第43話 合言葉

 おでん屋〈八足やつあし〉を後にしたポポロは、出っ張ったお腹を極限まで引っ込ませ、猫の細ニャニャみちをかろうじてすり抜けた。


 細道の先はナアゴヤ・ダギヤア名物ういろうを敷き詰めた〈外郎道ウイロード〉に続いており、アナウサギの獣人アナベルが中心となって建造したリトルナアゴヤ特区がある。


 砂を自在に操り、〈妖術師の巣穴ワーレン〉造りの名手であるアナベルは、小ナアゴヤ特区に別宅を設けるのと並行して、スーニャンのためにスナネコ専用滑走路を作り、空の道となる安全ネットを張り、砂でできた羽根の核までも授けてくれた。


 彼女こそは〈スナネコ飛空挑戦〉を下支えする大恩人であるが、まさかスーニャンを監禁してまで愛でたいという下心を秘めていたとはさすがに見抜けなかった。


 アナベルは飛空挑戦のたびに最前列に陣取り、きゃあきゃあと黄色い声援を送り、撮影会フォトセッションには欠かさず参加し、スーニャンとのツーショット写真にニヤケまくっていたが、いつの間にやら組織された〈スーニャン親衛隊〉ほど狂信的ファナティックでななく、節度のある騒ぎ方をして楽しんでいた。


 スーニャンもアナベルには心を許していた。アナベルに抱っこされて写真を撮られても、これっぽっちも嫌そうな素振りを見せなかった。


 二人の仲は良好に見えたし、運営さんであるポポロの前ではなるたけお淑やかにしていたのか、「可愛い! 好き! 監禁したい!」などと物騒なことを口走ることはなかった。


 稀代の結婚詐欺師として名を馳せたコンタだからこそ、アナベルの本音を引き出せたのかもしれない。


 アナベルがスーニャンに害を為すなんて考えづらく、まさしく盲点だった。


 しかし、これはマヌの看過した通りでもあった。


 ――表にはさながら悪意のごとく振る舞う、気位の高い慈愛もある


 偉大なる猫の思想家ニャーチェの言葉を引用したマヌは、いったいどこまで未来が見えていたのだろうか。本物の予言者のようで、ちょっと恐ろしい。


 スーニャンにとって飛空挑戦は、人間の子供の遠足のようなものだ。前日の夜からワクワクして、空を飛ぶ前からウキウキしている。楽しみが募り過ぎて寝坊することはあるけれど、飛空そのものをすっぽかしたことはない。


 そんな飛空大好きなスーニャンが〈スナネコ飛空挑戦〉の場に姿を現さなかった。スーニャン自身の意思で現れなかったのだとしたら、空を飛ぶことにも増して、時間を忘れて楽しいと思えることに出会ってしまったのだろう。


 ここ最近のポポロの記憶のなかで、スーニャンがいちばん嬉しそうにしていたのは、背中に生えたちっぽけな羽根をポポロに見せびらかしたときだった。


「ポポ先生、あのね、あのね。背中に小っちゃな羽根が生えてきたの!」


 それはさり気なくアナベルが授けてくれた「砂」を固めた借り物の羽根だ。


 身体の内側から自然に生えてきたものではない。


 自然に生えてきたものではない以上、自然に大きくなることもない。


 スーニャンはポポロの顔を見るたび、「ポポ先生、スーの羽根、大きくなった?」としきりに訊ねてきた。背中の羽根が成長しているかどうかが最大の関心事だった。


「ポポ先生、どうしたら羽根が大きくなるかなあ」


 屈託のない疑問に、ポポロは曖昧にしか答えてやれなかった。


「飛行訓練を繰り返せば、いつか大きくなると思うよ」


「……ほんと?」


「ほんと、ほんと。教え子に嘘は言わない」


「やったあ! せんせい、だいすき!」


 スーニャンは純粋に喜んでいたけれど、ポポロは曖昧に誤魔化さず、本当のことを言ってやるべきだったのかもしれない。


 その羽根は自然に生えてきたものじゃないよ、スーニャン。


 砂を固めた借り物だから、アナベルさんみたいに自在に砂を操れるようになったら、そのうちきっと羽根も大きくなるかもしれないね。


 でも、ポポロにはそんな風に言うことができなかった。スーニャンは背中の羽根は自然に生えてきたのだと信じている。教え子が信じているものを頭ごなしに否定して、「それは自然じゃないんだよ」などと、どうして伝えられようか。


 スーニャンの羽根が自然か、不自然か、ポポロにそれを決める資格はない。


 スーニャンが自分で気がつくまで黙っていよう。


 黙って見守り、ひたすら運営さんに徹する。


 教えられることさえも教えない。


 それがポポロの教師としての姿勢スタンスであったが、アナベルには煮え切らない教え方だと思われてしまったのかもしれない。スーニャンを連れ出すためにアナベルが囁いたであろう誘い文句は、容易に想像することができた。


「ねえ、スーニャンちゃん。あたし、その羽根を大きくする方法知っているんだけど、知りたい?」


 信頼するアナベルにそう迫られたら、スーニャンが抗えるはずもない。


 飛空挑戦をすっぽかしたとしても不思議ではない。


 アナベルの逸る気持ちも分からないでもないけれど、背中の羽根が自然なものではないと知らされたスーニャンがショックを受けないか、それだけが心配だった。


 ポポロはういろうでできた弾力性のある道を足早に歩いた。


 アナベルの住まう巣穴は、〈侵入者インベーダー〉に乗り込まれないよう定期的に入り口の場所が変わる。本物のういろうの中から、ういろうを模した砂の入り口を見つけなければ、アナベルに面会することさえ叶わない。


 ういろうはぶよぶよしているが、砂の入り口はざらりとしている。足裏の感触だけを頼りに、しらみつぶしに入り口を探して回る時間が惜しい。


 ポポロはアナベルの身の回りの世話をする〈法螺貝の死霊ホーラ・ガイスト〉に呼び掛けた。ホーラ・ガイストはふわふわと中空を漂っており、無軌道に姿を現したり、姿を消したりする。


「ホーラ、アナベルさんに会わせてくれ」


「ぐげげげげげ、アナベル様はお取込み中だぎや」


「そこをなんとか」


 ポポロが頼み込んだが、ホーラ・ガイストはふっと掻き消えてしまった。


「招かれざる客ってことか」


 ポポロは嘆息し、仕方なく砂の入り口を探して歩いた。アナベルご自慢の隠れ家に一度だけ足を踏み入れたことがあるが、警戒心の強いアナウサギ特有の造作なのか、そこは正真正銘の迷路だった。


 狭い通路は網の目のように枝分かれし、無数の部屋へ繋がっている。だが、所々が行き止まりで、案内がなければすぐさま方向感覚を失くして迷子になってしまう。


 いくつかのモデルルームを見学させてもらったが、どの部屋もこじんまりしていた。商談用の広々とした応接室もあるにはあったが、あくまでもアナウサギ基準で広々としているだけであって、キリンやゾウの獣人は門前払いのサイズだった。


 あちこち歩き回るうち、ポポロはようやく砂の入り口を探り当てた。


「あった!」


 しかし、まだ入り口を見つけただけだ。蓋状の砂扉は固く閉ざされており、どうにかして侵入者でないと証明できない限り、巣穴へ潜ることは許されない。


「開けてくれ、ホーラ」


 ポポロが懇願すると、どこからともなくホーラ・ガイストが現れた。


「ぐげげげげげ、合言葉をどうぞ」


「合言葉? そんなの知らない」


 合言葉を言えず、侵入者でないと証明できなかったからか、ホーラ・ガイストが消えかかった。


「待って! 頼む、スーニャンを探しに来ただけなんだ」


 ポポロが必死に縋りつくと、通りすがりのマヌがぼそりと言った。


「スナスナ、ホレホレ。ハネ、ハエル」


「ぐげげげげげ。ようこそ、お越しに」


 ホーラ・ガイストが恭しく頭を下げた。


 蓋状の砂扉が跳ね上げられ、ポポロは正式に〈妖術師の巣穴ワーレン〉へと招かれた。


 またしてもマヌの知恵を借り、窮地を救ってもらった。


「マヌ、ありがとう」


 ポポロが心からの礼を言ったが、まんまるのシルエットはすっかり砂に溶け、跡形もなく消え去っていた。


 存在したかと思えば、いつの間にやら消えている。


 世界最古の猫族である〈歴史家マヌ〉は相変わらず幻術めいており、ひょっとしてマヌも死霊なのだろうか、とポポロは思った。

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