研ぎ澄まされた「第六感」
和辻義一
研ぎ澄まされた「第六感」
僕の「お師匠様」は、全日本ダートトライアル選手権に出場していたドライバーだ。クルマの運転のみならず、釣りのお師匠様でもあり、人生全般のお師匠様でもある。
僕の記憶の中の大半では、お師匠様はいつも缶ビールを手に持っていて、いつも陽気に酔っぱらっていて、一時期酒の飲み過ぎで痛風になり断酒していたような人だったが、かつては「前輪駆動のダートラマシンに乗せたら、おそらく中部で一番速かった(ひょっとしたら、今でもそうかも知れない)人」で、何故か古くて非力で後輪駆動のKP61スターレットで、当時ハイパワー四駆と呼ばれていたインプレッサWRXやランサーエボリューションを相手にオーバーオールウィン(競技参加全クラス内での総合優勝)を飾ったりして、たまに後輩に頼まれて地区戦に出れば、しれっとごく当たり前のように表彰台のど真ん中で立っているような人だ。
そんなお師匠様が昔、これまたしれっとたまたま参加したダートトライアルの地区戦で、ぶっちぎりのタイムを叩き出しておきながら、パドックに戻ってくるなり僕にこう言った。
「いやー○○君(僕の本名)、全然あかんかったわ」
――いや、全く意味が分からない。ぶっちぎりのタイムでクラス優勝を果たしておきながら、一体何がダメだったというのか。
「目ぇと小手先だけで走ってしもてたわ。現役の頃に比べたら、もう全然遅い」
「目」というのは、もちろん視覚の話だ。クルマを運転するうえで、目が見えていないことにはどうしようもない。そして「小手先」というのは、おそらくハンドルとシフトノブの操作、そしてたぶんアクセルやブレーキなどの操作のことも含めているのだろう。五感の中で言えば、触覚に当たるのだろうか。
その二つの要素だけでも十二分の速さを見せつけているというのに、このうえ一体何があれば、更に速く走れるというのか。僕のその問いに、お師匠様はこう答えた。
「うーん、何て言えばええんやろなぁ……五感とは全く違う、別の感覚みたいなもんなんやけれどもなぁ」
きっと今風の言葉で言えば「ゾーンに入る」というのが一番近いと思うのだが、お師匠様は「別の感覚」と言い切った。となれば、これは「第六感」と言っても差支えがないのではなかろうか。
お師匠様の言葉を聞いて僕なりに思うのは、その正体は「極限まで集中力を高めた結果に見えてくる、五感のその先の領域」なのかも知れない。
お師匠様曰く「現役時代には集中力を養うために、真っ暗闇の海で延べ竿の糸の先にエサのついた釣り針だけをつけて、いわゆるミャク釣りをしていた」などと言っていたが、電気ウキもなければおもりすらもなく、ただ糸と釣り針とエサだけを使って、延べ竿を握った掌からの感触のみを頼りに暗闇の中で魚を釣るというのは、実はかなりの高難度だ。
自分がモータースポーツのドライバーとして現役だった頃(二十年ほど前)でも、そんな突飛な練習方法はしたこともなかったが、第六感と呼べるような感覚は、それぐらいのレベルの練習の中から身につくものなのかも知れない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ちなみにもう一つ、今度は全日本ジムカーナ選手権の常連(だった)ドライバーさんのお話。
僕がまだ現役のスラローマーだった頃、某タイヤメーカー主催のジムカーナ練習会に参加した際に「講師にチャレンジ」という企画があった。
これは、練習会当日の講師役である全日本選手権参戦ドライバーを相手に、挑戦者(練習会の参加者)のマイカーを使って同一コースでタイムアタック勝負をするというもので、当時でも結構好評な企画だったように思う。
で、たまたま抽選で僕も講師の一人への挑戦権を得たので、自分がタイムアタックをする時には一人の状態で、講師がタイムアタックをする時には助手席に乗せてもらった状態で、この企画に挑んだ。
当時僕が使用していたマイカー(といっても、実はカミさんのクルマだったが)は、吸排気系もエンジンもドノーマルの、二人乗りの軽スポーツカーで、正直なところ助手席に同乗者がいるかどうかで、実質二秒近くのハンディキャップがあった――と思っている。当時の僕の肌感覚での話だが。
そんな状況の中、僕は講師の助手席に乗せてもらい、講師のタイムアタックをすぐ真横で見せてもらうことになったのだが――。
「あっかーんっ、負けてしもたーっ!」
コースの最終コーナーを曲がった直後、ゴールラインまでまだ20メートル近くを残している状況下で、ハンドルを握っていた講師が突然大声で叫んだ。
いくら約二秒のタイムハンディキャップを貰っているとはいえ、同じ条件(挑戦者は単独乗車、講師は挑戦者を助手席に同乗させる)で走った他の挑戦者数名の人達を相手に、約一秒前後の差をつけて勝ち続けていた講師だ。
それにまだタイムアタックは終わっておらず、結果も全然分からない。一体何がどうしたというのか、正直なところ僕は非常に驚いた。
だが、本当に驚いたのは、ゴールラインを通過してクルマを下りた後でのことだった。
――結果発表。0.002秒差で、僕の勝ち。
自分が講師に勝てたことにも驚いたが、何よりも一番驚いたのは、ゴールライン約20メートル手前の段階で、光電管を切りラップタイムが確定するよりも前に、千分の二秒の差をきっちり把握していた講師の感覚についてだった。
ここで言う感覚とは「体内時計」とでも言うべき時間の感覚だったが、これもある意味、五感とは全く異なる「第六感」と呼んでしまっても良いのではないかと、今になってみればしみじみ思う。
というわけで、結論。参加カテゴリーは違っても、全日本選手権に参戦するようなレベルのドライバーは、多かれ少なかれ「第六感」のようなものを持っている。以上。
研ぎ澄まされた「第六感」 和辻義一 @super_zero
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