第四話

 ふたたび自室に戻ったマーシャは、早速捜査資料を読み解きにかかった。

 事件の概要は次のとおりである。

 被害に遭ったのは、クレイグの事件で一二人目になる。凶器はどれも極めて鋭利な刃物。一撃で相手を絶命させるようなことはせず、嬲り殺しにするという手口は共通している。

 犯行時間はどれも深夜だ。雨風が強い悪天候のときを選んでいることも多い。

 犯行現場は人通りの少ない場所ばかりで、目撃情報はいまのところ皆無。尋常ならざる物音と悲鳴を聞きつけた人間が現場に駆けつけたこともあったが、下手人の姿は見られていないのだ。これについては、捜査資料に

「走り去る蹄の音を聞いた、との証言あり。予め、犯行現場近くに逃走用の馬、ないしは馬車を停めてあったのだと推測される」

 との一文がある。

 一度犯行を行った近辺で立て続けに凶行に及ぶことはなく、そこからも犯人の用心深さがうかがえる。

 被害者は全て男性だが、年齢から職業・身分などはばらばらだ。共通点があるとするならば、全員が「その界隈で有名な腕自慢」であるということだ。

 クレイグのように腕っ節を買われて用心棒をする者もいれば、街の喧嘩自慢もいる。中には、目下売り出し中の新進気鋭の剣士なる者もいた。

 やはり、「自らの剣技で殺しをすることに愉悦を感じる異常者によるもの」か。マーシャは死体を見たときにそう感じたのだが、どうやらこれは正しかったようだ。

 そして、名の知れた腕自慢ならば、たとえ劣勢に立たされたとしてもみっともなく泣き叫んで助けを呼ぶ可能性は低い。正々堂々戦って力負けしたと余人に知られたならば、用心棒家業を営むクレイグのような者は生業に影響が出るし、武術で身を立てている者ならば大きな汚名を背負うことになる。

(そこまで考えているとすれば、犯人はなかなかに狡猾だ)

 しかし、それがわかったとて、依然具体的な犯人像は掴めぬままだ。

 犯罪捜査を生業とする警備部ですら、犯人に繋がる手がかりはつかめていないのだ。この分野では素人の自分が、部屋にこもって頭を悩ませても上手い考えは浮かぶまい。そうマーシャは考える。

「基本に忠実に、か」

 犯罪捜査の基本は「足を使うこと」である、という話はマーシャも聞いたことがある。地道な情報収集こそが犯人捕縛への近道なのだ。かつて名の知れた剣士であった自分なら、警備部とは一味違った情報の集め方ができるはずだ。

 ひとつ、策を思いつく。しかし、それには

「協力者があったほうが都合がよいのだが、どうしたものか……デューイではなぁ」

 腕組みしてややしばらく唸る。

「うってつけなのはミネルヴァ様なのだが……」

 大恩あるフォーサイス家の息女を巻き込んでよいものか。もしかしたら、ミネルヴァに危険が及ぶやも知れぬ。そう考えると、せっかく考えた策も実行がためらわれる。

 しかし一方で、財力も権力もあるフォーサイス家ならば、ミネルヴァの身を守る手段はいくらでも講じられる。マーシャのほかの弟子ではそうはいかない。

「明日、フォーサイスのお屋敷に出向くとするか」

 と、方策を決めるのだった。


 翌日の昼下がり。マーシャは長い黒髪に櫛を入れると後頭部できちんと結わえ上げ、剣士の正装に身を包む。先祖伝来の家宝である剣を吊るすと家を出た。

 フォーサイスの屋敷は王都レンの新市街の外れにある。

 新市街とは、王城が街の西部に移設されたことに伴って造成された市街地の通称だ。小高い丘の上にある王城を取り巻くように、各種官公庁、貴族・富豪の邸宅が立ち並ぶ豪奢な街並みが広がっている。一方、それまで王城があった街の東部は徐々に衰退しつつあるものの、古くからの商家の多くはいまだこの東部に残る。街の西部は政治の中心、街の東部は経済の中心。現在の王都レンはそうした構造となっているのだ。

 桜蓮荘は、レンの南東部――かつての王城があったあたりに位置する。その周辺の建物は、せいぜい三階建てまでの古いものが多く、あばら家同然の木造の家屋もちらほら見られる。しかし、大通りに出て西に進むにつれ、新しく大きな建物が増えるようになる。一時間ほど歩くと、マーシャの眼前に長い坂が迫ってきた。これを越えると、その先は新市街である。

 都市計画に基づいて設計された新市街は、広い道路で整然と区画整理されている。王城を取り囲むように三重の環状道路が配され、また王城を中心に八方に放射状の道が伸びる。この構造さえ理解していればまず迷うことはない。石畳で舗装された道路は規則正しく街を区切り、無秩序に曲がりくねった道で人を惑わす下町とは対照的だ。

 また、新市街の建物は、すべて一定以上の厚みと高さを持つ石塀で囲むように法で定められている。王都に有事があった場合、建造物自体を敵の進軍を阻む障害物とするためだ。また、環状道路に沿ってぐるりと堅牢な防壁が築かれているため、放射道路を封鎖すれば王城を取り囲む三重の城壁が出来上がる。

 高く分厚い塀はいかにも威圧的であり、冷たく無機質な印象を放つ。人々の喧騒が絶えず、活気に満ちた下町とはまた対照的である。

 フォーサイス家の屋敷は、そんな新市街の一番外側に位置する。

 普通、身分が高ければ高いほど新市街の内側、すなわち王城の近くに邸宅を構えるのだが、そこは自他共に認める武門の頂点たるフォーサイス家である。有事あらば、自分たちが先頭に立って王を護らねばならぬ、という信念を貫いているのだ。

 敷地や建物は広大であるが、無駄な装飾が一切排除された質実剛健なつくりだ。

 衛兵は顔見知りであったため、マーシャはすんなり門を通された。少し歩くと、前方から箱馬車が走ってきたためマーシャは脇にどける。しかし馬車は、マーシャの傍を通り過ぎて少し行ったところで急に減速。まだ止まるか止まらぬかといううちに、馬車から非常に立派な体躯の男が飛び降りてきた。

「マーーーーシャァァァーーーーッ! マーシャではないか!」

 男は野太い声で叫びながら猛牛の如き足音を立ててマーシャに迫ると、猛烈な力で抱擁した。筋骨隆々なこの初老の男性こそ、フォーサイス家当主たるギルバート・フォーサイス公爵である。

「マーシャよ!! 老体を心配させおって! あれほどちょくちょく顔を見せるようにと申しておろう!」

「ぎ、ギルバート様、ご無沙汰しておりました。その、少し、苦しゅう、ございます」

 抱きつかれながら大きな手でばんばんと背中を叩かれ、さすがのマーシャも渋面を浮かべる。しかし、すっかり興奮してしまったフォーサイス公爵は聞く耳を持たず、感極まった様子で更にかいなに力を込める。若かりしころ、鋼鉄製のプレートメイルを押し潰したことがあるという逸話があるほどの腕力である。抱きしめられたほうはたまったものではない。

 が、これはいつものことだ。マーシャも対応の仕方を心得ている。公爵のみぞおちの辺りに右の掌を添えると、右足のつま先を軸に膝・腰・右肩・右肘を連動させ回転させる。足先から生み出された回転力は、増幅されつつ右手に伝わり――掌の一点に集約され、爆発した。

「ぐほぉッ!?」

 マーシャの掌打を腹に受け、フォーサイス公爵は地面に両膝をつく。実戦性重視のシーラント王国では、組み打ち、すなわち武器を失った場合の素手での格闘術も剣士にとって必須の技術だ。一流の剣士であるマーシャは、ミネルヴァとの稽古でも見せたとおり格闘術においても高い技術を誇る。

「……ま、マーシャよ、年寄りになんて技を…………」

「申し訳ございませぬ。しかし、私も命の危険を感じましたので」

「まったく……わしでなければ死んでいたところだぞ」

 マーシャの手を借り、フォーサイス公爵がしゃんと立ち上がる。しかし公爵の言葉は決して大げさなものではない。マーシャが繰り出したのは、常人なら昏倒は免れぬほどの威力を持つ一撃だったのだ。

 そんな様子を、馬車の御者や乗り合わせていたお付き、屋敷の衛兵たちが生暖かい視線で見守っている。皆、一様に「ああ、またか」とでも言いたげな表情であった。

「まあ、腕は鈍っていないようだな。安心したぞ」

「恐れ入ります、ギルバート様」

「それにしても……あんまり顔を見せないものだから、わしのことなど忘れてしまったのかと思ったわい」

「ご多忙かと思いまして、お伺いするのを控えておりました次第です」

「そんなことは気にするなといつも言っておろうに。ともあれ、壮健そうでなにより」

「ギルバート様こそ、お元気そうで安心しました」

「ふむ。息子共はまだまだ未熟だからな。まだまだ老け込んではいられんよ」

 フォーサイス公爵は、そう言うと豪快に笑った。フォーサイス家にはミネルヴァの上に二人の男子がおり、ともに若くして王国軍の要職に就いている。その優秀な働きぶりはマーシャの耳にも伝わってくるほどなのだが、公爵に言わせればまだまだ未熟ということらしい。

「よし、久しぶりに屋敷に来てくれたのだ。朝まで飲み明かそうではないか」

 公爵がマーシャを引きずるように屋敷に向かおうとする。が、馬車に控えていた老紳士――フォーサイス家執事が慌ててそれを押し留めた。

「旦那様! これから国軍省にて来期の予算編成会議でございますぞ」

「なんだ、そんなものは大臣のマードックに任せておけばよいではないか」

 フォーサイス公爵は、昨年長らく務めていた国軍大臣の役を退いた。しかし、いまだ軍に大きな影響力を持つ彼は、事あるごとに国軍省に呼び出され意見を求められるのだ。

「いけませぬ。この間も会議の予定をすっぽかされたのですぞ」

 古くから公爵に仕える老執事である。公爵の性格は熟知しているようで、断固として譲らない。

「マードック閣下たっての要請にございます。ランドール公の横槍で会議がまとまらぬゆえ、ぜひ旦那様にお出まし願いたいと」

 フォーサイス公爵が大臣職を退いた際、誰もが彼の長男が後任に指名されるものと思っていた。フォーサイス公爵自身、先代当主からその役職を受け継いでいたからだ。しかし、公爵が指名したのは現大臣のマードックであった。国の役職は世襲で継承すべきではない、というのが公爵の言い分である。

 自家に与えられた利権を頑なに手放そうとしない貴族が多い中、珍しく潔い考えだ。

 しかし、公爵の長男が一本立ちするまでの繋ぎ。それが、多くの人が認識するマードックの立ち位置だ。長年公爵の右腕として副大臣を勤め、公爵の信奉者でもあるマードック自身、「このお役目はフォーサイス家からお預かりしているに過ぎない」と言って憚らぬ。

 そんないきさつもあり、マードックの名前には公爵も弱い。

「むう……仕方ないの。というわけだ、マーシャ。許せ」

「とんでもございませぬ」

「それでは、行くとするか。……ん? 何かまだ用件でもあるのか」

 付き合いが長いだけに、フォーサイス公爵はマーシャの物言いたげな表情に目ざとく気付く。実のところ、ここへ至ってもまだフォーサイス家に協力を仰ぐことを躊躇していたマーシャだが、意を決して話を切り出した。

「はい、実はお願いしたき議がございます。……ギルバート様、近頃王都で起こっている連続殺人についてはご存知でしょうか」

「うむ、話は聞いておる。わしのほうからも、早く犯人を捕えるよう警備部に発破をかけているところだ」

「実は、私の知己の者が一人、その通り魔の手にかかって死んでいるのです」

 マーシャの瞳に灯った怒りの炎。それを見て、フォーサイス公爵は察するところがあったようだ。顎髯を撫でながら、考える素振りを見せる。

「……ふぅむ。して、そなたの頼みとは」

「犯人を捜すため、フォーサイス家――というより、ミネルヴァ様のご協力を仰ぎたく存じます」

「そのようなことなら、是非もない。悪を懲らしめ善を勧むるのが公爵位を授かるフォーサイス家の役目ゆえ」

 具体的な説明も聞かぬうちに、公爵はそう答えた。彼は、マーシャに全幅の信頼を置いている。

「しかし……ミネルヴァ様の御身に危害が及ぶ可能性は否定できませぬゆえ、お願いするのが躊躇われたのです」

「そのような気遣いは無用だ。フォーサイス家の娘として剣を学ぶ以上、常に死の覚悟を持てとミネルヴァにも言い聞かせておる。それにあれも、ヴェロニカ・フォーサイスの血を引いているという自覚は充分持っているはずだ」

 公爵としても見目麗しく育ったわが娘が可愛くないはずはない。また、貴族の娘は政略結婚のカードとなりうる存在だ。その身に危険が及ぶかも知れぬと聞かされれば、普通は前言を翻すところだろう。しかし、公爵の信念は揺るぎなく、まさに武人の鑑といえる毅然とした態度であった。

「ただ――パメラの許可だけは取ってくれ。ミネルヴァの身辺警護に関しては、パメラに一任してあるのでな」

「わかりました」

 と、後ろに控える老執事がわざとらしく咳払いした。

「わかったわかった。すまんなマーシャ、そろそろ行かねばならぬ。……よいか、きっとすぐまた顔を出すのだぞ」

 強く念を押して、フォーサイス公爵は去って行った。

 続いて、マーシャは公爵夫人に目通りを願う。ひとしきり談笑したのちその場を辞すると、ミネルヴァの部屋に向かった。

 部屋の近くまで差し掛かると、空のティーセットを携えたパメラに出くわした。

「これはグレンヴィル様、よくおでくださいました。しかしあいにく、お嬢様は法学のお勉強中にございます」

「ならば、終わるまで待たせてもらおう。それよりちょうどよかった、パメラ、お前に話がある」

 と、通り魔事件のこと、そして正体不明の通り魔を成敗するために自分が考えた策について話す。

「……とまあ、そんなわけなんだが」

「はい。グレンヴィル様が取りうる手段としては至極妥当かと思われます」

「そこで、さっきも話したとおりミネルヴァ様のご協力を仰ぎたい。しかし、もしお前が危ういと感じるならば、この話はなかったことにしよう」

 ちらりと、パメラの表情をうかがう。

「……私が、通り魔ごときに遅れをとるとでも?」

 表情は一切変わっていない。が、パメラの全身から強い怒気が噴き出すのをマーシャは感じた。マーシャの肌がぴりぴりするほどの凄みがあった。

 パメラは、侍女のほかにもう一つの任務を帯びている。それは、ミネルヴァ専属の護衛だ。パメラは、部屋にこもって本でも読んでいるのがお似合いといった風貌だ。しかし、代々フォーサイス家に仕える密偵の家系の出であるパメラは、幼い頃より厳しい訓練を受けてきたた確かな実力者である。

 マーシャの言葉は、パメラの自らの役目に対する矜持に傷をつけてしまったのだろう。

「……行き帰りは馬車を用い、護衛は私のほか腕利きを五人。これならば、いかな凶悪犯といえど手も足も出せぬでしょう」

 あくまで自分の腕を過信せず、気を緩めない。要人警護の任に当たるものとしてもっとも大事な心得を、パメラはその若さにして身につけている。

 そして、いつの間にやらパメラの怒気は掻き消えていた。

(いやはや、食い殺されるかと思った。末恐ろしい娘だ)

 マーシャにそう思わせるほど、パメラの気は凄まじいものであった。

「旦那様からも、グレンヴィル様がお困りの際は協力するように、と言いつかっております。それに、悪を懲らし善を勧むるのがフォーサイス家の家訓ですので」

「ありがとう、助かる。まあ、目的は先ほど話したとおりゆえ、ミネルヴァ様の身に危険が及ぶ可能性はないに等しいだろう」

「それには同意いたします。でなければ、私が協力することはありえませんので。……お嬢様のお勉強が終わるまで、まだ少し時間がございます。別室にお茶をご用意いたしますゆえ、どうぞ」

 しばらくして、紅茶にわずかなブランディを注いだものを楽しんでいたマーシャのもとにミネルヴァが現れた。

「お越しいただいて恐縮ですわ。でも、父上は残念がっていたでしょう? 大臣を辞めてからは家にいる時間が多くなっていたのですけれど、今日に限って公務が入るなんて間が悪かったですわね」

「それはもう。まあ、ギルバート様とはまた日を改めて」

「パメラから聞いたのですけれど、私になにかご用がおありとか」

「はい。ミネルヴァ様、出稽古というものをしてみませんか?」

 ミネルヴァは、マーシャ、父や兄、フォーサイス家お抱えの指南役以外の相手とはほとんど手合わせをしたことがない。大貴族の子女としては、仕方のないことだ。

「お世辞ではなく、近頃のミネルヴァ様のご成長には目を見張るものがあります。ご自身でも手ごたえを感じていらっしゃるのでは?」

「いえ、そんなことは……」

 ミネルヴァは謙遜するが、実際日々腕が上がっているという実感はあった。

「いまのミネルヴァ様くらいの年頃は、まさに伸び盛りの時期です。この大事な時期に、様々な相手・様々な流派と手合わせすることは、ミネルヴァ様の剣を磨く上で大きな糧となります。私も、若いころはそれはもう色々な相手としのぎを削ったものですよ。幸い、王都には私の旧知の剣士が開いている道場が数多くありますので、相手に事欠くことはありません」

 これはマーシャが作戦を実行するための口実であるけれども、決して嘘ではない。ミネルヴァの技量をもう一つ上の段階に引き上げるには、様々な相手と闘って経験を積むことが必要なのだ。

「それは面白そうですわ。是非お願いいたします」

 ミネルヴァの眼がにわかに輝きだした。ミネルヴァ自身も、かねてから自分の屋敷以外の場所で腕を試したいと考えていたのである。

「それでは、いつから?」

「すぐにでも……と言いたいところですが、ミネルヴァ様にもご予定がおありでしょう。ご都合がつきましたらお報せくださいますか」

「ええ、それでは早急に」

 フォーサイス家を辞したマーシャは、帰路に就いた。

 先ほどまでは陽光がここちよい晴天だったが、空はにわかに曇り始めている。春の天気は変わりやすい。やがて、ぽつりぽつりと雨粒が滴り始めた。

(まるで、あの晩のような……)

 と、クレイグが殺害された夜のことを思い出してしまうマーシャであった。

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