第51話 トウキヨ踊猫

 地下トウキヨを覆っていた暗鬱な雲間から、暖かな光が差し込む。


 雪解けの兆しだ。


 逆さま列車が雪で運行を見合わせている最中もスーニャンは健気に飛び続けていた。ひたむきに挑戦を続ける姿が、親衛隊ばかりでなく、地下トウキヨに住まう同胞たちの心を打った。


「スーニャン、頑張れ!」

「あとちょっと!」


 日に日に応援の声が高まるが、アナベルの手を離れた砂の龍と空の道が大喧嘩しており、たびたび巨大な砂嵐がスーニャン駅を襲った。せっかく雪が溶けかけているというのに、今度は砂嵐のせいで逆さま列車は運行を見合わせている。


 当初、応援の声は「スーニャンのためなら巻き添えを食っても平気だ」と豪語する熱狂的な命知らずのみにとどまっていたが、砂嵐の危険から身を守ってくれるという触れ込みの砂色の傘が配られると、スーニャン駅の周囲は砂傘を持った応援者で溢れ返った。


 応援者たちは思い思いの場所に陣取り、妖力がこもった砂色の傘をくるくる回して、スーニャンの飛空に声援を送った。運営さんであるポポロが駅のプラットホームから眺めると、踊る砂色の傘の群れはスーニャンの故郷である砂漠のように見えた。


 いったい誰のアイディアか分からないが、ポポロの胸がぐっと熱くなった。


「粋な演出だな。だれが考えたんだろう」


 スーニャンが飛び立つ駅が〈現在〉で、スーニャンが目指す駅が〈未来〉、となれば砂色の傘の群れが象徴する砂漠は〈過去〉に違いない。


 あとはスーニャンが空飛び猫駅に手が届きさえすればいい。


 しかし、その一歩が遠い。果てしなく遠い。


 たった数センチの距離であるはずなのに、スーニャンは見えない壁に押し返されるように失速し、ほんのわずかに届かない。


「ああ、惜しい……」


「空飛び猫駅の前に〈透明な障壁バリア〉でもあるのか」


 スーニャンが地べたに這いつくばるたび、失望の声が広がった。まともに妖術の使えない人外にも、空飛び猫駅の手前に〈透明な障壁〉があることが知れ渡った。


「おいおい、結局最後は妖術頼みかよ」


 強力な妖術を使える人外は富み、そうでない人外はどんなに努力しても報われない。


 これはまさしく、地下トウキヨの縮図であった。


 妖術を使えない人外にとって、スーニャンは希望の星だった。


 空を飛べない猫だって、ひたむきに努力を重ねればいつしか空を飛べるようになるのだから、どんなに人生が上向かなくたって腐らずに生きて行こう。


 スーニャンの飛空挑戦を見ると、そんな風に励まされた気分になる。


 なのに、結局最後は妖術がすべてなのかよ。


 身も蓋もない現実を前にして、スーニャンと己を重ねていた応援者たちは失望の色を隠せなかった。砂色の傘は踊るのを止め、トウキヨ砂漠に白けた空気が横溢した。


「あーあ、夢も希望もない。現実はクソゲーだな」


「頼む。〈透明な障壁〉をぶち破ってくれよ、スーニャン」


 諦め混じりの声を背に受けて、スーニャンは空を飛んだ。しかし何度やっても結果は同じ。透明な障壁に跳ね返され、スーニャンが地に堕ちる。


「うーーー、なんで?」


 諦めの悪いスーニャンも失望の声を耳にするうち、足取りが重くなっていった。


 よろよろと立ち上がり、とぼとぼ駅へ戻ろうとする背中に哀愁が漂う。


 にわかに天の様子が変わった。もくもくと黒い雲が地下トウキヨの空を闇に染め、ゴロゴロと雷鳴が轟いた。ピカッ、と地に向かって稲光が走る。刹那、透明な障壁が金色のヴェールをまとい、軋んだ音とともに重厚な扉が開かれた。


「手紙を読んだぞ、スーニャン」


 バネ足の青年の腕に抱かれた高貴な猫が厳かな調子で言った。


 背中に立派な羽根のある猫は、紛れもなく空飛び猫のモシュ王だろう。光の加減によって体毛の色合いが移ろいだ。雪のように白くもあり、灰色にくすんで見えもした。


 その瞳の色は、青いのか、灰色なのか、緑なのか、それともまたは黄金色なのか、くるくると色彩を変えた。優しくも、夢見がちにも、また意地悪いようにも見えて、砂にまみれた空の気怠さと、降り積もる雪の青白さを交互に映し出した。


 神秘的な瞳に魅入られ、ポポロはしばらく声も出せなかった。


 憧れの空飛び猫を前にして、スーニャンは驚きのあまり口をぱくぱくさせた。


「どうした、声も出ぬか?」


 空飛び猫は音もなく忍び寄ると、そっとスーニャンの羽根に手を添えた。


「どうすれば空飛び猫になれるか。その質問に答えるのはむずかしい。モシュは生まれついての空飛び猫であったからな。だが、ともに空を飛ぶことならたやすい」


 空飛び猫は従者のバネ足の青年を地上に残し、ふわりと空に浮かび上がった。


「ついてまいれ、スーニャン」

「はい、先生ィ!」


 スーニャンが緊張しいしい言った。


 憧れの存在を前にして舞い上がっているのか、すっかり声が裏返っている。


「ふん。モシュは先生などではないぞ。モシュのことは尊敬と敬愛の念を込めて、モシュ王と呼ぶがいい」


「はい、先生ィ!」


「聞いておるのか? モシュのことはモシュ王と呼べと……」


「はい、もしゅおう先生ィ!」


「おぬし、言葉がちょっとアレなのか。ならばしかたない。モシュのことはモシュと呼ぶがいい」


「はい、もしゅのことはもしゅ!」


「だから、モシュと呼べと言うておるだろう」


「はい、もしゅとよべ!」


 スーニャンは喜色満面で、うんざり顔のモシュとは好対照だった。


 精悍な顔立ちのバネ足の青年が、くくっ、と含み笑いをした。


「……なにを笑っておる、ミリク」


「モシュが手玉に取られてる」


「ふん。お望みとあらば、いつでも論破してやる」


「はいはい。いちいち張り合わなくていいから」


 従者のミリクはシッシと追い払う仕草をした。


「勿体ぶってないで、さっさと空の飛び方を教えてあげなよ」


「ふん。踊りが足りないではないか。気が乗らんな」


「ご心配なく。シト・トウキヨの皆で踊れる音楽を用意したから」


 アナウサギの獣人アナベルが脱兎のごとく走ってきて、ミリクに砂傘を手渡した。


「ミミリクちゃん、言われたとおりに用意したわよ。でも傘なんて、なにに使うの?」


「ありがとうございます、アナベルさん」


 砂傘を手にしたミリクはくるくると回転させた。


「さあ、モシュ出番だよ。よっ、猫の王キング・オブ・キャット


 ミリクが囃し立てると、モシュはうざったそうに溜息をついた。


「ふん。あまり調子に乗るなよ、ミリク」


「いいからさっさと行きなって。地上こっち地上こっちでやるから」


「ふん。ゆくぞ。ついてまいれ、スーニャン」


「はい、もしゅ!」


「よろしくないが、よろしい」


 モシュはスーニャンを引き連れて、空高くに舞い上がった。


 砂色の〈過去〉を離れ、〈現在〉と〈未来〉が連れ立って上昇していく。


 従者のミリクがポポロに歌詞カードを寄越した。


「モシュとスーニャンが空を舞っている間中、この歌を皆で歌ってもらえますか」


 曲のタイトルは〈トウキヨ踊猫オンド〉と題されていた。



 吐波はあー 

 踊離オドり 踊流オドる 猫等ニャーラ


 頂至登チョイト 

 トウキヨ音踊オンド 

 ヨイ ヨイ 


 死んだ都の 

 死んだ都の地下底で

 参天サテ


 矢兎鳴ヤートナ 装霊ソレ 

 ヨイ ヨイ 与位ヨイ 


 矢兎鳴ヤートナ 装霊ソレ 

 ヨイ ヨイ 与位ヨイ



「きゃっ、ミミリクちゃんが作ったの? すごい、すごい!」


 アナベルが手放しで褒めたたえた。


「マヌの口を通じて、モシュが言っていたじゃないですか。いつか空の飛び方を知りたいと思っている者はまず立ち上がり、歩き、走り、登り、踊ることを学ばなければならないって。モシュは踊りが足らんぞ、踊りが、と言うに決まってます。だったらトウキヨ中が踊ればいい。それなら文句はないでしょう」


 無数の砂傘の揺れる地下トウキヨはお祭り騒ぎ。


 軽快な〈トウキヨ踊猫オンド〉の歌い声に乗って、スーニャンとモシュ、二匹の空飛び猫は息ぴったりに空を舞った。


 トウキヨ砂漠さながらの〈過去〉から飛び立ち、飛空挑戦に明け暮れた〈現在〉を飛び越えて、地下トウキヨの空を我が物顔で占拠する砂の龍、空の道を正面から相手取り、スーニャンとモシュは体当たりをぶちかました。地下トウキヨを悩ませていた砂嵐が消え、空の道はスナネコ専用滑走路の先にある安全ネットに成り下がった。


 信じがたいことに、砂嵐が消えると雪も解けていた。


 やんやの大喝采のなか、スーニャンとモシュは折り重なるようにして空飛び猫駅に降り立った。


「よかった! よかったよぉ、スーニャンちゃあん!」


 アナベルが号泣している。ポポロの差し出した安物のハンカチで鼻をかんでいるが、顔中涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。


 生まれつきの空飛び猫ではないスーニャンの羽根は、砂を核にした偽物だ。


 それが空飛び猫の師であるモシュの本物の羽根と二重写しとなった。


 スーニャンはついに本物の羽根を継承したのだ。


 そう思うと、必死に涙をこらえていたポポロの涙腺も決壊した。


「おめでとう、スーニャン。よかった。ほんとうによかった」


 空飛び猫に憧れたスナネコのスーニャンは、名実ともに空飛び猫となった。


 背中の羽根は、誰がなんと言おうと正真正銘の本物だ。


 砂傘をくるくる回し、陽気に踊ったすべての人外が生き証人だ。


「さて……」


 教え子であるスーニャンの夢は叶った。


 だが、まだ叶えられていない夢も多い。


 教え子ではないが、キリンの獣人キリリグの逆さま列車に乗りたい、という夢は、まだ実現していない。


 教師として、運営さんとして、まだまだやるべきことはたくさんある。


 いつか空の飛び方を知りたいと思えば、まず立ち上がり、歩き、走り、登り、踊ることを学ばなければならない。


 スーニャンの生き様を身近で見るうち、ポポロの夢の形が少し変わった。


 教え子に限らず、地下トウキヨに住まうすべての人外の夢を叶える瞬間に立ち会うこと。それがポポロのささやかな夢だ。


「ヤートナ ソレ ヨイ ヨイ ヨイ」


 ポポロは祭りの喧騒を離れ、〈トウキヨ踊猫〉の一節を口ずさみながら歩き出した。


 教え子には教えられてばかりだ。


 教わってばかりのポポロは実は弟子で、スーニャンは師であった。


 いつまでもただの弟子でいるのは、師に報いる道ではない。


 ようやく自らの足で立ち上がり、のそのそ歩くしかできないが、いずれポポロも空を飛ぶ日が来るやも知れない。

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シン・オジュマ 神原月人 @k_tsukihito

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