第46話 超常現象

 ポポロは膝の上で丸まって眠るスーニャンを愛おしげに眺めた。


 歴代の教え子のなかでも群を抜いて可愛らしいが、別れの日は刻々と迫っている。筆記試験で落第を重ねない限り、スーニャンもいずれ妖術師訓練校を卒業し、ポポロのもとから巣立っていく。


 スーニャンとの時間はもうすぐ終わってしまう。見るもの聞くものすべてに新鮮な反応を示すスーニャンとともに過ごすと、何気ない日常が特別な色彩を帯びる。豊かでかけがえのない時間を過ごせているからこそ、一抹の寂しさが込み上げてくる。


「ポポ先生ぃ」

「どうしたの、スーニャン」


 スーニャンはもぞもぞと背中の羽根を震わせた。前足ほどの大きさの羽根がふわりと広がり、砂粒がパラパラとこぼれ落ちた。


「スーの羽根、ちゃんとある?」

「あるよ。ちゃんとある」

「そ、よかった」


 スーニャンは安心しきった表情を浮かべ、無防備に仰向けになって眠った。


 空飛び猫の象徴である黄金色の羽根はぱたりと収まり、砂色の体毛と完全に同化し、皮膚と羽根はすっかり見分けがつかなくなった。今ではスーニャンは自分の意思で、羽根を出したり、引っ込めたりすることができるようになっている。


 羽根の出し入れこそ不自由はないが、肝心の羽根の形状が不安定だった。


 羽根の大きさはスーニャンの気分と連動しており、気まぐれな天気のようにコロコロと大きさが変わった。スーニャンの目玉ほどにちっぽけな日もあれば、モクモクと発達した入道雲のように大きくなる日もある。形状がまちまちなので、スーニャンは羽根を上手に操れず、むしろ羽根に遊ばれているかのようだった。


 雪が降りしきる以前、颯爽と〈スナネコ飛空挑戦〉の場に現れたスーニャンの背中に立派な背中があった。ついにスーニャンが覚醒したと親衛隊は狂喜し、スーニャンも得意げに羽根を見せびらかした。公衆の面前でお披露目されたスーニャンの羽根は、ポポロが知る限り最大級に膨れ上がっていた。


「スーニャン! スーニャン! スーニャン!」


 やんやのスーニャンコールが巻き起こり、親衛隊たちは手拍子を送り、揃って足踏みしたため、プラットホームが揺れた。お隣の空飛び猫駅など楽勝で到達できるぞ、といった高揚感が支配する空気のなかで、スーニャンは自信満々に空を舞った。


 期待を一身に背負ったスーニャンの飛空は惨憺たるものだった。


 膨れ上がった羽根はただでさえバランスが悪く、左右の羽根が互いの大きさを競うように喧嘩したものだから、スーニャンは錐揉み回転して急落下した。なんとか羽根を制御しようとスーニャンがじたばたするのをポポロはとても見ていられなかった。


 砂に描いた絵が波に溶けてしまうように、羽根がパッと消滅した。


「にゃぁあぁあああああぁあああああ!」


 いかな怖いもの知らずのスーニャンでも、いきなり羽根が消滅してしまったことには驚きの声をあげた。空の道がスーニャンを優しく包み込んでくれたため、大事には至らなかったが、しばらくスーニャンはしょんぼりしていた。


 しょんぼりしたスーニャンの羽根もまたしょんぼりしており、とても空を飛べるほどの力感はなかった。そのうち、羽根を出したり引っ込めたりできるようになったけれど、空飛び猫駅に到達しそうになると羽根がパッと消滅してしまうのだった。


 念願の羽根が生えた今、空飛び猫駅に到達することはスーニャンが妖術師訓練校を卒業するひとつの区切りだ。しかし、空飛び猫駅にほとんど手が届きそうになると、決まって墜落してしまう。


「もうひと踏ん張りだよ、スーニャン」


 ポポロが励ましても、スーニャンは奮い立たなかった。不思議そうに空飛び猫駅のプラットホームを見つめた。


「ポポ先生、あそこヘンなの」

「どう変なの?」

「はねがきえちゃって、すすめなくなるの」


 空飛び猫駅は聖域で、なにか見えない力が働いており、偽物の羽根では届かせてやらん、という神の見えざる手でも在るのだろうか。


 いつでも全力のスーニャンがまさか手を抜いている、ということは考えにくい。


 しかし、空飛び猫駅に届こうとするたびに判で押したように墜落するものだから、陰で悪評が立った。「八百長だ」「運営さんの台本通り」「スーニャンは演技している」などと陰口を叩かれ、さすがにポポロも平静ではいられなかった。


 空を飛びたがるスーニャンは不満だろうが、雪による中断は幸いだった。


「どうして空飛び猫駅に届かないんだろうね、スーニャン」


 気持ちよさそうに眠っているスーニャンの返事はない。


 ひょっとして、スーニャンと離れがたいと思うポポロの感傷が見えない壁となって、空飛び猫駅の前に立ち塞がっているのだろうか。名状しがたい切なさがスーニャンに伝染し、そのせいで羽根が消失してしまうのか。


「そんなわけないか……」


 スーニャンの夢を応援することが教師であるポポロの役目である。


 どうしても空飛び猫駅に到達できない超常現象の謎を解明し、スーニャンが目標に手が届くようにする。


 そのためにやるべきことをやろう、とポポロは思った。

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