新たに六つ目を得る

せてぃ

サムライの帰還

 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。

 人が外界を感知し、認識するために用いているのは、概ねこの五つだと言われている。

 では、この人はいま、いったい何でおれを『見て』いるのか。


「……参りますよ、騎士長」


 遠く、大陸の東の果て、海に浮かぶ島々まで、自身がこの先も戦える手段を探して旅立ち、二年の時を過ごして神聖王国カレリアに戻った騎士長……いや、騎士長、クラウス・タジティは、おれの知らない異国の空気を纏っていた。濃い藍色の民族衣装を纏っていることが原因ではない。人そのものが違って感じた。別人、とまでは言わないが、それに近いものをおれは感じていた。

 おれを神殿騎士団の副団長に任命し、自身は騎士団を離れた騎士長は、豪傑を絵に描いたような気配を纏っていた。高司祭シホ・リリシア様の秘書的な役割を過不足なく担う才知と、騎士団の長である武勇を両立する豪傑。その気配そのままに、騎士長は常に強い存在感を持ち、その存在感が配下のものたちを安心させもした。

 だがいま、お互いこうして訓練用の木剣を手にして向き合った騎士長は、静かだった。元々、騎士長は多弁ではない。言葉の話ではない。静かなのだ。豪傑を絵に描いたような、強い存在感は鳴りを潜めていた。

 波一つ打たない、透き通った湖の水面を思い出した。


「ルディ」


 木剣を構えることもなく、右手に握ってだらりと下げたまま、騎士長はおれの名を呼んだ。『視線』は健常な人間と同じようにおれを『見た』が、その双眸は閉ざされたままだ。


「いま考えている以外の打ち込みにしろ。それは、見える」


 ざわり、と動揺が、この神殿騎士団詰所の中庭にある訓練場全体に、一瞬のうちに広がったのを感じた。おれは視線を外して、周囲の人々の様子を見た。

 騎士長の言葉に、普段ほとんど表情を変えることない現神殿騎士団騎士長カーシャ・オルビスが目を見開いていた。『女クラウス』の異名で知られる女傑だが、心底驚いた様子で腕を組んで立っている。その周囲にいる騎士団の面々も同じだった。唯一、表情を変えることがなかったのは、緩やかに波打つ陽光色の髪を持つ女性で、この二年で美しく成長したその容姿に、如何なる感情も示すことはなかった。


「へっ……わかりましたよ、っと!」


 不意を打った。

 おれは言葉の途中で、手にした木剣を翻し、低い姿勢で騎士長の懐へ飛び込んだ。

 この二年、新しい力を身につけるために、鍛練に打ち込んで来たのは、なにも騎士長だけではないのだ。かくいうおれも、それなりの努力はしたつもりだ。

 鍛練嫌いなおれが基本的な騎士剣術を見直し、その上で新しい力……百魔剣を扱えるようにもなった。

 修行の成果をお見せする、と騎士長に誘われ、その相手役を買って出たおれだったが、騎士長には悪いが、そうそう簡単に負けてやる気はなかった。それに手加減をしようものなら気付く分かる人だ。騎士長のためにも、全力で斬りかかること以外、考えていなかった。

 おれは一息の内に詰めた間合いで、木剣を突き出す。おれが普段使っているのは刺突剣だ。訓練用の木剣は形状が異なるが、最も速い抜き打ちはやはり突きだった。おれは渾身の、最速の一撃を、騎士長の手元、まだ動きもしない、だらりと下げられた右手目掛けて繰り出した。

 その、はずだった。

 次の瞬間、おれの手から木剣が飛んでいた。

 一瞬、何が起こったのかがわからず、そして下から振るわれた、ごく小さな動きの木剣の刃先に斬り上げられたのだ、と理解したときには、その木剣の刃先は、おれの肩に置かれていた。


「心が動きすぎる。ルディ。それも、見える」


 この人はいま、いったい何でおれを『見て』いるのか。

 ある出来事を契機に視力を失った騎士長は、視力に頼らない剣術を求めて旅立ち、そしてそれを身につけて帰ってきた。

 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。

 その内のひとつを欠損し、代わりに新たに六つ目の感覚を得た、とでもいうのだろうか。


「つ、次はぼくと手合わせ、お願いします!」


 神殿騎士団員のイオリア・カロランが歩み出て、おれに代わって騎士長の相手を勤めるが、結果は見えていた。

 クラウス・タジティ。

 いったいこの人は、どんな過酷な二年間を過ごしたのか。


「そこまでにしましょう」


 おれと同じくイオリアも退けられたところで、陽光色の髪の女性が歩み出た。全員がその場で膝を付く。


「おかえりなさい、クラウス」


 そう言った女性は、そこで初めて笑顔を見せた。

 それはもうずっと、我々騎士団の面々には見せてこなかった、彼女本来の笑顔だった。

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新たに六つ目を得る せてぃ @sethy

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