神を名乗る少女
「あの……えと」
自己紹介の衝撃にシズは言葉を失った。大丈夫かな、この子。
神がどうのという発言には疑問しかないのだが、意味が理解できなさすぎてどう反応すればいいのか難しい。
シズはひとまず考えることをやめ、とっつき易いところから話を切り出した。
「……その、こんな夜中にどうしてこんなところに? ここ、たぶん危ないところですよ。墓地だと思いますから、いつゾンビが現れてもおかしくないというか」
「墓地なのは知ってる。でも問題はない。仮にゾンビが出て来ても、あいつらは僕を襲わないからな。襲われる可能性があるのはおまえだけだ」
「えっと、はぁ……」
会話はできた。しかしながら、少女が口を開くたびに謎が増えるばかりのような気もして、シズの頭は痛くなるばかりだ。
「おい、なんだその態度は。僕はこれからおまえを助けてやろうとしてるんだが。いいか? このままにしておくとおまえは死ぬんだぞ。助かりたくないのか」
「……俺を、助けてくれるんです? いや、それはもちろん死にたくはないですけど」
「じゃあ僕に従え。僕としてもせっかく出会えたのに、こんな序盤も序盤の村でおまえに死なれちゃ困る。マジで困る」
「……困るんですか? 俺だけじゃなくて、あなたも?」
頷く少女。シズはますます混乱した。
話についていけない。けれど少女の口調は妙に自信にあふれていて、その言葉には有無を言わせないような力を感じる。
少女は髪をなびかせて訝しげな様子のシズに構わず近寄ってくると、背中に背負ったリュックから携帯用のソーイングセットを取り出した。中に入っていた小さな鋏で、シズの手足に巻かれた結束バンドを切っていく。
「ばあやが持たせてくれたこれが、まさかこんなところで役に立つとはな」
誰だよ、ばあやって。
思考が追いつかぬまま、シズは作業をしている少女を間近で観察した。
月明かりに照らされたその顔立ちから察するに、年齢は十代半ばといったところだろう。無造作に括られた長い巻き髪は美しく輝き、まつ毛に彩られた大きな瞳は鋭く、それでいて愛らしい。ついでに推測すると、おそらくスタイルもかなりいい。
口調や態度は大人びているというか、控えめに評して個性があるというか。言ってしまえば相当に独特だが、容姿はまさに美少女という形容が相応しい。
なんかモテそうな子だなぁ、と回らない頭でシズは思った。自分が同じくらいの年齢で、もし一緒の学校にでも通っていたら憧れていたかもしれない。見た目だけならファンクラブとかありそうな感じの雰囲気だし。
ただ、こんな状況下においては彼女の外見上の魅力よりも、その発言への戸惑いが圧倒的に勝ってしまっている。今感じている動悸は、恋慕やら欲情やらそういうものではない。どちらかといえば恐怖や不安の感情によるものだ。
根拠はないが、本能が警告している。この子と関わるのはなんかヤバい。
そんなシズの思惑をよそに拘束を解くと、少女は小箱を再びリュックに収めた。そうして空いた手を、座り込んだままのシズの方へ差し出す。
「立てるか?」
「あ、はい。なんとか……」
「じゃあ歩けるか?」
「ゆっくりとなら……」
「そうか、ならいい。必要なら手を貸すから言ってくれ。事情を説明したいが、まずは安全の確保が第一だ。ここから離れるぞ」
◎
少女に手を引かれて墓地を出ると、シズは塀を背に座り込んだ。歩いた距離も時間もさほどではないのに、心身共に疲れをしっかりと感じる。雲の切れ間から差し込む月の光が優しい。
ゾンビと遭遇しなくて本当に、ほんとうに良かった。
「運が良かったですね、ゾンビが出て来なくて」
シズが安堵の笑顔を浮かべると、少女は眉一つ動かさず淡々とした調子のままあっさりと言った。
「そりゃまあ出ないだろうよ、ゾンビ。このへんの村は元々火葬だから」
「…………は?」
「なんだ、知らなかったのか? ゾンビな、あいつら火に弱いんだよ。死後すぐに燃やすと動かないんだ。だからどこの地域でも火葬にすりゃいいものを、昔からの慣習がどうのと土葬にこだわるから被害が減らない。どんな世界でも頭の固い世代は嫌になるよな」
「いやあの、ゾンビが火に弱いのは知ってますよ? そうじゃなくて、あの、ゾンビがこの墓地には出ないとご存知で……?」
「そうだ」
「〜〜〜〜ッ」
シズは頭を抱えた。嵌められた。ちらと視線を上げると、にやついた少女と目が合う。どう考えても、シズが勘違いしていたことには気付いていたに決まっている。
「つまり俺はあの場にいたところでゾンビに襲われることはありえなかった、とそう仰るんですか」
「ありえないとは言わない。野良ではぐれた奴を見かけた、って話はちょいちょい聞くし。ただあの墓地で遭遇する可能性は低かった。いるなら、僕がおまえに話しかけるまでの間に見かけていると思う」
シズは確かに、と言いたい気持ちを堪えた。
くそっ、これも昼間に出会った勇者のゾンビのせいだ。墓地イコールゾンビという先入観から冷静な判断力を失っていた。今更ながらにそう思う。
「ちなみにしばらくこの村付近に滞在しているが、他に厄介な
「それなら、なんで俺を煽るようにあの場から追い立てたんですかっ! しかも神だとかなんだとかよく分からないことを……」
「まあ、落ち着けよ」
くく、と少女が笑う。悔しい。
けれど、シズは少女にいいようにからかわれたことに対し、悔しいながらも怒る気力はわかなかった。何を言っても、結局はなんやかんやとうやむやにされるだけだ。
それに振る舞いこそ偉そうだか、シズがこの少女に助けられたという事実に変わりはない。
「はぁ、もういいですよ。俺がビビってたのを見て、さぞ楽しかったでしょう。どうぞどうぞ、お好きなだけ笑ってください」
「そういう投げやりな態度はあんまり良くないぞ。そりゃちょっとした出来心で脅かしたのは認めるが、あの場を離れたのにはちゃんと理由がある」
呆れるようにそう言うと少女は笑うのをやめ、声をひそめて周りの様子を伺いながらささやいた。
「エリンとローグン。あいつらがおまえを殺すのを、見過ごすわけにはいかない」
知った名前に、シズの表情もこわばる。
やはりそうか。あの二人によってこの状況に置かれたのは予想どおりではある。
けれども。
「——殺す、ですか」
じっとシズを見つめる少女。彼女がいい加減なことを言っているようには見えなかったが、シズにはどうにも信じられなかった。
「確かにあの二人は信用できないですが、そんなことまでします?」
シズは墓地を抜ける間にポケット等を確認していた。短剣の他にも財布や貴重品などは軒並み盗られており、残されていたのは直接身に付けているアクセサリー類と衣類の替えくらいのものだ。
所持品を奪ったのはエリンとローグンに間違いはないだろう。だがシズを殺す気ならば、なぜわざわざ一度適当な場所に放置したのかが分からない。
「俺の荷物を奪って、それで終わりってことでは」
「終わり? まさか。殺しに戻るね」
「なんでそう言い切れるんですか」
「それはその——あいつらが、『エリン&ローグン』だからさ」
ここにきて、自信たっぷりだった少女の口調は煮え切らない様子。
「はぁ? 有名なんですか、あの二人」
「有名ではない、と思う。ただ、有名でないからこそまずいんだ」
「えっと……」
まただ。少女が何を言いたいのかが分からない。
困惑するシズの様子に、少女は明らかに面倒臭そうな表情を浮かべた。察し悪いなこいつ、と思っているのが言わなくても分かる。
「あいつらが昏睡状態のおまえをあの場に運び込んで身ぐるみ剥ぐのを見ていたが、ずいぶんと手慣れた様子だった」
「えっ……見てたんなら止めてくださいよ」
「おいおい、僕にそんなことできるわけないだろ? 自慢じゃないが攻撃手段は何一つ持ち合わせちゃないんだわ」
それで話を戻すが、と少女は律儀に前置きして続ける。
「あの手際は確実に初犯じゃない。てことは、他にも被害者がいると考えるのが妥当だろ? けど、あの村はおろか僕が滞在していた近隣の村でもそんな通り魔の噂はなかった。つまり、分かるよな」
そこまで言われてしまえば、シズも少女の言いたいことに思い至る。つまり、だ。
「被害者はみんな消されていると……?」
「そう。よく出来ました〜」
少女は雑に拍手を贈った。
「なんでその場で殺さなかったのかまでは分からないが、少なくともあのままずっと放置ということはないだろう。だからとりあえず連れ出したんだ」
「ありがとうございます、けど」
「けど?」
「あいつらのことが噂になっていないなら……あなたは、なんで俺が狙われるのが分かったんですか」
先程少女はシズがこの場に運び込まれるのを見ていた、と言った。放置されていたシズを見つけたのではなく、その前から様子を見ていたのだ。しかもエリンとローグンに気付かれることなく、わざわざ隠れて。
「……おまえさ、意外とそういうことは気付くんだな」
笑うでもなく、ただ少し驚いたように少女は感心してみせる。
「答えてやろう。それは——」
「それは……?」
「それは、あいつらが『エリン&ローグン』だったからだよ。この村にたどり着いたところであいつらを見かけて、これはいけるのでは、と。そう思って目を付けてたんだ。その先で出会うのがまさかおまえだとは思わなかったが」
もったいぶりながら少女は告げる。本人は納得しているらしく頷いたりなどしているが、シズには例のごとく何も伝わらなかった。
「あの、待って? 答えになってないんですけど。あなたはあいつらが何か仕掛けるのが分かっていたってことですか? 予知か何かなんです?」
「予知ねえ。僕には予知の
頭が痛い。本当に、少女が何を言いたいのかよく分からない。
「あなた、説明下手くそなんですか?」
「かもな。いや、ぶっちゃけ今の僕とおまえの状況をちゃんと説明したいのはやまやまなんだが、たぶん言ったところで信じない。だからここぞ、ってタイミング見計らってんだよ」
「いやそういうのいいんで。はっきり言えるんなら言ってくださいよ」
「うーん」
少女は考え込むように視線を逸らし、キリッとした笑顔を再度浮かべて告げた。
「僕は、この世界を造……ってはないが、混ぜ合わせた存在で、おまえを生み出した。いわば神なんだ」
少女ははっきりと言った。
シズにとって、新しい情報はなかった。
「それさっきも聞きましたけど、意味が分からないんですが」
「黙って聞け。お望みどおりはっきり言ってやったんだから口を挟むな」
「いや、でも」
「でもじゃない。あぁくそ、面倒だな! もともとプレゼンて昔からあんま得意じゃなかっ——」
突然、シズはハッとして少女の口を押さえた。何か、物音が聞こえた気がする。
「静かに! 話は気になりますが、誰か来ます。あなたは隠れた方がいい」
もしもエリンとローグンが戻ったのならシズを探していることだろう。あの二人に少女の存在が知れていなければ、ここで彼女が見つかるのは得策ではない。
こくん、と少女はシズに向けて小さく頷き、そっとその身を離すと近くにあった墓地のマナー看板の陰に蹲った。雑な隠れ方だが、幸いにも夜中だ。ある程度はやり過ごせるだろう。
少女が身を隠したところで、シズには安堵と後悔の気持ちがあふれた。
何をやっているんだろう。エリンとローグンの二人は俺を殺しに来る、と言われたばかりなのに。確かに彼女は関係ない。巻き込むわけにはいかない。
しかしひとりで武器もなく——いや、仮に武器があっても勝てないだろう相手に、どうすれば?
もやもやとした感情を抑えシズは立ち上がった。この場にいては少女が見つかってしまうかもしれない。彼女からほんの少しでも離れなければ。
ふらつく足に力をいれて歩き出す。墓地の塀から離れると、遮蔽物はほとんどない田舎道だ。もちろん隠れる場所はない。
村に戻ることは難しいかもしれない、と思うと同時に懐中電灯の光がこちらを照らした。
思ったとおり、エリンとローグンだ。
「あっなんだ、外に出てるじゃん! えーっなんで?」
「ごめんね、エリン。ちゃんと縛ったはずなんだけど、緩かったかな……」
「もう、ローグンったら優しいんだから! そういうところが好きなんだけどぉ」
「ありがとう。僕もだよ」
鬱陶しいくらいにいちゃついている声がしんとした闇に響く。
シズの足の自由はききにくい。とはいえ、相手とはまだ距離がある。武器のないこちらに油断している今なら。
「なんとか、逃げられ——」
そう思った時にはもう、シズはローグンの手刀を食らい地面に膝をついていた。
あぁ、そうだ。こいつ
思い出してももう遅い。
「どうしよう、彼。このままもう倉庫に連れて行くかい?」
「その方がいいかも。繋いでたの逃げちゃってたし、連れてくるより連れて行った方が楽だよね。夜明けまであんまり時間がないから、今回はスピード優先にしよ」
「うん。君がそう言うなら、そうしようか」
ローグンは倒れたシズを軽々と肩に担ぐ。見た目の華奢さからは想像できない力だが、エリンが術をかけて力の増強をしているのだろう。
まるで介抱でもしているような様子で、二人は道を外れて森の奥へと進んでいく。
「はぁ、またこれかよ」
物陰から一連の様子を見ていた少女はやれやれと舌打ちしつつもその後を追った。
◎
「おい、今のうちに起きろ」
耳元で声がしてシズは跳ね起きた。
目を開けると、すぐ脇に先程の少女が呆れ顔で見下ろしている。
「——!? あ、あれ? ここは……」
「森の奥にあった小屋の中だ。見た感じ、使われなくなって数年てとこ」
少女は手にした小さなライトでぐるりと部屋の中を照らした。
壁や調度品は短期的に人間が過ごせる程度の作りとなっている。獣の皮や薪などが部屋の隅に積まれていることから、おそらくは猟師が拠点にしていたのだろう。
けれど現在その内装には蜘蛛の巣が幾重にもかかり、少女の言うとおり生活の跡はない。
「灯りなんて点けていいんですか? あいつらにバレたら……」
「数十分は大丈夫だろう。さっきの墓地に忘れ物を取りに行ったらしい。見張りに一人残ればいいものを、馬鹿だよな」
「忘れ物?」
「ああ。斧だとさ」
眉を寄せるシズに、少女は淡々と答える。
「斧……ですか」
「そう。たぶん、おまえをああする気だろうな」
少女はすっと人差し指を部屋の端に向けた。シズはぎこちなく上体を動かし、少女の示す先を見る。
「あれは……」
床に四角い扉がある。どうやら地下室への入口のようだ。部屋の中でその周辺だけ埃がないところをみると、頻繁に開閉を行なっているのだろう。
「まあ、中を見たら分かる」
少女に手を引かれ、シズはゆっくりと立ち上がった。その拍子に何かが床に落ちる。結束バンドの切れ端のようだ。再び拘束されていたのだろうが、あらかじめ少女が切っておいてくれたらしい。
擦れてやや痛む手首を気にしつつも、少女について行く。
扉にはスライド式の鍵が付いていた。古くはあれど金属部に目立つ錆はなく、やはり手入れがされている。力を入れずとも、引っかかることなく鍵は開いた。
厚い木製の扉をゆっくりと持ち上げる。扉が開くにつれ、聞き慣れた呻き声が耳に届く。
これは、間違いない。
地下にうごめいているであろう存在について確信しつつも、念のため確かめようとシズは少女からライトを借りて覗き込む。
予想どおり、そこには数体のゾンビがたむろしていた。
手足を失ったゾンビが。
「————! これ、っ」
手足のないそれは、昼間に見かけた勇者だったモノとよく似ていた。
そういえば……とシズは思い返す。
少女が火葬云々の話をした時、昼間に退治したゾンビのことを思い出した。
当初はてっきり、ゾンビと化した勇者をまた別の勇者が倒そうとして、その過程で手足をもいだのかと思っていた。
だが、考えてみれば気になる点がある。
ここ数日を振り返ってみても、この村付近でシズが見たのはあのゾンビだけ。運悪く命を落とした誰かがゾンビになったと仮定して、その人物のそもそもの死因は何なのか。
事故? 病気? それとも化物に襲われた?
シズはもちろんあのゾンビを殺したであろう化物には遭遇していない。また、少女もそのように危険な存在の噂を近隣では聞いていないと言っていた。
嫌な想像が浮かぶ。シズは震えながらも、考えを口にせずにはいられない。
謎のゾンビの死因は、つまり——
「もしかして……あの二人がわざわざ手足を斬り落として、ここでゾンビになるまで放置してるってことですか……」
まさか、という返事が少女より発せられることはなく。代わりに返ってきたのは首肯。
「こっそり聞いた断片から察するに、どうやらそういうことらしい」
冷静なようでいて、その表情は固い。
「まず、勇者達を捕らえて金品や装備を手に入れる。丸腰にしたらここで先住の奴らに噛ませて口を封じ、しばらくしたら外に出して目撃されやすい場所に繋ぐ。そいつが討伐対象としてクエストになれば、倒してギルドに持っていくだけで報酬が得られる。単なる追い剥ぎより儲けられるってわけだ。事前に手足を落とすのは、最終的に倒しやすくするのが目的だろうな」
「————」
シズは、なぜエリンがあのダイナーで自分を選んだのかが分かった。
村に来て日が浅く、パーティも組んでいないから殺しても足が付きにくい。また戦士職であれば、武器さえ奪えば抵抗されにくいという考えだろう。
「じゃあ、今取りに行っている斧というのは、直接的に俺を殺すというよりも……」
「四肢切断用じゃないか」
「そ、そんなにあっさり言わないでくださいよ!」
「深刻に言ったところで状況は変わらないだろうが」
「いや、そうですけど!」
「ともかくは——」
言いかけた少女の言葉は続かなかった。
何かが風を切る音が、彼女の耳のすぐ横を通り過ぎたからだ。
「——ッ!」
慌てて振り返ると、いつの間にか小屋の入口の扉が空いている。
気弱そうな声が静かに響いた。
「あれ? おかしいな、この距離で外すなんてね。うーん、なんか今日は調子が悪いのかも。またエリンに謝らなきゃなあ」
背後、数メートルのところにローグンが立っている。少女のライトに照らされた彼の手には、小さく光る何かが見えた。おそらくは手投げナイフの類いだろう。
「やっべ、あぶねー……」
少女は己の幸運に感謝した。
小さなナイフだが、小さいからこそ恐ろしい。投げている相手が
安堵こそすれ、安心してはいられない。
少女は敵を見据えて身構えた。頼りない声色とは裏腹に、こちらを狙うローグンの眼は鋭い。
「うん、やっぱり途中で戻ってきて正解だ。簡単なものだとしても、墓地で拘束を解いていたのが気になってさ。仲間はいないって話だったけどもしや、と思って」
一見穏やかだが、ローグンに隙はない。その
少女は覚悟を決め、シズに囁いた。
「ちゃんと、受け身取れよ」
「!?」
言葉の意味をシズが理解するよりも早く、少女は足元に開く地下室に転がり込む。
シズの洋服の端を、細い指先でしっかりと掴んだ状態で。
「ちょ、ッッッ!?」
「扉閉めろ!」
少女に言われるがまま、シズは地下室の扉を閉めた。
閉めたが。
「——あの、これ扉閉めちゃって、本当に良かったんですか?」
シズの疑問と重なるように、かちゃり、と頭上の板越しに音がした。
◎
それからしばらく。
「うーん、これは開けられないですね。
シズは地上と地下とを繋ぐ扉のすぐ下、階段の途中で座り込んでいた。彼の足元、階段の終わりには少女が座っている。
「完全に放置されましたね、俺達」
「エリンが戻るのを待ってるんだろ。もしかしたら、もう僕らは生きてないと思ってるんじゃないか?」
「それはあるかもですね。少なくとも俺が丸腰なのは知ってるでしょうし、いつそいつらに殺られててもおかしくないですから」
シズは地下室の奥を指差す。カビだらけの床を手足の無いゾンビが這いずっている。
ただ、肩や肘を使ってじわじわとこちらに寄ろうとするものの、一定以上は近付いてこない。
「ゾンビはあなたを襲わない、とかって言ってましたけど。あれ、冗談だと思ってましたよ」
「諸事情があるんだ、色々と」
少女はゾンビに完全に背を向け、シズの顔を見上げた。どうやら本気で襲われないと確信しているのだろう。
「僕はこんなところで死ぬつもりはないし、あっさりとは死なない自信がある」
「長生きしそうですもんね、あなた」
何の気なしに口にした言葉に、少女は複雑な表情で応えた。悲しそうに、それでいておどけてみせるように。
「残念、そんなことはない。むしろ、僕はあと数年で死ぬ。そういう運命なんだ」
「えっ……」
病気なのだろうか。それとも他に何か特別な事情があるのかもしれない。
何と言えばいいか分からず言葉に詰まっているシズに、少女は微笑みかけた。
「でも、僕はおまえに出会えた。おまえがいれば、運命なんてなんとかなると信じてる」
「俺がいれば……?」
小さな灯りが少女を照らす。表情は真剣そのものだった。
「ああ、おまえが必要なんだ。僕の死を回避する為にはおまえも生きていてくれないと困る」
真っ直ぐに自分を向く少女の瞳に、シズは目を逸せない。
生きろ、だなんて。もちろん死にたいわけはない。でも俺にどうしろと?
友人からは見放され、犯罪者からはカモにされ。今だって、年下の少女を安心させる一言すら口にできないのに。
「頼む、おまえなら僕を救えるはずだ」
こんなところで冗談はよしてくれ。
そう喉まで出かかった言葉を飲み込み、シズはため息をついた。正直この上なく恥ずかしいが、この状況でプライドにこだわっても仕方ない。
「あなたを救う? 俺がですか? いや、救ってもらわなきゃいけないのは俺の方です。むしろ、助けてください」
少女はこれまでに二度シズを助けに来てくれた。何度も何度も頼るのは情けない。けれど、どうしようもないのだ。
またしてもやれやれ、という顔を向けられるだろう。そうシズは思ったが、少女の浮かべた表情は予想に反するものだ。
「え、助ける……って、僕がおまえをか?」
ぱちぱちと大きな瞳を瞬かせる。まるでシズの反応を想定していなかったらしい。
「そうです。俺は今、満足に動けない。だから遠くまで逃げられません。仮に元気だったとしても、
「おいおいおい、待てよ」
余裕を見せていた少女は明らかに慌てた様子で、焦りを隠そうともしない。
「なら戦えばいいだろ? 相手は
「いや、無理です」
「どうして諦めるんだよ」
「そんな、無理なものは無理ですよ。俺、戦闘力がなさすぎてパーティを追放されたんですよ?」
シズは言い切った。言い切ってやった。
少女はその発言が理解できないとでも言うように、さらに大きく目を見開く。
「……は? え、待て。おまえ、まさかとは思うが、弱いのか?」
「はっきり言いますね……あなた……」
シズは顔を押さえる。呆けたような表情の少女の瞳から逃れたかった。
そんな風に言わなくてもいいじゃないか。
「毒か何かを盛られたとはいえ、二回もあっさりと捕まってるんですよ、俺。強いわけがないでしょう」
「確かに言われればそうなんだが……いやいや、でもそんなはずはない! おまえにはなんかこう、秘められた力があるはずなんだよ!」
「ありませんよそんなの。自分が特別だと信じていたのは子供の頃だけです。実際、十年くらい前は神童扱いされてたんですけどね。何のテストを受けても信じられないくらいに良い適性が出て、どんな
幼少期は、自分が特別だと信じていた。
通い始めた街の学校の検査で、全ての
たまたま知り合った
「でもね、いざ大人になるとこんなですよ」
シズは、自分を見る少女の目に浮かぶ失望に、力なく笑みを返す。
あぁ、この目は知っている。もう何度も見てきたから。
昔は、周りの誰もが自分に注目していた。街一番の金持ちの息子に声をかけられ、友人となった。自分を見つめるみんなの期待に応えようと旅に出た。
しかし最終的に、瞳に映る期待は失望に変わったのだ。
今のこの少女が向ける視線のように。
「俺、地元に帰ろうと思ってたんですよ。もうパーティ追い出されたし、勇者辞めて父の跡でも継ごうかな、とか。色々考えて。そのくらいね、ないんですよ才能」
「——そんなはずは、ない」
「だから何度も言いますけど」
「そんなはず! ありえない! ありえないんだよ! だっておまえは、僕の世界の主人公なんだ!」
少女は噛み付かんばかりにシズに詰め寄った。
気付けば先程まで瞳に映っていた失望は見えない。彼女の中にあるのは混乱と、それでも揺らがない信頼。
奇妙だ。なぜこの少女はそんなにも自分にこだわるのだろう。それに——
「主人公、ですか……墓地で話してたことの続きでしょうか。あれ、結局どういう意味なんです?」
「——分かったよ、話す」
まだ迷いが見えるも、観念したように少女は呟いた。話したところでシズが信じるかどうかは分からない。しかし話しておかないことにはどうしようもない。
「おまえ、『アカシャ』って知ってるよな?」
「そりゃ知ってますよ。俺には視えませんが、
よく分からないが確かに存在するもの、というのは少なくない。アカシャもシズにとってはその一つだ。
アカシャは過去から未来まで起こりうる全てが書かれている霊的な記録である、と幼い頃に習った。
「それそれ。じゃあ次の質問だが、結局そのアカシャって、何だと思う?」
「え……アカシャは、アカシャでは」
シズはそんなことを今まで考えもしなかった。そういうものはそういうものだからだ。
少女はシズの返答を予想していたのだろう。さして気落ちもせずに続けた。
「まあそうなるよな。超常的ではあるが存在するものには違いない。だが、考えてみろ。誰がそれを記した? なぜそこには全てがあらかじめ用意されている?」
「それは神の御業というやつでは」
「じゃあおまえは神を信じているのか? それなら今度は、神とはなんだ?」
シズは言い淀んだ。少女はシズに構わずに続ける。
「僕は具体的にこの世界が何であるかを知ってる。そしてそれは、おそらく僕しか正しく理解していない」
少女は笑う。どことなく懐かしげに、そして少しの絶望を滲ませて。
「この世界は僕が——厳密には、前世の僕が子供の頃に遊んでいた、ゲームのメモリーデバイスの中にあったセーブデータが混ざったもの。アカシャは、そのシナリオとプレイデータだ」
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