第六章 小森の場合③

第1話 妥協のない仕込み

 夏も盛りを終え、ただいまは晩夏……と言うよりも残暑と言えるか。


 とにかく、暑くて暑くて堪らない。外はそうだが、ホテルのまかない処を兼ねている社員食堂のため、裕司ゆうじは厨房でのんびり下ごしらえをしていた。


 こちらの料理長の山越やまこし源二げんじは、デミグラスソースを作っている。まかないにそこまで力を入れるのは、元有名レストランの副料理長だったせいで……たまには、思いっきり時間をかけて仕込みたい衝動が出るそうだ。


 裕司も手伝うが、今の工程だと山越がひとりで出来る作業なので邪魔をしたくない。だから、明日のまかないで必要な、オムライスの下ごしらえをしている。



(源さんのデミグラスソースをかけた、オムハヤシ)



 絶対と言い切れるくらい、美味しいに違いない。あのデミグラスソースは、ホテル側の料理長も絶賛するくらいの味わいだからだ。裕司も、初めてまかないでオムハヤシではなくハヤシライスで食べたが、そこいらの店のものよりも、段違いに美味し過ぎた記憶がある。


 専門学校では、仕込みの時間がかかり過ぎるので作ることはないが……源二のは、簡易版でも四日はかかるらしい。あと、ひとり暮らしでは光熱費もバカにならないのでやめておけと言われているのもある。


 カセットコンロでも、ボンベの処理が面倒なのと火力調整も難しいと言われたので同様に。


 なので、一年目はともかく。二年目以降は下ごしらえなどを手伝うところまでは一緒に仕込むことになった。


 とにかく、火力が凄いのでまかない処の厨房でもなかなかに暑いのだ。



「っし。味付けと肉の具合が良い。小森こもり、明日は美味いオムハヤシ食えるぞ?」


「絶対頼みます」


「良い返事だ」



 まかない処の料理長であれ、その日に四種類くらいの料理しか出さずとも……料理に妥協をしない源二の姿勢を裕司はとても尊敬していた。


 入社したての頃は、楽でバイト代がそこそこ高い仕事内容だと思っていたが、とんでもなかった。例えるなら……町中の食堂のように、常連客へ好きな料理を振る舞い、笑顔になっていくのを見送る。そんなありふれた日常を気に入っていると、源二に言われた時は目から鱗だと思った。


 裕司も、三重の実家方面でそう言った町中の料理屋などで、同じ言葉を聞いたから。


 その何気ない言葉で、わざわざ専門学校に行ってまで料理人を目指す理由を思い出した。


 だから、まかないで疑問があれば口出しもしたし、提案すれば採用してくれる源二を……裕司はさらに尊敬したのだ。


 就職先として、このまかない処も候補に入れたいと思ってはいたけれど……源二から、もっと外を見てこいと言われたため、最終候補には入れておくことにした。


 源二の昔のように、世間に揉まれてくたくたになったとしても……辛い経験があっても、決まったところだけでなくもっと他の場所も経験してこいと。源二には背中を押してもらったのだ。



れいやんも、きっと注文しますね」


「ああ。眞島まとうちゃんは好きそうだな?」


「と言いつつ、男女関係なく虜にしているじゃないですか。このデミソース」


「当たり前だ。妥協は一切してない」



 五十を越えたが、まだまだ内面は若々しい源二は裕司に向かって歯を見せながら笑った。

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