と頭を下げた。

「いつかきちんとお返ししますので……その、ちゃんと稼げましたらになりますが……」

「あ? 気にしなくていいって。僕の実家な、すげえ金持ちだから」

「すみません……」


 態度こそ低姿勢で恐縮しているようだが、その手にアイスクリームを持って離さないあたり意外と図太いなこいつ、とアレクは思ったが言わないでおいてやった。


「それにしても、この街のことをご存知だったんですね」


 街に着くやいなやアレクは真っ直ぐに病院へと向かった。

 シズが後から聞いたところによると、元々このデクストという街は白魔術師ソーサラー僧侶クレリックを多数輩出しており、療養に訪れるには最適の街らしい。わざわざトスタに戻るのでなくこのデクストを目指したのは理由があったわけだ。


 アレクはシズの問いに頷きつつも、落胆した様子でため息をついた。

「しかし残念だった。もしかしたら、と期待してたイベントがあったんだけどな」


 このデクストは『ドラグーンクライシス』の序盤で訪れる街で、本来のシナリオなら白魔術師ソーサラーの女性を助けて仲間に加えることができる。

 しかしそのきっかけとなる暴動は起きる気配がなく、彼女と出会う予定の大通りにもその姿はなかった。


「やっぱり僕とおまえだけじゃ全部のイベントをコンプするのは無理らしい」


 ゲームにはしばしば限定的な条件下で発生するイベントが存在する。その中には特定のメンバーが仲間にいること、という条件が付くものも少なくない。

 おそらく今回のイベントは『ドラグーンクライシス』における主人公がメンバーにいることが前提で起きるものなのだろう。


「おまえでもいけるかな、と思ったんだけどな。ダメだったわ」

 ふぅ、と息を吐いてアレクは言う。

「やっぱり探すしかないかぁ『主人公』。悪いけど僕独りじゃ戦力的に厳しいから、せめて誰か一人見つけるまでは付き合ってくれよな。せっかくさっきギルドでパーティ登録も済ませたことだし」


「——そのこと、なんですが」


 シズは真っ直ぐにアレクを見つめる。

 たかだか数時間とはいえ真剣に考えた。考えた末、一番後悔がないように決めたのだ。


「自信はカケラもありません。でもあなたが魔王を倒しに行くと言うのなら——俺も一緒に行きます」


 もし、彼女の話が本当なら。

 世界を守り、彼女の命も救うにはシズが魔王を倒すしかない。探せば他に方法があるのかもしれないが、少なくとも今ここで選べる道は限られている。

 逃げるのは簡単だが、その選択は一生心を縛り続けるだろう。


 そんな気持ちで手に入れる安寧なんていらない。


 アレクは目を丸くしてシズを見つめ返し、そっか、と小さく呟いた。すぐに顔を背けたが、浮かべた微笑みは穏やかだった。


 あぁ、やっぱり怖かったのだ。強がってはいても、覚悟をしていても。それでも彼女も結局はひとりの人間にすぎない。

 だから、嬉しかったのだろう。誰かにその重荷を一緒に背負ってもらえることが。


「……ありがとう」


 それだけの言葉。

 その一言だけで、シズはアレクに力を貸すと決めたのが正しいことだったと確信した。


「あっそうだ、夕飯食べに行こう。さっき病院でここの宿勧めてもらった時な、料理が美味いらしいって聞いたんだ」

「おっ、それは楽しみですね」

「酒も飲め。デザートも付けろ。好きに食え、僕が奢る」

 照れ隠しなのだろう。いつも以上に饒舌な少女の後をついてシズは部屋を出た。


   ◎


 ——翌朝、日が登ってしばらく。


「あー、よく寝たわ。やっぱしっかり風呂に入ると疲れるんだな。いつも以上に寝た気がする」

 起き上がり、うーんと伸びをしてから、アレクはを覗き込んだ。

 シズは先に起きていたようで布団もとっくに畳み終えている。


「おまえもちゃんと眠れたか?」

「えぇまあ……でも俺が言うのもなんですが、よくあなた、知らない男と二人の部屋で眠れますね? 不安じゃないんです?」

「別に? 念の為に受付で痴漢撃退用の護符借りてたし」

「えっいつの間にそんなものを」

「使わないとは思ってたけどな? おまえは理性のない奴じゃない。そこを僕はちゃんと知っている」

「はぁ、どうも……」


 よいしょ、と年齢らしからぬ掛け声とともにアレクは床に降りた。


「それにしてもとか前世ぶりに寝たな。二人以上のパーティ用の部屋ってだいたいこうなのか?」

「そうですよ。四段くらいまでは置いてる宿が多いと思います」

「なるほど……寝る時に演出ってそういうことだったんだな……」


 例によってシズにはよく分からないが、アレクは何かに納得したようでしきりに頷いている。


「その様子だと、あなたはパーティでこういう宿に泊まるのは初めてなんですね」

「ああ。そもそもギルドも昨日初めて行った。おまえが慣れてるおかげで助かったよ」

「まぁ、先日まではこれでもパーティ所属でしたからね……一応……ええ、はい」


 ふふ、と不気味に笑うシズの様子に、アレクはシズが前パーティでどのような扱いだったのかをだいたい察した。しばらくは触れないでいてやろうと思う。


「何はともあれ! これで僕もパーティに所属できたわけだ。ギルドからクエスト受注ができるし、関連施設も使える。情報が得やすくなるのはありがたい」

「これまでも一人のパーティとして登録しておけば良かったのでは?」


 誰ともパーティを組むことなく活動する勇者は意外にもそれなりに多い。本当に個人ですべてをこなす者から、仕事ごとに仮パーティの結成と解散を繰り返す者など様々だ。


「僕だってそうしたかったさ。ただ、ソロだと当然僕自身がパーティリーダーになるだろ? 家出中なもんでね、なるべくリスクは減らしたい。もし身内にパーティ登録リストを調べられると万一ってことがあるから」

「あ、なるほど。あれ、データベースに代表者の顔が載りますもんね」

「そういうこと」


 ギルドにメンバー登録をするとその証としてギルドカードが発行される。これには顔写真が添付されているため、実家に居所がバレるリスクを考えるとこの登録の時点で心配だ。さらにパーティの代表ともなればパーティ検索のデータベースに顔写真がばっちりと載ってしまう。


「だから俺をリーダーに推したんですね。なんだ、それなりに期待でもしてくれているのかと思ったのに……結局は保身かぁ」

「まあまあ。でもね、これはおまえを主人公たらしめる為にも必要なことなの」

「さてどうだか」


 拗ねたように言うが、実際シズとしては満更でもないらしい。こういう風に誰かに頼られるのは久しぶりなのだ。自分でも単純だと思ってはいる。


「それにしても虚偽申請もいいところですよね、これ」


 シズは財布から昨日更新したばかりのギルドカードを取り出した。

 掌に収まるサイズの白いそれには、顔写真や職業ジョブの詳細が記載されている。


 名:シズ 姓:——

 職業ジョブ獣使師テイマー(猿)

 階位ランク:C


「俺、獣使師テイマーって無理ありません? しかも(猿)って……」

「仕方ないだろ、死霊術師ネクロマンサーって職業ジョブが存在しないんだから。死体限定とはいえ、人間を使役できると思えばこれが一番近い」

「でもなんで(猿)……」

「人間も猿も似たようなもんだろうが」

「聞いたことないですよそんな暴論」

「進化論ってのがあってだな……って、まあいいだろそんなのはどうでも」

「はぁ」


 アレクは自慢げに自分のギルドカードを見せびらかす。

「僕のカードよりはマシだろ」

 ふふん、と突き出されたそれには、シズの持つカードと同様の形式でアレクの情報が記載されている。


 名:アレク 姓:——

 職業ジョブ占術師ディヴァイナー鑑定人アプライザー

 階位ランク:C/C


 ちなみに裏面に書いてある出生地情報はシズのものを丸写ししている。行ったことがないどころか地図上の場所すらよく分からない。

 また年齢だけは本当だが、誕生日は前世のものを申請しておいた。


「ご丁寧にメインの他にサブ職業ジョブまで登録しているのにはちょっとびっくりしましたよ」

「履歴書には遠慮なく書けるだけ書く。書いて損はない」

「でも鑑定人アプライザーの募集が来たらどうする気なんですか? そもそも占術師ディヴァイナーなんです、あなた?」

「えっ? いや、どっちの募集クエストも基本受けないけど。あくまで目的とするクエストの受注をもぎ取りやすくする為の手段だし」

「え、あっ、そう……」


 クエストの受注に関していうと、やってくれるなら誰でもいいというものもあれば、依頼者との合意により成立するものもある。後者ならば、なるべくこちらを優れているように見せた方がいい。

 階位ランクをCにしているのもなるべく上位ランカーに見せたいが為だ。

 本音を言えばもっと上の階位ランクを書きたいところだが、B以上は定期開催される実技試験に受からなければならない。さすがにギルド職員の前でゾンビを操ってみせるわけにはいかないので、仕方なく自己申告できる最高位にしておいたのだ。


「さて、と。準備が出来たら備品の買い出しに行こう。適当に薬や装備を買ったらすぐに出発するぞ」

「随分と急ぎますね」

「時間に余裕がある仕事ってやつは大抵土壇場になるとめちゃくちゃ焦る。早め早めに手を付けた方がいいんだよ」

「あー、それはなんか分かる気がします」

 シズはベッドの縁から腰を上げて手荷物をまとめる。よし、忘れ物はない。


「それで次はどこを目指すんですか。あなたのことだから、何かもう決めているんでしょう」

「もちろん。それは宿を出てからおいおい話すけど——」

「どうかしましたか」


 怪訝な顔をするシズの視線から逃れるように俯き、アレクはぼそりと呟く。


「ごめん、着替えるからさすがに出ていってくれ」

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