第五話

 翌日、早速ミネルヴァが桜蓮荘を訪れた。

「さあ先生、参りましょう」

 ミネルヴァが、身を乗り出してマーシャに迫る。よほどこの出稽古が待ちきれなかったようだ。前日の夜にフォーサイス公爵の許可を取り付け、即座にマーシャのもとに使いを寄越したほどである。

「はい、はい。それでは、まずは私にとって馴染み深い道場からにしましょう」

 と、連れ立って少し離れた大通りに停めてあったフォーサイス家の馬車へ向かう。その馬車は要人用の特別誂えで、各所が鉄板で補強された頑強なものだ。車内にはマーシャ、ミネルヴァ、パメラのほかに警護役がひとり。さらに、馬車の周りを完全武装の騎兵四騎が囲む。馬車を操る御者も、屈強な大男であった。

「まったく、お父様も心配性ですわ。これでは息が詰まってしまいます」

 と、ミネルヴァがこぼした。マーシャがパメラの顔を見ると、パメラはほんの小さく頷いた。ミネルヴァの父に、そうするようにと進言したのはパメラなのだろう。

御身おんみを案じられてのことです。これもギルバート様の愛情と思って、しばし辛抱なさってください」

「お父様の気持ちは、わからないでもないのですけれど。でも、お父様にしてはらしくないですわね」

 なおも、ミネルヴァは唇を尖らせる。腕に覚えのあるミネルヴァとしては、過剰に保護されるのが面白くないのだ。

「それに……少し目立ちすぎのような気がしますわ」

 いかにも無骨な箱馬車と屈強な騎兵が四騎という集団は、好奇心旺盛な下町の人々の注目を惹かぬはずがない。さっさと駆け抜けてしまうことができればいいのだが、あいにく往来は人や馬車で混雑している。

「おい、あの大層な馬車に乗ってるのは、先生とお弟子の娘さんじゃないかい」

「ああ。見ろよ、あの周りの連中の気合の入った装いを。いったい誰と戦争しに行くつもりなんだ」

「あの先生があんなに物々しい連中と一緒なんだ、よほど手ごわい相手に違げえねぇ」

 などという会話が聞こえ、マーシャも苦笑する。


 そんなやり取りをしながら一行が向かったのは、レン郊外にあるローウェル道場であった。道場主はマイカ・ローウェルという当年六五になる老剣士で、かつては王家の指南役を務めていた男だ。国王から『清流不濁クリア・ストリーム』の称号を賜った、「二つ名持ち」の一人でもある。

 使う剣ははオーハラ流といい、シーラント王国においては伝統派中の伝統派とでも言うべき流派である。長さも太さも標準的な片手剣を用いるオーハラ流の技術は、全ての剣術の基本となると言われていて、実際オーハラ流から派生した流派は数多い。

 マーシャも、幼少時よりこの道場に通い、剣の基礎を学んだ。マイカはマーシャが師と仰ぐ唯一の人物で、敬愛の念はひとかたならぬものがある。マーシャが現役を退いた際、桜蓮荘を仲介してくれたのもこのマイカであった。

「おお、マーシャ。久しいの」

 道場主のマイカが、マーシャたちを出迎えた。小柄ながら背筋はしゃんと伸びており、実際の身長より大きな印象を受ける老人である。

 今ではすっかり角が取れて好々爺といった雰囲気のマイカだが、若いころは剣に一切の妥協を許さぬ烈しい気性の持ち主だったとか。

 マーシャとミネルヴァは、応接室にて歓待を受ける。

「お師匠様、ご無沙汰をして申し訳ありません。その後、お変わりはありませぬか」

「まあ、見ての通りぴんぴんしておる。と、言いたいところだが……古傷の膝が近頃どうにも良くなくてな。天気が崩れるたび、しくしく痛んで堪らぬ。わしもそろそろ引退を考えておるところじゃ」

「また、ご冗談を。お師匠様らしくもない」

「いや、本気じゃよ。しかし……これと思う跡継ぎが出てこなくてなぁ。安心して後を任せられる人間がおれば、わしもどこぞの田舎に引っ込んで楽隠居できるんじゃがのう」

 マイカには一人息子がいるが、剣の才には恵まれず、現在は文官として城勤めをしている。道場を存続させるためには、マイカは弟子の中から跡継ぎを決めなければならない。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「どうじゃ、マーシャ。今からでも遅くはないから……」

「お師匠様、その話は何度もお断りしておりますよ」

 マーシャに合うたび、口癖のように自分の跡継ぎになれと言ってくるマイカであった。年甲斐もなく拗ねたような表情を見せる。

「それより、こちらが出稽古をお願いした……」

「ミネルヴァ・フォーサイスと申します。名高きマイカ・ローウェル殿にお目にかかることができて、光栄に存じますわ」

「いやはや、あなたのような美しいお嬢さんに『名高き』などと言われると、こそばゆいわい」

「父上からも、ローウェル殿のことは何度も聞き及んでおります」

 フォーサイス公爵とマイカは、かつて鎬を削った好敵手であった。十数回に及ぶふたりの立会いはいずれも紙一重の激戦で、戦績は互角であったという。

「実はあなたが幼子おさなごだった時分に何度かお会いしたことがあるのじゃが、覚えてはおらんじゃろう。それにしても……」

 と、ミネルヴァの姿をまじまじと見てから、言葉を切ってマーシャに

「お父上に似ないでよかったのう」

 と耳打ちするものだから、マーシャも苦笑を禁じえない。

「? どうかしたんですの、先生?」

「いや、なんでもないですよ。ではお師匠様、そろそろ……」

「うむ。では、道場に参ろうか」

 離れの道場は、かつて寺院の聖堂だったという建物を改築したもので、天井は高く城の舞踏広間ほどの広さだ。そこで、この日は五十人ほどの門弟が熱心に稽古に励んでいた。女子の姿もちらほら見える。まだ早い時間だけに、仕事を持つ年齢の者の姿は少なく、若年者が中心だ。マイカが道場に現れたのを認めると、皆手を止めて一斉に挨拶をした。

「皆の者、今日は客人が参られた。こちらは、マーシャ・グレンヴィルじゃ。娘時代のマーシャを知る者は……今日はおらんかったかの。しかし、皆もその名は知っておろう」

 門弟たちからどよめきが起こった。マーシャと直接面識はなくとも、この道場が生んだ天才剣士の名を知らぬ者はいない。

「いま一人は、ミネルヴァ・フォースター殿じゃ。マーシャの弟子で、今日は皆と一緒に稽古をすることになった。よろしく頼む」

 ミネルヴァの性を偽ったのは、大貴族の子女であることを隠すためである。ミネルヴァの身の安全を考えてのこともあるが、大貴族の娘と知って門弟たちに遠慮が生まれては稽古にならぬ。

 紹介されたミネルヴァが、

「本日限りにはなりますけれど、よろしくお願いいたします」

 と、折り目正しく挨拶すると、マイカが手を叩いて門弟たちに稽古に戻るよう促した。ミネルヴァも門弟たちに混じり、素振りを始める。

 マイカと並んで道場の端に座り、ややしばらくそれを見守ったマーシャが、

「お師匠様、ミネルヴァ様の剣はいかがですか」

「うむ、筋は悪くない。所作のひとつひとつに芯が通っていて、たかが素振りと疎かにすることもない。師匠の心がけがよかったんじゃろう」

「恐れ入ります」

「しかし、おなごの細腕にあの大剣は辛くないのかえ」

「私もはじめはそう思いました。しかし、家の伝統だと本人が聞き入れませなんだ」

「なるほどの。フォーサイス家といえば、『ドレスを着た剣鬼』か」

 「ドレスを着た剣鬼」。それはシーラント統一前の戦乱期において有力な武将であったアーロン・フォーサイスの妻、ヴェロニカのことだ。見目麗しい女性ながら、類稀なる武芸の才能と、女性としては破格の膂力を兼ね備えていたという。彼女は豪奢なドレスの上に甲冑という出で立ちで夫とともに戦場を駆け巡り、多大な武勲を挙げたといわれている。

 もっとも、ドレスを着て戦場に出たというのは、思わぬ奇襲を受けた際に普段着の上から甲冑を着け出陣したという一回きりの出来事が誇張されて後世に広まった、というのが歴史家の定説であるのだが。

 ともかく、あらゆる武器を自在に使いこなしたと言われるヴェロニカが、もっとも得意としたと言われている得物が、ミネルヴァが持つような両手大剣だったのだ。

「まあ――大剣の是非に関しては、乱取りを見ていただければわかるかと」

「ふむ。相手はどうする?」

「そうですね……今いる者たちの中で、中くらいの実力の者から始めて、勝つことができれば徐々に相手を強くしていくというのはいかがでしょう」

「いいじゃろう。おおい、皆の者、手を止めよ」

 マイカは集まってきた門弟たちの中から、ミネルヴァの対戦相手を選ぶ。

 しかし、マーシャにもその実力を認められるミネルヴァである。道場で中位の者に対しては決して引けを取ることはない。たちまちのうちに、三人を勝ち抜いてしまった。

「いかがでしたか、お師匠様」

「剣自体の重量おもさと自らの体重を上手く利用して非力を補っておる。あれはお前が教えたのかね?」

「私はほんの少しお手伝いをしただけ。ほとんどは、ミネルヴァ様ご自身が指南書を紐解き、考え、工夫なさったものです」

 「ドレスを着た剣鬼」が使っていたという剣技は書物によって伝えられているけども、それは半ば伝説のようなものばかりで具体的な記述は少ない。非力な女性の身でいかにして重厚な大剣を扱うか。ミネルヴァは様々な流派を研究し、研鑽を怠らない。

「なるほどのぉ。フォーサイス家の名に恥じぬ娘ごじゃ」

「して、次の相手は」

「うむ、あの腕前では、今いる大半の者は歯が立たぬじゃろう。……ブレンバ、前へ」

 四番目に出てきたブレンバは、二十代前半の中肉中背の男であった。近ごろ気鋭の剣士として名前が知られつつある、この道場の中でも五指に入る実力者である。

 さすがに手ごわい相手で、ミネルヴァも攻めあぐむ。

 ブレンバは、特別膂力に優れるわけではない。しかし一撃一撃が重いミネルヴァの剣を、卓越した技術で冷静に捌いていく。マーシャも感心するほどの技量だ。

 わずかな隙をついて、ブレンバが攻勢に転じた。その切り返しも見事なものであった。

「ほう、『第三式』の変形ですか」

 ブレンバの連撃を見て、マーシャが呟く。

 「第三式」とは、「ガルラ八式」と呼ばれる八種からなる基本型の三つ目のことだ。これは、百年ほど前、剣聖と謳われたシルヴェストが、霊峰ガルラ山での山篭りの末編み出した型である。人間の視界・死角、筋肉の反応、関節の可動など――人体を研究し尽くし、「人という動物が剣で戦う際、もっとも受けにくい連撃の組み合わせ」という思想のもと完成されたものだ。

 この「ガルラ八式」は、当時のシーラントの剣術界に一大旋風を巻き起こし、様々な流派に取り入れられた。一時は、これを修めれば剣士として一人前、とまで言われたほどだ。

 しかし、百年の時が過ぎ、この型への対応法も確立されている。今では「ガルラ八式」は基本のひとつに過ぎない。これにに変化をつけて自分独自の技とすることが一人前の剣士の必須条件だ。

「うむ、なかなかのもんじゃろう。しかしあの程度、マーシャは十か十一のころにはやってのけていたではないか」

 稀代の天才であるマーシャと比べられるのは、現在の門弟たちにとっては気の毒なことだろう。

 さて、守勢に回ったミネルヴァは、変形の「第三式」に体勢を崩し、防戦一方となる。

 斬り結ぶこと十数合、粘ったもののとうとう肩口を打たれてしまった。

「いや、惜しかったですね」

 戦いを終えたミネルヴァに、手拭いを渡しながらマーシャが声をかけた。

「いえ、あのブレンバというかた、まだまだ余裕がるように感じましたわ。わたしも修行が足りませんわね」

 ミネルヴァが悔しそうな顔をしながらも、素直に負けを認めた。彼我の力量差を客観的に判断できるというのも、剣士が成長する上で大事な要素である。

「それより……先生になにやら期待のまなざしが集まっているようですわよ」

「うむ、マーシャよ。まさか、このまま帰るなどとは申すまいな」

 かつて王都にその人ありと言われたマーシャの剣を、一目見たいと思うのは自然なことである。

「さて、すでに身を引いて久しい私でよろしければ。ひとつ、胸を借りるとしましょう」

 と、マーシャが道場の真中に進み出ると、おおっ、とどよめきが上がった。相手をするのは、引き続きブレンバだ。

 道場の中央で相対すると、ふたりはともに中段に構える。オーハラ流の基本の構えだ。

 激しい打ち合いとなったミネルヴァとブレンバとの対戦とは打って変わって、始めの合図がなされても二人とも動き出す気配はない。

 もっとも、ブレンバにしてみれば動かないのではなく

(動けぬ……)

 のである。

 マーシャの構えは何気ないように見えてまったく隙がない。そして、一歩踏み出したらその途端四方八方からマーシャの剣が飛んでくる、そのようにブレンバには感じられるのだ。まったく動いていないのに、ブレンバの額には脂汗が滲んでいる。

 と、マーシャがほんの小さく笑ったかと思うとふっと構えを解いた。緊迫した戦いの最中、あえて隙を見せて打ち込ませ、「後の先」を取るのは常套手段である。罠だ、と感じつつも、ブレンバは何かに弾かれたようにマーシャに突きかかった。剣士として鍛えられた身体が、思わず反応してしまったのだろう。

 二人の身体が交錯し――一瞬遅れてからからという乾いた音が響く。ブレンバの手から離れた木剣が、道場の床を転がった音であった。

 二人を囲んで見守っていた門下生たちは、一様に驚愕の表情を浮かべている。二人がすれ違ったと思ったら、ブレンバの剣が宙を舞っていた。そうとしか見えなかったからだ。

 この刹那、何があったのか把握できたのは、当事者のマーシャにブレンバ、そして道場主のマイカのみであっただろう。

 マーシャの使った技はこうだ。まず、ブレンバの突きを避けつつ手首の付け根に軽く一撃。手が痺れたところに、手首を返し鋭くブレンバの剣の柄頭を叩き上げ、弾き飛ばしたのだ。打撃音がひとつにしか聞こえぬほどの、まさに神速の二連撃であった。

 マーシャは、隙だらけとなったブレンバの首筋を軽く叩く。勝負あり。

「ありがとうございました」

 いまだ呆気にとられたままのブレンバを残し、マーシャがその場を退くと、門弟たちから大きな歓声が上がった。

 そして、マーシャの妙技を体験したいと、我も我もと手合わせを申し込んでくる。結局、マーシャはこの日居合わせた門弟のほぼ全員と手合わせをすることになった。


「にしてもおぬし、ますます剣が冴えてきておるの」

 帰り際のことである。マイカがそうマーシャに言った。

「そうでしょうか。私自身ではそれと気が付かぬのですが」

「わしの目に狂いはないわ。何かこう……現役時代とは根本的に大きく変わったようにすら見受けられる」

「ふむ……変わったと仰るなら、それは心持ちでありましょう」

「ほう」

「ただひたすらに剣に打ち込んだころと違い、今は随分心に余裕ができました。その余裕が、剣にかえってよい影響を与えたのかもしれませぬ」

「心持ちに余裕ができた、か。うむ、まことに結構なことじゃ。確かに、剣しか目に入らぬ堅物じゃったあのころよりも、今のおぬしは活き活きして見えるわい」

 と、マイカがからからと笑った。

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