世界を救う最適解
森を行くことしばらく。
天頂に輝く日が傾き始めた頃、辺りに繁る木々の間隔が疎らになってきた。そろそろ森が終わるようだ。
「そろそろこれから降りた方がいいな。止めてもらってもいいか」
アレクは自身が『神輿』と呼んだ、逆さのローテーブルを指して言った。
「森を出たら助けてくれそうな奴を僕が適当に探してくる。その間にこいつらをどこかに隠しとけ。使役を解いても動かないようにはしとくから」
断りもなく、アレクはまともに動けないシズの腰元から勝手に短剣を抜き取る。ほんのわずか躊躇しつつも、覚悟を決めたのかそのままテーブルの左右に控える二体のゾンビの眉間をそれぞれ刺す。
「これでいいだろ」
シズに命じてゾンビの歩みを止めさせると、アレクはとん、と軽い音を立てて地へ降りた。振り返り、今しがたまで利用していた乗り物をじっと凝視する。
宙に留まる逆さの机と、その横に漂う手足のないゾンビ達。
「発案しておいてなんだが、傍から見れば絵面の不気味さが際立つな。どうやって浮いてるんだこのテーブル。それとゾンビ」
「見えないとそりゃ奇妙でしょうよ。視えてても不思議なんですから」
シズ曰く。
手足のないゾンビに『糸』を絡ませ失ったパーツを模し、それでテーブルを担いだり歩いたりしているとのこと。
ゾンビの足元にあたる場所に手を伸ばし、アレクは怪訝そうな顔をする。触ると確かに何かがあるような、そこだけ空気が澱んでいるような。そんな感覚がある。ただし気のせいと言われたらそれまで、といった程度のものだ。
シズから『糸』の話は聞いたが彼女には何も視えない。おそらくシズ以外の誰にも視認できない類いのものなのだろう。
シズの
実際にはアレクの想像のごとく命令して終わり、という単純なものではないようで、操作や統御が必要らしい。事実、ここまでたどり着く道すがらシズはずっと指先を動かし続けていた。慣れればもっと応用が効くのかもしれないが、しばらくは文字通りこのくらいの人数で手一杯だ。
「じゃ、ちょっと待っててくれ。なる早で戻るから」
ゾンビの死体——というのも妙だが、それを隠すと、アレクは手を振りながら大通りへと駆けて行く。その姿はすぐに小さくなり、やがて視界から消えた。
独り残されたシズは、ただぼんやりと大きな木の幹に背を預ける。
天を見上げれば、青。
「なんかもう、色々……俺、ついていけるかなぁ……」
昨日とほとんど変わらないのどかな空が、妙にざわついて見えるような気がしてくる。
「でも、あんなこと聞いたら無視できないですよねぇ……」
お人好し、ときっと人は呼ぶのだろう。分かってはいるが、事情を聞いた今はもう引き返せない。
「——魔王なんて。死ぬ、とか。そんなのさぁ」
◎
話は、ここに至るまでの道中に遡る。
「じゃ、さっそくこの世界に対する僕の仮説の話だが」
ゾンビに担がれた神輿の上で寝そべりながら、アレクはまるで昨日見た夢の話でもするかのようにゆるりと話し始めた。
「この世界は前世の僕がプレイしていたゲームのデータが混ざったものだと思う、というのは伝えたな」
「ええ。あなたの認識どおりに理解がしっかりできているか、といえば自信はないですけど」
変に知ったかぶりをしても意味はない。そう考えて素直な感想を口にする。
シズの本音に対し、アレクはそれで充分だとでも言うように頷いた。元より基準となる常識が違うのだから仕方がない。話を聞いてくれるだけでも上々だ。
「この世界観……って言えばいいのか。その核となっているのは、特にやりこんだいくつかの作品だと僕は考察している」
アレクは右手を広げて、掌をシズに見せるように翳す。そのまま人差し指だけを残して指を折った。
「第一に『ディヴァイン☆ディスティニィ』。これは揺るがない大前提。だって僕が『クレア』なんだから」
「ええと、それは乙女ゲーム……とかいうものでしたっけ?」
シズは数時間前に聞いたアレクの話を思い出しながら尋ねる。
アレクは頷いた。
「そう。簡単に言えば、プレイヤーが主人公の女を操作しながらイケメンと恋愛するっていうシミュレーションを楽しむ。そういうジャンルのゲームだ」
「それ、面白いんです?」
「……そういうことは思っても言うな。結構な人間を敵に回すぞおまえ」
アレクは本気で言っているようだった。シズはその口を閉じた。触らぬ神に祟りなし。
「それで、だ」
おとなしく聞く姿勢を見せたシズにアレクは神妙な顔を向ける。
「僕こと『クレア』は『ディヴァイン☆ディスティニィ』におけるヒロインのライバルというか、まあその悪役なんだ」
「つまりは敵だと」
「悲しきかな、そのとおり。このゲームではヒロインが『クレア』を取り巻く男の誰かと恋に落ちる。そして過程は違えど、だいたいのルートでは最終的に嫉妬して狂った『クレア』の中に封印されている悪しき魂が目覚める——という展開になる」
「悪しき魂〜?」
唐突に出てきた単語にシズは思わず何とも言えない顔をした。アレクも対抗するように眉を寄せる。
「何だよその言い方は。おまえ、信じてないだろ」
「いや、なんか……でもあの、はい」
「素直なのはよろしい。だけど僕は真面目に言ってるんだぞ」
ぽん、とアレクはその左手を胸にあてた。厳密にはあてる、というより載せるという状態が近いかもしれない、とシズは思ったが発言は控えておく。
「ここには、闇の女王の魂が眠っている」
ぽんぽん、と胸を叩いて。
「お前も知ってるだろ? 魔王ヴェオロームの妻にして片割れ。闇の女王ディアニータ」
「————ハァ?!」
知っている。そりゃあ知っているさ。子供の頃から何度も何度も繰り返し聞かされた、教科書に出てくるような存在なのだから。
「アッハハ、いやあの冗談……」
「僕は本気で、真剣に、嘘偽りなく事実を言ってる。この世界における魔王の伝承と矛盾もない。否定はできないだろ」
魔王に関する伝承——。
子供の頃、学校でも教わる世界の歴史にして伝説。詳細を挙げていくと長くなるが、簡単に言えば数百年もの昔に勇者が魔王を世界の狭間に封印した、というお話だ。
人々の生きるこの世界は、天使の暮らす天界と悪魔の棲む魔界からなる異世界と繋がっている。その異世界からこちらの世界へと侵攻してきた魔王、名をヴェオローム。
永らく人々を苦しめていたその魔王を黄金の英雄と称される初代勇者が倒し、こちらの世界と異世界とを繋ぐ壁の中に閉じ込め、世界にはようやく平和が訪れた。
そんな古き伝承に登場する魔王の半身、それがディアニータである。
「ディアニータは夫と共に封じられかけたが、世界の狭間より抜け出しその魂だけがまだこの世を彷徨っている……とかいう噂のやつですか?」
「そうそう」
再びアレクは胸を叩く。
「で、その魂が見つけた容れ物がこちらになります」
「いやいやいや、さすがにそんなはずは……というか、そんなことありえるんです?」
「それがありえちゃうんだよな〜」
アレクが見てきた範囲において、輪廻転生という概念はこの世界の人々にあまり浸透していない。死者の魂は等しく無に還るという考え方が一般的だからだ。
だが、悪魔や天使はこの常識に属さない。
「カッコウ、という鳥を知ってるか?」
アレクは上着の胸元を少し開き、細い首に巻かれた銀色のチェーンを手繰り寄せた。鎖の先にはコインのような飾りが揺れる。よく目を凝らすと、それには鳥を象った紋章が刻まれていた。
「有名な話だから聞いたことがあるかもしれないが、カッコウには托卵という習性がある」
シズは頷く。知っている。
カッコウは卵を他種の鳥の巣に産み落とすのだという。生まれた雛は本来巣にあるべき卵を排除して子に成り代わり、何も知らぬ親鳥に自らを育てさせるのだ。
「ディアニータの魂は、まるでカッコウの雛のように他の人間の身体を住処としている。ヴェオロームが囚われてから、ずっと」
「魂が人間の身体に寄生している……ってことですか」
「ああ。ただこれまでは眠っている彼女の魂が覚醒するより先に器の方が死んでしまっていたから、宿主すら気付かなかっただけだ。器が死ねば彼女の魂は身体を離れて転生し、また新しい器に寄生する。で、その繰り返しがそろそろ終わる予定」
はぁ、とアレクは深くため息をつく。その様子にシズは彼女が何を言わんとしているか察した。
「——そのディアニータの魂が、間もなく目覚めると? あなたの身体を使って」
「そういうこと。僕がクレアを押し退けて今ここで話しているように、ディアニータは僕を排除して覚醒する」
あたかも他人事のようにアレクは投げやりな態度で告げる。
「それで、だ。覚醒後のディアニータはこれまでに集めてきた魔力を費やし世界の狭間から夫を助け出す。復活した魔王は妻と一緒に世界を征服して人間の時代はサヨナラ〜、とまあたぶんそんな展開になるだろうよ」
「それはその、あなたの前世で見てきた記憶なんですか」
「そのままそうというわけじゃない。あくまで予測だ。『ディヴァイン☆ディスティニィ』では目覚めた『ディアニータ』が夫を現界させるための依代となる人間を探そうとする。だからこの世界においても彼女は同様の行動をとるだろうと思う」
要約するとクレアの肉体に宿る魂、その絶望によって魔王の妃は現世に蘇る。そして妃が蘇ればすなわち、芋蔓式に魔王もついでに蘇るというわけだ。
アレクは右手を掲げ、指をもう一本立てた。そしてさらにもう一本。
「ここで、魔王という存在に影響を与えている別のゲームが他に二つほどある。『ヴェオローム』という名前は『ディヴァイン☆ディスティニィ』の魔王のものなんだが、他のゲームにおける魔王の設定も混ざっているんだ」
「……魔王ってそんなにたくさん色々いるんです? あなたの前世ではとても一般的な存在だったんですねぇ、魔王」
しみじみと呟くシズに、アレクはとりあえず曖昧に笑いかけておいた。この世界における魔王のような存在が現実にいるわけではないが……あながち間違っちゃいない気もする。
「とりあえず、この世界における魔王の話だ。ヴェオロームのベースは『ディヴァイン☆ディスティニィ』の魔王。そこに『ドラスティッククライシス』及び『フェイタルサンクチュアリ』という二つのゲームの悪役が影響している」
「それも乙女ゲームというやつなんでしょうか」
「いや、これはRPG——ええと、勇者パーティを操作しながら敵を倒して世界平和を目指すようなゲーム、と言えばいいのか? 結構なタイトルで遊んだけど、前世の子供時代に僕が一番やり込んだのはこの二つだ」
「なるほど。つまり勇者志望の子供達に大人の生活を疑似体験させる教育用ゲームということですね」
「あ〜……まあ、それでいいや。うん」
シズを含めこの世界に生まれ暮らす人々はアレクと同じ感覚でロールプレイングゲームを捉えることは出来ないだろう。説明しても伝わらないことを語るのは面倒なので適当に流しておく。
「当然、僕は実際に魔王をこの目で見たわけじゃないが、伝承で伝えられているその姿や在り方にゲームとの共通点がある。たとえば、魔王や上位の悪魔が眷属にしているのは竜だろ? それはそのまま『ドラスティッククライシス』の設定なんだよな。一方、悪魔と天使の抗争だとか異世界の存在だとか、そういうのは『フェイタルサンクチュアリ』の世界観に近い」
はぁ、とシズは分かったような分からないような相槌を打った。
「それが分かったところでなんなんです?」
「ん、分からないか? 僕は敵の戦力や今後起こりうる展開について知識と経験から予想ができるってことだよ。ついでに地理や特定の人物の情報も持っている」
にっこりとアレクは微笑んだ。
「これらを駆使して魔王を倒すんだ、おまえが」
「——えっ、えぇぇ!? 嫌ですけど!?」
「嫌でもやるしかない。このまま何もしないと僕は死ぬ。僕の命だけならまだしも、どうせ世界も道連れになる。おまえも死ぬ。それでいいのか?」
「いや良くないですけど!」
「じゃ、やるしかないんだって。面倒なことでもやらなきゃならない、それが社会人なんだよ」
「あの、そうは言っても面倒ってレベルの話じゃないんですけどこれ!?」
「まあまあ。でもしょうがないよね」
聞き分けのない子供をなだめるかのごとく、穏やかに見えてきっちりと圧をかけてくるアレクにシズは深く溜息をつく。
「——俺がやる以外の選択肢はないんですよね? この流れだと」
「あるけど」
「なん——え? あ、あるんですか?」
ウン、とアレクは頷いた。
魔王討伐をやりたいわけではないが、その仕草に少しだけシズは拍子抜けした。アレクに言われて自分だけが特別と思っていたのに、どうやらそうでもないらしい。
なんだか複雑な気分だ。
「……えと、ではその別案というのは?」
「主人公を全員探してくること」
「主人公?」
そうそう、とアレクはまるで簡単なことのように言う。
「さっき言ってた各ゲームの主人公。そいつらを全員集めたらたとえ魔王が復活しても倒せるだろうと思う。ゲームの前提として、そうステータスが組まれてるはずだから」
元々アレクがシソウに向かったのは、あの小さな村が『ドラスティッククライシス』のスタート地点だったためである。
まさかそこで見つかる主人公が、本家と何ら無関係のシズだとはさすがのアレクにも予想外だったが。
「正直、『ストーリーテイラー』のデータが関わってると思ってなかったし。おまえを見つけるまではそんな感じでいこうとしてた」
「その方向じゃダメなんです?」
アレクの語る事柄についてその内容を完全には否定しない。けれど、その期待を全て受け入れるほどの自信はシズになかった。
別の方法がある、と聞いて多少肩の荷が下りたのは事実だ。
「俺、あなたの言うとおり確かに特殊な才能はあるみたいですが、あんまりその、勇者向きじゃないかな〜と思いまして」
直接言わずともほっとした様子を見せるシズに、アレクは寂しげに目を伏せる。
無茶を言っている。そんなことは、彼女にだってよく分かっている。
「おまえがどうしてもやってくれないならそうするしかない——けど」
「けど?」
自嘲気味にアレクは微笑む。
「説明していないゲームも含めて、そのうちいくつかのラスボス……ええと、最後の敵ってやつは魔王じゃなく悪の女王——つまりは、この世界における僕なんだよ」
アレクはいつものように明るく、偉そうな表情を浮かべる。その余裕が、シズにはかえって心にかかる不安を振り払うように見えた。
「あの……それって」
「どうやら分かったみたいだな。そう、世界を救おうとすれば僕は死ぬ。その可能性が高い」
シズに出会うまでは、それしか方法がないと信じていた。
魔王ヴェオロームの復活はディアニータ覚醒の後に起きる事象である。ならばもちろん、その時点でクレア及びアレク、両名の魂の灯火はすでに消えていることになる。
魔王を蘇らせないようにと手を打つならば、有効な方法はディアニータ覚醒の阻止。その為には器となる肉体を破壊するのが手っ取り早いが、ディアニータが簡単にそれを許すはずはない。もし自殺を試みたとしても、肉体よりも先にクレアの魂が壊れることだろう。その際にアレクがどうなるのかは未知数である。
そしてもし仮に、肉体の破壊に成功した場合はどうなるのか。無論クレアの魂は拠り所をなくし、アレクの方もまた同様。平たく言えば、死。
それに伴ってディアニータが次の器へと転生すれば。再び魔王の妃の魂はどこかに身を潜め、その所在は不明となる。
結局問題を先延ばしにするどころか、状況としてはむしろ厄介さを増すだけだ。
だから。
世界を救うには、圧倒的な実力を持つ者に頼って敵の魂を封じ、二度と人間界に戻らぬようにしてもらうしかない。
その場合の彼らの敵とは魔王であり、その妃でもある。世界の行く末の安寧を願えば、その抹殺こそが最適解だとは分かっている。
つまり、『クレア』という存在に転生した以上は、いずれにせよ迫る死の運命からは逃れられないのだ。
二度目の人生は悔いがないように、と。そう考えれば考えるほど、世界の為には自分の存在こそが邪魔なのだと思い知る。
どうせ一度は死んだ身だ。何も得られなかった人生をやり直せるだけありがたい。
それならば、二度目は誰かの為に生きて、その先に終わりを迎えたい。運命に気付いた時からこれまでに、必要な覚悟はしてきたつもりだった。
けれど、シズに出会った。
「おまえなら流れを変えられるかもしれない、って本気で思ったんだ。他力本願は認めるが許せよな」
「……どうして、俺をそんなに信じられるんですか。あなたは」
消え入るように呟くシズに、アレクはさも当然とでも答えるように笑顔を向ける。
「僕はハッピーエンドが好きだから。前世から今に至るまで、ずっと」
僕の想像した世界、僕が創造した主人公。それが
そんなあやふやな子供っぽい理由。それでもほんの少しだけ、希望が見えた気がした。
「ま、最終的にどうであれ。とにかくどうにかして世界は救うさ」
何か応えなければ、とシズは口を開いた。けれどその先、何の言葉も出てはこなかった。
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