第47話 食い逃げ殿堂入り
寝ぼけまなこのスーニャンを抱きかかえての道すがら、おでん屋〈
「おう、ポポロの旦那。スナ坊もご一緒ですかい。ちょっと寄ってきなよ」
食い逃げ歓迎を謳うニュウドウは、食い逃げ犯をタコ殴りにして叩きのめすことに快感を覚える武闘派である。客あしらいしながらもシャドーボクシングに余念がなく、いつでも食い逃げしてみやがれ、とばかりに臨戦態勢だ。
「ニュウドウさん、せっかくですがスーニャンが寝ちゃってて」
「おう、いいから、いいから」
屋台のカウンターにはスーニャンの特等席が用意されていた。凛々しく空を舞う姿が活写された写真が立て掛けられ、「無敗の
おでん屋をはじめて体験したスーニャンは、ぐつぐつ煮えたはんぺんに舌をつけるなり火傷した。スーニャンは弾かれたように飛び上がり、光のような速さで逃走した。
ニュウドウが取り押さえる間もない逃走劇で、あれが唯一ニュウドウが喫した敗北であった。地下トウキヨでも屈指の人気を誇るスーニャンにあやかろうというよりも、次こそは負けんぞ、という
「スナ坊はうちの食い逃げ殿堂入りですからね。特別にサービスいたしますぜ」
「はあ、それはどうも」
断ったらタコ殴りにされそうな予感がして、ポポロはカウンター席に腰掛けた。
特別にあつらえられた極小スペースのスナネコ席にスーニャンを座らせてみると、やけに収まりがいい。スーニャンはこっくり、こっくり舟を漕いでおり、酔い潰れて寝落ちしてしまった常連客のようにも見える。
「よく似合ってるな。いい呑兵衛になりそうだ」
「スーニャンにお酒はまだ早いですよ」
「冗談ですぜ、旦那。いつものでいいですか」
「はい、いつもので」
八本の足を忙しなく動かし、ニュウドウは単体でおでん屋を切り盛りしている。
ポポロなんぞは常連客とも言えない、ただの顔馴染みである。いつもので、の一言で供されるおでんは一定ではなく、けっこうに流動的だ。食べたいものを頼むのではなく、ニュウドウが見繕ったものを食べる。それが〈八足〉の不文律だ。
スーニャンは大きく伸びをすると、両前足で目元をごしごしと擦った。
「起きたかい、スーニャン。おでん食べる?」
かき氷を食べて眠くなり、起きたらおでん屋に
あふっ、と生あくびを噛み殺したあと、猫舌を火傷させた天敵たるはんぺんが視野に入るや、スーニャンは全身の毛を逆立てて、「ふうぅううぅうーーー」と唸った。
ふわふわで、むっちりとした白いはんぺんにそこまで敵意を剥き出しにしなくても、とポポロは苦笑いした。とかくスーニャンには苦い記憶として刻まれているらしい。
「この前は熱かったね、スーニャン。でも、ふうふうして食べると、そんなに熱くないよ」
「ふうふう?」
スーニャンがきょとんと目を丸くしている。がっついて早食いし、丸飲みする猫の本能に由来する食べ方のスーニャンには、熱いおでんをふうふう冷ましながら食べる、ということが理解できないらしい。
「
ニュウドウはスーニャンの目の前に、はんぺんの盛られた皿を置いた。
ふわりと湯気が立ち、出汁のいい匂いがポポロの鼻孔をくすぐるが、スーニャンは嫌がらせだと思ったのか、ニュウドウとはんぺんを交互に見比べ、不満そうに、うー、と唸っている。
いざ食べてみれば絶品の味わいだが、ここまで警戒心を露わにされると、さしものニュウドウでもお手上げだった。
「いつもスナ坊はなにを食べるんでえ」
「さそり。へび」
「お、おう。けっこうワイルドなもん、食ってるな」
可愛らしい外見とは裏腹にスーニャンは筋金入りの肉食である。ポポロがあれこれ食べさせてみて、かき氷すらも口にするようになったが、
「こうするんだよ、スーニャン。ふう、ふう」
ポポロは器用に箸を操り、はんぺんを細切れにした。欠片をつまみ、ふうふうと息を吹きかける。まずはやって見せる。そうすれば、スーニャンは真似をする。
スーニャンもポポロの見よう見まねで、ふうふうしながらはんぺんをおそるおそる口に運んだ。
「ふう、ふう。ふう、ふう。ふう、ふう」
必要以上にふうふうする姿があまりにも愛らしく、箸使いも拙いところがまた可愛らしかった。カウンターの酔客たちはポポロ同様、でれっと目を細めている。
「美味しいかい、スーニャン」
「う、まっ!」
スーニャンは尻尾をぴこぴこ揺らして喜んでいる。
「おいしい! おいしい!」
ふうふうしながら食べなさいと教えたばかりなのに、スーニャンはがつがつと早食いした。スーニャンが舌をべっ、と出して涙目になった。
「……うー、あっちぃ」
「ははは。美味しかったか、スナ坊。そりゃあよかった」
自慢の一品を堪能させたニュウドウは満足そうだ。
「さすがにサソリやヘビはねえけどよ、次はこれを食ってみな」
「なあに、これ?」
「牛スジだ。ま、ともかく食ってみろ」
ぷるぷるとした牛スジから、じわっと肉汁が染み出ている。スーニャンはそのままかぶりつこうとしたが、ポポロがやんわりと言った。
「ふうふうしながら食べなさい、スーニャン」
「ふう、ふう。ふう、ふう。ふう、ふう」
猫舌でも食べられるぐらいになるまで、スーニャンは何度も何度もふうふうした。ぱくん、と口に放り込むや、スーニャンの尻尾が喜びに踊った。
「美味しいかい、スーニャン」
「う、まっ!」
もっともっと、とせがむや、ニュウドウが牛スジのお代わりを供した。先ほどはんぺんで火傷したことをすっかり忘れて、スーニャンは牛スジに齧りつこうとした。
「ふうふうしながら食べるんだよ、スーニャン」
「ふう、ふう。ふう、ふう。ふう、ふう」
冷めるのさえ待てない、といった勢いで、スーニャンは牛スジをお代わりした。
熱々のはんぺんに口をつけるなり逃走した食い逃げ犯とは別人のような食べっぷりに、店主のニュウドウは満足そうだった。
「リベンジマッチはニュウドウさんのノックアウト勝ちですね」
「おう。おととい来やがれ」
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