夏休みデビュー☆
洞貝 渉
夏休みデビュー☆
その瞬間。
頭で考えるよりも先に、心が叫んだ。
ミルナ!
ミテハイケナイ!
ハンノウシテハイケナイ!
カカワッテハイケナイ!
隣の席の子が耐えきれず、撃沈した。
両手で顔を覆い、机に突っ伏す。かすかに、その肩が震えている。
教室の中には、ピンと張りつめた冷たい空気が漂っていた。
誰も何も言わない。
全神経を集中して、教室全体がそいつの挙動を一つ残らず警戒する。
「オレは……」
クラス全員の意識を一身に受け、そいつは静かに言葉を紡ぐ。
「オレは全てを思い出してしまった……」
隣の席の子が、小さな声で「ぶふう」と漏らす。
肩の震えがだんだん大きくなっている。
お願いだから本当にやめてほしい。
「オレの前世は異界の勇者……邪悪なる存在を滅した時、その一部を取り込んでしまった……オレは漆黒の異能を持つ異端者になり……」
あちこちから、「ゔっ」やら「ぐふっ」やらの悲鳴が聞こえてくる。
次々に撃沈するクラスメイトと、真顔で話し続けるそいつ。
「しかし、オレは全てを思い出した。オレの異能で出来ること、すべきこと、オレがこの世界に転生してきた意味、全てだ」
そいつは、いわゆる地味メガネ君だった。
教室の端っこでおとなしく本を読んでいるタイプ。
害にも益にもならない、空気的な存在。
それが、夏休みが明けて登校してきたら、すごいことになっていた。
左腕にはぐるぐるに巻かれた黒い包帯。片目を髑髏マークの眼帯で隠し、出ているもう片方の瞳はなぜか金色。髪は白髪と見間違いそうな綺麗な銀色。裾がズタズタになったローブを羽織り、そして……真顔である。
撃沈していないのは、もう私しかいない。
そいつがまともに私を見た。
教室中から小さな悲鳴のような笑いが漏れる中、そいつと見つめ合う私は笑えない。
*
「……という夢を見たんだよね」
夏休みが昨日で終わってしまい、学期初め、登校初日の朝。
私はお母さんが用意してくれた朝ご飯のトーストを齧りながら話す。
「あらあら。素敵な夢ねえ」
「ええー、どこが素敵?」
「お母さんの子どもの時は、そうゆう、なんていうのかしら? 中二病? みたいなの、無かったからねえ」
「いや、私の時も、基本は無いよ? ふつうにただのネタであって、本当にそんな奴、いるわけじゃないから」
プチトマトを口に放り込んで、私は心の中だけで夢の詳細を思い出す。
あの夢の問題は、地味メガネ君が中二病を発症してしまったことじゃない。あえて説明しなかったけれど、あの夢の中で私には見えていた。クラスの中で私にだけは見えてしまっていた。
インターフォンが鳴る。
こんな朝から珍しい。
お母さんがはいはーいと玄関に向かった。ガチャリとドアを開ける音がして、あらあらまあまあとお母さんの華やいだ声。
……なんだろう。虫の知らせとでもいうのだろうか。胸がざわざわして、なんというか、とても嫌な予感がする。
「お友だちが迎えに来てるわよー」
お母さんののんびりとした呼び声。
その瞬間。
頭で考えるよりも先に、心が叫んだ。
ミルナ!
ミテハイケナイ!
ハンノウシテハイケナイ!
カカワッテハイケナイ!
「お母さん、私今日は体調が悪くなる予定だから、学校休むね?」
「あらあら、悪くなる予定だなんて、いつからそんな第六感を身に付けたのかしら? お友だちが待ってるから早くなさいねー」
「嫌だ、無理、休む」
「ずる休みはダメよ。はい、お弁当持ってね」
玄関まで背中を押されてしまった。
嫌々ドアを開けると、そこには……そいつがいた。
禍々しい黒い何かに纏わりつかれた左腕。片目が明らかに真っ黒になっていてまるで空洞のよう。もう片方は仄かに発光する金色の瞳。髪はごっそり色が抜け、銀色で非常に目立っている。
何が嫌かって言えば……これだけ特徴的な外見なのに、それに誰一人反応していないところだ。
「やっぱり、君にだけはわかるみたいだね」
夢の続きのように、そいつは真顔で私を見つめてくる。
「君の助けが必要なんだ」
虫の知らせ。夢。第六感が働いても、何の役にも立たなかった。
私は両手で顔を覆い、空を仰いだ。
夏休みデビュー☆ 洞貝 渉 @horagai
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