マンボウは恩返しなどしない~僕の部屋に転がり込む魚類

ゴオルド

すてきな出会いの予感☆

 マンボウは孤独だ。広い大海原をたった一人で漂っている。

 繁殖の時だけ、異性と出会い、命をつなぐのだという。だが、大きな海で、マンボウはどうやってほかの個体と出会うのだろうか。



 ――


 僕の部屋には、マンボウがいる。

 つい昨日のことだ。マンボウが「繁殖相手を探していて、なんとなくカンで来ちゃいました」と言って転がり込んできたのだ。

 なんとなくカンで陸に上がり、うちのマンションのエレベーターに乗って4階までやってきて、ベランダから僕の部屋に侵入したらしい。


 僕は今、机に向かって数学Ⅰの課題をやりながら、背後にいるマンボウに声を掛けた。

「呼吸は大丈夫なわけ? 苦しいとかないの」

「あ、はい、平気みたいです。陸に上がったらしゃべれるようになったんですけど、そのおかげかもしれませんね。肺呼吸を習得しちゃった、みたいな?」

 のほほんとそんなことを言う。

「肺呼吸ねえ……。それよりマンボウの恋人探しでうちに来るのって変すぎると思うんだよ。マンションの4階では他のマンボウとの出会いなんてないと思うけど」

「……あのぅ、もしかして、私、お邪魔でした?」

「まあね、正直言って生臭いし」

 僕はシャーペンをノートに走らせながらストレートに言う。魚類に遠慮する必要を感じない。臭いものは臭い。

「魚の臭いが服やベッドに移ったら困るんだけど」

「済みません……。あ、そうだ! ウェットティッシュで私を拭いてもらえたら多少は臭いがマシになるかもしれません」

「うちにはウェットティッシュなんかないよ。ハンカチとか雑巾ならあるけど」

 マンボウが口をぽこぽこ動かす音がする。

「済みません、私、敏感肌だから、そういう硬い布で擦られるのはNGなんで」

 そういう細かい設定知らないんだけど。

「あと、すごくデカいじゃん。場所とるから邪魔なんだよね」

 メジャーで計測してみたら、ヒレ込みで縦180センチメートル、横2メートルだった。ほんと邪魔だ。

「済みません……ちなみに体重は2トン近くあるんですよ」

 知らんし。というか、うちの床が抜けそうで怖い。

「もうさあ、海に帰りなよ」

「ううん、でも、なんかここにいたいんです」

 僕は振り返った。巨大な魚がこっちを見ている。表情がまるで読めない。さすが魚類。

「なんでうちにいたいんだよ」

「マンボウならではのカンです。なんかこう、素敵な出会いがある予感がするんですよ。第六感的な?」

 僕は不躾にマンボウをじろじろみた。

「ところで、きみはメス? それともオス?」

 マンボウは口を素早く動かしてぽこぽこっと言わせた。

「そういう質問ってデリカシーがないと思います!」

 思わずため息をついた。はやく出て行ってくれないかな。

「あのさあ」

「はい、なんでしょう?」

「一応聞いておくけど、美少女に変身したりとかできる?」

「できるわけないでしょうキモイんですけど何ですかその妄想はほんとキモイキモイキモイやだやだやだ私をどういう目で見ているんですか人類なのに魚類に興奮するタイプの変態ですか怖い怖いこの人ほんと怖いんですけど最近の人間ってみんなこんなにキモイんですか最低すぎる大体なんですか美少女って私はそうい」

「ごめん、僕が悪かったから落ち着いて」

「キェェェェ!」

 マンボウはすっかり興奮している。なんなんだ。

「きみ……名前がないから呼びづらいんだよね。マンボウの男だからマンってことでいい?」

「男だって決めつけないでください!」

「え、メスなの。じゃあ、マン……」

「キェェェェ!」

 うるさい。



 それから2年の月日が流れた。

 僕は大学進学が決まった。ここから遠方の大学なので、春からひとり暮らしを始める予定だ。

「マンボウさあ、そろそろ海に帰れば?」

「うーん」

 マンボウはまだいる。呼び名は結局マンボウだ。ほかに呼びようもなかったし。ちなみに性別はいまだ不明だ。

「結局うちでは出会いなんてなかったよね。カンが外れたんだからさ、ほら、海へお帰り~」

「変ですねえ、絶対素敵な出会いがあると思ったんですけど」


 高校卒業を控えたある日、引っ越し業者の人が見積もりにきた。僕の部屋をぐるりと見回して「こちらのマンボウも新居に持っていかれるんですか」と聞いてきた。

「あ、いえ、マンボウは置いていきます。あと、本棚とタンスも置いていきます」

「そうですか」

 と見積もりの人はタブレットに記入していく。

「大体これぐらいとなりますが、いかがでしょうか」

 提示された額は2万円ちょっと。ネットで調べた相場どおりだったので、親の同意もとれて、それでお願いすることにした。

 契約書にサインしていたら、見積もりの人はマンボウを見ながら、「立派なマンボウですねえ」と褒めだした。

「私の家にもいるんですよ、マンボウ」

「えっ」

 マンボウが口を高速でぱくぱくし始めた。予想外の吉報に声も出ないようだ。僕はマンボウの気持ちを代弁してやった。

「お願いです、うちのマンボウとお見合いをさせてください!」




 お見合いは、最寄りの海で行った。

 2匹は出会うなり意気投合し、その場で結婚が決まった。マンボウ本人が言っていたとおり、うちにいたおかげで素敵な出会いがあったわけだ。

 そのまま2匹は大海原へと帰ることとなり、僕たちは海岸から見送った。

 引っ越し業者の人が両手を口に当てて、叫んだ。

「幸せに暮らせよー!」


 海面から背びれが二つ出てきて、手を振るみたいに左右に揺れた。

 引っ越し業者の人はなぜかむせび泣いている。なんだこれ。そんな感動的な話か? 魚が海に帰っただけじゃん、あほくさい。と思ったけど、本当のことを言うと僕も少しうるっときた。



 それから、僕は大学に進学し、それなりに楽しいキャンパスライフを送り、卒業と同時に就職した。


 就職して1カ月ぐらい経った頃、まだ仕事に慣れずくたくたになって帰宅し、アパートのドアを開けようとしたときだった。

 胸騒ぎがして、ノブを持つ自分の手が、止まった。

 なにか予兆のようなものを感じたのだ。うまく説明できないが、第六感のようなものだろうか。

 深呼吸をして、ゆっくりとドアを開けると、むわっと生臭いにおいがした。もう嫌な予感しかしない。僕はいきなりアレをじっくり見てしまってショックを受けないよう、あまりはっきりと直視してしまわないように目を細めて、最小限の視界で、うっすらと室内を見た。


 小ぶりなマンボウが室内にいた。ざっと見た感じでは3匹――。


 僕は高速でドアを閉めた。

「なんで?」と思わず声が漏れる。

 なんでまたうちに。というか増えてる、マンボウが増えてる。

 困る、ワンルームにマンボウ3匹はあまりに辛すぎる。



 ――


 結局、また僕はマンボウと暮らすことになった。マンボウは全部で4匹だった。薄目だったからもう1匹いたのを見逃していたのだ。


「こちらで祖父がお世話になったそうで」

 あのマンボウ、オスだったのか。

「私たちも出会いがなくて困っているんです」

「しばらくこちらに住まわせてもらいますね。なんか出会いの予感がするので」

「お兄ちゃんって呼んでもいいですか」


 布団を敷く場所もないほどに、僕の部屋はマンボウでぎっちぎちだ。

 ……誰か助けて!

 もうあれだ、SNSでマンボウの里親募集でもしよう。立って寝るのは辛すぎる。


【うちにマンボウが4匹も居着いてしまって困っています。誰か引き取ってくれる人はいませんか。よく喋るマンボウです。可愛がれば懐くと思います、たぶん】


 すると、マンボウのイラストアイコンのヤツから【ひどい】とコメントが飛んできた。

【マンボウをペットみたいに譲ろうとするなんて最低】

 僕は思わず室内のマンボウを見た。こいつらがコメントを書き込んだのか? あまりにもマンボウ寄りすぎるコメントだ。なりすましとしか思えない。でも、スマホを持ってないし、今も口をサンバのリズムに合わせてぱくぱく動かして遊んでいる。こいつらじゃないようだ。


 僕は再びSNSに書き込んだ。

【うちはワンルームで狭くて、マンボウ4匹はほんと辛いんです】

 すぐに返信が来た。

【だからってマンボウを追い出すなんてひどい。あなたみたいな冷たい人、見たことない】

 なんだかカチンときた。僕は高校の3年間をマンボウとともに暮らして、魚臭いのも我慢した。その上さらに4匹もとなると、もう無理だと思っているのに、事情も知らずに勝手なことを言うヤツだ。

【追い出すのはひどいって言うけどさ、マンボウを煮付けにして夕飯のおかずにしないだけ感謝してほしいぐらいなんだけど!】


 それきりコメントは途絶えた。納得してくれたのだろうか。

「お兄ちゃん、どうかしたんですか?」

 マンボウがおそるおそるといった感じで声をかけてきた。ちなみにマンボウは4匹ともが僕をお兄ちゃんと呼ぶ。やめろと言っても気にせず呼んでくる。4匹の性別は不明。あと全員同じ外見だから見分けもつかない。だから名前もつけていないし妹なのか弟なのかもわからない。

「スマホを睨み付けてるお兄ちゃん、怖いです。SNSで心を病んでいく現代人って感じがしますー」

「赤の他人の幸せ自慢が心に刺さる感じですか? そういうのをいちいち気にしてたら闇落ちしますよ!」

「お兄ちゃん負けないで! そうだ、架空の肩書きでSNSアカウントを作って、架空の自慢話をしてやりましょうよ」

「虚しすぎるだろ、それ。っていうか何の話だよ。いや、別になんでもないから」

 さすがにマンボウを里子に出そうとしているとは本人たちには言いづらかった。

「でも、怖い顔をされてますよ。じゃあ、やっぱりあれですか、うっかりクレカの支払いをリボ払いに設定しちゃったもんだから破産しちゃいそうな感じなんですか? 人間はそうやって破滅するんだって聞いたことがあります」

「お兄ちゃん、破滅しないでー!」

「なにをアホなことを……」

「マンボウー!!!」

 そのとき、部屋のガラスが割れて、ショートカットで小さな唇をした女の子が叫びながら部屋に入ってきた。

「は、え、誰、というかうちの窓ガラスが!」

 彼女は澄んだ瞳で僕を睨み、きゅっと口をすぼめた。透明感のある整った顔立ちだ。二十歳ぐらいだろうか?

「最低!」

「は?」

 彼女は手にした鉄の棒、さっきうちの窓ガラスを割った長物をびしりと僕に突きつけて、

「煮付けないでよね!」

 と言った。煮付け……って、まさか。

「おまえ、マンボウアイコンのやつだな!?」

「そうよ。私はマリナ。マンボウ流武術の道場の跡取り娘。マンボウを使った武術の達人よ。我が家は代々マンボウを保護しているの」

 彼女が何を言っているのか僕にはまるでわからないが、どうでもいいのでスルーした。そんなことより割れた窓ガラスが! どうしてくれるんだ!

「ねえマンボウ、こんな家を出て、私のところにおいでよ。そして一緒に武道大会優勝を目指そう!」

「嫌です~」

 マンボウたちは彼女から逃げ、僕にぴったりくっついてくる。生臭い!

「私たちはお兄ちゃんと一緒にいたいです~」

「おい、嘘をつくな。僕と一緒にいたいんじゃなくて、出会いを期待してうちにいるだけだろ」

「てへっ。……ふ、ふふ、ふんっ」

「4匹とも震えてるけどどうした……、あ、ウインクしようとしているのか、よせよせ、魚はまぶたがないんだから無茶するな」

「く……ぬ……ぬぬ……」

「おい、眼球、眼球がなんか盛り上がってきた怖い、やめろ!」

「私を放置して、マンボウといちゃいちゃしないでよっ」

 いちゃいちゃした覚えはないんだが。

「とにかく、あなたがマンボウを煮付けないように、私はあなたを見張るつもりだから」

「は?」

「それかマンボウが私の家に来てくれればいいけど……」

「嫌です~」

「いやいや、行けよ、行ってくれ。そうすればウイン・ウインってやつだ。お兄ちゃんからの最期の頼みだからさ、な? 行け」

「いちゃいちゃしないで!」

「ぬぬ……ぅぅあと少し……ぐぅ……ウイン……ウイン……」

「ウインクは諦めろ! 怖いんだよ!」

「マンボウの意思は尊重したいから強引に連れ帰るなんてことはしたくない……。マンボウを説得、いや誘惑、ぶつぶつ……」

「ぐぬ……うう……あっ! ……う〇ち出ちゃったかもしれないです」

「ああもうマジ、マンボウ……」


 そんなこんなで、うちのワンルームには相変わらずマンボウ4匹がいる。そして毎日のようにマリナという女がマンボウを口説きにくるようになった。

「お兄ちゃん、安心してください。マンボウたちはどこにも行きませんからね。この家で運命の相手と出会ったら、その時にはお別れしなきゃいけませんが、でも子供をつくって、その子供たちが大きくなったらきっとお兄ちゃんのところに帰ってきますからね!」

「恐ろしいことをさらっと言うなよ」

 数年後、大量のマンボウが自宅に押し寄せるところを想像して、僕は頭を抱えた。

 もう一生マンボウから逃れられないのかもしれない。


 <終わり>

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マンボウは恩返しなどしない~僕の部屋に転がり込む魚類 ゴオルド @hasupalen

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