第42話 カンキンシタイ

 わだかまりの解けたポポロの鼻先に、おでんの匂いが漂ってきた。


 出汁の匂いに誘われ、思わずポポロの腹がぐうっと鳴った。


 タコの海人うみんちゅニュウドウが切り盛りする屋台のおでん屋〈八足やつあし〉で、大根、ちくわ、がんもどき、卵などが美味しそうに煮えている。


 カウンター席にずらりと酔客が並んでいるが、「食い逃げ歓迎」と記された立て看板が穏当ではない。食い逃げ犯をタコ殴りにして叩きのめすことに快感を覚える武闘派のニュウドウはシャドーボクシングに余念がなかった。


 ニュウドウの作るおでんの味には定評があるが、気に入らない客に手を上げることでも有名だった。タコを魚人扱いすると烈火のごとく怒り出し、「魚にゃ背骨がある。タコにゃ背骨がねえ。おでん同様、ぐにゃぐにゃの軟体だが、誇りプライドは捨てちゃいねえ。魚人なんかといっしょにするんじゃねえ」と啖呵を切ったのは、地下トウキヨでも語り草になっている。


 何事も経験であるからと、猫舌のスーニャンをいちど連れて行ったこともあるが、ぐつぐつと煮えたはんぺんにおっかなびっくり舌をつけるなり火傷した。スーニャンは弾かれたように飛び上がって、光のような速さで逃げていった。


「おお、速え、速え。食い逃げを取り逃がしたのは初めてだぜ。ありゃあ将来、大物になるな」


 食い逃げ歓迎を謳うニュウドウも舌を巻くほどの驚愕の逃げ足だった。


 あれっきりスーニャンはおでん屋を訪れていないが、ニュウドウにはばっちり顔を覚えられた。ポポロがおでん屋に顔を出すたび、「ポポロの旦那、スナネコの坊やは来ないのかい?」と親しげに話しかけてくる。スーニャンを見かけなかったかを訊ねるにはうってつけの人外だろう。


 本日もおでん屋〈八足〉は盛況で、カウンターは満席である。酒をしこたま飲んだのか、テーブルに突っ伏して眠っている客がいた。


「シュッ、シュッ! シュシュッ!」


 ニュウドウは迷惑な客への威嚇のつもりか、鋭く息を吐き、風を切るパンチを繰り出している。そろそろ起きなけりゃ、次は顔面にお見舞いするぞ、という警告だ。


 殴られるのは勘弁とばかりに、むくりと起き上がったのはキタキツネの獣人コンタだった。顔は真っ赤で、足下には空の一升瓶が転がっている。


「オヤジぃ、ツケで」


 コンタはへべれけに酔っぱらっており、呂律は怪しい。


「うちはツケはお断りだよ」


「……ぬあんだと?」


「お客さん、拘置所帰りなんだろ。手持ちはあるのかい?」


「カネならたっぷりある。クソタヌキに邪魔されなきゃな」


「おいおい、お客さん。するてえと無一文てことか」


「ざけんな! カネならあるって言ってんだろう。偽札でいいか。目の前で偽造してやっからよ。さっさとクソタヌキを呼びやがれ」


 悪酔いしたコンタはおでん屋の店主を小馬鹿にしている。


「いい加減にしなよ、コンタ。ニュウドウさん、すみません」


 ポポロがへいこら謝ると、コンタは両手を叩いて大笑いした。


「お、俺のおサイフ登場。さあ、偽造ショーを見せてくれよ」


 ニュウドウは風船のようにブクブクと膨れ上がり、青白かった身体が怒りで真っ赤に染まっている。今にも殴らんばかりだが、辛うじて踏みとどまっている。


「ポポロの旦那、いいところに来なすった。しちまっていいですかい?」


「おう、やれるもんならやってみやがれ!」


 売られた喧嘩は買ってやるとばかりに、コンタは応戦の構えだ。


 酒に酔って怖いもの知らずとはいえ、怒りに火を注ぐような態度はいただけない。ニュウドウに本気でタコ殴りにされたら、コンタの背骨など粉々に粉砕され、ぐにゃぐにゃの軟体になるまで叩きのめされてしまうだろう。


「ご迷惑おかけしてすみません。コンタの分だけでなく、カウンターの皆さんの代金すべてぼくがお支払いします。ですので、どうか穏便に」


 ポポロが取り成すと、コンタが茶化した。


「よっ! さすが運営さん! 気前がいいねえ!」


 酔客たちもやんやと喝采の声をあげた。


「運営さん、素敵!」

「地下トウキヨの星!」


 ポポロの奢りがきっかけで無礼講となり、おでんが底を突くまで酒宴が続いた。


 さすがに財布の紐を緩め過ぎたか、とポポロは冷や冷やしたが、コンタが上機嫌なのが救いだ。


「ねえ、コンタ。スーニャンのことを見かけなかった?」


 行方不明のスーニャンそっちのけで酒を飲むわけにもいかない。素面のポポロが訊ねたが、まともな返事はなく、絡み酒のコンタにしつこく絡まれた。案の定、話題は下世話な方向へと舵を切った。


「スーニャンの追っかけにヤベエウサギがいたんだよ」


 スーニャンのあまりの人気ぶりに、コンタも〈スナネコ飛空挑戦〉の下見に訪れたという。その際、むしゃぶりつきたくなるような美形の女兎を見かけたそうだ。


「おっ、色っぺえ、と思って話しかけたら、とんだ地雷だったぜ」


「……地雷?」


「ウサギにとっちゃ猫は天敵だろう。なんでそんなにスナネコに入れあげるんすか、って聞いたんだよ。そしたら、なんて答えたと思う?」


「さあ」


 女兎の獣人はコンタがドン引きするほどの勢いで力説したという。


「あたし、猫は大っ嫌いだけど、スーニャンちゃんは特別なの! 可愛い! 好き! カンキンしたい! だってよ」


 カンキンシタイ。

 カンキンシタイってなんだ?


 換金したい?


 スーニャンを攫って、換金したいということか。


 いや、違うだろう。


 可愛くて、好きなものは是が非にも手元に置いておきたいはずではないのか。


 すぐにはポポロの理解が追い付かなかったが、ようやく「監禁したい」という意味であると気がついた。


「可愛い! 好き! 監禁したい! たしかにそれはヤバい発言だね」


 ポポロが同調すると、コンタは我が意を得たり、とばかりに大きくうなずいた。


「三十五股の俺様でも妖術師の束縛ウサギは御免だぜ。いくらなんでもヤバ過ぎる」


「妖術師? それってもしかしてアナベルさんのことかな」


「知らん。名前は聞いてねえ。関わりたくねえもん」


 スーニャンを監禁したいと願う束縛ウサギという人物像に、ポポロには心当たりがあり過ぎた。新進気鋭の〈建造者ビルダーズ〉であるアナウサギの獣人アナベル。


 十中八九、そうだろう。


 思わずポポロはコンタをがばっと抱きしめた。


「いきなりなんだよ、うぜえな」


 唐突に暑苦しく抱きつかれ、コンタはすっかり酔いが醒めてしまったらしい。


 じろりと冷ややかな視線を向けられたが、ポポロは意にも介さなかった。


「ありがとう、コンタ! これ以上ない情報だよ」

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