第八話

「くくっ。あの方・・・ならば、きっとお助けくださると思っていましたよ」

 暗夜。

 二人の男が馬車に揺られていた。簡素なつくりの箱馬車に、二人は向かい合わせに座っている。

 一人は、くだんの通り魔である。警備部で厳しい取調べを受けているはずの男がこうして堂々と外出しているということは、コーネリアスの悪い予感が的中してしまったのだろうか。

 もう一人は、中年の男である。がっちりとした筋肉質の体躯。口から顎にかけて濃い髯を生やしているが、よくよく見れば変装用の付け髭であることがわかる。

「まあ、当然でしょうな。ことが露見したならば、いくらあの方といえども無事では済むまい」

 上機嫌で喋り続ける殺人鬼に対し、中年男は口を真一文字に引き結んで無沈黙を貫く。

「警備部の木っ端役人どもに理不尽な責め苦を与えられても秘密は漏らさなかったのだから、むしろお褒めの一つも頂いていいくらいですよ……ときに、この馬車はどこに向かっているのですか? 私の屋敷に送ってくださるのでは――」

 通り魔が、馬車の窓にかかっていたカーテンを除けて外を眺める。あたり一面漆黒の闇で、灯火の一つも見られなかった。風に揺れる草木のざわめきと虫の声――聞こえてくるのは、それくらいのものだ。

「……ここは、地名で言えばマルタの原というところ。かつて刑場があった場所で、多くの罪人がここで首を斬られたと聞き及んでいる」

 中年男が、重々しく口を開いた。

「刑場跡? なぜそんなところに――」

 言いさして、絶句した。このような人気のない場所に連れ出されたのは何故なのか――ある可能性に思い至ったからである。

「ま、まさか、この私を……!」

「わが主の温情だ。最期にいい夢を見るのだな」

 と、小瓶の液体を通り魔に渡した。

「くッ!!」

 不意に、通り魔は瓶を男の顔目がけて投げつけた。それはわけもなく避けられたが、一瞬の隙を突いてドアを蹴り開けると、転げ落ちるように馬車の外へ飛び出した。

「その判断と思い切りは悪くない。しかし――」

 中年男は、ゆっくりと馬車から降りる。通り魔はマーシャによってさんざ痛めつけられて満身創痍である。とても逃げられる状態ではないというのは、わかりきったことだ。

 足を引きずりながら逃亡する通り魔にわけもなく追いつくと、中年男はその首根っこを捕まえ地面に引き倒した。

「ま、待て! 私に手を出せば父上が黙っておらぬぞ!」

「これは御父上もご了承済みのこと。無駄な抵抗は止めるのだ。せめて苦しまぬように、というのが御館様のご意向ゆえ」

 全く表情を変えることなく、中年男が短剣を引き抜いた。塗料で黒く塗られたその剣身は、月明かりを受けても光を放たず、むしろ闇夜に溶け込んでいるかのようだ。

「そッ、そん――」

 通り魔がなにごとか叫ぼうとしたが、それはとうとう声にならなかった。

 数日後。

 レン郊外の山中にて、首のない焼死体が発見された。

 それは激しく焼け爛れており、とても身元が判別できるような状態ではなかった。無論、警備部は殺人と見て調べを進めるも――何の手がかりも得られないまま、捜査は打ち切られることになる。


 件の通り魔事件から一月ほど経ったころのことである。

 その日マーシャは、昼過ぎから芝居を観に出かけていた。マーシャの生き方を決定付けたといってよい、老剣士が活躍する芝居である。一続きのシリーズとしてそれまで二十近い話が世に出ていたが、その最新作がついに封切られたのだ。

 思うままに惰眠を貪ってから夜公演を観に行くのが常であるマーシャだったが、人気作の最新話とあって、夜の部の切符はあっという間に売り切れ。仕方なく、この日マーシャは昼公演を観に行くこととなったのだ。

 マーシャが訪れたのは、自宅から徒歩ですぐのところにある芝居小屋であった。かつて某商人ギルドの寄り合い所だった建物を改築して使っているというその芝居小屋は、席数五十ほど。貴族や富豪向けの歌劇や演奏会を行う壮麗なホールに比べれば、随分慎ましやかなものだ。

 近ごろは、下町にもこの手の芝居小屋が増えた。それだけ、レンの一般庶民にも娯楽を楽しむ余裕ができたということだ。学者に言わせれば、今のシーラントは「大衆の時代」なのだとか。

 芝居に限らず、武術大会や競馬など、庶民が手軽に楽しめる娯楽は増えている。印刷技術の進歩によって、書物はもはや一部の知識人だけのものではなくなった。

 また、一般庶民の中から学問を志す者は年々増え続けている。国立アカデミーは、入学志望者を受け入れるための分校を数箇所に建設しなければならなかったほどだ。

「いわゆる大衆文化がここまで発展した例は、世界の歴史的に見ても稀有である」

 というのは、件の学者の弁である。

 さて、その芝居であるが、王都を脅かす通り魔を老剣士が成敗するという話であった。明らかに最近実際に起きた事件を基にした内容だ。その解決方法や結末は実際のものとは異なっていたものの、事件を解決した張本人だけに、マーシャが

(なんともこそばゆい……)

 思いがするのは仕方のないことであった。

 さて、家路を歩くマーシャは、一人の男に出くわした。「銀の角兜亭」の店主である。

「おっ、先生。丁度良かった。いま、先生のところをお訪ねしようとしてたんですよ」

 夕方から店を開く酒場では、いまが仕込みの時間である。この時間に店主が出歩くとは、なにかよほどの用事があるのだろう。

「実は折り入って、頼みごとがありまして」

 と、店主はマーシャに頭を下げた。

 「銀の角兜亭」の店内に場所を移し、マーシャは店主と向き合った。まだ開店前ゆえ店内に二人以外の人影はない。店主が、ふたたびマーシャに頭を下げる。

「店主、おもてを上げてくれ。それより頼みというのは?」

「実は、少しの間用心棒をお願いしたいんですよ」

「用心棒とは穏やかではないな――仔細を」

 店主が話すところによると、最近王都レンの下町で、酒屋・酒場ばかりを狙った押し込みが頻発しているというのだ。

「いかにも妙な話だ」

「その通りでさ。しがない酒場なんぞ叩いたところで、大した金も出てこねぇってのに」

 店主の言うとおり、被害額はどの事件も大したことはなかった。せいぜいがその日の売上金と、酒の数本を取られる程度で済んでいるのだとか。

「しかし、手口のほうがちょいと乱暴らしいんで。怪我人も出てるみてぇで、うちの女房が怖がってましてね」

 と、店主は身体を小さく丸める。酒場はもともと妻の父のもので、婿入りした形の店主は妻に頭が上がらないのだ。

「この手の仕事は、クレイグの旦那にお願いしているところなんですが……」

 店主がそう言うと、場の空気が沈む。気さくな人柄とその腕っ節で皆に慕われたクレイグは、もういないのだ。

「話はあいわかった。そういうことなら、喜んで協力させてもらおう」

 努めて明るい声で、マーシャは店主の依頼を快諾した。

「ありがとうございます。これで女房も安心して眠れるってもんだ。それで、報酬なんですが……」

「気を使わずともよい。いつも世話になっているのだ」

「いいんですかい?」

 マーシャが桜蓮荘に移り住んだ際、先祖伝来の家屋敷や品物のほとんどを金に変えており、その蓄えはまだかなりある。現役時代に得た莫大な賞金も、ほぼ手付かずのままだ。また、大家としてささやかながら定期的な家賃収入があるため、金にはまったく困っていない。

「でも、そうだな――用心棒をする間、毎晩何杯か酒をおごってくれると嬉しいが」

「そのくらい、お安い御用でさ」

 こうして、マーシャは下手人が逮捕されるまでの間、「銀の角兜亭」にて用心棒をすることになった。

 これまでわかっている限り、押し込みはすべて酒場・酒屋が閉まったあとの真夜中に起こっている。そのため、当分の間マーシャが「銀の角兜亭」泊り込むことになり、店主一家は万一のことを考えて夜間は親戚の家を頼ることになった。


「そんなわけだから、次の稽古はいつになるやらお約束できないのです。しばらくは夜の間不寝番するゆえ、昼に眠ることになりますので。申し訳ありません、ミネルヴァ様」

 ところは変わって桜蓮荘である。

 いつもの稽古を終えたマーシャが、そうミネルヴァに謝罪した。

「お昼に眠るのはいつものことでは――でも、そのようなお仕事は警備部に任せておけばよいのでは?」

「ごもっともですが、警備部とて王都の隅々にまで目を光らせるのは至難でしょう」

「それは確かに……そうですわ、うちの家から人を出しましょう。先生にそんな危険なお仕事をさせるわけにはまいりません」

 つい先日、マーシャが凶悪な通り魔事件を解決したことを知らないミネルヴァの言葉に、マーシャは苦笑を漏らす。

「フォーサイス家の方々の手を煩わせたとなると、店主が心労で胃を壊してしまいます。なあに、心配には及びませぬ。物取りごときに遅れをとる私ではないことは、ミネルヴァ様も重々にご存知のはず」

「わかりましたわ。でも、くれぐれもお気をつけになってくださいましね」

 このときは、マーシャも「少しばかり風変わりな押し込み強盗」程度にしか考えていなかった。しかし、この強盗事件が、のちに大きな意味を持つようになることを、このときのマーシャはまだ知らない。


 さて、マーシャが「銀の角兜亭」に泊り込むようになってから十日ほどが過ぎた。これまで「銀の角兜亭」では何事も起きていなかったが、世間にはまた数軒の酒場が襲われたといううわさが流れている。

 マーシャの仕事が思いのほか長引くことになり、店主はしきりに恐縮したが、マーシャは笑顔で気にするなと言ったものだ。しかし、内心焦れてきているのは確かであった。

 その夜も、マーシャは「銀の角兜亭」で不寝番をしていた。

 店主は店の酒を好きなだけ飲んでいいと言っていたのだが、その言葉に甘えて大酒を飲むほどマーシャは遠慮を知らぬ人間ではないし、飲み過ぎてしまっては本来の目的に差し支える。マーシャは値段の張らない酒を選び、ちびちびと口に運んでいた。

 マーシャが店に一人になってから、数時間。その間、聞こえるのは風が鎧戸をかたかたと揺らす音と、野良犬の遠吠えのみであった。

 夜明けまであと一時間ほどであろうか。今夜も何事もなかったか、とマーシャが考え始めたちょうどその時だ。複数の足音が店に近づくのを、マーシャは確かに聞き取った。

(やれやれ、ようやくおいでなすったか。二……いや、三人。しかし、これは――)

 その足音の異常さに、マーシャが警戒の色を強めた。なぜなら、その足音は気配を消すように訓練された者のそれであったからだ。常人ならば、知覚することもできないだろう。

(ただの物取りではない……?)

 そうマーシャが感じたのも無理からぬことである。

 鎧戸が締め切られているうえ、灯りは小さな蝋燭一本のみだから、光は外にほとんど漏れていないはずだ。それでも念のため、マーシャは蝋燭の火を吹き消すと、テーブルの下に身を伏せて息を潜めた。いつでも抜剣できるように、腰から剣を外し右手で柄を、左手で鞘を掴む。

 やがて、賊は『銀の角兜亭』の窓の一つに取り付いたようだ。ことり、とごく小さい音を立て、窓がこじ開けられる。とうとう賊が店内に押し入ってきた。

 全身黒尽くめで、いかにも怪しい風体だ。目深にフードを被り、口の辺りはマスクで覆われているため、人相をうかがい知ることはできない。体格から男であることは間違いないのだが。

 即座に打ってかかることも考えたが、どうにも得体の知れない相手である。しばらく様子を見ることにした。気配を読んだり殺したりする技術はマーシャのほうが上手うわてのようで、賊は真っ暗な店内でテーブルの下に潜むマーシャにはまったく気付いていない。

 三人の賊は、店内に入るや一目散にカウンター奥へ向かった。そして、酒がずらりと並んだ棚を物色し始めたのである。

(貴重な酒でも捜しているのだろうか……?)

 先ごろマーシャを失望させたワインのように、需要と供給の釣り合いが取れておらず、不自然なほどの高値がつく酒というのは存在する。そうした酒を狙っての犯行か、とも思われたが、それにしては

(動きが訓練されすぎている)

 ように感じられるのだ。

 しかし、賊に逃げられては元も子もない。いつまでも黙って見ているわけにもいかぬ。マーシャは、行動を起こすことにした。

 一番手前の男。今まさに棚の酒を手にしようとしていた男に一気に肉薄すると、剣の柄頭で後頭部を一撃。小さく呻いて、男は昏倒した。

 そのまま一気にかたをつけようとしたマーシャだが、敵もさるものである。混乱したのはほんの一瞬であり、腰の短剣を引き抜いて素早く散開し、戦闘体勢に入った。

曲者くせもの、きさまら何者だ」

 マーシャが大喝するが、男たちは無言を貫く。右手を剣の柄にかけながら、じりじりと間合いを詰めるが、二人の賊も同じだけ間合いを開く。

(厄介だな)

 マーシャは小さく呟く。

 二人とも、かなりの手だれであることは一目瞭然であった。不意打ちで一人を仕留めておいたのは正解だったといえる。

 もっとも、二人合わせたとて、その実力はマーシャに及ぶところではない。立ち向かってくるのなら、殺すことなく打ち倒すことは容易い。しかし二人の賊は、マーシャを倒すことは考えず、店から脱出することのみを考えている。こういう相手というのは、やりづらいものなのだ。

 相手としても、いつまでも睨み合っているわけにもいかないと見える。互いに目配せすると、同時にぱっと逆方向に動きだした。たとえ一人はやられても、もう一人は確実に逃げおおせようという動きである。

(やむを得ぬか)

 一人はすでに気絶させている。三人全員を捕らえるのは諦め、マーシャは右手に向かった賊に狙いを絞る。

 地を這うような低い姿勢から、鋭い呼気とともに剣を一閃。獲物を狙う飛燕のごとく床すれすれに放たれた横薙ぎが、賊の左足首を切り裂いた。血飛沫を撒き散らしながら、男がのた打ち回る。腱を完全に断ち切られ、賊はもはや歩くこともかなわぬだろう。

 いま一人に目を向けると、その賊はすでに窓を破って脱出せんとしているところだった。

「待て!」

 追いすがるマーシャに対し、賊は振り向きざまナイフを投擲する。しかしナイフはマーシャを大きく逸れ、棚の酒瓶を数本叩き割っただけだった。独特の酒のにおいが、あたりに立ち込める。

 それでも、ナイフに気を取られマーシャの足が一瞬止まる。賊は、その隙に窓から飛び出した。賊に続いてマーシャも戸外に躍り出る。

 しかし、走り去る賊の背中を見て、マーシャは早々に追跡を諦めることにした。男の足が、マーシャよりも速いことが一目で分かったからである。闇夜を走る賊の背は、みるみる小さくなっていった。このあたりは道が入り組んでおり、しかも特殊な訓練を受けたと思われる相手だ。これだけ引き離されると撒かれてしまう可能性が高い。

「むう、私も飛び道具の一つでも用意しておくべきだったな」

 しかし幸い、三人中二人は捕えることができたのだ。この二人を警備部に突き出せば、じき残る一人も捕まるに違いない。これで店主も安心だろう。

 そんなことを考えながら、賊を縛り上げるマーシャであった。

 物音を聞きつけて集まってきた幾人かの野次馬に警備部への通報を頼むと、程なくして騎馬の兵士が数名が急行してきた。賊を引き渡し、掻い摘んだ説明をする。詳しい事情聴取のため、のちほど改めて警備部詰め所に行くことをマーシャが約束すると、一人を残して兵士たちは去っていった。

 やがて、知らせを受けた店主も駆けつけてきた。

「ありがとうございました!いやあ、なんとお礼を申したらいいのやら」

「いや、大したことはない。それより窓ガラスと酒を何本か、割られてしまってね。私がいながら面目ない」

「とんでもねぇ! 三人も相手にしたんだ、そのくらい仕方のねぇこった」

「さて、私は帰らせてもらうよ。さすがに眠たくなってきた。一眠りするとしよう」

 感謝しきりの店主に見送られ、マーシャは欠伸をしながら家路についた。

 部屋に着くと、緊張の糸が切れたせいか、急激な睡魔がマーシャを襲った。マーシャはベッドに潜り込み、泥のように眠るのだった。

 目を覚ますと、すでに正午過ぎである。

「いけない、警備部の連中を待たせてしまったかな」

 簡単に身支度を整えると、マーシャは警備部詰め所に向かった。

 詰め所では、分隊長のコーネリアスが自ら事情聴取を行った。マーシャは、求められるままにことの顛末を語る。

「ふむ、私たちが検分したこととまったく相違ありませんな。もとより、あなたが偽りの証言をするとは考えていませんが」

 かねてからの知り合いであるうえ、先ごろの通り魔事件で大きな手柄を上げたマーシャである。随分気安い事情聴取となった。

「して、例の賊は何か吐きましたかな」

「それがですな……」

 と、コーネリアスは眉間に皺を寄せた。

「いかがなされた」

「……まあ、あなたにならお話してもいいでしょう。実は例の賊、二人とも死んでしまったのです」

 これにはマーシャも驚きを隠せぬ。

「いったいどうした仔細で」

「はい。賊どもが引き立てられてきたのはなにぶん早朝であったこともあり、たまたま詰め所には尋問の経験のある者がいなかったのです。そこで、一人ずつ独房に放り込んでおいたところ、どこに隠し持っていたのやら、なにか毒ののようなものを含んだらしく……うめき声を聞いて部下が駆けつけたところ、すでに息絶えていたということで」

「それは、なんとまあ……」

「部下は、すっかり身体検査したとは言っておるのですが、まったく大失態です。上にどう報告したものやら……」

「ほかに手がかりは?」

「身元のわかるようなものはなにひとつ身に着けていなかったもので……念の入ったことです」

「それではまるで……」

「ん? なんです?」

「いえ、失敬。何でもありませぬ」

 まるでかつての自分ではないか――思わず言いかけたのを堪えたマーシャである。

 秘密部隊「蜃気楼」に在籍していたときのことだ。任務に際しては、身元が割れるもととなるような物品の所持は一切禁止されていた。また、なんらかの失態で敵に身柄を押さえられた場合、自害して果てるべしとの掟もあった。

「こうなると、ただの物取りとは思えません。大きな事件の匂いがする」

 コーネリアスが、温厚そうな顔を引き締める。腕は立たずとも、経験豊かな男だけにここぞの勘は鋭い。

「同感です、コーネリアス殿」

「しかし、いったいどういうわけで酒屋、酒場ばかりを狙ったのやら。皆目見当もつかぬのですよ」

「ううむ……」

 どうやらあの賊は何者かの指示を受けて動いたようだ。そして、あの身のこなし。単なる物取りのはずもない。

「ともかく、死んだ二人の身元の割り出しと、残りの一人の捜索に全力を上げるしかありませんな」

 あれほど用心深い連中だけに、それもなかなか難しいだろうとマーシャは思う。

「なにか進展がありましたら、グレンヴィル殿にもお報せします」

 と言うコーネリアスに感謝しつつ、マーシャは詰め所を後にした。

 しかし、待てど暮らせどマーシャのもとにコーネリアスから報せが届くことはなかった。警備部が八方手を尽くせど、賊の手がかりは杳として掴めなかったのである。

 やがてひと月ほども時が過ぎると、マーシャもこの事件は心の片隅に置いておく程度のこととなっていった。


「――首尾は」

「運悪く二人は警備部の手に落ちましたが……ご心配なく」

 そこは、広い部屋だった。天井は高く、床には毛足の長い絨毯が敷き詰められている。艶やかに磨きこまれた調度品はどれも年経ており、芸術的価値と歴史的価値を兼ね備えたものばかり。押し殺した声で話すのは、二人の男――壮年の男と初老の男である。

「それにしても、不手際であったな」

 壮年の男の声音には、初老の男を責め立てるような色が混じる。

「此度のことは、言ってみれば事故のようなものにございます」

「事故、か。物は言いようだな」

「以前ご報告いたしましたように、『向こう』の作業員の手違いで、一箱だけ一般の貨物便に紛れてしまったことがそもそもの原因。加えて、レンの港でも荷の取り違えという不運が重なりましたゆえ」

「荷の管理はより厳格にするよう、厳しく申し渡しておかねばらなぬな。おかげで、優秀なな手駒を二つも失ってしまった」

 壮年の男が溜息をついた。

「して、その邪魔に入ったという女剣士というのは?」

「これに詳細が」

 初老の男が、数枚の書類を差し出す。

「マーシャ・グレンヴィルか。名前は聞いたことがある。王都最強だとかいう噂もな」

「畏れながら訂正させていただきますが――王都最強、ではなくシーラント最強、にございまする。そして、元『蜃気楼』隊員にございます」

「ほう、『蜃気楼』の……? どうりで、あの二人が易々と敗れるはずだ」

「いかがなさいますか? これ以上奴めが関わってくるようならば、手を打ったほうが良いと存じますが」

「捨て置け。『例の件』については知っておらぬのだろう? 今はそちらの隠蔽工作が先決であろうが」

「それは、仰るとおりにございますが……」

「いくら腕が立つといっても、所詮は一人の剣士に過ぎぬ。いざとなれば、どうとでもなるだろう」

「……御意に。それと僭越ながらもうひとつ。『あれ』を取引する相手はより厳格に吟味なされますよう、ご忠告申し上げておきます」

 そう言うと、初老の男は音も立てずに部屋を出ていく。その背を見送ったのち、壮年の男はテーブルの上に置かれた帳簿を手に取った。

 ――わが悲願が成就するまで、あと少し。

 帳簿に書かれた数字を指でなぞりながら、男は薄く笑った。

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