転生した社畜

 あの日のことはよく覚えている。


 三十代独身、男の一人暮らし。実家への連絡はごく稀で、彼女もなし。友人もほとんどがSNS上の付き合い。そのため自分を含め誰もその生活や健康を気遣う者はいなかった。


 そんな毎日の、とある夜。


 仕事で新製品のプロジェクトがあり、しばらく前からほとんど寝ていない日が続いていた。過労による疲れを通り越し、ハイになっていたんだと思う。同僚も似たような状態で、自分がヤバいことに全く気付いていなかった。

 その麻痺した感覚が注意力を欠くことに繋がった結果がこれだ、と認識した時にはもう遅かった。


 最期の記憶は、自分を轢くトラックのヘッドライト。それと響くクラクションの音。もしかしたら通行人の悲鳴も混じっていたかもしれない。


 終わったな、と悟った頃にはもう清々しいまでに冷静な感情で、死にゆく自分を捉えていた。

 そしてふと、思ったのだ。


 ——帰りたい。


 家へ、というような具体的な場所ではない。薄れる意識の中で帰りたいと願ったのは、幼い頃の空想の記憶の中。

 かつては仕事なんて考えたこともなかった。自分がやるべき使命といえば、いくつもの世界を救う勇者としての冒険だった。


 ——あの頃に戻りたい。


 そう強く願うと、心の中に突如として選択肢が浮かんだ。


▶︎はじめる

▷つづける

▷おわる


 うるせえ。なんだそりゃ。

 何を続けさせるんだ、ここまで身を蝕んできたつまらない仕事か? 終わるってなんだよ、僕の命か? 一番分からないのは最初だ。始めるって、何をだよ?

 浮かぶ疑問符。苛立ちながらも、選ぶならこれしかなかった。


 ——あぁ、神様。

 もしも選べるのなら、次の人生は『つよくてニューゲーム』がいいです。


   ◎


 そしてが訪れた。


 両親はいつも以上ににこやかで、妙に浮き足立っている。使用人達もいつになく館の清掃に余念がない。


 十三歳を迎えたばかりの少女は、彼らに言われずともこれから訪れる来客がどんなに重要な人物なのか、今日という日がいかに特別であるのかは知っている。

 なにしろ、自分の婚約者とこれから初めて対面するのだ。これが人生にとっての転機にならぬわけがない。


 息を吸って、吐いて。緊張をすることなどないと思ってはいたが、やはりいざとなると身構えてしまう。

 相手はこの辺りで最も大きな力を持ち、王侯貴族や有名人との繋がりも深い領主の息子。事前に写真はもらっていたが、実際に会うとなると期待と不安に落ち着かない。


「何をやっているの、もう行かなくては。安心なさい、彼にだってきっと愛されますわ。だってわたくしは、こんなにも美しいのですから」


 少女は他の者には聞こえないほどの小さな声で呟く。大丈夫、何ひとつ心配することなどない。そう自らを奮い立たせると、使用人に命じて広間の扉を開けさせた。


 ——そして、彼を見た。


 あの瞬間の衝撃は今も忘れられない。頭を殴られたような、とか。身体に電流が疾ったような、とか。ありふれた表現をするのならばそんな感じ。

 ともかく彼の顔を見た途端、少女は——いや、の魂は、全てを思い出した。


「ごめんなさいね、やはり初めてお会いするとなると緊張するみたいですわ。普段はもっと社交的ですのよ。ほら、ご挨拶なさい」


 母親の声は聞こえているが、すぐに反応が出来ない。とりあえず無理矢理に笑顔を作ろうとしてみたが、上手くできているだろうか。


「——わたくし、は……」

「クレア・ディルバルト。知っているから、無理をして名乗らなくても構わないさ」


 その様子を見兼ねたのだろう。年下の婚約者を安心させるように目の前の少年は微笑む。


「俺の前で平然としていられる方が無理な話だ。気にしないでいい」

 威張るでもなく、さも当然のように言ってのける。


 そうだ、こいつはこういう奴だ。


「改めて。君の婚約者、ジーク・アルジレフだ。こちらもわざわざ名乗らなくても知っているだろうが、よろしく」


 名前はもちろん知っていた。そして未来において自分とはよろしくしないだろうことも知っている。


「……ご機嫌よう、アルジレフ様」


 やや冷静さを取り戻してきてはいるが、とにかく状況を整理する時間が必要だ。まずは独りになりたい。


 ふら、とよろけて見せ、大袈裟に頭を手を当てる。少しわざとらしかったかもしれないが、今は手段を選んでいる暇はない。


「ごめんなさい、アルジレフ様。わたくし、ちょっと緊張しているみたいで気分がすぐれませんの。少し自室でお休みしても構いませんかしら」

「そんなに畏まることはないさ、遠慮なく休んでくれ。それから俺のことはジークでいい」

「まぁ。ありがとうございます、ジーク」


 両親は娘の様子に、結婚が破談にならないか心配だったのだろう。二人のやりとりにほっとした表情を浮かべてから使用人を呼び、娘に寄り添わせた。


 自室までの廊下、たかだか知れた距離が非常に長く感じる。今にも走り出したいところだが、さすがにそういうわけにもいかないので重い足取りを演じる。


「さぁさ、お嬢様。ご無理はいけません。このばぁやが一緒にいますからね」

「ありがとう、ばあや。でもわたくしは独りで平気よ。少しだけ眠るから、部屋には誰も入れないでちょうだい」

 ぎこちない笑顔を信じたのか、使用人の老女は何も言わず一礼して少女の部屋の扉を閉めた。

「おやすみなさい、お嬢様」


 嘘だ。眠るつもりはない。


「悪いがそんな暇なんてないんだよ」

 みんなに心配をかけて悪いが時間は有限だ。いつまでもここに籠っているのは難しい。

 ばあやの足音が聞こえなくなるのを待ち、部屋に施錠をしたら準備は良し。


 まずは現状の把握から。

「う〜〜〜わァ……」

 自室に置かれた馬鹿でかい鏡に映る、いつも見ているはずの自分の顔。確かに見慣れたものではある。しかし今改めて感じるそれは、自身のものとしてではない。


 ——『クレア・ディルバルト』。


 それが鏡の中にいる美少女。その名を知ったのは小学生の頃だった。

 もちろん、子供時代に自分の名前を知らず育ったというわけじゃない。での幼少期に彼女を知った、という意味だ。


「なんてこった……」

 さっきまでの自分は『クレア』だった。そう信じていたし、疑う理由はなかった。


 だが今は違う。

 もはや『クレア』は心の片隅に追いやられ、代わりにアラサーの社畜としか言いようがないサラリーマンの記憶がとめどなく溢れている。


「クレア……ジーク……ってことはこれ、いわゆる異世界転生ってやつ、では……」


 社畜の記憶をたどる。

 妙に確証があるが、『クレア』も『ジーク』も、どちらも前世の頃に妹がハマっていた女性向け恋愛ゲーム、通称乙女ゲームの登場人物だ。どうやら前世で死んだ後、ゲームをベースにしたと思われるこの異世界で登場人物の一人として生まれ変わってしまったようだ。


 こういう展開を扱う創作物は、ちょくちょく目にしていたから知っている。しばらく前から——つまり前世だろうと思われる社畜時代の最期の頃、やたらと流行っていた。

 その異世界転生モノの、特にテンプレともいえる代表存在が目の前に見える。


「クレア……おまえ、典型的なじゃねぇか……」


 記憶にあるゲームのタイトルは『ディヴァイン☆ディスティニィ』という。

 ざっくり言うと平民出身のヒロインが金持ち学園に入学し、最も校内で目立つ女——要はこの『クレア』にいじめられつつ、『クレア』の周りを取り囲む様々なイケメンを落として付き合う、という話である。

 身体が弱く小学校を休みがちだった妹と繰り返し一緒に遊んでいたので、キャラクターや展開は思い出として刻み込まれていた。


 だから分かるのだ——このまま何もしないでいるとこの悪役令嬢は、と。


 こうしてはいられない。

「どうすれば『クレア』の……いや、僕の死を回避できる……?」

 考えろ。考えろ。考えろ。


「待てよ……?」

 動揺で回らぬ頭でも、すぐに浮かんだのは一つの疑問だった。


「そもそも本当に『ディヴァイン☆ディスティニィ』なのか、この世界は」


 少なくとも自分が『クレア』である以上そこは揺るがないはずだが、それにしては不自然な点が多い。


 たとえば、地理。ゲーム内に出てくるのは一都市だけだが、知らないはずの隣国の名にも覚えがあるような気がした。

 それに、街並みですらも違うように感じる。記憶にある背景画像はもっとファンタジー的だったような気がする。少なくとも『クレア』は森の中の城のような一軒家住まいで、ここのような高層マンションが並ぶ街中のデザイナーズハウスには住んでいなかったはずだ。


「……どういうことだ?」


 おそらく自分にはまだ、思い出せていないことがある。化物のこともそうだ。近年この辺りでもゾンビが増えているらしいが、さすがに乙女ゲームにこんなゾンビなどはいなかった。明らかにおかしい。

 きっとこの世界の謎を解き明かすことが、死の運命を回避することに繋がるのだ……。


   ◎


「——というこの僕の推論は、この翌年に一つの仮説にたどり着くことになる」


 少女はシズを見上げたまま聞く。

「どうだここまでの流れは分かったか? ちゃんとついて来てるか?」


 シズは「はぁ」とか「へぇ」とか話の端々で相槌を打ちながらも、正直なところ理解が追いついていなかった。

 一方、少女としてもシズがすぐにこの突拍子もない話を受け入れるとは考えていないが、ひとまず反論もされなかったのでそのまま話を続けることにした。

「その翌年の話だ」


 ある日、家を訪れた祖父に呼ばれて一枚の写真を見せられた。そこには自分ほどではないが、まあそこそこ可愛い娘が写っている。

 祖父は言った。


——彼女はローラアさんというんだ。


 聞き違いかと思ったが、確かに言った。

 どうやらその娘は、護衛を付けていない日にうっかり財布を忘れたまま外出してしまい困っていた祖父を助けてくれたらしい、とか。その礼として授業料免除で祖父が理事長を務める魔術学園に入学を勧めた、とか。


 まあそんなことはどうでもいい。

 大切なのは彼女の名前がローラではなく、『』である、ということだ。


「僕がやっていたゲームのヒロインにデフォルトで付いているはずの名前は『ローラ』。で、『ローラア』ってのは妹が付けていた、いわばオリジナルの名前なんだ」


 デフォルトの名前を自分の名前に変えようとしたものの修正方法がよく分からず、かといって気恥ずかしくて兄にも聞けず、半端に入力した名前のままで始めた妹のプレイデータ。『ローラア』はそうして生まれた、彼女のセーブデータ上にだけ残る存在だった。


「それで僕は気付いたんだ。これはゲームの世界じゃない。僕と妹のゲームデータをセーブしているじゃないのか、と」


「……質問いいです?」

「どうぞ」

「えっと、ゲームのメモリーデバイス、とかいうものがよく分からないんですけど……それはゲームセンターにあるゲームとは違う何かなんですかね?」

 少女はやれやれ、と肩をすくめてみせた。

「ま、そうだよなぁ」


 彼女の前世の記憶にある世界の様子と比べて、今生きているこの世界の娯楽はあまり電子化されていない。ゲーム、というものはゲームセンターに置いてある筐体を指し、携帯したり家庭のテレビに繋いだりといった楽しみ方をしているものは少ないのだ。こういった機器を個人で所持しているのは機械オタクか、電子産業に特化した一部都市の住民か、そうでなければ相当な金持ちくらいのものだ。


 少女は前世におけるゲームがどんなものかをざっくりと説明した。

「——それでメモリーデバイスってのは、ゲームのハードに挿入する小型の記録機器。その中に複数のゲームのセーブデータを保存できるんだが、たぶん僕らが記録していたデータがのがこの世界なんじゃないか、と思う」


 世界に感じていた不自然な部分。『ローラア』の名前からセーブデータの可能性を考えた途端に、記憶の一部にかかっていた霧が晴れるように様々なことを思い出した。


「それで。もしこれが複数のゲームの集合体であれば、僕がこれから背負うことになる世界の命運だとか死の運命だとかをなんとかしてくれる存在が何人かいるんじゃないか、よしそいつらに助けを求めよう、と家出して。それでここに至るってわけだよ」

「家出とか色々気になることはありますが……とりあえず、なんでわざわざあの村にいたんですか」

「トスタ村か? そこがシナリオの始まりにほど近いエリアだったからだ。村についてすぐに『エリン&ローグン』を見かけた時はもう、震えたね。ここまで非道なことはしてなかったが、あいつらは『クレア』達とは違うゲームのキャラクターだったんだ。だからここにいたら、絶対誰かしらの『主人公』に出会えると確信した……んだが……」


 そう言うと、少女は照れたように視線を逸らし呟いた。


「でも、まさかを見つけるとは予想外だったよ」

「え?」

「何度か言ったよな? 僕はおまえの創造主だって。あれはそのままの意味。僕がやっていたゲームの一つに『ストーリーテイラー』ってのがあってだな……まあ言ってしまえば、ゲームを作るゲームなんだ」

「あの……それってつまり?」


 少女は両手で顔を覆う。指の隙間から除く肌は真っ赤だ。


「……そう。おまえは、子供だった前世の僕が作ったオリジナルキャラクター。文字通り、僕の生み出した世界の主人公なんだ」

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