スナネコ・キングダム
第45話 雪の研究
しんしんと、死都トウキヨに雪が降る。
寒々とした冷気が地下トウキヨに流れ込み、町はすっかり冬の装いだ。
地下街は半球状の「空」に覆われているせいで、冷気の逃げ場がない。分厚い雲が垂れこめて、篠突く雨がいつしか雪に変わった。
雪は三十三夜と降り続け、溝色の池は凍りつき、紫色の甍は白銀に埋もれた。
砂漠に生まれたスナネコの獣人スーニャンは雪を見るのが初めてだった。
「ゆ、きっ!」
妖術師訓練校の教師であるタヌキの獣人ポポロが「あの白い粉は雪というのだよ」と教えて以来、空から舞い落ちる雪を飽くこと眺め、きゃっきゃと喜んでいる。
空から降る雪は砂のようなのに、踏み固められた雪は
雪を削って、しゃりしゃりさせて、シロップをかければかき氷。
丸く捏ねて重ねれば雪だるま。
丸いドームにして穴蔵にしたものはかまくら。
雪を投げてぶつけあうのは雪合戦。
食べ物にもなるし、芸術にもなるし、住処にもなるし、遊び道具にもなる。
雪とはなんと不思議なのだろう、とスーニャンは目を輝かせた。
「ふしぎ、ふしぎ」
すっかり雪に夢中のスーニャンは、このところ飛行訓練はお休みだ。
しかし、飛行訓練を休まざるを得ない最大の理由は、アナウサギの獣人アナベルが怒り狂っているからに他ならない。
新進気鋭の〈
雪の降らない日は、アナベルの空の道は完璧に機能した。
しかし、三十三夜も降り続くような雪はアナベルにも計算外だったらしい。
本来はスーニャンを包み込んでくれるはずが、雪の塊をスーニャンと勘違いして、安全ネットがくるん、くるん、と巻かれてしまう。スーニャンが飛んでもいないのに包摂されてしまい、使い物にならない。
スーニャンが飛ぶときに空の道はなく、地面には石礫のように硬い雪があった。
空の道なんかなくてもスーニャンは飛びたそうにしていたが、安全面を考慮すると、おいそれとは「飛んでもいいよ」と許可を出せない。
だが、ポポロが飛行の中止を言い出すまでもなかった。
「はああぁあ? ふざけんじゃないわよ。雪なんか受け止めなくていいのよ。スーちゃんだけ受け止めなさいよ! ちゃんとしなさいよ、バカ!」
雪ばかりを包み込む空の道に苛立ち、アナベルがこっぴどく叱りつけていた。
しかし、アナベルが激怒すれば激怒するほど、空の道はへそを曲げ、雪ばかりを包み込んだ。
意地と意地の張り合いは苛烈さを増し、一向に収束しそうな気配がない。
アナベルはナアゴヤ・ダギヤア在住のはずだが、このところずっと空の道と格闘している。それは比喩ではなく、まさしく「格闘」だった。
「なに、反抗してんのよ。あたしの言うことを聞きなさい!」
アナベルは地元の砂を大量に持ち込んでいた。どうにも反抗的な空の道を飼い馴らさんと、アナベルの怒号は凄まじかった。砂が凶暴な龍と化し、意思を持ったように大暴れした。砂の龍が空の道に絡み付き、ギシギシと締め上げる。
空の道もやられっぱなしではおらず、雑巾のように己を絞り、するりと抜け出した。棍棒のような太さを備え、砂の龍の脳天に痛烈な一撃をくれた。砂の龍は地面に叩きつけられ、しばらく動けずにいた。
それでも、
砂の龍、空の道、形は違えど、どちらもアナベルの操る「砂」である。
互いに本気で戦い合えば、いつまでも決着が付かないのは道理であった。
「スーニャン、危ないから近付いちゃ駄目だよ」
ポポロはスーニャンを格闘現場から引き離した。しょせんは砂同士の抗争であるとはいえ、暴力は暴力だ。力に飽かせて相手を支配するやり口はおよそ教育的ではない。
「雪について研究しようか、スーニャン」
「ゆ、きっ!」
ポポロはスーニャンと雪合戦をし、雪だるまを作り、かまくらのなかで温まって、かき氷を食べた。苺シロップをたっぷりかけたかき氷をひと口頬張ったスーニャンは、ひゃっ、と悲鳴をあげ、目を白黒させた。
「ちべたいっ!」
人生ではじめてかき氷を口にしたスーニャンは、うー、と唸り、さぞ恨めしそうにポポロを睨んだ。脳天を突く冷たさは雷に打たれたような衝撃だったのかもしれない。
「キーンとしたかい、スーニャン」
「……きーん?」
かき氷やアイスクリームを食べると、なぜだか「キーン」と感じる。
人間はこの現象を〈アイスクリーム頭痛〉と呼ぶそうで、医学的な正式名称であるらしい。まったくそのまんまの名称であるが、かき氷を食べてキーンとなるのは人間だけでなく、タヌキの獣人もスナネコの獣人も同じであった。
「ゆっくり時間をかけて食べてごらん。キーンとしないから」
「……うー」
スーニャンはポポロに教えられた通り、ゆっくり、ゆっくり、かき氷を口にした。
冷たいものを一気に食べると、急に喉や口の中が冷えてしまう。
冷えを解消しようとして、身体は一時的に血流量を増やし、温めようとする。
そのとき頭につながる血管が膨張するため、頭痛が起こる。
それが〈アイスクリーム頭痛〉の仕組みであるが、まさか
冷たいものを食べると、頭がキーンとする。
それだけ分かっていればいい。
「美味しいかい、スーニャン」
「あまっ!」
ゆっくり、ゆっくり味わったおかげで、苺シロップの絶妙な甘さが口中に広がったのだろう。スーニャンは尻尾をぴこぴこ揺らして喜んでいる。
「おいしい! おいしい!」
ゆっくり食べなさいと教えたばかりなのに、スーニャンはがつがつと早食いした。
またもや脳天を突く冷たさが襲ってきたのか、スーニャンが涙目になった。
「……うー、きーんとした」
スーニャンの尻尾がしょんぼりとうなだれた。かき氷を半分ほどお残ししてポポロの膝に乗っかってきた。もぞもぞと丸まって、すっかりお昼寝の体勢だ。
「眠っていいよ、スーニャン」
「ポポ先生ぃ」
目をとろんとさせたスーニャンがあくびをする。
「雪もいいけど、スーはやっぱり空が飛びたいな」
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