神を名乗る少女

「あの……えと」


 自己紹介の衝撃にシズは言葉を失った。大丈夫かな、この子。


「その、こんな夜中にどうしてこんなところに? ここ、たぶん危ないところですよ。墓地なんですから、いつゾンビが現れてもおかしくないというか」

「墓地なのは知ってる。でも問題はない。仮にゾンビが出て来ても、あいつらは僕を襲わないからな。襲われる可能性があるのはおまえだけだ」

「えっと、はぁ……」

「おいなんだその態度は。そんなことより、このままにしておくとおまえは死ぬんだぞ。助かりたくないのか」

「いや、それはもちろん死にたくはないですけど」

「じゃあ僕に従え。僕としてもせっかく出会えたのに、こんな序盤も序盤の村でおまえに死なれちゃ困る」

「それはどういう……」


 少女は訝しげなシズに構わず近寄ってくると、背中に背負ったリュックから携帯用のソーイングセットを取り出した。中に入っていた小さな鋏で、シズの手足に巻かれた結束バンドを切っていく。


「ばあやが持たせてくれたこれが、まさかこんなところで役に立つとはな」


 思考が追いつかぬまま、シズは作業をしている少女を間近で観察した。

 月明かりに照らされたその顔立ちから察するに、おそらくは十代半ばくらいだろう。無造作に括られた長い髪は美しく輝き、まつ毛に彩られた大きな瞳は鋭く、しかし愛らしい。推測するとおそらくスタイルもいい。

 口調や態度は大人びているというか独特だが、容姿はまさに美少女という言葉が相応しい可憐さだ。


 なんかモテそうな子だなぁ、と回らない頭でシズは思った。自分が同じくらいの年齢で、もし一緒の学校にでも通っていたら憧れていたかもしれない。


 ただ、こんな状況下においては彼女の外見上の魅力よりも、その発言への戸惑いが圧倒的に勝ってしまっている。今感じている動悸は、恋慕やら欲情やらそういうものではない。どちらかといえば恐怖や不安の感情によるものだ。


 根拠はないが本能が警告している。この子と関わるのはなんかヤバい。


 そんなシズの思惑をよそに拘束を解くと、少女は小箱を再びリュックに収めた。

「立てるか?」

「あ、はい。なんとか……」

「じゃあ歩けるか?」

「ゆっくりとなら……」

「そうか、ならいい。必要なら手を貸すから言ってくれ。事情を説明したいが、まずは安全の確保が第一だ。ここから離れるぞ」


   ◎


 少女に手を引かれて墓地を出ると、シズは塀を背に座り込んだ。ゾンビと遭遇しなくて本当に、ほんとうに良かった。


「運が良かったですね、ゾンビが出て来なくて」

 シズが安堵の笑顔を浮かべると、少女は眉一つ動かさず淡々とした調子のままあっさりと言った。

「そりゃまあ出ないだろうよ、ゾンビ。このへんの村は元々火葬だから」

「…………は?」

「なんだ、知らなかったのか? ゾンビな、あいつら火に弱いんだよ。死後すぐに燃やすと動かないんだ。だからどこの地域でも火葬にすりゃいいものを、昔からの慣習がどうのと土葬にこだわるから被害が減らない。どんな世界でも頭の固い世代は嫌になるよな」

「いやあの、ゾンビが火に弱いのは知ってますよ? そうじゃなくて、あの、ゾンビがこの墓地には出ないとご存知で……?」


「そうだ」


「〜〜〜〜ッ」

 シズは頭を抱えた。嵌められた。ちらと視線を上げると、にやついた少女と目が合う。どう考えても、シズが勘違いしていたことには気付いていたに決まっている。


「つまり俺はあの場にいたところでゾンビに襲われることはありえなかった、とそう仰るんですか」

「ありえないとは言わない。野良の奴を見かけた、って話は聞くしな。ただあの墓地で遭遇する可能性は低かった。いるなら、僕がおまえに話しかけるまでの間に見かけているはずだからな」

 シズは確かに、と言いたい気持ちを堪えた。


 くそっ、これも昼間に出会った勇者のゾンビのせいだ。墓地イコールゾンビという先入観から冷静な判断力を失っていた。


「ちなみにしばらくこの村付近に滞在しているが、他に厄介な化物モンスターやら悪魔やらの話も聞かない。実に平和そのものという感じの村だぞ、ここ」

「それなら、なんで俺を煽るようにあの場から追い立てたんですかっ! しかも神だとかなんだとかよく分からないことを……」

「まあ、落ち着けよ。あの場を離れたのはゾンビや他の化物を警戒してじゃない。別の危険があったからだ」


 少女は笑うのをやめると声をひそめ、周りの様子を伺いながらささやいた。


「エリンとローグン。あいつらがおまえを殺すのを、見過ごすわけにはいかない」


「——殺す、ですか」

 じっとシズを見つめる少女。彼女がいい加減なことを言っているようには見えなかったが、シズはどうにも信じられなかった。

「確かにあの二人は信用できないですが、殺しまでします?」


 墓地を抜ける間にポケット等を確認したが、短剣の他にも財布や貴重品などは全部盗られていた。残されていたのは直接身に付けているアクセサリー類と衣類の替えくらいのものだ。


「俺の所持品を奪って、それで終わりでは」

「終わり? まさか。殺しに戻るね」

「なんでそう言い切れるんですか」

「それはその——あいつらが、『エリン&ローグン』だからさ」

「はぁ? 有名なんですか、あの二人」

「有名ではない、と思う。ただ、有名でないからこそまずいんだ」

「えっと……」


 少女が何を言っているか分からない。

 困惑するシズの様子に、少女は明らかに面倒臭そうな表情を浮かべた。察し悪いなこいつ、と思っているのが言わなくても分かる。


「あいつらが昏睡状態のおまえをあの場に運び込み身ぐるみ剥ぐのを見ていたが、ずいぶんと手慣れた様子だった。あれは確実に初犯じゃない。てことは、他にも被害者がいるはずなんだが、あの村はおろか僕が滞在していた近隣の村でもそんな通り魔の噂はなかった。つまり、分かるよな?」

「つまり、その、被害者はみんな消されていると……?」

「そう。よく出来ました〜」

 少女は雑に拍手を贈った。


「なんでその場で殺さなかったのかは分からないが、少なくともあのまま放置ということはない。だからとりあえず連れ出したんだ」

「ありがとうございます、けど」

「けど?」

「あいつらが噂になっていないなら、なんで、俺が狙われるのが分かったんですか」


 先程少女はシズがこの場に運び込まれるのを見ていた、と言った。放置されていたシズを見つけたのではなく、様子を見ていたのだ。しかもエリンとローグンに気付かれることなく、隠れて。


「それは——」

「それは?」

「だからそれは、あいつらが『エリン&ローグン』だったからだよ。この村にたどり着いたところであいつらを見かけて、絶対と思って目を付けてたんだ。まさか出会うのがおまえとは思わなかったが」

「待って待って、答えになってないんですけど。あなたはあいつらが何か仕掛けるのが分かっていたってことですか? 予知か何かなんです?」

「予知ねえ。僕には予知の技能スキルはないが、並みの占術師ディヴァイナーよりは世界の行く末を分かってるかもな」


 頭が痛い。本当に、少女が何を言いたいのかよく分からない。


「あなた、説明下手くそなんですか?」

「かもな。いや、正直に今の僕とおまえの状況を説明したいのはやまやまなんだが、たぶん言ったところで信じないだろうからな。タイミング見計らってんだよ」

「いやそういうのいいんで、はっきり言えるんなら言ってくださいよ」


「うーん」

 少女は考え込むように視線を逸らし、キリッとした笑顔を再度浮かべて告げた。


「僕は、この世界を造……ってはないが、存在で、おまえを生み出した。いわば神なんだ」


「それさっきも聞きましたけど、意味が分からないんですが」

「黙って聞け。お望みどおりはっきり言ってやるから口を挟むな」

「いや、でも」

「でもじゃない。あぁくそ、面倒だな! もともとプレゼンて昔からあんま得意じゃなかっ——」


 突然、シズはハッとして少女の口を押さえた。何か、物音が聞こえた気がする。


「しっ。話は気になりますが、誰か来ます。あなたは隠れた方がいい。もしあの二人が戻ったのなら、俺を探しているはずです。あなたの存在はなんとか誤魔化しますから」

「……」


 こくん、と少女は小さく頷き、そっとその身を離すと近くにあった墓地のマナー看板の陰に蹲った。雑な隠れ方だが、幸いにも夜中だ。ある程度はやり過ごせるだろう。


 少女が身を隠したところで、シズには安堵と後悔の気持ちが溢れた。

 何をやっているんだろう。エリンとローグンの二人は俺を殺しに来る、と言われたばかりなのに。確かに彼女は関係ない。巻き込むわけにはいかない。しかしひとりで武器もなく——いや、仮に武器があっても勝てないだろう相手にどうすれば?


 もやもやとした感情を抑えシズは立ち上がった。この場にいては少女が見つかってしまうかもしれない。彼女からほんの少しでも離れなければ。

 ふらつく足に力をいれて歩き出す。墓地の塀から離れると、遮蔽物はほとんどない田舎道だ。もちろん隠れる場所はない。

 村に戻ることは難しいかもしれない、と思うと同時に懐中電灯の光がこちらを照らした。

 思ったとおり、エリンとローグンだ。


「あっなんだ、外に出てるじゃん! えーっなんで?」

「ごめんね、エリン。ちゃんと縛ったはずなんだけど、緩かったかな……」

「もう、ローグンったら優しいんだから! そういうところが好きなんだけどぉ」

「ありがとう。僕もだよ」


 鬱陶しいくらいにいちゃついている声が、しんとした闇に響く。足の自由は聞きにくいとはいえ、まだ距離はある。


「なんとか、逃げ——」

 そう思った時にはもう、シズはローグンの手刀を食らい地面に膝をついていた。

 あぁ、そうだ。こいつ盗賊シーフだった。


「どうしよう、彼。このままもうに連れて行くかい?」

「その方がいいかも。繋いでたの逃げちゃってたし、連れてくるより連れて行った方が楽だよね。夜明けまであんまり時間がないから、今回はスピード優先にしよ」

「うん。君がそう言うなら、そうしようか」


 ローグンは倒れたシズを軽々と肩に担ぐ。見た目の華奢さからは想像できない力だが、エリンが術をかけて力の増強をしているのだろう。

 まるで介抱でもしているような様子で、二人は道を外れて森の奥へと進んでいく。


「はぁ、またこれかよ」

 物陰から一連の様子を見ていた少女はやれやれと舌打ちしつつもその後を追った。


   ◎


「おい、今のうちに起きろ」


 耳元で声がしてシズは跳ね起きた。

 目を開けると、すぐ脇に先程話した少女が呆れ顔で座っている。


「——!? あ、あれ? ここは……」

「森の奥にあった小屋の中だ。見た感じ、使われなくなって数年てとこ」


 少女は手にした小さなライトで部屋の中を照らした。壁や調度品は短期的に生活ができる程度の作りとなっている。獣の皮や薪などが部屋の隅に積まれていることから、おそらくは猟師が拠点にしていたのだろう。その内装には蜘蛛の巣が幾重にもかかっている。


「灯りなんて点けていいんですか? あいつらにバレたら……」

「数十分は大丈夫だろう。さっきの墓地に忘れ物を取りに行ったらしい。見張りに一人残ればいいものを、馬鹿だよな」

「忘れ物?」

「ああ。斧だとさ」

「斧……ですか」

「そう。たぶん、おまえを気だろうな」


 少女はすっと人差し指を部屋の端に向けた。シズはぎこちなく身体を起こし、少女の示す先を見る。


「あれは……」


 床に四角い扉がある。どうやら地下室への入口のようだ。部屋の中でその周辺だけ埃がないところをみると頻繁に開閉を行なっているのだろう。


「まあ、中を見たら分かる」


 少女に手を引かれ、シズも立ち上がった。再び拘束されてはいたようだが、あらかじめ少女が結束バンドを切っておいてくれたらしい。擦れてやや痛む手首を気にしつつも、少女について行く。


 扉にはスライド式の鍵が付いている。やはり手入れをされているようで、引っかかることもなく鍵は開いた。

 厚い木製の扉をゆっくりと持ち上げる。少女からライトを借りて覗き込むと、そこには数体のゾンビがいた。


 ゾンビが。


「————! これ、っ」

 そういえば、とシズは思い返す。

 少女が火葬云々の話をした時、昼間に退治した野良のゾンビを思い出した。てっきりゾンビと化した勇者を、別の勇者が倒そうとして手足をもいだのかと思っていた。


 だが、考えてみればおかしい。

 ここ数日、この村付近で彼が見たのはあのゾンビだけで、。少女もそのような存在の噂を聞いていないと言っていた。

 つまり——。


「まさかこれ……、ここでんですか、あいつら……」

「こっそり聞いた断片から察するに、どうやらそうらしいな」

少女は淡々と言う。


「まず、勇者達の装備を手に入れる。そしてここで先住の奴らに噛ませ、しばらくしたら外に出して目撃されやすい場所に繋ぐ。そいつが討伐対象としてクエストになれば、倒してギルドに持っていくだけで報酬も得られる。単なる追い剥ぎより儲けられるってわけだ。事前に手足を落とすのは、最終的に倒しやすくするのが目的だろうな」

「————」


 シズは、なぜエリンが自分を選んだのかが分かった。村に来て日が浅く、パーティも組んでいないから殺しても足が付きにくい。また戦士職であれば、武器さえ奪えば抵抗されにくいという考えだろう。


「じゃあ、今取りに行っている斧というのは、直接的に俺を殺すというよりも」

「四肢切断用じゃないか」

「そ、そんなにあっさり言わないでくださいよ!」

「深刻に言ったところで状況は変わらないだろうが」

「いや、そうですけど!」

「ともかくは——」


 言いかけた少女の言葉は続かなかった。何かが風を切る音が、彼女の耳のすぐ横を通り過ぎたからだ。


「——ッ!」

 慌てて振り返ると、いつの間にか小屋の入口の扉が空いていた。

 気弱そうな声が響く。


「あれ? おかしいな、この距離で外すなんてね。うーん、なんか今日は調子が悪いのかも。またエリンに謝らなきゃなあ」


 背後、数メートルのところにローグンが立っていた。少女のライトに照らされた彼の手には小さく光る何かが見える。おそらくは手投げナイフの類いだろう。


「やっべ、あぶねぇ……」

 少女は己の幸運に感謝した。小さなナイフだが、小さいからこそ恐ろしい。投げている相手が盗賊シーフなら、毒や何かが塗ってあるに決まっている。たまたま避けられたからいいものの、傷でも付けられていたらと思うとぞっとする。

 だが安心してはいられない。少女はローグンを見据えて身構える。


「うん、やっぱり途中で戻ってきて正解だった。彼の拘束が解けていたのが気になってさ。仲間はいないって聞いていたけどもしや、と思って。そのまさかだったね」


 一見穏やかだが、ローグンに隙はない。職業ジョブランクがどの程度かは知らないが、戦闘態勢の盗賊シーフの横を抜け、その背後にある扉から無傷で逃げるのは無謀でしかないだろう。


 少女は覚悟を決め、シズに囁いた。


「!?」

 言葉の意味をシズが理解するよりも早く、少女は足元に開く地下室に転がり込んだ。

 シズの洋服の端を掴んだまま。

「ちょ、ッッッ!?」

「扉閉めろ!」

 少女に言われるがまま、シズは地下室の扉を閉めた。閉めたが。


「——あの、これ扉閉めて良かったんですか?」

 かちゃり、と頭上の板越しに音がした。


   ◎


 それからしばらく。


「うーん、これは開けられないですね。盗賊シーフが掛けた鍵でしょう? そうでなくても開けられなさそうなのに」


 シズは地上と地下とを繋ぐ扉のすぐ下、階段の途中で座り込んでいた。彼の足元、階段の終わりには少女が座っている。


「完全に放置されましたね、俺達」

「エリンが戻るのを待ってるんだろ。もしかしたら、もう僕らは生きてないと思ってるんじゃないか?」

「それはあるかもですね。少なくとも俺が丸腰なのは知ってるでしょうし、いつに殺られててもおかしくないですから」


 シズは地下室の奥を指差した。手足の無いゾンビがうごめいている。ただ、肩や肘を使ってじわじわとこちらに寄ろうとするものの、一定以上は近付いてこない。


「ゾンビはあなたを襲わないって言ってましたけど、あれ本当だったんですね」

「諸事情があるんだ、色々と」


 少女はゾンビに完全に背を向け、シズの顔を見上げた。どうやら本気で襲われないと確信しているのだろう。


「僕はこんなところで死ぬつもりはないし、死なない自信がある。だけど。だから僕はおまえに声をかけたんだ。僕の死を回避する為には、おまえも生きていてくれないと困る」


 小さな灯りが少女を照らす。表情は真剣そのものだった。

「頼む、おまえなら僕を救えるはずだ」


 こんなところで冗談はよしてくれ。


 そう喉まで出かかった言葉を飲み込み、シズはため息をついた。正直この上なく恥ずかしいが、この状況でプライドにこだわっても仕方ない。


「あなたを救う? 俺がですか? いや、救ってもらわなきゃいけないのは俺の方です。むしろ、助けてください」

「え、助ける……って、僕がおまえをか?」

「そうです。俺は今、満足に動けない。だから遠くまで逃げられません。仮に元気だったとしても、盗賊シーフ相手に逃げるのは無理です」

「おいおいおい、待てよ」


余裕を見せていた少女は明らかに慌てた様子で、焦りを隠そうともしない。


「なら戦えばいいだろ? 相手は盗賊シーフと、どうせ白魔術師ソーサラーってとこだろう。正面切って戦えばなんとかなるんじゃないか」

「いや、無理です」

「どうして諦めるんだよ」

「そんな、無理なものは無理ですよ。俺、戦闘力がなさすぎてパーティを追放されたんですよ?」


 シズは言い切った。言い切ってやった。

 少女はその発言が予想外だったのか、大きく目を見開いて面食らったような顔をした。


「……は? え、待て。おまえ、まさかとは思うが、弱いのか?」

「はっきり言いますね……あなた……」


 シズは顔を押さえ、呆けたような表情の少女から目を逸らした。そんな風に言わなくてもいいじゃないか。


「毒か何かを盛られたとはいえ、二回もあっさりと捕まってるんですよ、俺。強いわけないでしょ」

「確かに言われればそうなんだが……いやいや、でもそんなはずはない! おまえにはなんかこう、秘められた力があるはずなんだよ!」

「ありませんよそんなの。自分が特別だと信じていたのは幼い頃だけです。実際、子供の頃は神童扱いされてたんですけどね。信じられないくらいに良い適性が出て、どんな職業ジョブにでもなれるかも〜、とか思っていたりして」


 あの頃は、自分が特別だと信じていた。

 通い始めた街の学校の検査で、全ての職業ジョブに適性が出た。たまたま知り合った祈祷師シャーマンに、世界にとって大きな影響を与える存在になると予言されもした。


「でもね、いざ大人になるとこんなですよ」

 シズは、自分を見る少女の目に浮かぶ失望に、力なく笑みを返した。

 あぁ、この目は知っている。もう何度も見てきた。


 昔は街の誰もが自分に注目していた。そして街一番の金持ちだった子供に声をかけられ、友人となった。自分を見つめるみんなの期待に応えようと旅に出た。


 しかし最終的に、瞳に映る期待は失望に変わったのだ。今のこの少女の視線のように。


「俺、地元に帰ろうと思ってたんですよ。もうパーティ追い出されたし、勇者辞めて父の跡でも継ごうかな、とか。色々考えて。そのくらいね、ないんですよ才能」

「——そんなはずは、ない」

「だから何度も言いますけど」

「そんなはず! ありえない! ありえないんだよ! だっておまえは、僕の世界のなんだ!」


 少女は噛み付かんばかりにシズに詰め寄った。先程まで瞳に映っていた失望は見えない。彼女の中にあるのは混乱と、それでも揺らがない確信だ。


「主人公、ですか……墓地で話してたことの続きでしょうか。あれ、結局どういう意味なんです?」

「——分かったよ、話す」


 まだ迷いが見えるも、観念したように少女は呟いた。話したところでシズが信じるかどうかは分からない。しかし話しておかないことにはどうしようもない。


「おまえ、『アカシャ』って知ってるよな?」

「そりゃ知ってますよ。俺には視えませんが、占術師ディヴァイナーの知り合いもいますし存在は分かります。この世界の事象の全てが記されている、と言われるモノでしょう」


 よく分からないが確かに存在するもの、というのは少なくない。アカシャもシズにとってはその一つだ。

 アカシャは過去から未来まで起こりうる全てが書かれている霊的な記録である、と幼い頃に習った。占術師ディヴァイナー祈祷師シャーマンはそこに記されている最も確率の高い未来の事象や、過去の事実を読み取るらしい。シズにはアカシャが視えないためあくまでも聞いた話にはなるが、その存在自体は否定しない。


「それそれ。じゃあ次の質問だが、結局そのアカシャって、何だと思う?」

「え……アカシャは、アカシャでは」


 シズはそんなことを今まで考えもしなかった。そういうものはそういうものだからだ。

 少女はシズの反応を予想していたのだろう。さして気落ちもせずに続けた。


「まあそうなるよな。超常的ではあるが存在するものには違いない。だが、考えてみろ。誰がそれを記した? なぜそこには全てがあらかじめ用意されている?」

「それは神の御業というやつでは」

「じゃあおまえは神を信じているのか? それなら今度は、神とはなんだ?」


 シズは言い淀んだ。少女はシズに構わずに続ける。


「僕は具体的にこの世界が何であるかを知ってる。そしてそれは、おそらく僕しか理解していない」

 少女は笑う。どことなく懐かしげに、そして少しの絶望を滲ませて。


「この世界は、僕が——厳密には、が子供の頃に遊んでいた、ゲームのメモリーデバイスの中にあったセーブデータが混ざったもの。アカシャは、そのシナリオとプレイデータだ」

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